もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

あずさ2号

2022年05月29日 14時14分40秒 | タイ歌謡
 あれはたしか21歳の秋だった。イヤなことがあって、きゅうに何だかいろいろが面倒になり、唐突に電車に乗りたくなって新宿駅に行った。あずさ2号という演歌が流行って数年経った頃で、なるほど新宿といえばあずさ2号じゃん、と思ったが切符売り場に行くと新宿発のあずさは奇数号ばかりだった。なんだ。竜真知子先生テキトーだな。上りの運行なら偶数号で、歌詞との辻褄が合うかといえばそうでもなく、春まだ浅い信濃路へ向かう旨を歌っている。狩人ってのもちょっと毛色の変わった演歌歌手で、まるで似てない兄弟がサビになったところで「はぁーぁちじちょぉーぉどぬぉー!」と、ロケットパンチ並の勢いをつけ左右チャンネルのステレオでマイクも壊れよとばかりに声を張り上げるという当時としてはヤケクソみたいな新機軸だった。テレビで初めて見たときはコミックソングだと思ったが、なんだか可笑しいけれども笑いどころが少ないし、表情を観察するに、どうもフザケてないようで「え。本気かい」と思い至って溜息が出た。
 まあね。8時ちょうどのあずさ2号って歌詞にインスパイアされた訳ではなく、思い立ったのは午前中ではあったが新宿駅に到着したのは8時過ぎだったし、あずさ! と思い付いたのも新宿駅に着いてからだったから、思い付きというより出任せみたいな感じだった。いちばん早く乗れる電車の切符を買うことにした。「あずさの終点は、どこですか」
 松本です。そんな質問にも慣れているのか、みどりの窓口で駅員は感情を排除した単語を一つ丁寧に返してくれた。
「じゃ、そこまで。一枚」
 自由席で?
「はい。自由席で」
 衝動買いってのがあるが、衝動旅だ。だから鞄なんて持ってない。替えの下着なんてのも向こうに着いてから買えばいいか。歯ブラシもないな。財布だけ持っていた。家を出るときには、まさか遠出をするとは思ってもいなかったから。
 若くてばかだと、人生って簡単だ。
 ええと。電車賃は帰りも同額だよな。手持ちの金と口座の残金を考えると、そう長い間の旅行は無理だな、と思った。
 松本の街を歩くと宿は多く、一泊の値段を書いた看板に釣られて中に入った。
「あれは、すどまりの値段で」受付のおじさんが言った。
 すどまり? 須藤真理? 誰だ、それは。
「食事が付かない部屋代です」
 おれは素泊まりという言葉を知らなかった。
 共同浴場に行くとパンチパーマの背の低い筋肉質のおじさんがいて、いろいろと話しかけてきた。初対面にもかかわらず大声で猥談を言って、うははと笑う人は初めてだったので、困惑した。「おれ、猿回しやってんだよ」猿と日本中を稼いで回っているんだそうだ。
 そんな生き方があるのか、と思った。猿と二人連れ。想像がつかない。ふつう人は猿と手を繋いで夕陽に向かって歩き出したりしない。
「山と渓谷だな」猿回しのおじさんが教えてくれた。思い立って松本まで来てはみたが、手元が思うほど意にならず早々に帰らなくては、とおれが言ったのに答えてくれたのだ。「山と渓谷って雑誌があってよ。必ず山の温泉旅館のアルバイト募集が載ってんだ。おれもカネがなくなって二進も三進もいかなくなったときに世話ンなったことがある」
 山と渓谷。
「おう。山と渓谷だ」
←猿という生き物
 雑誌「山と渓谷」は今でも刊行されている登山やアウトドア系の月刊誌だった。現在も温泉宿の求人を紹介しているかどうかは知らないが、その時は翌日本屋へ赴き、立ち読みすると果たして幾つも求人があった。いくつか手帳にメモして雑誌は買わなかった。若すぎて礼儀というものがなってない。当時は罪悪感の欠片もなかったように思う。申し訳ないことをした。
 最初の宿に電話すると、すぐに来てくれということで簡単な面接のうえ、その日から住み込みで働くことになった。今思うと履歴書も書いてなかった筈で、よほど人手が欲しかったんだろう。
 宿での毎日は楽しかった。住み込みの従業員さん達はヘンな人ばかりだったけれど、意地悪な人が一人もいなかった。みな「山と渓谷」の募集欄を見て来たという。たしかに不良が読む雑誌ではない。毎日決まった仕事をこなして客の夕食の片付けを済ませ自分たちの賄いを終えると、あとは取り立ててすることがない。宿の周りには遊ぶところもないし、酒を飲みながら与太話の毎日で、猿回しのおじさんが言ってた「給料はたいしたことないが、寝場所と飯はタダだし、カネの使いようがないから長くやると貯まるぞ」というのは本当だった。ただ、他の人たちは山好きの人ばかりだったので、登山用品で稼ぎが消えているようだった。
 さすがに衝動的に長野まで来て、その足で温泉宿で働こうというような無謀な者は他におらず、下着は松本で買ったが着替えも持っていないというのは珍しかったようで「自由な奴」と思われた。「これ着たらいいんじゃない」とシャツやズボンを貰ったが、聞くと荷物を残して急にバックレた人の物で、どう考えても帰って来ないだろうから返さなくていいと言う。まあいいか、とどこの誰かわからない人の服を着た。
 他にも誰が置いていったのか知らないギターがあって、それを弾いてみたら毎晩リクエストが入って何かしら弾いていた。いつの間にか近隣の宿の従業員も一緒に宴会に加わり、皆で露天風呂に入ったりした。男女混浴で若い者が多かったにもかかわらずウブな者ばかりで、性秩序が乱れるということは、おれの知る限りなかった。ひと組の健全なカップルが誕生しただけだった。
 やがて板前まで宴会に加わるようになり、そこから一転して酒の肴が豪華になった。生け簀の鯉を内緒で〆て隠れ食いしたこともあって、泥を吐かせたから臭くないと皆は言ったが、やはり川魚の匂いがして、だから酢味噌なんかで食うのだなと納得した。食えないということはないが、鯉、鯰、鮎は好きではない。鰻も世の中からなくなっても構わない。鱒も海を泳いでいたものでもイヤだ。川魚の匂いがする。川で生まれて海で獲れるもので好きなのは鮭ぐらいか。それにしても鮭の生食は臭いからダメだった。あ。でもスモークトサーモンは好きだった。だから味は好きなんだな。匂いを我慢すれば食えるけれど、あれを寿司ねたにする料簡は解せないと言ったら、「年寄りだねえ」と母に言われた。じぶんのほうが年寄りだというのに。自覚というものがないのか。
 そういえば数年まえ、実家の近所に回転寿司の店ができたので行ってみたいと母が言うので連れて行ったことがあった。ベルトには皿が少ししか回っておらず、小さな注文票に食いたい物を書いてくれということで書いて渡したら、奥の厨房の入り口で何やら集まって相談していたが、そのうちの一人が歩いてきて、おれの書いた注文票を指差した。「あの。これなんて読むんすか」と訊いた。
 これは、まぐろ。
「あー」若い男は注文票に何やら書き込んだ。読み仮名だろうか。「じゃ、これは」
 それは、たこ。
「へぇ。たこかぁ」
 結局、漢字で書いた魚類の名前を全部読むことになった。
「漢字なんかで書くから」隣で母が呆れていた。「アルバイトが読めるわけないじゃないの」
 だって、寿司屋だよ。魚の本職じゃないの。
「あんたね。ここは◎◎だよ」地元の地名を言った。「わかってないね」
 そんなに馬鹿ばかりじゃないと思うんだが。

 当時、物流も行き届いていなかったのか、長野の山間地では鯉でも飼っていない限り、魚といえば缶詰だった。客の食う焼き魚とは違って賄いの缶詰イワシなんかに文句を言う者は多かったが、缶詰はカッコいいと思い込んでいたおれだから、それは嬉しかった。まだリングプルを引くフルオープンの缶が登場するまえで、缶切りが必要だった。飲み物はリングプルで飲み口を押し込む今の形ではなくプルタブを切り離すタイプのが主流で、穴開け器具を使って2カ所穴を開けるタイプも細々と残っていた頃だ。あ。あとコンビーフのグルグル巻き取り方式の開け方は格好良かったよね。あれもいつの間にかフルオープンタイプになっていて残念だ。あれ、失敗することがあるって聞いたことがあるけど、おれは失敗したことがない。
←穴開け器具
 そんなことより、このときの体験が元で、おれは何処かに出かけるのが面白くなってしまった。ここでなきゃどこでも良いようなものだが、行き先が遠ければ遠いほど良いような気がした。そこでいきなり外国ってのがわかりやすいんだが、冒険というほどの事はしない。死にたくないから。ずいぶんといろんな国に行ったように思ったが、まえに数えてみたらせいぜい30カ国ってところで、放浪ってのも烏滸がましい数だが本人としちゃ歴とした放浪のつもりだった。
 で、楽しく放浪するために新しい言葉を憶えるのも楽しいことだった。うんと若い頃に少しスペイン語を囓ったが、旅行に困らない最低限の言葉を憶えるのには、やっぱり3週間くらいかかってしまう。アタマの良い人なら、もっと早いんだろうな。まず数字。それから「××まで行ってください」とか「もうちょっと安くなりませんか」みたいな実用語だけだ。「これはホクロで、鼻糞ではありません」とか「オカマだと思ってナメんじゃないわよ」みたいなのは憶えない。使わないからだ。
 だけど、3週間で憶えた言葉は、遣っていないとすぐに忘れる。二度目にスペインに行ったときなど数年ぶりだったが「スペイン語は、まあアレだ。多少できるもんね」と出かけたら向こうの言ってることがぼんやりとわかることもあるが「あ。それあったな。その単語。何だっけなー」ってのが多く、それでも聞くのはまだしも喋るのは壊滅的で、数字さえ思い出せないということがあって、己の記憶力の悪さを呪った。
 言葉を憶えるのは大変だと思ったのはトルコ語が最初だ。3週間では憶えられなかった。ラテン語系だったら文法が大きくは違わないし、単語も類推できるものが多い。だからヨーロッパ諸国やアメリカ大陸への新しい言語は3週間で最低限を憶えることができたから良かった。アジアで最初からそんなに困らなかったのは香港だけで、でもそれは廣東語が簡単だったからじゃなくて筆談が通じたからだった。声調を憶えるまでは片仮名で憶えた言葉は通じないんだ。タイ語もそう。片仮名で書いたタイ語を読んでも通じない。
 行ったことのある国で、住んでみても良いな、と思ったのはタイ、メキシコ、トルコの3カ国で、当時言葉が通じない所が良かったのかというとそうでもなく、メキシコでは言葉で酷く困ったことはなかった。じゃあ何だったのかというのが積年の謎だったが、先ほど思い当たった。この3カ国では差別されたり日本人だという理由で嫌われたりしたことがなかった。じつに、他に理由が思い当たらない。気が弱いので、そんなことを気にしちゃうのだ。

 さて。ここまでが導入部で、書きたい話はここからだ。
 そんなふうに長野の山奥でアクティヴに引きこもっていたんだが、いつもの如く飲んで与太話をしていて何気なく顔を撫でたら、顎の先に、ぽちっ、とできものができていた。何の考えもなく、その堅い箇所を爪で掻いたら、丸い角栓みたいのがぽろ、と取れて、指先に液体の感触を覚えた。え? と思いつつ手を離すと、つー、と細く液体が垂れる。急いでティシューを取り、あてがったんだが、あっという間に液体を吸いきり、絞らずとも液体が垂れるほどに溜まっていた。慌ててもう一枚、ティシューを抜き出し添えて、3枚目でようやく止まった。薄い茶色の液体で、血液の要素がまるでない液体だった。油でもない。
 なんだったんだろう。
 その頃のおれはガリガリに痩せていて、体重が50kgを切っていた。それだけの液体を排出したというのに顔が小さくなった訳でもなく、ただ数日間、角栓が取れた跡は半円形みたいにぽっこり凹んでいた。
 ドレーンだ。機械なんかでもドレーンがあるやつはキャップを外してドレーンを解放すると廃液が出てくるよね。あれだ。
 そのあとは、また酒を飲みながら与太話に戻ったんだけどね。
 そのときは何も思わなかった。
 でも今思うと、この時を境に、おれの頭脳は明快になって、アタマが良くなった。ような気がする。いやおまえバカじゃん、そう言われそうだが、だからドレーンまえと比べての話だ。今よりももっとバカだったの。それまでは霧がかかったみたいにボンヤリしていたんだ。同じ時期までは食事の好き嫌いも多かったんだが、その後きゅうに嫌いだった蜜柑が食べたくなり、食べてみたら美味しくて、それをきっかけに食べられない物がなくなった。
 自分のことなのに、なんだか実感のない思い出で、でもこの話をしても「またそういうウソをつく」って言われて終わっちゃう。珍しいことなんだろうか。
←ドレーン
 でもね。本当のことなんだ。
 嘘じゃない。おれが本当だ、って言うときは本当に本当なんだ。だいたい、こんな嘘をついたって面白くもないでしょ。
 まあ、そんな話がありました、ってだけのことで、相変わらず教訓も感動も何もない。
[Official MV] ปู : Neko Jump
 ネコジャンプっていうタイの双子デュオで、2006年にデビューして、そのときのファーストアルバム中の曲で、タイトルはปู(プー)っていう。意味は、蟹。でも蟹に特に意味はない。งู(ングー:蛇のこと)と韻を踏んで出てきただけの言葉だ。ギャルっぽい格好してるけど、これはMVがタイ人の考える日本のステレオタイプに合わせたからで、画像処理の漢字やカタカナがヘンテコなのはワザとだと思う。日本への憧れもあるけど揶揄の割合も大きい。他のMVでは、こんなギャルっぽくない。しかもMVの収録がデビュー間もなくだったんだと思う。このMVだけ顔が幼い。数年後に撮り直したMVは顔がシャープで、もっとお姉さんになってた。
 さすがに当初はそんなにヒットしなかったんだが、数年経ってこの曲が日本のアニメのオープニング曲に採用されて「日本で大ヒット!」みたいな触れ込みでタイで凱旋広告を打ったら、これが本当に大ヒット。チョロいなタイ人。日本でウケたものだからメイド衣装着せられたりしてアキバ系をほんのり醸したりしてても、それも一時的なものっぽい。ファーストアルバムでは「サランヘヨ」なんて韓国をターゲットにした曲も入ってるんだけど、残念ながら韓国ではまったく注目されなかったね。まあ、そういうプロモーションの方針ってだけで、この姉妹が日本好きとか韓国好きってことでもない。日本で、この曲がヒットした(といっても一部のオタク方面で話題になっただけだけど)もので、2匹目の泥鰌アンダーウイローを狙って日本語の歌詞の曲もリリースするんだけど、そんなのヒットするわけもなく、アニメ終了後は日本での人気も失速しちゃった。
 ネコジャンプという名前は日本向けということではなく本国タイでも同じだ。ネコは日本語の猫。ジャンプは英語の「跳ぶ」っていう意味のJumpだけど、タイ語発音だと語尾に黙字記号が付いてて「ネコジャン」となる。ニックネームは姉がジャム。妹がヌイ。まえにもヌイってあだ名の娘を紹介した折にも言ったが、ヌイってのはバターのことだ。姉妹そろってパンに塗るジャムとバターってことだ。本名などは日本語ウィキペディアをご覧頂きたい。シーナカリンウィロート大学に在学中との記述だが、これは二人とも美術学科で、実はこの大学を卒業後にスタンフォード国際大学も卒業してて、留学したのかと思ったら、これがバンコクにある大学で1995年設立。合衆国のスタンフォード大学とは関係ないんだね。タイ語ができない日本人でも簡単に入学できるみたい。
 ウィキペディアによると日本とタイでCDをそれぞれ4枚出してることになってるが、日本ではこの後もう一枚出してて、合計5枚だね。タイでは8枚出してる。もう誰も後追い記述する者がいないのね。ちなみにネコジャンプとしての活動は2017年にカミカゼ・レーベルとの契約終了で活動休止。現在はพิกเล็ต(ピグレット)という姉妹と4人組のユニットを組み、JNPというグループ名で3枚のシングルをリリースしたりしている。でも、ヒットとは言いがたい。
 とはいえ良いとこのお嬢様で、さいきん妹のヌイはパイロットと結婚したりしてて、庶民の娘がパイロットと結婚するなんてことはタイではまず有り得ない話で、つまりそういうことだ。若い頃の思い出作りの趣味だね。
 アニメのオープニングが、これだ。
あにゃまる探偵 キルミンずぅ OPENING
 上手いことショートバージョンに編集してる。作詞・作曲・編曲ともにタイ人によるもので、この頃から外国人に頼ることなく新しいタイポップもタイ人の手で創られ始めた。リズムの組み方がタイっぽい。リズムが裏打ちになってるでしょ。モーラムなんかもそうで、タイ人のリズムって基本が裏打ちだから、じつはヒップホップなんかよりハウス(平坦なイントネーションのほう)との親和性が高い。ていうかガチのハウスみたいな曲もたくさんある。で、ヒップホップだと思ってやってるのかどうかは知らないが、ハウス的なリズムの刻み方にラップが乗っかるから、複合リズムかと思うようなヘンなヒップホップになるんだけど、本質はハウスに近い。声調による音程の「ゆらぎ」だけじゃなく、リズムも半拍遅れて「うねる」からタイポップはすぐにわかる。この曲も妙に耳にこびりついてループするような中毒性がある。
 このアニメのエンディングもネコジャンプの曲だ。MVの絵柄を見た限りでは幼女向けか大きなオトモダチ向けの萌えアニメかと思ったら、そうじゃなくて一部で評価の高いカルト的な作品だそうだ。おれは見たことないし、サブスクでチェックしようとしても見られないので何とも言えない。
 じゃ、歌詞だ。見事に内容がない。タイの子供のハートを鷲掴みしたんだが、いわゆる一発屋で終わっちゃった。

夢の中でヘビを見るのは吉兆だというけれど
私たちは夢で ヘビを見ることはない
夢を見るたびに カニしか見ないの

大きな爪のカニだけがある イェーイ イェーイ イェーイ イェーイ イェーイ
大きなカニはたくさんあるのかしら どう? どう? どう? どう? どう?
行動が怖い 見れば見るほど怖くなるけれど どうしたらいい?

ああ いや これは良くない
ああ いや これは良くない
ああ いや いや これが悪夢になるのは恐ろしいこと
ああ いや こんなふうに
ああ いや いや それは違うのかもね
ああ いや いや カニだけを見て 一人でいる方がいい
 
 裏打ちのリズムもハウスだとダンスミュージックだから、親切でノリやすくできてる。ダンサブルを追求すると裏打ちになるのかな。
 これがジャズだと、裏打ちのカウントで拍子を提示して、それに普通の4ビートを乗せるというようなことを平気でする。これを初めて聴くと「え? え? え?」って混乱するんだけど、全体の拍子が見えたときに、すとーん、と納得できて「うっはー! カッコいい!」とシビれちゃう。でもこの説明じゃ、なに言ってんのかわかんないでしょ。
 こういうことだ。
If I Were A Bell - The Miles Davis Quintet
 ちょっと音圧が低いんだけどね。裏打ちのカウントに普通の4ビートが乗ってくるでしょ。もうね。ジャズの名演のイントロの中でも指折りの格好良さだと思うんだけど、これが話題になったのを聞いたことも読んだこともない。
 ちなみにカウントのまえに小さい声で聞こえるのは、ボリュームを上げてみるとマイルズのだみ声で「l‘ll play it and tell you what it‘s later」て言ってる。「演奏して、そのあとで(曲のタイトルを)言うよ」ってことだ。まあタイトルは言わないんだけど。
 これを聴くと、いつも「くぅーッ」て感じになっちゃう。カッコいい。
 あと、これよりカッコいいイントロっていうと、文句なくこれだ。1976年のハービー・ハンコックのグループのライヴ。もう46年もまえなのか。当時まぎれもなくナウだったのね。このあとハンコックは創価学会に入信して、8月だったかに富士の麓で開かれる総会みたいなのがあって、そのついでに毎年日本のジャズフェスティバルに出演した時期があった。演奏を聴いても誰も「これは創価学会」と見破れないし、彼の信仰が多くの日本人の耳に幸福をもたらした希有な例だった。
 ちょっと聴いてみてほしい。すんげえカッコいいから。
 ワクワクしちゃうよね。

 長野の温泉宿のアルバイトは、2ヶ月も続いたかな。たしか11月だったかに「もうじきスーパー林道が雪で不通になるから、辞めるか春まで居るか決めなさい。春まで居るなら客は来ないから山に入って木を切ってもらいます」ということを言われて、辞めた。もう大学に出ないと、と言うと「え。大学生だったの?」と驚かれた。
 何だと思われていたのだろう。
←ネコジャンプ
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