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「令和4年日本国国防方針」批判(第五回) -国防権のない日本の危険な外交と国防-

2023-01-23 | 小日向白朗学会 情報

 6、2017年の衝撃
 前回まで、日本政府はRUSIが提案する危険な安全保障政策を採用したことまでを書いた。今回はその理由を纏める。そのためには、再度、RUSI Japanの沿革から考え直してみる。
 RUSI Japanは平成31(2019)年にそれまでの地域本部から日本特別代表部に格上げしたとしているが、その理由は述べられていない。RUSI Japanを特別代表部に格上げし早期の新日英同盟を締結することが急務となる何かの事情があったはずである。それも日本政府の事情による重大な変化があったということであろう。
 RUSI Japanが2019年に格上したということは、それ直前に世界規模で安全保障上の地殻変動があったからであろう。そのような変化といえば、2017年1月20日に第45代アメリカ大統領としてドナルド・ジョン・トランプ‘(Donald John Trump)が就任したこと以外にない。トランプの一般的な評価について2021年1月05日付け BISINESS INSIDER「トランプ氏は何位?…専門家による最新アメリカ大統領ランキング」から見ておく。
『……
  • 歴史学者たちは、新しい調査で、ドナルド・トランプ前大統領を過去150年間のどの大統領よりも低く評価した。
  • トランプは歴代44人の大統領中、41位にランク付けされた。
  • バラク・オバマは10位で、第1位はエイブラハム・リンカーンだった。
……」
となっている。調査に応じた歴史学者の支持政党の分布も言わず、評価項目も言わず、評価項目の配点も言わず、ただ単に歴史学者がそう主張しているというだけである。これがプロパガンダと言わずにほかに何があるというほど幼稚なものである。よほどトランプの存在を問題視する勢力がいるということであろう。日本のマスコミも、この焼き直し程度である。つまり日本国内にもトランプの登場を疎ましく思っていた勢力がいたということになる。このようなプロパガンダが世界中でまかり通るほど、トランプが実施しようとした政策、もしくは、外交が衝撃的なものであった証拠でもある。
 そのようなトランプの外交方針が如何なるものであったかを測り知るうえで貴重な情報がある。それは、トランプの長年のアドバイザーを務めるロジャー・ストーン(Roger Stone)という人物の存在があった。そのストーンはニクソンの崇拝者であったという点が重要である。ニクソンと云えばウオーターゲイト事件がつとに有名であるが、其れよりも重要な米中接近及びベトナム撤退に取り組んだ大統領であった。つまりニクソンはデタントの先駆者であった。ストーンは、デタントを進めるニクソンを崇拝していた。そんなストーンがトランプのアドバイザーとなっていた。理想を受け継いだのがトランプとみてよい。
 事実、2016(平成28)年7月21日、米共和党大統領候補となったドナルド・トランプは、アメリカを「法と秩序の国」にして「安全を取り戻す」と強調した。演説の中の「法と秩序」は、1968(昭和43)年にニクソンが大統領候補受諾演説から引用したものであった。つまり、トランプ外交の中心は世界各地に派兵しているアメリカ軍撤収が中心政策となることは大統領選挙前から十分に予想されていることであった。
そして、大方の予想を裏切りトランプは大統領選挙を制した。就任後のトランプは、ドイツ、アフガニスタン、ソマリアそして朝鮮戦争終結に向けて動き出した。
・アフガニスタン撤退
2001年10月、米中枢同時テロの報復として米英軍がアフガンを空爆し、米軍が駐留を開始した。同年12月にタリバン政権を崩壊させたが内戦は収まらず治安維持のため継続的な派兵を余儀なくされて「米史上最も長い戦争」となっていた。2020年2月にトランプがタリバンと和平合意し撤収することになった。その結果、20年間の対テロ戦の戦費は8兆ドル(約1100兆円)、米兵の犠牲者は約7000人に上った戦争は終了することになった。
・ドイツ撤退
2020年7月29日、アメリカはドイツに駐留している米軍を約1万2000人削減する計画を発表した。ヨーロッパにおける「戦略的な」再配置としていた。削減する米兵のうち、約6400人はアメリカに帰国し、その他は、イタリアやベルギーなど北大西洋条約機構(NATO)加盟国に移すことになった。トランプ米大統領はこの動きについて、NATOの防衛支出目標をドイツが達成していないことを受けたものだと述べている。しかし米議会では、ロシアを大胆化させるとして、反対が広がっていた。そして出てきたのがロシアゲート事件であった。
・朝鮮撤退
2018年6月12日にシンガポールでアメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長及び国務委員会委員長による史上初の首脳会談が行われた。会談後出された共同声明は次のとおりである。
『……
共同声明
アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプと朝鮮民主主義人民共和国の金正恩国務委員長は、史上初の首脳会談を2018年6月12日、シンガポールで開催した。
トランプ大統領と金正恩委員長は新たな米朝関係や朝鮮半島での恒久的で安定的な平和体制を構築するため、包括的かつ誠実な意見交換を行った。トランプ大統領は朝鮮民主主義人民共和国に安全の保証を与えると約束し、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に向けた断固とした揺るぎない決意を確認した。
新たな米朝関係の構築は朝鮮半島と世界の平和と繁栄に寄与すると信じると共に、相互の信頼醸成によって朝鮮半島の非核化を促進すると認識し、トランプ大統領と金正恩委員長は次のように宣言する。
  1. アメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国は、平和と繁栄を求める両国国民の希望に基づき、新たな米朝関係の構築に取り組む。
  2. アメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮半島での恒久的で安定的な平和体制の構築に向け、協力する。
  3. 2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮半島の完全な非核化に向け取り組む。
  4. アメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮戦争の捕虜・行方不明兵の遺骨回収、既に身元が判明している遺体の帰還に取り組む。
トランプ大統領と金正恩委員長は「史上初の米朝首脳会談が、両国の数十年にわたる緊張と敵対を乗り越える新たな未来を築く重要な出来事であった」と認識し、この共同声明の内容を「完全かつ迅速に履行すること」を約束した。
アメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国は米朝首脳会談の成果を履行するため、「マイク・ポンペオ国務長官と朝鮮民主主義人民共和国の高官の交渉を続けて可能な限り迅速に履行する」と約束した。
トランプ大統領と金正恩委員長は「新たな米朝関係の発展と、朝鮮半島と世界の平和、繁栄、安全のために協力すること」を約束した。
……』
このアメリカと北朝鮮の共同声明では、朝鮮戦争を終結させることで合意した。その後も両国による接触が続いた。
 2019年2月27日、ベトナムの首都ハノイでドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による2回の会談が行われ、朝鮮半島の核兵器廃絶に向けた進展について協議したもようであった。
 2019年6月30日、ドナルド・トランプ米大統領は、韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線を挟み、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と握手した後、現職の米大統領として初めて、境界線を歩いて越え、北朝鮮側に入った。これに続き、金氏がトランプ氏と並んで境界線を越え南側に入った。
軍事境界線を挟んでトランプ氏が「また会えて嬉しいです」と声をかけると、金委員長はトランプ氏を招き入れるような仕草を見せ、これに応えてトランプ氏が境界線をまたいで北朝鮮側に入った。両首脳は10歩ほど進み、北朝鮮側で再び握手した。
 満面の笑みの金委員長は「またお会いできて何よりです。まさかこの場所でお会いできるとは思っていませんでした」と、通訳を介してトランプ氏に言い、トランプ氏は「大変な瞬間です」「素晴らしい前進だ」と答えた。両首脳は続いて、にこやかに談笑しながら共に境界線を南側へ越え、そのまま記者団の質問に応じた。金氏もその場に立ったまま、記者団の質問に答えるという異例の展開となった。金氏は、トランプ大統領が初めて米大統領として初めて軍事境界線を越えたことを強調した。トランプ氏は境界線を越えたのは「本当に歴史的」で、「素晴らしい名誉なことだ」と述べ、2人はあらためて握手を交わした。

めでたし、めでたし、である。

  7、日本政府がRUSIの提案する安全保障を受け入れた理由
その後の北朝鮮は狂ったようにミサイルを発射し周辺の緊張を極度に高め、ついには「令和4年日本国国防方針」に仮想敵国と指名されるまでに至った。平成31(2019)年と令和4(2022)年と僅か3年間で如何なる変化が起きたのか理解に苦しむところである。唯、トランプと金正恩による合意書は、日本政府及び外務省を非常に慌てさせたことだけは確かである。
実はトランプと金正恩とが朝鮮戦争終結を合意したことこそが、日本をイギリスに接近させ軍拡に走らせ、ウクライナとロシアが戦争になった直接の動機なのだ。
 そもそも日本の安全保障の考え方は、条約も国内法もすべて朝鮮戦争を基に整備されている。つまり朝鮮戦争が終戦になるということは、少なからず条約や国内法にも影響を及ぼすことになる。それと共に、沖縄などに集中的に配備されている駐留アメリカ軍の撤退が問題となる。朝鮮戦争の終戦の影響について、朝鮮戦争に派遣された朝鮮国連軍の結成と、サン・フランシスコ講和条約まで遡って検証してみる。
朝鮮国連軍に付いては、外務省公式ページ『朝鮮国連軍と我が国の関係について』に次のようにある。
『……
朝鮮国連軍は,1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い,同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき,「武力攻撃を撃退し,かつ,この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設された。また,同月,朝鮮国連軍司令部が東京に設立された。
……』
この時、朝鮮国連軍司令部は東京の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)におかれ、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)が司令官に任命された。そして、占領アメリカ軍が今度は朝鮮国連軍となった朝鮮半島に向かった。
 その後、朝鮮戦争が膠着状態となった1951(昭和26)年9月になると、日本はサン・フランシスコ市で講和条約を締結することになった。朝鮮国連軍と同講和条約との関係は、占領アメリカ軍の扱いについて規定があるからである。講和条約発効後の占領軍の扱いは次のとおりである。
『   日本国との平和条約
昭和二六年九月八日サン・フランシスコ市で署名
昭和二六年一一月一八日批准
昭和二六年一一月二八日批准書寄託
昭和二七年四月二八日効力発生
昭和二七年四月二八日公布(条約第五号)
……
第六条
  1. 連合国のすべての占領軍は,この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国閻の協定に基く、叉はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
……』
 すなわちサン・フランシスコ講和が効力を発すると、その後90日以内に占領軍は日本から撤退することになっていた。この条文通りに占領アメリカ軍を撤収すると、朝鮮戦争で戦闘が継続中にもかかわらず、戦争を継続することが困難となってしまう。併せてマッカーサーも日本を去らなければならず、朝鮮国連軍の司令官が不在となってしまうことになる。そこでアメリカは一計を案じ、講和条約締結の当日、吉田茂とアメリカの国務長官ディーン・アチソンとの間で占領軍が引き続き駐留することを認めるという交換公文が取り交わさせた。
『……
吉田・アチソン交換公文(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の署名に際し吉田内閣総理大臣とアチソン国務長官との間に交換された公文)

合衆国国務長官から内閣総理大臣にあてた書簡
 書簡をもつて啓上いたします。本日署名された平和条約の効力発生と同時に、日本国は、「国際連合がこの憲章に従つてとるいかなる行動についてもあらゆる援助」を国際連合に与えることを要求する国際連合憲章第二条に掲げる義務を引き受けることになります。
 われわれの知るとおり、武力侵略が朝鮮に起りました。これに対して、国際連合及びその加盟国は、行動をとつています。千九百五十年七月七日の安全保障理事会決議に従つて、合衆国の下に国際連合統一司令部が設置され、総会は、千九百五十一年二月一日の決議によつて、すべての国及び当局に対して、国際連合の行動にあらゆる援助を与えるよう、且つ、侵略者にいかなる援助を与えることも慎むように要請しました。連合国最高司令官の承認を得て、日本国は、施設及び役務を国際連合加盟国でその軍隊が国際連合の行動に参加しているものの用に供することによつて、国際連合の行動に重要な援助を従来与えてきましたし、また、現に与えています。
 将来は定まつておらず、不幸にして、国際連合の行動を支持するための日本国における施設及び役務の必要が継続し、又は再び生ずるかもしれませんので、本長官は、平和条約の効力発生の後に一又は二以上の国際連合加盟国の軍隊が極東における国際連合の行動に従事する場合には、当該一又は二以上の加盟国がこのような国際連合の行動に従事する軍隊を日本国内及びその附近において支持することを日本国が許し且つ容易にすること、また、日本の施設及び役務の使用に伴う費用が現在どおりに又は日本国と当該国際連合加盟国との間で別に合意されるとおりに負担されることを、貴国政府に代つて確認されれば幸であります。合衆国に関する限りは、合衆国と日本国との間の安全保障条約の実施細目を定める行政協定に従つて合衆国に供与されるところをこえる施設及び役務の使用は、現在どおりに、合衆国の負担においてなされるものであります。
 本長官は貴大臣に敬意を表します。
千九百五十一年九月八日
ディーン・アチソン
……』
と、日本に国際連合が派遣した軍隊、つまり占領アメリカ軍はそのまま駐留を継続することに合意したのだ。この交換公文が、昭和29(1954)年2月19日に朝鮮国連軍が我が国に滞在する間の権利と義務その他の地位及び待遇を規定する「日本国における国連連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)となった。これもアメリカ軍が終戦で撤収する条項を確認すると次のとおりである。
日本国における国連連合の軍隊の地位に関する協定

昭和二九年二月一九日東京で署名
昭和二九年五月二一日受諾について内閣決定
昭和二九年六月一日受諾書寄託
昭和二九年六月一日公布(条約第一二号)
昭和二九年六月一一日効力発生
……
 千九百五十一年九月八日に日本国内閣総理大臣吉田茂とアメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンとの間に交換された公文において,同日サン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の効力発生と同時に,日本国は,国際連合が国際連合憲章に従つてとるいかなる行動についてもあらゆる援助を国際連合に与えることを要求する同憲章第二条に掲げる義務を引き受けることになると述べられているので,
 前記の公文において,日本国政府は,平和条約の効力発生の後に一又は二以上の国際連合加盟国の軍隊が極東における国際連合の行動に従事する場合には,当該一又は二以上の加盟国がこのような国際連合の行動に従事する軍隊を日本国内及びその附近において支持することを日本国が許し且つ容赦することを確認したので, 国際連合の軍隊は,すべての国及び当局に対して国際連合の行動にあらゆる援助を与えるよう要請した,千九百五十年六月二十五日,六月二十七日及び七月七日の安全保障理事会決議並びに千九百五十一年二月一日の総会決議に従う行動に今なお引き続き従事しているので,また, 日本国は,朝鮮における国際連合の行動に参加している軍隊に対し施設及び役務の形で重要な援助を従来与えてきており,且つ,現に与えているので,よつて,これらの軍隊が日本国の領域から撤退するまでの間日本国におけるこれらの軍隊の地位及び日本国においてこれらの軍隊に与えられるべき待遇を定めるため,この協定の当事者は,次のとおり協定した。
   第一条
この協定に別段の定がある場合を除く外、この協定の適用上次の定義を採択する。
(a)「国際連合の諸決議」とは、で九百五十年六月二十五日、六月二十七日及び七月七日の国際連合安全保障理事会決礒並びに千九百五十一年二月一日の国際連合総会決議をいう。
(b)「この協定の当事者」とは、日本国政府.統一司令部として行動するアメリカ合衆国政府及び、「国際連合の諸決議に従って朝鮮に軍隊を派遣している国の政府」として、この協定に受諾を条件としないで署名し、「受諾を条件として」署名の上これを受諾し、又はこれに加入するすべての政府をいう。
(c)「派遺国」とは、国際連合の諸決議に従って朝鮮に軍隊を派遣しており又は将来派遣する国で、その政府が、「国際連合の諸決議に従って朝鮮に軍隊を派遣している国の政府」としてこの協定の当事者であるものをいう。
(d)「国際連合の軍隊」とは。派遣国の陸軍、海軍又は空軍で国際連合の諸決議に従う行動に従事するために派遣されているものをいう。
……
    第二十四条
 すべての国際連合の軍隊は、すべての国際連合の軍隊か朝鮮から撤退していなければならない日の後九十日以内に日本国から撤退しなければならない。この協定の当事者は、すべての国際連合の軍隊の日本国からの撤退期限として前記の期日前のいずれかの日を合意することができる。
……
統一司令部として行動するアメリカ合衆国政府のために
 J・グレイアム・パースンズ(署名)
 国際連合の諸決議に従つて朝鮮に軍隊を派遣している国の諸政府
カナダ政府のために
 R・W・メイヒュー(署名)
   受諾を条件として
ニュー・ジーランド政府のために
 R・M・ミラー(署名)
   受諾を条件として
グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国政府のために
 エスラー・デニング(署名)
南アフリカ連邦政府のために
 エスラー・デニング(署名)
   受諾を条件として
オーストリア連邦政府のために
 E・ロナルド・ウォーカー(署名)
フィリピン共和国政府のために
 ホセ・F・イムペリアル(署名)
フランス共和国政府のために
 ダニエル・レヴィ(署名)
   千九百五十四年四月十二日
イタリア政府のために
 B・L・ダイェータ(署名)
   千九百五十四年五月十九日
……』
同協定の締結国は、アメリカ合衆国(米国)、カナダ、ニュー・ジーランド、イギリス、南アフリカ連邦、オーストラリア、フィリピン、フランス、イタリアの9カ国であった。この締結国の中心は、イギリスとイギリス連邦(Commonwealth of Nations)に加盟するカナダ、ニュー・ジーランド、南アフリカ連邦、オーストラリアなのだ。ちなみにイギリス連邦には、イギリスの旧植民地であった56国が加盟していて国際連合(United Nations)内で最大の派閥を形成している。国連で安全保障の問題を多数決で決定してはならないのは、最大派閥の意見に左右されることが多いためである。ウクライナ問題はその好例である。常任理事会に、国際連合憲章第27条による拒否権があるのは合理的な方法なのだ。
尚、同連邦の中には「北極の氷が解けると、国が沈没する」と騒いでいた「アルキメデスの原理」もしらないツバル(Tuvalu)があることは象徴的である。
 また、イギリス連邦と日本の関係を考えるならば注目すべき事案が最近おきている。
令和4(2022)年10月25日に、防衛省は、警察予備隊創設70年を記念し、同年11月6日に相模湾で国際観艦式を開催することを決めた。参加国はアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、インドネシア(オーストラリアと安全保障に関する協定を締結)、マレーシア、ニュー・ジーランド、シンガポール、タイ(朝鮮戦争参戦国)、インド、パキスタン、ブルネイ、韓国(当事国)の13か国であった。この参加国をみて直ちに思いつくことは、太字の参加国がイギリス連邦諸国であることと、そして朝鮮戦争参戦国なのである。日本はアメリカ以外に安全保障条約を締結した国はない。しかし、朝鮮戦争に参戦した国、若しくは将来参戦する国の地位を定めた「国連軍地位協定」では、朝鮮国連軍統一司令部、つまりアメリカ軍の下で、『……平和条約の効力発生の後に一又は二以上の国際連合加盟国の軍隊が極東における国際連合の行動に従事する場合には,当該一又は二以上の加盟国がこのような国際連合の行動に従事する軍隊を日本国内及びその附近において支持することを日本国が許し且つ容赦する……』という定めがあることからイギリス連邦諸国が観艦式に参加することができるのだ。そればかりかイギリス連邦諸国はアメリカ軍の指揮のものと自衛隊と日常的に戦闘訓練を行うことも可能となっている。近年、自衛隊はイギリス連邦諸国と頻繁に戦闘訓練を行うようになったのは昭和29(1954)年に締結した古色蒼然とした「国連軍地位協定」があったからこそ可能であった。したがって「令和4年 国際観艦式」ではなく「令和4年 朝鮮国連軍観艦式」が正式名称なのだ。防衛省が正式名称にしなかった理由は、やはり「自衛隊指揮権」をアメリカに移譲していることを国民に悟られないようにするためと、憲法違反の論議が出ないための処置だからである。

 ところで、この事例から「国連軍地位協定」が現在も効力を有する協定であることが確認できた。ならば同協定の終了期限は何時であろうか。
それは朝鮮戦争が終戦までなのである。同協定24条に明確に記載されていて、「……すべての国際連合の軍隊が朝鮮から撤退していなければならない日の後九十日以内に日本国から撤退しなければならない。……」と朝鮮戦争が終戦となって朝鮮国連軍が朝鮮から撤退完了したのち90日以内にアメリカ軍は日本から撤退を完了させなければならないのだ。
 すなわち、日本の国防権をアメリカに移譲したことを国民に隠蔽したうえに、法律を捻じ曲げ自ら進んで治外法権となった見返りの褒美である防衛利権を貪って延命を続けてきた自民党の全てのレゾンデートル(raison d'etre)が消滅する日、それが「朝鮮戦争終戦」の日なのだ。
 日本の安全保障に関する法体系は、朝鮮戦争が終戦となると法の根拠が消滅することになるのだ。併せて「アメリカに防衛権を移譲し続けることが仕事であった」外務省の無能さが明らかになる日なのだ。トランプと金正恩の合意書から、さらに進んで朝鮮戦争終戦となると、外務省及び自民党の既得権は全て消滅してしまうのだ。その衝撃がいかに強烈であったのかは想像に余りある。そのため、急遽、外務省と自民党はRUSIの安全保障案を丸呑みすることにして、出来上がったのが「令和4年日本国国防方針」だったのだ。兼ねてからイギリスは、自国の戦力不足を解消するために自衛隊を利用したいと考えていたところに、転げ込んできたのが日本政府であった。イギリスに取って「勿怪の幸い」「棚からぼたもち」だったのだ。
 そしてトランプの行ったデタントで瀕死の致命傷を受けた日本の外交がイギリスの提案する悪魔の安全保障を受け入れたことを示し「国力を誇示」(ショーザフラッグ(show the flag))しようとしたのが「令和4年 朝鮮国連軍観艦式」なのだ。
 付け加えておくならば日本政府は、憲法に「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあることを忘れている。いや無視している。
(第五回終了)
P.S.
 「国連軍地位協定」と日米安保条約は別物であるという意見もあろうことから、それが間違いであることを示しておく。
昭和35(1960)年1月19日にワシントンで「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」を締結しているが、同時に付属文書も取り交わされていた。
『……
アメリカ合衆国国務長官
クリスチャン・A・ハーター
日本国総理大臣 岸信介閣下

書簡をもつて啓上いたします。本長官は、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名されたアメリカ合衆国と日本国との間の安全保障条約、同日日本国内閣総理大臣吉田茂とアメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンとの間に行なわれた交換公文、千九百五十四年二月十九日に東京で署名された日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定及び本日署名されたアメリカ合衆国と日本国との間の相互協力及び安全保障条約に言及する光栄を有します。次のことが、本国政府の了解であります。
1 前記の交換公文は、日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定が効力を有する間、引き続き効力を有する。
……
本長官は、閣下が、前各号に述べられた本国政府の了解が貴国政府の了解でもあること及びこの了解が千九百六十年一月十九日にワシントンで署名された相互協力及び安全保障条約の効力の発生の日から実施されるものであることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。
本長官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
千九百六十年一月十九日
アメリカ合衆国国務長官
クリスチャン・A・ハーター
……』
これは日米安全保障条約がサン・フランシスコ講和会議において締結された安全保障条約、吉田茂アチソン交換公文及び「日本国における国連連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)を引続き効力を有することの確認を求めたものである。いわば「日本もわかっているであろうが」という確認文書である。此の確認文書からもわかる通り、日米安保条約を破棄するには1年前に通告する必要がる。ところが日米安全保障条約のもととなる交換公文や「国連軍地位協定」では朝鮮戦争が終戦となり撤退が完了すれば90日以内に駐留アメリカ軍は撤収してしまうのだ。・・・・・・・それが、2018年6月12日にシンガポールでのドナルド・トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長との会談後に出された共同声明により、駐留アメリカ軍の撤退日が具体化することになった。








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