先月末のベトナムでの米朝首脳会談のお話は、いやっというほどテレビなどでコメントされているようです、あまり見ませんが。でも、あのお二人がお話をするっていうことが、日本に住んでいる私たちの生活にどう関係するのかって、どのくらいのリアル感があるのでしょうか。数十年まえならば「アジアの平和」というくくりで語られる話題であると思いますが、今や「アジアの問題は」「世界全体の問題」でもあるでしょうから、世界の平和、にかかわることでしょうね。
ところで、昭和46年2月小日向白朗とのクレジット付きで、富士ジャーナルという雑誌に「米国への提言 アジアの平和と進歩のために』が公表されています。今となってはあまりご存知の方もいらっしゃらないかもしれません。この文章は前年の昭和45年7月にはアメリカ国家安全保障会議に出されていたものそのものでした。小見出しは4つあります。
●ベトナム和平
●ポスト・ベトナム
●中国問題
●アジアの建設
・・・の4つです。
当時はベトナム戦争のころでした。思い出す方も多いかと。新聞に連日報道されていたものです。撤退ノウハウを持たないままに拡大してしまった戦争を「こんなふうにしたら、名誉ある撤退ができるし、ポストベトナムの復興にも貢献できるでしょう」とアメリカに提言されているのです。そしてほぼその提言通りに進み戦争は終結したのだったと記憶しています。
そして、最後の「アジアの建設」の中で白朗は「・・・・それはベトナム和平はもとより、すべての民族の自主独立を保証し、一切の干渉と介入を排除することを要求するものであると同時に、中国に対しても不合理な貿易制限を撤廃し、中国自身の経済建設と海外交流を助長し、相携えてアジアの平和的建設に協力する場をつくるべきであることを主張するものである」、続けて「現情勢はアメリカの一大決断の時であるということができる]と結んでいます。昭和45年に書かれた文章というと49年前ということですね。わたしは、すでにアメリカは、というよりトランプさんは決断していると考えています。
まっ、今回は朝鮮戦争の終結と半島からの核撤廃といったテーマだったと思いますので、違いはあるでしょう。しかしながら、流れとして「戦争の終結」であり、「戦争を継続するものは排除していく」という流れであることは似通ってはいないでしょうか。私はこの中で「戦争の排除」が最大テーマと思っています。それはなぜかと言いますと…戦争状態の継続、緊張の不断の創出などの方法でできるだけ戦争を継続していきたい、継続していくことの中で得られるフルーツの味を手放したくない、という方々がいらっしゃるからです。こういう方々は日本だけでなく、韓国にもアメリカにもいらっしゃると思いますよ。物事をわかりやすく判断する方法の一つとして、「いったい誰が北の核廃絶が実現してしまうことを嫌がっているのか」ということに思いを巡らせれば簡単だと思いますね。そんなことをあれやこれややっていましたら、平成21年のころに鈴木宗男先生が核資材輸出疑惑に関する質問をしていた、といった記事が出てきました。日本企業の名前まではっきりと。迂回戦術でひょっとしたら、ね、「北の核のおおもとはどこか」が見えてくるのかもしれません。怖いお話です。西部邁先生の核武装論の宣伝文句【「唯一の被爆国」という自己欺瞞をただす!「非核三原則」には嗤いを、「核の傘」には疑いを。日本の核武装に現実味を感じていないのは日本人だけだ。偽善的な平和主義に老師ニシベは「核」新論を展開する】・・・などをまたぞろ持ち出す方も出てくるのかな。時は大きなうねりを見せて変わってきていることを理解されないというか、意識的に、あるいは意図的に理解しようとしない方々がいらっしゃるのも仕方がないかもしれませんが。ちなみに私は西部先生大好きですが、時折わからないこともおっしゃっていたかななどと思いだします。
そんなわけで、この辺で改めて白朗に学びたいものだと思う今日この頃であります。(文責吉田)
追伸・・・北の核については上記に記したような懸念がありますが、今回我が国トップがイランに行くのはなぜでしょうか。トランプに行け、と言われたからとするのも至当でしょう。ではなぜトランプは我が国トップにそう言ったのでしょうか。その辺を考えていただきたいなあ、などと思います。鈴木宗男先生のご懸念されるところ、それは核拡散だとしたら、果たして、パキスタンのカーン博士の核はどこへ流れていたのか。そこでイランのことを考える必要が出てくるというのは当然のロジックでしょうね。(令和元年6月3日追記、文責吉田)
ところで、昭和46年2月小日向白朗とのクレジット付きで、富士ジャーナルという雑誌に「米国への提言 アジアの平和と進歩のために』が公表されています。今となってはあまりご存知の方もいらっしゃらないかもしれません。この文章は前年の昭和45年7月にはアメリカ国家安全保障会議に出されていたものそのものでした。小見出しは4つあります。
●ベトナム和平
●ポスト・ベトナム
●中国問題
●アジアの建設
・・・の4つです。
当時はベトナム戦争のころでした。思い出す方も多いかと。新聞に連日報道されていたものです。撤退ノウハウを持たないままに拡大してしまった戦争を「こんなふうにしたら、名誉ある撤退ができるし、ポストベトナムの復興にも貢献できるでしょう」とアメリカに提言されているのです。そしてほぼその提言通りに進み戦争は終結したのだったと記憶しています。
そして、最後の「アジアの建設」の中で白朗は「・・・・それはベトナム和平はもとより、すべての民族の自主独立を保証し、一切の干渉と介入を排除することを要求するものであると同時に、中国に対しても不合理な貿易制限を撤廃し、中国自身の経済建設と海外交流を助長し、相携えてアジアの平和的建設に協力する場をつくるべきであることを主張するものである」、続けて「現情勢はアメリカの一大決断の時であるということができる]と結んでいます。昭和45年に書かれた文章というと49年前ということですね。わたしは、すでにアメリカは、というよりトランプさんは決断していると考えています。
まっ、今回は朝鮮戦争の終結と半島からの核撤廃といったテーマだったと思いますので、違いはあるでしょう。しかしながら、流れとして「戦争の終結」であり、「戦争を継続するものは排除していく」という流れであることは似通ってはいないでしょうか。私はこの中で「戦争の排除」が最大テーマと思っています。それはなぜかと言いますと…戦争状態の継続、緊張の不断の創出などの方法でできるだけ戦争を継続していきたい、継続していくことの中で得られるフルーツの味を手放したくない、という方々がいらっしゃるからです。こういう方々は日本だけでなく、韓国にもアメリカにもいらっしゃると思いますよ。物事をわかりやすく判断する方法の一つとして、「いったい誰が北の核廃絶が実現してしまうことを嫌がっているのか」ということに思いを巡らせれば簡単だと思いますね。そんなことをあれやこれややっていましたら、平成21年のころに鈴木宗男先生が核資材輸出疑惑に関する質問をしていた、といった記事が出てきました。日本企業の名前まではっきりと。迂回戦術でひょっとしたら、ね、「北の核のおおもとはどこか」が見えてくるのかもしれません。怖いお話です。西部邁先生の核武装論の宣伝文句【「唯一の被爆国」という自己欺瞞をただす!「非核三原則」には嗤いを、「核の傘」には疑いを。日本の核武装に現実味を感じていないのは日本人だけだ。偽善的な平和主義に老師ニシベは「核」新論を展開する】・・・などをまたぞろ持ち出す方も出てくるのかな。時は大きなうねりを見せて変わってきていることを理解されないというか、意識的に、あるいは意図的に理解しようとしない方々がいらっしゃるのも仕方がないかもしれませんが。ちなみに私は西部先生大好きですが、時折わからないこともおっしゃっていたかななどと思いだします。
そんなわけで、この辺で改めて白朗に学びたいものだと思う今日この頃であります。(文責吉田)
追伸・・・北の核については上記に記したような懸念がありますが、今回我が国トップがイランに行くのはなぜでしょうか。トランプに行け、と言われたからとするのも至当でしょう。ではなぜトランプは我が国トップにそう言ったのでしょうか。その辺を考えていただきたいなあ、などと思います。鈴木宗男先生のご懸念されるところ、それは核拡散だとしたら、果たして、パキスタンのカーン博士の核はどこへ流れていたのか。そこでイランのことを考える必要が出てくるというのは当然のロジックでしょうね。(令和元年6月3日追記、文責吉田)