もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

裏声で席を譲る

2023年05月07日 10時25分42秒 | タイ歌謡
 こないだの大震災よりもまえのことで、おれが50歳になったかならないかくらいのことだ。若い男に結婚に至る馴れ初めを訊かれたことがあった。この話に震災は関係ない。いや、少しある。でも東日本大震災とは、まったく関係のない話だ。
 50かそこらというと、大病を患うまえで、まだ、若かったようなつもりでいた。初老とでもいうのかな、と思ったらほんらい初老ってのは齢40歳を指して言ったもののようだ。昔は寿命が短かったからね。まあ50歳というと、普通だったら分別盛りだよな。北海道の分別市のことではない。ていうか、そんな市は、ない。とにかく訊かれたのだ。結婚の馴れ初めを。
 外国の人と結婚するなんて、どんな切っ掛けがあるのかと思ったのです、と彼は言った。そんなの、相手が外国人だからって、特別なものではないだろう。まあ結婚するんだったら若いうちのほうが良いかもしれない。はずみがつきやすいから。結婚なんて思慮に思慮を重ねて慎重に検討すると「ま、いいか。べつに」ってなるものだ。若くて勢いのあるうちに、つい、うっかり、はずみでもつかないと「け結婚しよう!」って気にならない。おれみたいに39歳で初めての再婚をするのは、気が若かったからではなく学習能力に欠け、ばかだったからだ。でなきゃ、もうじき初老という是非の甄別に明るい年頃で「けけ結婚してください」なんて言えない。じっさいには「ねえ。いい歳こいて、なんでタイ人となんか結婚しようと思ったの?」ってのが本心の疑問だったのかもしれない。どんな馴れ初めなら、そんなハズミがつくんすか? っていうね。

 あー。馴れ初め。そういえば、あったなあ。ヘンな話なんだけどね。
「はい」
 バンコクのデパートで小便してたんだ。
「……はあ」
 そしたら、ちょっと経験したことのない大地震が来てね。
「え。小便してる最中に?」
 そう。地震の初動で小便が左右に飛び散って。それからすぐにワイパーの最速よりも速く往復したもんね。ちんこが。
「あははは」
 でも、そんなの、まだ良かったんだ。もう身体が。飛ぶの。あちこち、左右の壁にバウンドして。
「まじすか!」
 うん。でも、それだけじゃなくて、今度は壁が崩れたの。ばん! がらがら! って。
「え! ヤバいじゃないすか!」
 もう死ぬかと思ったもん。そしたらさあ、壊れた壁の向こうが女子トイレでね。
「え? あ。はい」
 そこで小便してたのが、うちの奥さんで。で、向こうも、むっちゃ揺れてるわけだ。
「あー。……はいはい」
 奥さんの身体も、あちこち跳ね返っちゃって。ピンボールの球みたいに。もう、おれだけじゃなくて奥さんも。お尻出したまんまで跳ね返ってんの。
「うわー!」
 そんでさ。おれと奥さんは衝突しちゃったの。どーん、て。で、ぶつかった拍子にね、するっと入っちゃったんだよ。ちんこが。奥さんに。
「えー!」
 ビックリだよな。うわ。どうしようって思ったんだけど。
「ですよね!」
 そしたら、ちょうど揺れがおさまって。ふう、って安心する、うちの奥さんの息が聞こえたの。で、振り向いて言ったんだよ。くるっ、と。それまで、あっち向いてたうちの奥さんが。顔だけおれに向けてね。言ったんだ。「ナイストゥーミートユー。……責任取って、結婚してね♡」って。
「え! ……あ? はぁー?」
 うん。そりゃ結婚しないわけにいかないよね。タイだし。結婚しないと殺されちゃう。
「そ、そんなこと、あるんですねー!」
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 あるわけない。
 ウソに決まってる。
 彼はそんなにばかではなかった筈だが、まだ若くて他人を疑うということに慣れていなかったのか、それとも余りにもダイナミックな設定に我を忘れたのか、まるで洗脳みたいに、まるっと信用してしまったようだ。
 普段だったら「ウソだよ、ウソ」と、すぐに言うんだが、へぇー! って深く感心していたので水を差すのもアレかな、と思い、そのままにしておいた。さすがにもう信じてないと思うが、どんなものか。
 これを笑わないで言えたおれは凄いと、褒めてもらいたい気持ちだったが、今あらためて思うと、ぜんぜん褒められた話じゃないな。
 
 いつもアタマの悪い話をしているが、今回の話は群を抜いてばかみたいだ。
 まあね。もう還暦をとうに過ぎて、見栄張ってもしょうがないと、つまり、そういうことだ。

 そういや、こないだ久しぶりにバスに乗ったら席を譲られたんだよね。そんなの初めてのことで、ああおれも年寄りに見えるのか、と思ったけれど、実際に年寄りだしね。席を譲ってくれた青年は、すぐにバスを降りたんで、「なんだ。そういうことか」と思ったが、だったら席なんか譲るな、って話だよね。立ってるのはおれ一人だったんだぞ、と逆ギレするのも情けない。鏡を見ると紛う方なき老人が、そこに立っているんである。

 ところで、老人相手に「はーい、こっちですよー」とか「ここに座って待ちましょうね-」みたいに言うタイプの者がいて、もう少し詳しく言うと、まるで幼児に言い聞かせるみたいな物言いなのだ。この手のやつらは、犬猫相手でも「おなかすいたでちゅかー」とか言ってそうで、ヘタすると、それは高い声で言ってそうで、そんな奴らはどこか知らない遠い所に集まって住んでいたらいいのに、くらいは思う。尊大な言い方をすれば、トモダチにはなりたくない。家族だったら尚イヤだ。
 自慢にも何にもならないが、幼児相手でも猫相手でも、おれは普通に話しかける。まあ猫に「腹がすいたのかい?」と訊いても、その答の「にゃぁ」は意味がわからないので会話が成立しているとは言い難いが、それにしても猫に「そうでちゅか。おなかすいたでちゅか」と高い声で言う奴は、ばかだ。子供相手に話し方を変えるのも、どういうつもりか。だいたい声が高くなってんのも気に入らない。それも、ちゃんとしたベルカント唱法でのファルセットボイスなんかじゃなく、腹話術にも使えないような手抜きの高い声だ。もっとマジメにやれ。20年後に「おら。あくしろよ(早くしろよ)、ジジイ」と人差し指で背中を押されるかもしれないのに。だから今からちゃんとフェアに接しておいたほうがいいぞ。という料簡ばかりではないが、まあそれに近い。猫に裏声がイカンのだから、老人にそういう話し方をするのは、もっといけない。言われたほうは「あ。ボケ老人扱いしやがった」と思うに決まっている。さすがにおれはまだ言われたことはないが、裏声の幼児語みたいな言い方で話しかけられたら、そう思うだろう。普通に喋れ。難しいことはない。まあ、「ちきしょう老害め。こんな世の中にしやがって」と思っていても口に出せず、わざと「はい。ごはん食べまちゅよー」とか言ってるんだったら、それは仕方ないか。でも、ひどくないか、それ。

 ついでに思い出したのが、「小さい犬を飼うやつは、ばかだ」って発言で、いろいろ物議もあろうが、とにかく笑った。この発言は笑える。じぶんでは言えないよね。差し障りがありそうで。でもすぱっと、こういうことを言う人がいて気持ちが良い。「任せたぞ!」って気分だ。何を任せるのかわかんないけど。
 アニメの宮崎駿は、「小さい犬を連れて歩いてる人がいるでしょ。紐で繋いだりして。あれは醜悪ですよね」みたいなことを言って、これとはニュアンスが違う。生命の尊厳みたいなことを言ってるってのは、まあわかるけどね。それよりも「小さい犬を飼う=ばか」という式の明解さ。男らしいと言うと、「いやジェンダー関係ないから」って言われそうでアレなんだけど、豪快っていうか。宵越しの理屈は持たねぇ、みたいな。内容じゃなくて、その姿勢が好ましいというね。ばかっぽいけど好ましい。

 まあ今のところはまだ元気で、こんなこと言ってる訳だ。今回も冒頭で「これから書く話は下品だから気をつけてね」と注意喚起しようとしたが、考えてみると「ばかで下品でくだらない」のは、いつものことだから特に言うこともないかと思い直した。
 そんなことより、あと10年もしたら、裏声で席を譲られてっかもしれない。イヤだな。今のうちに、おれよりも年寄りを見つけたら、積極的に席を譲っちゃおうかな。何の帳尻合わせか知らないけど。

 さて、今日の歌だけれども。
 バンパコンって歌で、これをこのブログで紹介するのは3度目になる。しつこいね。だって、タイ歌謡の中でいち番好きな歌曲なんだもん。
 ただ今回のは新しい歌唱で、11ヶ月まえのものだ。これまでのは80年代とか、オリジナルの50年代のとかで、正直アレンジが古くさかった。今回のもサビの伴奏の和音解釈がヘンていうか「えー、そっち?」っていう「やっつけ」が過ぎるアレンジが惜しいけれど、それを補って余りある歌唱になっている。タイ式狸御殿みたいなおばさんだが、歌がうまい。
 ほんと、良い曲だよね。
"โอ๋ ชุติมา" เพลงบางปะกง จากรายการเพลงเอกซีซั่น2
 もう3回目にもなると解説することもないんで、解説はない。で、歌詞なんだが、歌詞は同じだけれど、新たに訳してみる。まえとは細かい所が違うかもね。たぶん違う。直訳ではないし、「だいじょうぶ」と「マイペンライ」と「ケンチャナヨ」と「イッツオーケー」は似てるけど、それぞれ違う。翻訳って、そういうことだ。それをいつも気分と勢いで日本語にしてるから、だいたいの意味はわかっても、この歌曲みたいなタイ語の綺麗な響きは伝えようがない。
 おれの訳詞を読むと、どうってことはないだろうが、これはタイ語で聴くとほんとに良い歌詞なんだよなあ。

バンパコンの畔 太陽が昇るとき
まるで夕暮れね
だけど バンパコン なんて綺麗なの
夕暮れは まるで日食
身を削り 私たちに幸せをもたらして
そして 太陽は消えていく

小舟が漂う 天国みたいな目覚め
涼風が吹き込んで
毎日の夕暮れ
その眺め 忘れることなどできない

たとえ遠く離れても 決して忘れないで
かつて夢中だったこと
夕日の夢を見続けて
バンパコンの海岸
決して忘れられない
ああ ほんとうに美しいバンパコン

誰であろうと いつ見ても その答は同じ
この美しさを褒めるなんて 難しいこと
この歌にしても 半分も語れていない

 解説しないと書き上がるのも早いね。ほんとはせいぜい長くても、このくらい(4000単語ほど)の文章量を目指しているのに、いつもダラダラと長くなる。
 そんなの推敲をしないからです、とお叱りを受けそうだが、推敲なんてしてみたら「あ。全部要らない文章だ」と我に返り、ブログの更新は途絶えてしまう。このブログは、おれのベント弁の解放みたいなもので、ほとばしる与太話のモニタリングだ。
 いつも言ってることだが、気にしないでくれ。おれは気にしてない。
 
↑バンパコンの夕陽のイメージ(本当は金曜ロードショーのOP)
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