もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ふつうの日と雨の日があるだけ

2023年08月29日 18時53分44秒 | タイ歌謡
 盆休みのあいだに、知人から暑中見舞いの葉書が届いて、「え。この時期はもう残暑見舞いなのでは」と思った。折角の好意を台無しにする感想で申し訳ないが、おれはこういう奴なのに挨拶状を送って寄越すお方が後を絶たない。親しい人には「いやホント要らないから」と言い含めてあるんで、それは良いんだが、ぜんぜん親しくない人に「挨拶状なら要らないから」と言うのもヘンな話で、笑顔で挨拶はするが、込み入った話はしない程度の距離の人が名刺の住所に挨拶状を寄越してくる。まあ返事を出さないんで、そこで終わるんだが、いちおう申し訳ない気持ちはある。それを放っておけば(テキトーな奴なんだな)とか(おれ嫌われてんのかな)くらいで済むから、それで良いかなと思っている。それをわざわざ「挨拶状貰ったけど、おれ、こういう奴だから返事はしないね♡」とか返信すると、(なんだこいつ)と思われるのは間違いない。まあ、そんなふうに思われるのがイヤな最大の要因ではない。イヤだけど。要は、なんかいろいろがムダでしょ、そういうの。他人のムダなんてどうでもいいようなものだが、それが自分に向かっている。それがイヤだ。
 ところで残暑はいつからなの、という点が手つかずだったので、いちおうググってみたら「残暑見舞いは立秋(8月8日頃)~8月末頃までに届くよう送りましょう」とある。まあ東北地方と蝦夷地では七夕も一ヶ月遅れの8月7日だから、9月7日が北日本の立秋とすると9月6日までは暑中見舞いでいいか、という判断か。大ざっぱな人だと「暑いんだから暑中見舞!」という明解な理屈なのかもしれない。いや。でも北海道って冬が他よりも早く来るよね、夏を遅らせてっと秋が数日になっちゃうぞ、とお思いだろうが、まあ、そうだ。秋が短いので、道民は「雪が積もるまでは秋!」と無理矢理思い込んで辻褄を合わせる。それなら冬は「根雪が始まって融け始めるまで」なら4ヶ月ちょっとくらいで済む。残雪の時期は春とします! じゃないと春が数日間になっちゃう。それでもやっぱ冬が長いけど。
 話は戻るが、おれはそういった盆と正月の挨拶状は出さなくて、もとより返事もしないのは虚礼廃止とか、そういうことじゃなくて、35歳でタイに移り住んだとき、人間関係の大部分がリセットされて、廻りを見渡すと、意味のわからない言葉を話す色黒の陽気な人たちばかりで、(お! シガラミとか、ねぇじゃん)と嬉しくなったからだった。これを転機と言うのか踏み外したというのか、どっちでもいいと思っている。シガラミなんて絶っちゃえばいいのだ。そんなことに興味ないからね。砂糖を塗すと甘くなって美味しいのがシガラミだよ、というものでもない。だいたいの食い物は味をつけたほうが旨くなるというのが六十数年生きて発見した自然律だが、その法則に従うと、シガラミは食い物ではない、という事実が浮上する。
 シガラミを絶つ。これはいいぞ。最良の死に様は野垂れ死にで、静かに土か何かに還ればいいというのは、全ての男の憧れで、何が悲しくて墓の下に閉じ込められなきゃならんのだ。バンコクで死んだら焼いたあとの骨は粉にしてチャオプラヤ川の河口に蒔いて流して終わりだ。だからタイ産のブラックタイガーは旨いのね。墓など要らないという料簡。それよりも配偶者や息子や孫が憶えていてくれれば、もうそれで充分じゃないの。これも日本よりも小さいけれど強いシガラミができたからで、日本の人とは淡い付き合いでいいと思っている。
 古来から「覆水盆に返らず」という。覆水という僧侶が盆休みになっても帰省しなかったという故事だ。そりゃそうだ。盆は坊主の稼ぎ時だもんね、子を坊主にするっていうのは取り返しのつかないことであるよ、転じて、いち度起こってしまったことは元に戻せない、という意味の諺だ。
 ついでに盂蘭盆会(うらぼんえ)のことも解説しようかと思ったが、あんまり面白い話が 思いつかなかったので、やめた。もう盆など終わったことだ。どうもこの時期は暑さでボンヤリしていけない。高い気温は大敵だ。今日の札幌の気温は36.3℃ということで、観測史上最高の気温だってニュースで言ってた。札幌なのに36.3℃? 体温じゃん。36.3℃の裸の力士に前後左右ばかりか上下まで、ぴったり肌を密着されて包まれた状態と同じじゃないか。東京の気温だって33℃だというのに。摂氏摂氏とウルサい盆であった。こういう状態を、われわれの業界では「摂氏盆(セッシボン)」と呼んでいる。何だわれわれの業界って。ケーシー高峯っぽく言ってみただけなんだけれど。
Jolie Môme - C'est Si Bon
 ボンちゃんこと高島忠夫の歌唱を貼ろうかと思ったら、全然良くなかったので、こっちにした。

 タイにもお盆って、あるのか? と訊かれたら、「ある。ちょっと違うけど」って答になるのかな。盆の元が、さっき冗談が思いつかなかった「盂蘭盆会」で、起源はサンスクリット語の「उल्लम्बन(ウッランバナ)」かもしんないけど、よくわかんないんだよね、とハッキリしない。日本で言われてるのは安居(あんご)が開ける日を盂蘭盆会と呼ぶってことで、これを解夏(げげ)と言ったり、道教やもっと古く日本で陰陽道の元になった「鬼道」では三元のうちの中元ってことになる。お中元ってのは、ここから来てるんだね。どうだ。ジジイの話は為になるようで、全然そんなことないだろう。
 そもそも安居って何なんだ、って話で、「それまで個々に活動していた僧侶たちが一定期間、一か所に集まって集団で修行すること。および、その期間」という説明が一般的で、この説明では何が何だかわからない。元は夏安居とか雨安居って言われていたもので、インドからインドチャイナにかけても雨期ってものがあって、その時期は暑いしモンスーンが頻繁に来る頃で、今でもそうだが雨期はワニやムカデの大きくて毒の強いのが、そこら中を這い回ってて、ついでに蛇もウヨウヨいる。「蛇から血が出てヘービーチーデー」と言ったのは古今亭志ん生師匠だが、あいつらは死角から忍び寄って飛びついてくる印象で、フェアではない。行儀や素行のことを英語でbehavior(ビヘイビアー)というが、蛇を連想させて、しっくりこない。唯一毒のないのがワニだが、咬んだ途端にデスロールと呼ばれる回転で獲物に致命傷を負わせる、やっぱりズルい奴だ。どいつもこいつもデンジャラスの危険がヤバいほどアンタラーイ(อันตราย )で危ない。それだけじゃなくて、強風で椰子の実も飛んで来る。ドリアンなんか飛んできた日にゃ固いトゲトゲが隈無く刺さって来世まで痛みを持ち越しそうだ。だから坊主は一カ所に集まって修行をしませんか、というお誘いだ。タイでは旧暦8月の満月の日から旧暦11月の満月の日までが安居であり、現行の太陽暦だと8月の初旬から10月の終わりか11月の初旬まで、旧暦の3ヶ月(28日×3+1日)という感じ。満月から満月までだから、1日足すことになる。
 安居はタイ語でพรรษา(パンサー)といい、安居の入りをเข้าพรรษา(カオパンサー)安居の終わりをออกพรรษา(オークパンサー)という。このเข้า(カオ)とออก(オーク)ってのは、それぞれ「入る」「出る」という意味で、駐車場の入り口と出口にある看板に書かれているので、タイに住んでる日本人なら憶えてしまう。安居入りの8月初旬辺りはタイの官公庁は休みだ。一般の人は、この時期にกินเจ(キンジェー)と言われる菜食週間があり、カオパンサーの日だと思い込んでいたが、違った。カオパンサーは旧暦8月の満月の日だったが、菜食週間は旧暦9月1日から9日までの9日間だった。近いけど違うのだ。เจ(ジェー)というのが菜食のことで、この期間中は街中がเจ(ジェー)の漢字である「齋」と大書きした黄色い旗で埋め尽くされる。これもよくわからない風習で、「仏教徒ですからね。安居の期間は菜食に徹するのが理想だけれど、まあアレだし菜食週間の9日間だけでも努めなくてはいけません。でも、どうしても、っていうんなら肉は少しなら食べてもいいのです。美味しかったら、もうちょっと食べちゃうし、わたしなんかはガイジンと結婚しちゃったから、イヤだけど、お肉たべてもいいの。仕方のない事なの」ってグズグズな事を言ってて、「えー。おれ菜食、付き合うよ。やっぱタイに住むんだったら菜食しないと」と言ったら「えー……」ってあからさまに困った顔をしていて、みんなそこまでマジメに菜食に徹してない。だいたい食堂や屋台でも菜食週間だから野菜を表に並べてるけど、普通に肉料理も売ってる。

 いちおう信心深い人は安居の期間中、素食(精進料理みたいなもの)に徹し、異性の身体にも触れないし、ウソを付いても殺人もいけないという地獄で、もうこれだけで仏教なんてロクなもんじゃねぇな、とわかる。ていうか安居が開けたら人を殺しても良いわけではないと思う。だって、痛いんだもん。万一この禁を破ってしまったら寺院に赴いて「ごめんね」と祈らなくてはいけないので、大変だ。だってほら、道中はムカデ・蛇・ワニがウヨウヨでドリアンがトゲトゲだからね。
 で、安居明けというのが、つまり雨期明けで、このオークパンサーの日のお祭りがロイクラトンと言われる祝祭で、「灯籠流し」って意味だ。そう。鎮魂の祝祭なのね。日本でも盆に灯籠流しをする地域があるが、仏教行事として正統なのね。
 あ。でもタイでは茄子や胡瓜に割り箸の足を突き刺して馬牛を模したりしないな。そういえば昔親に「今年のお盆は帰省するのか」と訊かれて、「あー。じゃ、胡瓜の馬に乗って帰ろうかな」って答えたら、「縁起でもないことを」と叱られたことがあったな。タイ人に言っても理解できない話だと思う。
 タイの雨期明けから四ヶ月間くらいがฤดูแล้ง(乾期)といって、その次がฤดูร้อน(署季)が四ヶ月。あとはฤดูร้อน(雨期)の、合計三季だ。もっとも、美人になってしまう病気がまだ治らないことで有名な、うちの奥さんに言わせると、ประเทศไทยไม่มีฤดูกาล มีเพียงวันธรรมดาและวันฝนตก(タイには季節なんかない。あるのは普通の日と雨の日だけ)とハードボイルドな見解で、これはこれで正しい。うちの奥さんはタイのルールブックなのだった。
 まえに一般のタイ人は墓を持たず、火葬で済ませて散骨して、供養というと命日などに寺院に行って読経と共に死者の名を書いた札を燃やして、それで終わりと書いたが、ロイクラトンを忘れていた。これがタイの盆だ。この日にもタイ人はロイクラトンの踊りを踊るんだが、これってつまり盆踊りじゃんね。日本ではそんなに見られないけれど、テラワーダ仏教圏では踊りを奉納するということが珍しくない。まあ仏教だけじゃないか。バラモン教もやるね。拝火教(ゾロアスター)もかな。
 考えてみると、日本でも盆は雨期明けなんだよね。ちゃんと理屈は通ってる。まあ北海道は梅雨がないので、通年いつでも盆だと思えば盆が可能になる。逆に言えば北海道に盆は、ない。もっと逆に言えば、北海道が盆である。更に逆に言うと、北海道は盆ではない。これでは不信心者ばかりになるのも無理からぬことで、まあ念仏なんか唱えてたらクマが寄ってきても気付かないで、かぷ、と咬まれてしまうから、宗教とか教養とか正義とか、そんなものにかまけていられない。戦うべき相手はクマなのだ。

 あ。そういえばOSO18という凶悪羆が釧路役場の職員に射殺されて、職員すげえな、と思ったら、OSO18は他の羆にクマパンチ貰って大けがして弱っていたので仕留めることができた、という話で、地元では「えー……。OSO18よりも強いのがいるのォ……」と警戒しながらも「そいつが強いだけでヒトに対しては気立ての良いクマだったら良いんだけど……」って言ってて、道民はこれを笑えない。「おう。そうだよな……」としか思えないのだった。
 もう40年以上まえのことになるが、高校のとき一学期の終わりの日の全校集会で校長が「明日から夏休みです。勉強に遊びに全力で取り組んでいただきたいが、山に行かれる場合はクマには気をつけて。クマだけは準備しておくと被害を避けられる確率が高くなるから」と訓示を垂れて、市内育ちのボーイズ&ガールズは爆笑だったが、電車やバスで通学している者たちは「ふん、ふん」と普通に頷いていた。札幌は市内でも羆が徘徊したりするが、おれの故郷みたいな中途半端な街の市街部にクマが出没することは、まずない。北海道って、いろいろなのだ。

 ところで。野球はキライなんで高校野球なんて興味がないと、いつも書いていたが、今回の甲子園決勝は見た。見ました。だって慶応が面白かったんだもん。野球そのものは、たんに野球なんで、どっちが勝とうが負けようがいいようなものだったが、慶応のボーイズは「僕らプロには興味がなくて、将来は弁護士か社長」とか言ってて、坊主刈りにするのも意味がないでしょ、みたいなこと言ってるし、練習は効率的にやるもので根性なんてカンケーない、とか言うことがいちいち正論で、(慶応、負けないかな)と思ってる生粋の高校野球ファンはいるんじゃないかと思うと面白くて、(慶応が勝った方が面白いな)と思っていたら、頑張ったりしないで楽しそうにスルッと優勝してて笑った。勝利者インタビューで「ぼくらに勝てるわけないですよ、だってアイツら、ばかなんだもん」とか言い放ってくれると面白いんだが、ボーイズもばかじゃないので、そういう波風は立てない。でも、ぜったい思ってるよな。
 これはアレだ。慶応が勝って悔しく思ってる人には「弁護士なんて、昔は三百代言って呼ばれて蔑まれていた職業。金融業も賤しい職業だった。どっちも虚業だもん。社長になりたい、ってのはわかるよ。ばか働かせて搾取できるもんな。まあそういう料簡の連中ですよ」と慰めてあげたい。あんまり慰めになってないかな。まあ弁護士なんてロクデナシばっかりで、ヤメ検あたりが爪伸ばして逮捕されちゃう末路も多いし、規制緩和以来、弁護士になる人数がやたらに増えて食えない者も多くなった。相談無料で過払い金だの肝炎を食い扶持にしてる連中は裏社会の手先なのかと思ったら、そっちよりも共☆産党の手先の方が多いんだよと聞かされて、あー。言われてみりゃそうか! と納得したんだが、弁護士目指してもなあ。よっぽど優秀でなけりゃ大変だと思う。ひよこ鑑定士の方がいいよね。でも、あれ「これは、ひよこ。これは子猫」という鑑定じゃなくて、ベルトコンベアからは、ひよこしか流れて来ないというのね。じゃ簡単だ。全部ひよこで良いじゃない、って話じゃなくて、雌雄の別を肛門を見て判定するのが仕事だという。ひよこをひっくり返して肛門で判定して、その判別の正確さが99%超でないとイカンとか、そのくらいの水準を満たすのは難しいらしいから、誰でもなれるものじゃないんだそうだ。ハネられた雄は運が良くてもスプレーで色を吹き付けられて縁日で売られていたものだが、最近は見ないね。繁殖用の種鶏(ていうのかな)になるのはウクライナの大統領になれる確率とどっちが稀少なのか。おれの勝手な想像だが、餌を貰って何とか採算の合うところまで育ったらローストチキンとか、そんなのまだ良い方で、運のないのは生きながらにして焼却炉に放り込まれたりしてるんだろうか。
 弁護士界で生き残るのも体育会ノリのブラック企業で働くのと大差なかったりするから、一概に慶応を敵視するのも考え物だ。
 もう、高校野球の一つの時代の終焉ってことでいいんじゃないかな。このあとの大会でばか高校が勝っても(あー。ばかが昭和的な勝利か)って印象が拭えなくなるわけで、ここで一気にルールに手を加えると良いと思った。ハンデの導入だ。
 まず、学力。試合まえ毎に学力テストを行う。あったりまえだ。高校野球なんだぞ。学業を疎かにするわけにはいかん。で、ハンデだが、平均点以上をハンデなし。0点とする。じつは平均以上の得点に応じてハンデを有利にしても面白いとは思うので、そこは考えどころで、とりあえず保留とした。で、平均未満だった場合なんだが、相対的偏差値が平均よりも10点まで低かった場合は-1で20点までは-2とか。選手全員平均に満たず全員がそれぞれ-1だったとしたら、9人合わせて-9ということだ。9点取って初めて0点になる。だから「野球は上手いけど、ばかなんだよなー」って男の子は部活なんてやらずにプロ野球選手を目指せばいい。「ここで代打、ヤマダくん。ヤマダくんはハンデ-2だから、2ランホームラン打って、やっとチャラですね」とか。ぜったいそうしたほうがいい。それだったら、おれは観るぞ、甲子園。でも、すぐに飽きるかもね。しょせん野球だからな。

คาราโอเกะ เพลง ลอยกระทง
 さて、今日の歌は珍しくトラディショナルな唱歌だ。古い歌で、元歌は7平均律だった筈だが、12平均律に直されてるね。もうしょうがないことで、21世紀になったころにはタイ人だというのに7平均律のスケールを聞くとキモチワルクなるタイ人が増えたから、これも時代の流れだ。7平均律を大切にしようって運動は見たことも聞いたこともないが、昔気質のタイ人は守る努力をしているのか、いないのか、まあ細々と7平均律で演奏と歌唱をする者もいる。なんだか端で見ていてもどかしいんだが、ガイジンが「古い文化も残さないと」ってのも大きなお世話で、山岳民族の山へ赴いて「なぜ道路を舗装するのだ」なんて文句を言うのは越権行為で、「えー……。快適に暮らしちゃダメってこと?」とか「そうか。土人は文化的に生きるなって言いたいんだな」ってことになる。例えばカヤン族(首長族)について「観光客が帰ったら首輪外しちゃうし、普通の洋服に着替えるわ、テレビだって隠してるんだぜ。マジメにやれよな」って言うような奴は狂犬病かどうかわからない犬に咬まれればいいのに、くらいは思う。何様のつもりだ。
 今週の歌だった。古い唱歌だから、正直面白いものではないが、昔からロイクラトンというと、国中でこの曲がかかる。日本みたいに地域ごとに違う音頭ということはない。これは日本の方が特殊なんじゃないかと思ってて、日本の文化の分断とかムラ社会ってのは、たしかに平地が狭く、おまけにそれが川や山で分断されてたっていう地政学的な理由もあろうが、徒党を組んで反乱を起こされちゃ堪らんという訳で人為的にも分断させた向きがある。美人は多いが性格に難ありと思われている秋田県だが、久保田藩の佐竹一族の支配が室町時代から明治までだから、江戸幕府より長いわけで、そりゃ藩主の家系は腐りきるわ、民衆はちょっとでも意見しようものなら仕置きされ続けて卑屈にもなる。密告上等社会だ。そんで昔のスペインのハプスブルク家からスペイン王朝を経てブルボン王朝まで、近隣から美女をさらってきては大事にするということを続けていたら美人だらけになってしまうのも無理からぬことだ。腐ってんなー。
 まあね。タイは呆れるくらい平地が続くし、テラワーダ仏教で在家が出家を楽々食わせるくらいに土地が豊饒で、だから圧政を敷く必要もなかったし、だいたいちょっと厳しくするとケラケラ笑いながら、どこまでも逃げる国民性で、民を土地に縛り付けるという日本式の統治は無理だ。分断する必要なんてなかったんだろうね。日本では平野でも河内地方なんて血の気が多いし何するかわかんないから細分化して反目させたけど、そんなことやってたから日本人の「悪意」ってのは筋金入りなんだろう。世界に誇れる数少ない特徴だ。
 だいたい「アタマの中、お花畑」ってのが悪口になりうる国なんて、そうそうないぞ。タイ人に言ってごらん「アタマん中お花畑かよ」って。「うん♡ありがと」くらい言って微笑んでくれるぞ。「あいつのアタマん中、お花畑やん」とか。それ聞いたタイ人は「えー。いいなー」って羨むだろう。ていうか幸せそうな人をばかにするという発想がないから、「??? なにこのひと。キモチワルイ」と思われちゃう。昔はうちの奥さんも日本人を見て「หน้าไม่มีความสุข(幸福がなさそうに見える)」とか「ไม่อยากมีความสุขเหรอ(幸福になりたいと思わないのかな)」と、よく言っていたが、ある頃を境にぴたりと言うのをやめた。理解しようとするのを止めたのだ。大乗仏教が言うように「救われる」なんて話は仏陀様は言ってないわけで、テラワーダ仏教の「輪廻で人間に生まれ変わるのを繰り返すなんて地獄でしかないから、解脱して無になったほうがいい」ってのは日本人のほうが向いてるような気さえする。

 まあタイ人がテラワーダ仏教なのは、「修行したり頑張ったりしなければ、また人間に生まれ変わって楽しく生きられちゃうなー」と思ってるからじゃないか、と密かに考えてて、じつはうちの奥さんにこれを言ったら「うふふ」と笑って「ช่วยไม่ได้(救いがない、とか、しょうがないわね、みたいな意味)」と言いながら眉をくい、と持ち上げた。どっちだ。どっちもかな。
 まあ、そんな感じで、タイ人は生死観みたいなものが原初仏教に近いんだか、それとも丸っきり離れてんのか判然としないんだが、一緒に暮らすには、ほんとちょうど良いぞ。おれみたいな奴には。
 さて、今週の唱歌「ロイクラトンの歌」だが、信仰よりもสนุก(楽しい)が優先されていて、まあいいから踊りなさい。徳を積めば幸福なんだから、つまり楽しくて幸福だったら信仰深いってことだよね。概ねそうだよね、ってことで、何のことはない「アタマん中お花畑」な歌じゃねぇか。いいよね。ビバ! お花畑!

十二月の満月の日 川の水が溢れる
私たち全員 男性も女性も ロイクラトン(灯籠流し)の日は本当に楽しい
ロイクラトン ロイクラトン
ロイクラトンを一緒に過ごして 私をダンスに誘ってね
ロイクラトンの日のダンス ロイクラトンの日のダンス
徳を積めば 私たちは幸福になれる
徳を積めば 私たちは幸福になれる

 あと、最後に中華方面から嫌がらせ電話が無差別にかかってくることがある、というニュースに、(あー。中国人は良い奴が多いけど、ばかはとことん、ばかだからなあ)と思い、ウザいのもイヤなので撃退用音声をAIに喋らせてみた。漢字で内容を書くと差し障りがあってBANされてもイヤなので、それは音声ファイルを上げるので、各自聞いてご理解いただきたい。と思ったらgooブログって音声ファイルをハネちゃうんだね。公開できない。しょうがないからこっちにupしてみた。タイトルに意味はないので念のため。あ! 五・七・五になっちゃったね。
 ティェンヤンモンとか言ってるように聞こえるかもしれんが、何て文章だったか忘れましたぁ! かかってきた電話の番号通知の国番号が86で始まってて、心当たりがないとき用に(これ言われると愛国の中国人はイヤがるな)というセリフを言わせたような記憶がある。内容は忘れたけど。これを応答メッセージに記憶させて返事してやれば、海の向こうでイタ電を中継配信している場合、間違いなく相手がBANされる。配信してなかった場合は口汚く罵りながら電話を切ると思うが、メッセージの内容が内容なので、電話番号から住所を特定して何か危害を加えてくるかもしれない。喧嘩上等な方は是非ご利用いただきたい。被害を被った場合、当方は一切責任を負わないからな!
 つうことで、役に立つようで両刃の剣の危険を孕んだ音声だ。おれは電話に入れたぞ。でも、よい子は真似しない方が良さそうだね。使う場合はご自由に。無料で開放してっから。
 まあ報復がイヤなら、もっと内容をマイルドにした応答を自分で作れば良いだけなんで、各自自作するのが良かろう。こういうの簡単に作れちゃう、良い世の中になったもんだ。
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