もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

サバーイ(快適)で、ふにゃふにゃで、床には穴

2020年06月16日 20時25分34秒 | タイ歌謡
「タイって、どんなところ?」と訊かれることがあって、もうなん度も訊かれているから答えが練れてきて、最近では、こう答えることが多い。
「暑くて、臭くて、汚くて、お花がいっぱい咲いていて、みんなニコニコしてて、そんで、ウソばーっか言ってんの」
 えー。そんな所なの、と言う人もいれば、あー、それは良い所ですねぇ、と微笑む人もいる。
 そもそも、おれが何でタイに行くようになったのかというと、憧れなんかがあったわけじゃなく、ただのついでだった。
 そう。ついで。
 香港に行く用事があって、少し暇があったんで、ついでに行ってみた。1980年代半ばのことで、パンナムがなくなった後、ユナイテッド航空が路線を引き継いで就航するようになったばかりの頃で、あの気違いじみたバブルに浮かれる兆しが見え始めた時代でもあった。昭和が終わるなんて夢にも思わなかったし、そのユナイテッド航空も数年後にはジャンク債の標的になって倒産しかけることになるのだが、当時のユナイテッド航空は盤石だった。東京→香港→バンコク→東京という三角ルートの航空券のレギュレーションができて、香港の往復運賃に五千円追加すれば最終目的地がバンコクの航空券になって、香港にストップオーバーできた。五千円なら行ってみるか、と思った。
 それまでタイに行ってみたいと思うことなどなく、べつに興味もなかった。スケベなおじさんが行きたがる国くらいの印象しかなかったんだが、当時、別々の知人から立て続けに言われたのね。「タイに行ってごらん」って。
 どんな所なの、と訊くと二人とも同じ答えで、「君みたいな人ばかりの国なんだよ」と微笑んだ。
「えー」正直に思った。「ヤだな。そんな国」俺みたいな奴ばっかりの国って。そんなのイヤな国に決まってんじゃん。その頃のおれは二十代後半で、まだ贅肉なんかついてなかったし、顔はジャニーズ系だったけど他の連中よりはアタマが良いと思っていた感じの悪い奴で、でも自分では公平だし温厚な奴だと思い込んでいるようなフシもあって、よくあれで友達がいたもんだと思うんだが、おれは、あの頃の自分とは友達なんかになりたくない。「つまり、デタラメで、ばかで、ヘラヘラした人ばっかりってことでしょ」
「あー……。そういうことだね。でも良いところじゃないか。それは」
「なにがなんだか」
「いいから。機会があったら行ってごらん。きっと気に入るから」

 行ってみたら、ほんとに俺みたいな奴ばっかりの国だった。
 なんか、ふにゃふにゃしてて、テキトーで、インチキで、へらへら笑ってる奴ばっかりじゃん。そんなことでいいのか。いや。なんかね、いいみたいだぞ。それはアリなのか。アリな訳ない筈だが、どうもアリみたいだ。うわー、それでだいじょうぶなのか。ダメじゃないのか。うーん。ダメではないみたいだ。この生き方で問題ないのか。ないよ。マイペンライだ。そう言われてるみたいな国だった。良いんだ。このやり方でもオーケーなんだ。まじか。まじらしい。すげえな。これは、すごい。

 香港からの便で初めてバンコクの空港に着いたとき、入国審査と関税を済ませて到着ロビーに出ると、出迎えエリアにいた中国人の一団が「え?」という顔をした後、皆で何やら短い相談をしたな、と思ったらワラワラと俺をめがけて寄ってきて思い思いに俺の手を握ったり肩に手を回したりしながら大声の広東語で話しかけてきた。まるで親戚の一人を偶然見つけたような雰囲気で、(ああ。これは誰か知らないが、おれは香港人と間違われてるな)と思ったので、「我喺日本人(んごぉはいやっぶんやん)」と広東語で「私は日本人です」と答えると、全員爆笑で、おれの肩をバシバシ叩いたりしながらウケていた。たぶん「まーた、そういうウソをつく」みたいな事を言ってたんだと思う。
 考えてみたら、「私は日本人です」って広東語で言う日本人なんて、そういない。自己紹介にしても相当にヘンだ。ウソだと思われるのも無理はないのかもしれない。
 とはいえ、このまま親戚か何かだと思われて拉致されてもかなわないので、「唔喺呀(んはいあ-違うよ)我喺日本人(んごぉはいやっぶんやん-日本人です)」と言い募ると、広東語の発音が変だし、よく見るとこいつ親戚じゃないぞ、ということに気がついたようで磁石を裏返したように、中国人の一団は一斉にすっと離れたのだった。

 両替ブースで日本円をタイバーツに替えてタクシー乗り場に出ると、インチキ臭いおじさんたちが雲霞の如くにじり寄って来て「どこのホテルだ?」と訊く。中華街のホテル(旧大日本帝国の陸軍が使っていた建物)の名を告げると「なんだ。ビンボ人か」という表情になって「200バーツだ」「180バーツだ」「エアコン付いてるぞ」と、各々が主張を叫ぶ。まだタクシーに料金メーターが付くまえの話で、当時は乗車するにあたって事前の運賃交渉が必要だった。もし交渉をし忘れて乗車したりすると料金をボられても文句が言えなかったのだ。でも空港みたいに競争相手が多いと、交渉せずとも運転手さん達が自発的に運賃を目前で廉売していく。そして「だから、おれのクルマに乗るよな?」というプレッシャーを押し付けてくる。
 一番安い値段を提示した運転手さんのクルマに乗ると、ドアのロックが欠損していて、「その紐を、そこのフックに引っ掛けてくれ。そうすればドアが閉まったままに保たれて安全なのである」という意味の事を言い、床を見ると10cm四方ほどの穴が空いており、新鮮な排気ガスが吹き込んでくるシステムになっていた。「ああ。穴か。床の穴から足を出しちゃダメだぞ。危険だから」と運転手さんはウインクした。世の中の大体の危険はウインクで回避できるかというと、これはもちろんできないのだが、愛想は良いに越したことがない。床の穴に関しては、これは適当に塞ぐとすぐに踏み抜いてしまうからで、下手をすると穴が広がってしまう。だが、穴を開けておけば人は注意するから、それ以上穴が広がることはないのだろう、というような事を考えていた。つまり、穴を開けられたくなかったら、穴を開けるべしということだ。そんな考えは間違っている、と理屈ではわかる。だが、こうも決然と空いている穴を見ると、そんな料簡が俄然説得力を持ってしまうのだった。
 いいなあ。ワクワクするぞ。当時のタイのタクシーがみんなこんなだったかというとそんなことはなくて、これが最下層だったんだろう。そんなクルマに乗ったのは、この時とトルコのエフェソスのタクシーだけで、ここ三十年は床の穴にお目にかかっていない。それが世界の選択だとしても、少し寂しい。タクシーの床に穴など空いてないほうがいいというのは当然のことなのだが、乗り込んで下に目を遣って思いがけず穴が空いていると、一気に高揚するのだ。「うはー。穴!」これだ。「穴、空いてんぞ」しみじみと、穴。
 タクシーの床の穴について、私の考えを述べても理解してもらえたためしが、ない。だが、あれは乗ってみればわかるのだ。というより乗ってみないとわからないのか。時代はクルマの床の穴を許さない昨今、あの穴は高揚するんだって記述を、電脳の海の中に放つことにしよう。でないと、人類の歴史の中で、なかったことになってしまうではないか。もう一度言おう。「タクシーの床の穴は、良いぞ」と。
 中南米かどこかの国で、タクシーの床に穴が空いていたらいいだろうな、と思う。
「A la estación(駅まで)」そう言って、ふと足元に目を落とすと、穴。「¡Guau! ¡agujero!(うはー! 穴!)」いいなあ。あの高揚。フォルクスワーゲンあたりがボタン一つで後部座席の床に穴が開く仕掛けを装着したセダンを出さないかな。俺は、買うぞ。いや。買わないかな。うちの奥さんが嫌がるだろうな、そんなクルマ。
 バンコクの国際空港がスワンナプームではなく、まだドンムアンにあって、その建物が二階建ての木造建造物だった頃の話だ。タニヤ通りなんて舗装されてなくて雨が降ったらぬかるんでいたのだ。まるでジジイの話だな。ジジイだけど。二度目の旅行からは空港がしばらく建設中で、あの木造の外壁にびっしりとヤモリが貼り付いていた。やがてコンクリート造りの新しいターミナルビルになり、ヤモリたちは見かけなくなった。どこか近所に引っ越したのだろうが、その様子を想像するのは楽しいことだった。

 旅先では、流行ってる楽曲を買う。当時のタイではカセットテープが主流で、どこの街に行ってもカセットの屋台があって、やかましく音を流していた。一本50バーツだった。これは十年後にタイで暮らすようになっても同じ価格だったから、ぼったくられていたわけではなさそうだ。
「あなたのリコメンド(推薦)は何か」みたいな英語よりも「グッドは、どれ?」みたいな英語で訊くと、これは良いぞ。あと、これも。おお、これも良いな。とカセットを並べてくれるから、それを買った。
 ベストヒットみたいなオムニバス(当時コンピレーションなんて言い方はしなかった)のテープが良かった。カラバオというロックのバンドも良かった。
 どこのカセット屋でも薦められたのが、バードことトンチャイ・メーキンタイのアルバムで「サバーイ・サバーイ」だった。
สบาย สบาย - เบิร์ด ธงไชย【OFFICIAL MV】
 バードといえばタイの人なら誰もが知る国民的歌手で、この「サバーイ・サバーイ」はタイ始まって以来と言っていいぐらいの大ヒット曲で、じっさいどこに行っても、この曲がかかっていた。さすがに当時のバードはデビューから日も浅く、まだ国民的というほどの歌手ではなかったんだろうが、絶賛売出し中でトップにのし上がっていた。おれよりも1歳年上だからマイケル・ジャクソンと同い歳だ。
 これまでおれが見てきた芸能人で、急速にトップに駆け上がる人というのは、みなスパイスみたいに凶暴な表情を、ほんのりと纏っているものだった。ビートたけしや島田洋七など、漫才ブームが始まろうとしていた頃、スピードの乗った語りに凶暴さが見え隠れしていたときに気づいたのだ。お笑いだけではない。中森明菜が、松田聖子が、小泉今日子がトップアイドルに上り詰める途上で一瞬見せた、凄みにも似た凶暴な表情があったよね。
 ところが、バード・トンチャイには、そんな凶暴さが、一切なかった。
 たまたま点けたテレビに出演していたバードを見たのを覚えているが、第一印象が「ふにゃふにゃじゃねぇか」ってことだった。ふにゃふにゃしている。これはバードが同性愛者だってこととは無関係で、なんていうか、そういったパーソナリティー形成の、もっと深い所で根本的にふにゃふにゃしている。とても、ふにゃふにゃなのだった。
 なるほど。
 ふにゃふにゃしたタイ人って、いるよね。たくさん、いる。そして、タイ人なら誰でもふにゃふにゃした部分を持っているようだ。男らしさを追求するタイの軍人ですらふにゃふにゃした所がある。どんなに偉いタイ人でもだ。「朕は、ふにゃふにゃした気分である」とか言ってそう。
 しかし、これを上手く表現する言葉を、おれは知らない。優柔不断ってのとも違う。ちょっと違うのだ。柔軟とか屈曲というのも、もちろん違う。
 けっきょく、このふにゃふにゃを何と形容していいのかわからないのだが、おれがバード・トンチャイに興味がないのは、このふにゃふにゃのせいかもしれないと思う。
 そして、残念なことに、このふにゃふにゃは、おれにもあると思い至った。
なんか、おれ、ふにゃふにゃした所があるんだよね。

 というわけで歌詞だ。このサバーイ(สบาย)ってのは、サヌック(สนุก-楽しい)と並ぶタイ人のキーワードで、「快適」って意味です。津軽・北海道弁では「あずましい」って奴だ。

 快適、快適で楽しい。
 私は気にしない質なので
 何も誰も気にしない
 快適です

 もし私たちが一緒になることがあれば
 私は真実の愛と誠実を求める
 かといえば、そうではなく、あなたの快適が何で
 あなたが知っていることを私も知りたい
 それが幸せな生活
 快適です

 あなたが心変わりして
 別れを告げられても狼狽えず
 私を残して出ていくあなたが
 後悔せぬよう 快く同意しましょう
 そうしてお互いを離れましょう

 別れのとき
 誰もがさようならを言わない

 快適、快適です
 やがて彼女は知るでしょう
 私の学んだ苦しみの上に
 彼女の幸福があることを

 あなたが心変わりして
 別れを告げられても狼狽えず
 私を残して出ていくあなたが
 後悔せぬよう 快く同意しましょう
 そうしてお互いを離れましょう

 なんかね。ただサバーイ(สบาย-快適)って言ってる脳天気な歌かと思ったら、そうでもなかったね。かといって深いわけでもなく、忖度した歌詞でやんの。
 まあ、歌詞までふにゃふにゃしてんのね。曲もどうってことないし、アレンジも安っぽい。当時はこんなもんだったんだろうけど、女性コーラスが古臭い。この曲がリリースされた1986年というと、日本では聖飢魔Ⅱが「蝋人形の館」で「おまえも蝋人形にしてやろうか~」と言っていた年だ。この対比には何の意味もないが。
 いずれにせよ、今こんな曲をリリースしても国民的にヒットするどころか、お蔵入りではないのか。
 だから、タイで最初に買ったカセットテープの一つなのに、あんまり聴かなかったし、印象も薄い。ていうか、何でこれがヒットしたのか。

 まあ、いい。最初のタイ旅行がどうだったかというと、おれはひどくこの国が気に入っていた。英語がつうじないのが、いい。食事に出て、英語で注文して、それが通じるような店は勘定が馬鹿高かったし、なによりその辺のタイ料理が食べたかった。もうどうせ英語がつうじないので、日本語で「あれと同じものをください」と別の客が食べているものを指差すと「オー、セームセームな」とわかってくれる。ていうか、そこは英語なのかよ。なんつうかコミュニケーションがギリギリなのがいい。意思の疎通が成立してるかしてないかの、ギリギリの領域。のどが渇いてマクドナルドなら外人慣れしいるのでは、と思い、「スプライト」と注文すると「は?」って訊き返されてアクセントやイントネーションを変えて3度くらい試みると、「オー!」と納得して、やれ嬉しや、冷たい炭酸飲料がシュワシュワと喉を潤すのだぞ、と受け入れ体制万全で料金を支払うと、従業員のお姉さんがニコニコしながら「サムライ、カー」と言ってサムライ・バーガー(テリヤキ味のハンバーガー)を渡してくれたり、まるで違う反応が返ってきたりする。もう楽しいじゃないの。そういうの。
 で、食い物が旨いのも、良かった。宿泊先が中華街だったので、メニューに中文が併記されている店が多かったのだ。「搅拌炸鸡和腰果」というのがあって、これ、どういうの? と訊くと、店主は人差し指を立てて奥に引っ込んだかと思うと、3分後「ほら。これだよ」と料理を持ってあらわれた。
 なるほど。鶏肉のカシューナッツ炒めのことか。で、あれだな。この料理は食べなくてはダメなのだな。

 タイを気に入ったおれは、次の旅行でタイの探検を決意して、日比谷のASEANセンターへ趣き、そこで貰ったB5サイズくらいのタイ全土と北部地図とバンコク都市図という非常にざっくりした地図だけを武器に再びタイへ向かう。まだあの「地球の歩き方」シリーズもアメリカとヨーロッパの2冊しかなかった頃で、おれに入手できる精一杯のツールが、その3枚の地図だったのだ。
 その冒険は、次の機会にでも。

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