もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ビートルズなんて知らないよ

2023年08月02日 19時48分02秒 | タイ歌謡
 おれは1959年生まれなんで、決定的にビートルズには間に合ってない。彼らが解散した1970年には11歳。まだ立って歩けるようになったばかりで、ビートルズを聴いても何とも思わなかった頃だ。せめてあと5・6年早く生まれていたら違ったかもしれない。モダンジャズにも間に合ってない。はじめてコルトレーンを聴いて感動したあとでレコードのライナーノートを読んで、「え。この人死んでんの? おれが7歳のときに?」と愕然とした。
 ビートルズが世の中に与えた影響を知らない訳ではない。ただ、音楽的に感動したということはなく、たとえばウェス・モンゴメリーの弾く「A day in the life」を聴いて(へえ。良い曲だな)と思った。のちにこの曲がビートルズの作品と知り、オリジナルを聴いてみてガッカリした。ヘタクソすぎる。田舎の高校生バンドの方が数段巧い。でも、良い曲を他にも作ってて、「Eleanor rigby」も良い曲だ。歌詞は救いがないが。たしかに評価されて不思議はない。が、良い曲なんて、ビートルズじゃなくても他にもいっぱいあるじゃないか。
 そのようなわけで、ビートルズの影響を受けた人から某かの影響を受けたことがあったとしても、ビートルズから直接の影響を受けたということがない。
 もちろん社会的な影響という意味で、彼らがヒッピームーヴメントに与えた影響や、さらにソ連崩壊の数ある遠因の一つだということも理解している。好むと好まざるに関わらず、そういった流れのアイコンに祭り上げられてしまったとも思う。
 団塊の世代の連中みたいに、音楽の初体験がビートルズだったら、夢中になれただろう。でも、おれの世代だと、テレビを点ければ「ジャングル大帝」の壮大なテーマや「新日本紀行」の美しいテーマが流れていて、(うっわあ。カッコいい!)と、ウットリした。それが冨田勲先生の作品だなんて知る由もなかったが、あんな贅沢な音で育っておいて、そのあと、たかがビートルズふぜいで感動するわけがない。
冨田勲 新日本紀行 オープニングテーマ曲(後期)
 あと、これは今でも感謝しているのだが、小学校では掃除の時間と、放課後の下校の合図として、クラシックの小品を放送していた。今思えば、昭和の時代にレコード屋で売っていた「お茶の間クラシック作品集」みたいな選曲で、「メヌエット」「ガボット」「ペールギュント」から何かの曲なんかがかかっていて、その時間が大好きだった。とくに放課後はその放送を最後まで聴いてから帰るので、帰路はいつも一人だった。洟垂れのばか同級生が歌う鉄人28号の主題歌よりもシューマンのトロイメライの方が好きだったのだ。おれは。
 まえにも書いたが、ヴァイオリンの音の美しさに感動のあまり、母親に楽器をねだったのも、その頃だ。ねえヴァイオリンヴァイオリン欲しーい、と毎日ねだっていたら、どこから貰ってきたのか、チェロが来た。4/4サイズの大人用が。
「これ、ヴァイオリン?」と訊いたら、うん。と頷いていたので、礼を言った。後日テレビで同じ楽器を弾く人を見て、あ。これ座って弾くやつなのか、ヴァイオリンにも2種類あるのだな、と納得した。しばらくしてヴァイオリンを弾く人が、初歩のチューニングと指遣いを教えてくれたきりで、そのときにチェロという名称を知った。え。ヴァイオリンじゃなかったのか。デカいし、なんとなくそんな気はしていた。それでも音がうつくしく気に入ったので、あとはしばらく独学でもイヤにならなかった。ハイポジションで左手の親指を使って弦を押さえるという方法も知らなかった。のちにウッドベースでそうするのをテレビで見て、チェロでやってみて(うはー! おれ、天才かも)と思ったが、後日チェロでも当たり前の技法だと知ったときには独学の限界を感じた。

 とはいえ北海道の山奥でチェロを教える人などいないのだった。上京して、矯正すべき点が幾つもあることを知り、(よし。ジャズだ)と、簡単にグレた。ジャズでチェロを弾いても自己流を咎める者はいなかった。それどころか、ジャズ者で「チェロも弾く」となると、(へえ。音楽教育の基礎ができている人なのだな)と、勝手に勘違いしてくる。違うのだ。選ばれし者ではないのだ。実態は、焼け跡闇市で、勝手に楽器に、にじり寄って行った者なのだ。音楽理論は図書館で強引に引き寄せたものだ。
 ずっとあとになってヴァイオリンを弾く機会に恵まれたとき、肩と顎で楽器を挟むのが難しく、ダメだこりゃと諦めかけたが、思い立って椅子に座って股に楽器を挟んで立てて弾くと面白く弾けた。楽器の持ち主が「あたしより巧い……。けど、メチャクチャ……」と絶句していた。今では安いヴァイオリンも持ってるが、未だに立てて弾くほうがラクだ。向いてないんだと思う。ずいぶん後になってジャクリーヌ・デュ・プレが、お遊びでヴァイオリンを持たされて、同様に立てて弾くのを見て、「だよな!」と思った。あと、ヴァイオリンは顎で挟むと、あれは骨伝導なのか音の波が矢鱈と大きく響いて脳を直撃するのにも驚いた。ヴァイオリン弾きが、ウットリと弾く理由がわかった。そういった意味でも、あれは苦手な楽器だ。
Jacqueline du Pre - Forellenquintett
 ギターを弾かせても独学だから、ギター弾きが見て「なにその押さえ方」と言う。じぶんの欲しい和音と、力量との瞬時の折り合いの結果が、「見たことない押さえ方」になっているようだ。べつにいいじゃん。楽しくてやってるだけだから、それで困ることもないが、まあ一事が万事ってことで、チェロであろうがギターであろうが、ピアノを弾かせても一般の習得メソッドを飛ばしているから、「やせいのチェロひきが あらわれた」ということになる。あるいは野良チェリスト。ダメな感じだ。
 まあチェロもエレキベースの糸巻きを付け替えたり、電子ピックアップを付けたり、ネジで弦高が変えられるようにしたり、これはつまり「うおー! めっちゃイジくった楽器じゃん!」ってことで、シャコタンだけに飽き足らずタイヤをハの字にセットして鼻息を荒くしてる暴走族と同じだ。剃り込みは入れてないにせよチェロ弾きとしては最下層というよりチェロを持ったゴブリンや妖怪みたいなものだから、ヒエラルキーの底辺にすら入れて貰えなくて「あー。アレは音楽じゃなくて雑音です」みたいな扱いだ。世間のチェロ弾きからは付き合いたくない人認定されても仕方がない。なん度でも言うが、選ばれて楽器を弾く者ではない。野に立ってチェロの音に魅せられて勝手ににじり寄った者だ。歯を磨くようにソルフェージュを与えられ身についた音楽の素養ではない。図書館で貪り読んだ音楽理論武装とタダで貰ったチェロで、音楽素養ロンダリングをした音楽賎民なのだ。
 くやしいが、人間として粗にして野なんである。「粗にして野だが卑ではない」という言い回しがあるが、卑ということに関しても怪しい。北海道出身ということは、そういうことで、やんごとなきお方が蝦夷地からまろび出ることは、まず有り得ない。若い頃、「英語がうまいが、どこで勉強なされた?」と訊かれ、北海道です。北海道の中学と高校で6年間学びました、と答えると、「あ。……そう……」と困惑された。これは、よくあることで、知人も似たような質問をされ、「はい。M.I.T.です。MITと言っても室蘭工業大学ですが」と答え、やはり困惑されたそうだが、ロシア語だったら良かったのか。クマに教わりました、と言えば納得してくれそうだ。確かに白系ロシア人の末裔は北海道では珍しくはないが、おれたちの世代くらいになると同化して日本語しか話せなくなっている。アイヌ語も若い世代は怪しいものかもしれない。おれたちがガキの頃は簡単なアイヌ語を学校で教わったが、あれは北海道全域だったのかどうか。今はどうなっているのだろうか。
 まあ今でも道民は道外の人を「あれは内地のひとだべさ」などと言い、自身に日本国民であるという自覚がないか、あっても貧乏人の家のカルピスよりもはるかに薄い。
 これはしょうがないことで、棄民の末裔だからね。土地に縛られるというライフスタイルからいち度リセットされている。開拓も土地が貧しかったり寒すぎたりしたら、放棄してどこかへ移り住んだ。道民の一見自由にすら見える無責任さや物事に対する執着の希薄さは、棄民特有のものかもしれない。まあ、どうでもいいね、道民のことなんか。
 音楽的にアンタッチャブルかもしれんが、それでも今では誰でもボロディンのスコアが買える時代だ。250年もまえに作られた音を楽譜で読むことができる。うつくしいチェロの旋律に絡むヴァイオリンの対旋律。おれみたいなインチキな、やせいのロンダリング野郎にも等しく開かれている。感動は誰のものでもないのだ。と思いたい。というのも、上級の教養と知識を身につけた者だけが得られる上級感動なんてものがあったらイヤだな、と思うのだ。同じボロディンやラフマニノフを聴いて、深く深く感動しても、上級者の感動は上級の感動であって、おれの感動は下民の野良感動なんだよ、と言われたら、えー……って思わないか? まあ、感動してんだから、それでも良いだろって言われりゃ、まあそうなんだが、そんなことにも格差があったらイヤだな、とは思う。いやあるぞ。そういうの、あるんだ、と言われりゃ、ああ、やっぱ、そうなんすか……とは思うけどね。
 なんかね、家族の中だけでも芳恵さんだけ夢見がちで、芳恵用の窓だけアーチ型になってて、一人だけドレス着てるような、そんな感じだったら何か困っちゃうな、って気もするし、そう。困っちゃうんだよ。

 なんか、ビートルズに興味がないみたいなこと言うと、(あ。こいつ芳恵用の窓持ってんな)とか思われそうでイヤなの。まあ、ビートルズってのはそのくらい大きな存在ってことは言えるんだろう。
ถ้าหัวใจมีปีก - แพรว | The Golden Song เวทีเพลงเพราะ 3 EP.21 | one31
 今日の歌はถ้าหัวใจมีปีก(ター・ホアチャイ・ミー・ピーッ - 私の心に翼があったなら)という曲で、聴けばわかるが元歌は古い日本の昭和歌謡の「ここに幸あり」だ。オリジナルは1975年の同タイトルの民放昼ドラ「花王愛の劇場」の主題歌だったんだね。知らなかった。日本のより、タイのほうが良いね。たぶんタイ人はこの元歌が日本の歌だとは知らず、知っていたとしても台湾で流行った方の輸入であると思っているらしい。テレサ・テンも歌ってる。タイで、この曲を初めて歌ったのは1976年のถ้าหัวใจฉันมีปีก(シッティマ・チュアチャイ)なんだが、初出の作曲家はทวีพงศ์ มณีนิล(タウィウォン・マニュエン)となっており、誰かと思ったらこのシッティマさんの旦那さんだ。クレジットがテキトーだな。この曲がタイで最もヒットしたのは2004年のศรัณย่า(サランヤー)さんのリバイバル歌唱なんだが、そっちのクレジットを見ると、作曲者はวิวัฒน์ อินทะกนกになってて、もう何が何だか。これは推測だが、作曲者がタイ人になってるのは剽窃というより、オリジナルが日本人ということすら不明なのに調べることをせず、その辺の関係者の名前をテキトーにクレジットしたとしか思えない。タイだからな。しゃあない。
蔡幸娟_幸福在這裡(200709)
 こっちが台湾歌唱。これもいい。字幕で作曲者に中国人名がクレジットされてて、これも間違いでオリジナルは飯田三郎先生だ。字幕は漢字だからわかるだろうが、日本語の歌詞とは違う歌詞になってる。夜来香なんかは日本語に忠実な歌詞だったけど、いろいろなんだね。
 タイ語の歌詞は中国語のと、また違う。まあ違っててもいいんだが。タイ歌謡で他のアジアの国の曲を歌うとき、耳コピが良い加減でメロディーが途中で変わるということが多く、酷いのは別の曲と合体しちゃったりしたものなんだが、この曲に関しては忠実で、ちゃんと素養のある人が採譜したんだね。日本の元歌が’75年リリースで、タイでのヤマハ音楽教室の音楽教育が広まってタイの西洋音楽の実力がつくのが’70年代後半からだから、ちょうど良い時期だったのか。タイ歌謡史が垣間見えて面白い。
 歌詞だ。

もし あなたの心まで届く
飛ぶための翼が わたしにあれば
すぐにでも 飛んで行くのに
夢を見たの
どこにいても 決して恐れることはない
いつでも あなたの近くに飛んで行く
でも今 わたしたちは 遠く離れて
たぶんあなたは わたしが錯乱しているとは 知らないでしょう
毎朝 毎夕
ぼんやりと 見つめているの
ため息が出ちゃう
あなた わたしの名を呼び続けていてね
目を離さないで
風のざわめき
苦しみを和らげる
羊の群れ
わたしに そうささやいてね
忘れないで 約束の毎日を
すぐに戻ってきて
元気づけてほしい

夢のようね
あなたを 想えば 想うほど
緊張したまま
約束が果たされないと
失望するでしょう
目を離さないでね
風のざわめき
苦しみを和らげる
羊の群れ
わたしに そうささやいてね
忘れないでね 約束の毎日を
すぐに戻ってきて
元気づけてほしいの

 そういえばエルヴィス・プレスリーにも間に合ってなかった。エルヴィスが亡くなったというニュースが世界を駆け巡ったのは、おれが高校3年生の夏だった。じゃ、間に合ってるじゃん、と言われそうだが、訃報で思ったのは(あー……。あの派手なデブかぁ)くらいで、数年まえのハワイでの伝説的ステージも、なんだかピンと来なかったし、ドーナツの食い過ぎで死んじゃったってのを聞いて、なんとなく口の周りをフロストシュガーまみれにして腹出して死んでる姿を勝手に思い浮かべて(ヤだな、そんな死に方)という印象しかなく、元気な頃の歌を聞いても(なんかインチキくさい奴だな)くらいにしか思ってなかった。トム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクの仲間かな、くらいの認識で、黒人歌謡を(いちおう)白人が歌った魁という以外に功績はないと決めつけていた。過小評価と言って良い。トム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクなんて言っても、今の人はわからないかもしれないが、今で言うならリッキー・マーティンとかジャスティン・ビーバーとか、その辺か。
 強烈に憶えているのは、エルヴィスが死んだというニュースに、同じクラスの女の子が泣いて泣いて「ファンだったのにぃー」と目を真っ赤にしていたことだった。
 えー。あんたエルヴィスが生きてた頃にファンだなんて言ってたの聞いたことないぞ。ていうか、レコードだってベストアルバムくらいしか持ってないんじゃないのか、という疑惑が濃厚で、正直な感想は(何言ってんだ、こいつ)でしかなかった。そんなんでファン宣言ってアリなのか。まあ持ってるレコードの数では計れないとも思うが、堂々と泣いているんである。
 これは。例えば一体、何なんだ、これは。
 いちおう進学校でもあって、それほどばか学校ではなかったんだが、この話だけだと充分にばか学校で、じっさい、この女学生は高校卒業と共に、それまでの彼氏ときっぱり別れ、進学先の大学を中退して二十歳くらいで別の男と結婚してしまっていて、そのいきさつが、ばかっぽかった。
「いやあ。Cちゃんはヤベーよ。歳上の彼氏と結婚したくて、コンドームに針で穴開けたっていうのね。で、あの子なんていうかチョー安産系っていうか、パンツ脱がされただけで妊娠しちゃう感じだろ? そんなの針で穴開けたらデキるに決まってんじゃん。で、妊娠したってわかってガッツポーズだよ。うっしゃー! って。そんで、一世一代の可愛さ振りまいて、責任取ってね♡ って。そんなの逃げらんねぇぞ」と、見てきたような話で、詳しいのも道理で、本人が吹聴していたのだった。
 えー……。そんなアリ地獄みたいな女だっけ?
 いやだから。女なんておっかねぇんだよ。という話を同級生全員が知っていて、それを聞いた女の子たちも「あー。Cちゃんなら、やるわ。そのくらい」ってことで、当時の結論としては「オンナって怖いね-」だったが、今思うと少し違う。
 怖いオンナってのは、いる。ってことだ。
 エルヴィスというと、必ずセットで思い出すのがCちゃんの事で、うっかりしてると、その見たことも会ったこともないダンナは、しこたまドーナツ食わされて保険金でもかけられているかもしれず、(かわいそうになー)と思ってしまう。幸せなのかもしれないのに。
 エルヴィスが生きていた時代は、「ダサい」という言葉が誕生するまえで、だからエルヴィスはダサくなかった。ダサくないってことは、そりゃもうダサくない、ってことで、まあ昔はそんな価値観がなくても世の中は普通に回っていたわけで、ダサいという価値観が増えたことにより、わたしたちの世界は豊かになったかというと、んー。プラマイゼロくらいだろうか。ダサいのは恥じゃないのだ。恥ずかしいけれど。

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