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クッキングこめぞうの井戸端日記

こめぞう長屋の井戸端で縁台に腰掛けながら、暫し四方山話に花を咲かせましょう!
美味しいコーヒー入りましたよ

卑弥呼?祭りに山海の幸 奈良・纏向遺跡から「タイ」「シカ」「イネ」… (三世紀中ごろ)

2011-01-26 20:21:57 | 考古学


中日新聞 2011年1月22日 30面より引用

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各地豪族が献上の供物か

 女王卑弥呼で知られる邪馬台国
の有力候補地で、大和政権発祥地
とされる奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむく)

で祭りの際に大量のモモの実のほ
か、タイやイワシの海水魚、シカ
やイノシシ、アワやウリ類など山

海の幸が供えられていたことが分
かった。桜井市教委が二十一日発
表した。タイなどは海に面した地

域からの献上品とみられ、政権中
心地での祭りの実態をうかがう貴
重な資料になりそうだ。

 昨年九月、祭りの後に廃棄され
た二千個以上のモモの種や土器、
木製品が出土。その後の土壌の洗

浄調査で、イワシ類やマダイ、ア
ジ科、サバ科などの魚、カモ、ニ
ホンジカ、イノシシの骨の一部が

見つかった。

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▼昨年の九月にモモの実が大量に
発掘された報道がありましたが、
引き続いての調査でいろいろなも

のが出てきましたね。纏向遺跡か
らは東海地方からの土器が入って
いますが、海の幸が大量に見つか

って、あらゆる物資が纏向に集ま
っていたわけですね。かなりの権
力者が存在していたようです。

それにしても品数が多岐にわたっ
ています。奈良県は山に囲まれた
盆地ですから、当時どうやって運

ばれて来たのでしょうか。

 こめぞう

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (kazuyoo60)
2011-01-27 10:39:47
民は食べず食べずだったはずでしょう。仮に卑弥呼としたら、肥えていたかもしれませんね。
前にテレビで見たのですが、軍事や物流(貢物)のために道が各地に繫がっていたのでしょうね。
日本だけでなく、南米の古代国家でも道路が縦横だったとテレビで見ましたよ。
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Unknown (ビオラ)
2011-01-27 13:37:07
まぼろしの邪馬台国への夢が広がるような莫大な数の出土品ですね
先に行ったエジプトのような乾燥地と違って
湿気の多い日本でも条件がそろえばこんな風に残るんですね
卑弥呼の謎が解明されたら素晴らしいですが・・・
返信する
☆・_・☆ 古代の道 (クッキング こめぞう)
2011-01-27 23:43:59
kazuyoo60さん
かなりの物資が(貢物)古代に移動していますね。道も整備されていたのかもしれません。我が地区の隣町からも平城京にコメが運ばれています。(木簡)

     こめぞう
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☆・_・☆ 卑弥呼 (クッキング こめぞう)
2011-01-27 23:48:50
ビオラさん
意外に古代の道は発達していて、馬などに乗せて物資が運ばれていたのかもしれませんね。
それにしても、いろいろなものが献上されていたのですね。

    こめぞう
返信する

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