もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

高嶺の花

2023年10月28日 12時47分21秒 | タイ歌謡
 さいきん何かを読んでいて「高嶺の花」という語に、(あー。そうだな。高嶺の花、だよな)と改めて思った。もちろん知っている言葉ではあったが、字で読んで、しみじみと意味を噛みしめた。一般に高貴で気高い女性なんかを指して、孤高な感じを言うよね。でも耳を通して聞いたときに音として「高値」のニュアンスが、こっそり混ざって入り込んでいたと気づいた。その手の女性に金がかかってることはあって然るべきなんだが、その含意は邪魔だ。確かに金はかかっていても、そういう下卑た判断基準を持ち込むんじゃねぇよ、という感じか。
 間違い方としては「すべからく」を「すべて」だと思い込んでる間違いに近いのかもしれん。漢字だと「須く」になり、立ち小便すべからず、なんかの「すべからず」の肯定型だ。「当然・是非ともするべき」という意味で、ぜんぜん「すべて」ではないのだが、そこまで「するべき」と強く言われたら大体はしてしまうので、「ほぼすべて」の結果になるから間違うのか。たぶん文脈で「すべからく投票すべし」みたいなので判断して(あー。みんな、って意味か。すべてってことだな)と思ったのではないか。これが「すべからく肌のキメが滑らかに」だったら、(ははーん。すべすべって意味ね)と思い違っていたかもしれない。
 というわけで、高嶺の花にカネがかかってるとは限らない。掃き溜めの鶴だっているからね。
 要は、高山植物かな。コケとか食虫植物じゃなくて可憐な花が咲くやつ。
 高嶺の花を手に入れたくば、これはもう高い地点へ自ら赴き花と同様の高貴さを身につけるか、あるいは高い地点へ赴くまでは同じでも、その対象を平地まで引きずり下ろしてしまうか、どちらかだろう。後者だと、やがてバランスが取れて中間地点に落ち着くのを期待するのか。でも平地まで堕ちた高嶺の花は下手すると枯れてしまうか、生き延びても何だか下卑た「もと高嶺の花」になってしまいそうだ。
↑高嶺の花を守る象と虎をAIに頼んだらギターなんか弾かせやがった
 こんなことをよく考えてしまうのは、うちの奥さんが「もと高嶺の花」だったからで、没落したとはいえ世が世なら名門だった家系だ。初めて見たときは、氷の国から来たようなクールな姫で、たとえば街を歩いているとき、たまたま目前に躍り出た男が、うちの奥さんの顔を見た途端、ゴーゴン姉妹のメデューサに魅入られたみたいに一瞬固まって、それから必ず「ขอโทษ(ごめんなさい)」と謝るのだった。わかる。わかるぞ。おれも初対面で謝っちゃったもん。で、うちの奥さん(当時はまだ付き合ってもいないけれど)も、男が自分の顔を見て謝るのは自身の経験則から普通のことだと思っていたから、べつだんヘンにも思わないようだった。さいきんは氷みたいな冷たさは消え、美貌も少し衰えたから、いきなり謝る者はいなくなった。でもそんなお嬢様だった人が日本人の平民なんかと暮らして半分平民の子を産み、今じゃ日本平民のくだらない冗談にキャッキャと笑っているんである。
 いいのか、それで。
 まあ、良いも悪いも今更元になど戻せないことなんだけれど。
Queen - Lily Of The Valley (Official Lyric Video)
 この曲の場合は高嶺の花じゃなくて「谷間のユリ」ってことでちょっと違うけど、その入手が困難ということや人知れず隠れて咲いているという意味では近い。クイーンの初期の作品だね。「キラー・クイーン」も同アルバムに収録されてて、当時あれは画期的にカッコよかった。百合(Lily)は花の名前でもあるけど、美人のことも指す。歌詞中「ライの王」なんてのが出てきて知らないからググったら、これはフレディー・マーキュリーが子供の頃に妄想していた世界の幻の王国だそうで、そりゃ知ってるわけがない。
 歌詞を和訳しておこう。

いつまでも いろんな所を探している
しかしなぜ 誰もが否定するのか
海の主ネプチューンよ
どうか 答えてはいただけまいか
そして 百合は知る由もない

目を開けて 横になって待とう
嵐の空を 遙か越えて
すべての路を 共に付き添い駆け抜けた
この王国の名馬
でも 年老いてしまった
ナイルの蛇よ
ひとときの安らぎを 与えたまえ
呪縛から 解き放ちたまえ

七つの海から使者が飛んできて
ライの王は玉座を失ったという
戦は潰えることを知らず
平和に過ごす時はないのだろうか
 しかし 百合は知る由もない

 あれ? 中二病ぽいけど悪くない歌詞だ。深夜アニメの転生もののテーマソングでもおかしくない。魔王を斃しに行く勇者の冒険と、誰も知らない谷間で魔王の呪いで眠らされている姫との恋物語。年老いた馬の口癖で時折空を見上げて「魔王が来る」っていうのね。来たためしはないんだけど。飼い葉を食むときでもボケてて魔王魔王ってうるさいの。あと「腹が減ったブー」ばっかり言ってるボーイッシュな魔法使いもいるね。怪力の大男とか。先のとがった靴でトンガリ帽子の、ただ踊る男も欲しい。あとはお色気担当のボインな悪役なのか味方なのか判然としないおねえさんもいなくちゃ。
↑冒険者パーティー
 個人的にクイーンは、この頃がいち番好きだ。高校生の頃で、リアルタイムで聴いていたな。

 高嶺の花というか、うちのヨメ以外の高貴なお方とお目通りすることなど滅多にない。日本人ならそれが普通ってもんだろう。そういった方に蛆虫でも見るような対応をされたい、というような願望はないんだが、期せずしてそんな感じになったことならある。
 今でも似たような事情かどうか知らないが、30年ちょっとまえに一度だけエア・インディアに乗ったことがあった。理由は最安値だったから。で、乗っていて気づいたのは近くの席の乗客が寒かったのか「ブランケットをいただけまいか」みたいなことを丁寧な英語で言ったにもかかわらず、インド人CAさんは黙殺したのだった。いや、今の絶対聞こえてたよな、と思ったがCAさんの周囲30cmくらいのエリアが、ぱきーん、と氷点下みたいな拒絶のオーラに包まれていた。
 なんだ、このひと。そう思ったが、他のCAさんも似たようなオーラを放っていたし、やがて飲み物や機内食を配るときも、てきぱきと事務的に業務を遂行するばかりで、フレンドリーという概念も併せて凍て付いていた。どういうことだ。知人のクマールというインド人は親切の濃縮液で煮染めた服を纏った愛嬌の塊みたいな男で、インドの人というのはそういうものだと思い込んでいたが、違う人もいるのだな、と思いながら、CAさんのカツカツという足音を聞いて、疑問が氷解した。
 わかった。このひとたち、カーストの上位だ。
 そういった人でないとエア・インディアのCAになれないだろうことは想像がつく。そして、そういった人たちにとって日本の平民なんて、あたかも蛆虫みたいな何かなのではなく、蛆虫そのものだったのかぁー。と納得したら、俄然面白くなってきた。よーく観察するとCAさんはイヤがってるけど、それを押し殺して平静を振る舞っている。がんばれ。
 すげえ。だれも幸せになれない空間じゃないか。インドの高貴なお方が乗客として乗り込んで来ればCAさんも献身的にお仕事ができるんだろうが、そんな偉い人がエコノミークラスに座るわけもなく、CAさんは自分の自尊心を保つのに必死だった。これは面白い経験で、寝るのも惜しんでCAさん達を観察していたが、帰りのフライトになると、もう飽きて寝てしまった。結論は「この航空会社、もう乗らなくていいな」ということだった。今では違うのかな。

 もうひとつ。日本人の高嶺の花なんて珍しいんだろうとは思うが、居るところには居るもので、ずいぶん昔にまだ船田元の妻だった頃のるみさんにいち度だけ会ったことがあって、それが日本の高貴なお方との初めての対面だった。あれはたしか作新学院の応接室だったと記憶しているが、るみさんが入室した途端に、本当に部屋が明るくなった。るみさんが上品すぎて絶世の美人にしか見えない。圧が強いわけでもないんだが、一挙手一投足が上品すぎて、また発するお言葉の一つ一つがお上品すぎて、もうお上品の絨毯爆撃みたいなひとだった。この人に「~してくださる?」なんて言われて断れる男はいないな、と確信した。出会い頭に「ごめんなさい」と謝りそうになった初めての人だ。やんごとない生まれというわけでもなく、三菱自動車の重役の娘なんだが、高嶺の花という言葉がぴったりの人だった。ぜんぜん高飛車な所もなく物静かで、「うっわー。すっげーアタマよさそう」というアタマの悪そうな感想しか持てなかった。
 後年、船田元が糟糠の妻と娘達を捨てて女子アナウンサーに走ったと世間では叩かれたが、「え? あー……。ねぇ。うん……。わかる。ダメだけど、わかるよ」と、少しだけ船田元には同情した。奥さんがるみさんでは心が休まらないっていうか、るみさんに釣り合う男なんて、そうそういない。お上品絨毯爆撃の各弾がメガトン級で、おはようからおやすみまで常時なんだぞ。あれは捨てたなんていうことじゃなくて船田元が逃げたんじゃないかと邪推している。彼の政治生命も、あそこを境にパッとしなくなったが、まあしゃあない。るみさんに釣り合う器の男じゃなかったってことだ。もちろん一般男性では漏れなく力不足で基礎的な性能も足りないんだけど、普通人にそういう高貴な人との縁談なんてあり得ないから、心配することはない。

 そこへいくとうちのヨメなんて、いちおう高嶺の花ではあっても、手乗り高嶺の花っていうかβ版の高貴フレーバー配合みたいな感じか。松茸の味お吸い物の顆粒みたいな。肉食わせておけば機嫌がいいし。
 ヤドカリは己の身に合わせた貝と出会うようにできているのだ。
ใจหายตี้หล่ายดอย : Seeyaj เซญ่า สาวม้ง [Official Mv]
 タイトルは「ティ・ライ・ドイの失恋」って意味。テイ・ライ・ドイというのは地名で、北部チェンライ県のウィアンケン地区にある区域。北部の地名は「ドイ」がつく地名が多いのも道理で、ดอย(ドイ)ってのは山とか丘って意味だ。タイの国土の殆どは平野だけれど、さすがに北に行くと山がある。通常タイ人の言う山ってのは、せいぜい海抜400mくらいだけど、タイで最も高い山はドイ・インタノンで海抜2,565mと意外に高い。ここの尾根伝いに歩いて行くとネパールのヒマラヤ山脈まで続いている。まあ国境越えの難しさよりも地形の厳しさで、ニンゲンの肉体でヒマラヤまでは到達できないと思う。新婚の頃にドイ・インタノンに行ったことがあるが、ホテルのある場所が山頂の訳がなく、中腹の地点の最低気温はせいぜい3℃だったが、それでもタイ人は「寒い寒い」と大喜びだった。
 そういえば世界でいち番高い山をエヴェレストと呼んだりチョモランマと呼んだりするんだけど、あれは登頂ルートがネパール側からか、チベット側からなのかで決めてるんだろうか。たぶんそうだと思う。中文で珠穆朗瑪峰だし。もう三十数年まえのことだけれど、日本人がチョモランマ登頂を成功させたとき、まだお元気だった由利徹さんが、「おしゃ、まんべ」のポーズで、たしか両掌を合わせて、ぐい、と下まで伸ばしてからの股と両掌を開いて「チョモ、ランマ」って言ってて、おれはそういうのにゲラゲラ笑っちゃう奴だ。今でもお元気だったら「ウク、ライナ」とかやってくれるんだろうか。不謹慎だって怒られそうだな。
 歌に戻ろう。
 MVを観て出演者の服装からリス族かな? と思ったらMVのタイトルにモン族と書いてあってよく見たら被り物の飾りのぶら下がり方がモン族だ。ちょっとまえまでメオ族(中文で苗族)と呼ばれていたが、ポリティカリーコレクトだとモン族と言わねばならなくなった。
 歌詞には相手の男の素性は明記されてないけど、MVの映像ストーリーだと、モン族の山岳民族の娘が旅行者(タイ人か意思疎通可能な外人)に恋をして、ずっと待ってるって流れになってる。歌詞の通りだと悲恋だけど、MVでは最後に男が娘を迎えに来てハッピーエンドになってる。楽曲のメロディーはタイ歌謡っぽくない。かといって昔ながらのモン族の唱歌とも似てない。最近のモン族メロディーかどうかは不明だが、こんな曲を一般のタイ人が聴くとも思えず、殆どモン族が聴いているのかと思うと10万再生ってのはヒットなんだろうか。
 歌っているのは、このMVだとเซญ่า สาวม้ง(セーヤ・サオモン)というクレジットになっているが、これは「モン族の娘・セーヤ」って意味で、本名はเซย่า-มิย่า(セーヤ・ミヤ)だ。父親が有名なモデルで、この娘もモデルの仕事が本業だが、歌もシングルを多数、アルバムもリリースしている。そこそこ知名度もあるが、全国区とは言い難い。現在19歳で、このMVは17歳当時のもの。インタビューでは虐められたことと、甲状腺機能低下の病気についてばかりだ。虐められたのはモン族だからみたいで、タクシン元首相やインラック元首相のシナワット一家も「メオ」の誹りを受けていた。タイは日本に次ぐ虐め件数世界2位だからね。まあこの順位に意味があるかどうかわかんないけど。
 で、甲状腺機能低下の症状を訴えるタイ人は多くて、今でこそ海のある暮らしの者もいるけど、もともと長江沿いに移動して、雲南省辺りから南下してきた民だから、この2000年ほど海藻からヨウ素を摂取するということができてなくて、そりゃしょうがない。明治製薬がイソジンをタイで作ってるんだけど、それがヨウ素摂取の為かどうかは知らない。とりあえず、この娘の甲状腺に関しては快方に向かったそうで何よりだ。

 歌詞だ。

ユーラシアの山の花 毎年落ち続けて 幾星月
待って 待って 待って だってまだ振り向いてもくれないんだもの

覚えておいてね 覚えて 約束でしょ
あなたを無視するつもりは毛頭ないの 気にかけてる
でも 家の中にある山の幸を拾わないなんてことがある?

私の心は去ってしまったの 失われたの ティ・ライ・ドイで

小さな心は 悲しみと共に待っていた
気づけば幾月から幾年
あなたはまだ 家に迎えに来ない
振り向く影さえもない
村の長に 若い娘がまだ待っているなんて言わせないで

待っている
約束したのに それは消えて
吹く風に揺れて 約束ばかりが吹き溜まった

ほんとうは輝かしい未来が欲しい 来て欲しいの
 山での約束を 忘れないでね

 タイ北部の山岳民族の村に行っても、高貴な娘なんてみたことがなくて、もし居るんだったら「もののけ姫」みたいな感じなんだろうか。村に来ることも滅多になく、森を駆け回ってんの。ビルマとの国境あたりのゲリラが象を従えて戦象にしてるのを憤って「象を解放しなさい! あと、人間同士で争うのもやめなさーい」とか言って、象を奪って森に帰したりしてほしい。あの辺のゲリラの親方は留学経験もあってフランス語が流暢だったりするのは有名なんだが、山岳民族のもののけ姫は、村の私設学校(タイ非公式)の先生からインターネットの閲覧を許されており、そこでタイ語を独学で習得し次に英語と、世界の知識を広めていったのでゲリラ戦法にも明るく、ゲリラ達を出し抜いて不当に就労させられている子供達や象を次々と救っちゃう。しかしやがてタイの国境警備隊に捕らえられ、「わたしがほしいのはタイのこくせきなんかじゃない。みんなのじゆうだ」とか言っちゃうような、そんな話は、ない。
 ないね。
 そうだ、設定に無理のある異世界モノじゃなくて、巨大バルーンに入ってビーチで遊んでたら突風で、びゅーん、て飛ばされてバルーンが割れたら、そこがタイ北部の国境あたりで、もう言葉も通じなくて、海パンひとつだから財布もスマフォもなくて、仕方がないからサバイバルしちゃう話はどうか。いや、どうかって言われても困るだろうが、タイの山岳民族がいるあたりは異世界みたいなもんだ。そうでもねぇか。

ジブリカバー もののけ姫 #朝倉さやMusicVideo
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