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土佐には、国家成立のパーツが散らばって残っている ~ 奈良と仏教と土佐 ~ 「国家珍宝帳」の筆頭に記

2010年10月30日 | 歴史

Photo_3 この度、756年に、光明皇后が、聖武天皇の四十九日忌に合わせて東大寺大仏の膝下に埋納した宝物 「陽寳劔」「陰寳劔」や七星剣が確認された。

http://www.asahi.com/culture/update/1025/OSK201010250116.html

金堂鎮壇具のX線調査の結果、別の銀荘大刀1振り(長さ62.4センチ)の刀身から、北斗七星の文様が見つかった。邪気を払う意味を持つ刀とみられるが、除物にはなく、ほかの正倉院の文書にも該当する大刀の記述が見つからないという。

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天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発した。このため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)に国分寺建立、天平16年(743年)に東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出した。

古代、土佐の神田(こうだ)は奈良東大寺の寺領(飛び地)であった。その土佐にも七星剣がある。

今回、陰陽2振りの剣とともに確認された、北斗七星の文様がある銀荘大刀は、光明皇后が崩御した聖武天皇に贈ったもので、「死後の世界でも天皇に力を与え、国家を護り給え!」と祈願したものであろう。

 

日本を語る時、どうしても天皇制が中心になる。「天皇」は中国の天文学の古典に見られる天皇大帝に倣うものと言われている。道教において天皇大帝(天皇)とは、もともと北辰の星、すなわち北極星を神格化したもの。。。天球の中心は北極星近くの1点にある。この1点を「天皇大帝」と名付け、それを守護するものとして北斗七星に神聖を見出す思想だ。。。 

 

土佐・現在の高知県四万十市間崎の一宮神社に伝わる七星剣、安芸市の一宮神社(妙見山)の星神社が言わずと語る物語は・・・何か・・・

 

今回東大寺大仏の膝下から明治期に出土していた二振りの剣に「陰剣」「陽剣」の文字が確認されたことの意味は・・・

 

先ずは、「四国の山なみ」という素晴らしいサイトから、星神社や妙見信仰について引用させて戴くと…

 

星 神 信 仰 の 妙 見 ノ 森
http://www.geocities.jp/kyoketu/5341.html
― 「星の神社」は全国に数多く存在する。とくに西日本に多い。北極星、北斗七星、隕石を祭神とする。この神社がある山は、妙見という名前が付けられていることが多い。一般に妙見は、北辰(北極星)に通じ北辰妙見信仰との関連があり、妙見菩薩を祠る日蓮宗との関係も深い。山には星神社、妙見神社、妙見宮などが建立されて信仰を集めているのである。
なお、妙見菩薩は国土を守り、災難を除き、長寿を齎すとされる。わが国では、眼病平癒、安産、良縁のために、この菩薩を本尊として行う修法があり、密教や日蓮宗で祭祀。北辰菩薩ともいう。
土佐にもこの系列の神社が少なくない。大月町・月山神社、四万十市十和・星神社、土佐清水市・木積星神社、中村市・一宮神社の七星剣、吾北村・清水星神社、日高村・星神社、高知市北秦泉寺・星神社、大豊村・中屋星神社、安芸市・星神社、北川村・星神社の十社が数えられる。須崎市多ノ郷にもあったが、今では妙見町という町名で残っている。この中でも、安芸市の妙見山(四四八㍍)の星神社が有名である。―

 

っと、言うことである。

 

その昔、朝廷から、「皇族以外のものは北極星を拝んではならない。」というお達しがあった。明治以降、皇国天皇論が支配し、ファシズム化された国内でこれが徹底され、各地の星信仰・妙見神社がすたれていった。。。と考えられる。

廃仏毀釈や四民平等(解放令)など、国内の社会制度が大きく変わった激動の明治初期・・・ いったい、我々日本人は、何を得て、何を失ったのか・・・幕末維新・龍馬伝がもてはやされる昨今、その維新の結果、その影響を今一度見直すことが大事だ。

 

話を元に戻せば・・・

 

神仏習合下の東大寺において、当時、仏教は、天皇治世体制を維持するために他国から輸入・移植した最先端の宗教であり、総合学問である。聖武天皇は国家鎮護のために国家的プロジェクトとして大仏を創った。「陰」「陽」の剣は、すなわち中国伝来の陰陽思想であり、二元論的思考(グノーシス主義)と日本の汎神論(地下や水底の世界にも神様が居るなどの信仰)との習合(シュクレンティズム)が実現した証拠ともいえるのではないか。

 

先日、日本にマニ教が伝わっていたことが確認出来る資料が見つかった。

摩尼山宝蔵院 土佐 国分寺 ~ 日本と世界宗教の関わり マニ教 ゾロアスター教 ユダヤ教

 

日本と言う国は、我々が想像する以上に、世界中から様々なあらゆる思想・学問・宗教を集めて習合したものだと言える。土佐には、これら古代の国家成立のパーツが散らばって残っている。

 

まぁ、時間のある時にとことん調べてみるしかないだろうが、とりあえず、サッと解る範囲では・・・

 

 

孝明天皇の哀衣(こんえ) ― 背中に七星があるPhoto

高知新聞のHPには、次の記事があった。

http://www.kochinews.co.jp/tosafukunen/sinbun18.htm

 

七星剣(市立郷土資料館) ロマン与える謎の宝物

表裏に象眼した文様は、北斗七星を表すといわれている。Photo

市教育委員会生涯学習課によると、七星剣は国内に7本しかなく、うち3本は大阪府の四天王寺、奈良県の東大寺正倉院と法隆寺に伝わり、四天王寺のものは国宝に指定されている。またほかは片刃であるのに対し、同市のは両刃であるのが特徴という。

 同市で七星剣の存在が明るみに出たのは1988年。奈良県の橿原考古学研究所は象眼部分の材質や製作技術などから「古墳時代後期から奈良・飛鳥時代の七星剣」と推定。なぜ、どんなルートでその時代の剣が一宮神社に伝わったのかといった謎が生まれ、大きな話題になった。

 しかし92年に東京国立文化財研究所による象眼部分の材質検査で、当初、銀で施されたとされていた象眼が、真鍮(しんちゅう)の象眼であることが判明。これを受け、東京国立博物館刀剣室が「真鍮象眼が出現するのは13世紀後半」とし、飛鳥時代ごろの作という説を否定した。

 これに対して橿原考古学研究所が象眼部分を「古墳出土の鉄と比較して『古代のもの』と判断した」などと反論。この七星剣には時代を確定する文献がなく、県は重要文化財指定を見送った経緯がある。

 現在は市立郷土資料館に保管され、ひっそり眠る七星剣。生涯学習課の川村慎也さん(37)は「謎は解き明かされていない。いまだ七星剣は郷土史にロマンを与えてくれる存在であり、宝物であることに違いない」と語っている。

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以前のひまわり太郎さんのブログへの私の投稿から(抜粋)

インドと高知は「信仰・祈り」で繋がっています。インド南部のケーララ州の都市コーチ(Kochi)は、コーチン(Cochin)とも呼ばれ、知識階層が多く住む。1524年、コーチンには、胡椒貿易の軋轢で追われたユダヤ人が逃げこんで、ヒンドゥー王の庇護の下ユダヤ人居留地を創りました。彼らは、コーチン・ユダヤ人と呼ばれ、貿易・通商能力に長け、16世紀末以降は、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が国際貿易港として利用したベトナムのホイアンにも進出した。ホイアンには、1593年に日本人が建設した「日本橋」と呼ばれる橋まであり、思想的・文化的交流が生まれています。

このベトナム北部は「コーチ」「交趾」と古称され、ベトナム南部は「コーチシナ」「交趾支那」と呼ばれました。今も、ヨーロッパ各国からはコーチンシナ(英:Cochin China ないし Cochinchina, 仏:Cochinchine)と呼ばれるそうです。そして、高知では、1603年、真如寺の僧在川が、大高坂山城を「河中山(こうちやま)城」としたことに始まり、高智~高知となりました。

このように、私は「高知」の音である「コーチ(Kochi)・コーチン(Cochin)」の起源をインドに見つけ、さらにその出自を探していたところ、古代中国天文学において、「勾陳(こうちん)」と呼ばれる星座があったことに行き当たりました。

古代中国では、天の北極を「天皇大帝」として神格化した。勾陳(こうちん)という星座は、この「天皇大帝」を蛇か龍が口にくわえたような形をしている。勾陳は、天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を護衛すると考えられていたそうです。

弘法大師・空海は、土佐室戸の洞穴で修業し、明星が口の中に飛び込んできて悟りを開いたと伝わる。。。つまり、空海は、天皇大帝(明星)を口にくわえた勾陳(こうちん)そのものなのです。

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