江戸時代から知られていたという三内丸山遺跡は、青森市の南西部にあり、遺跡ゾーンだけでも 39 ha ある広大なもので、今から 4000~5500年前の縄文時代前期から中期の大集落の遺跡という。
1994 年から本格的に発掘され、竪穴住居・掘立柱建物・墓などのほか、溝・柵・道や大規模な土木工事痕跡など、多くの遺物が出土されている。
特に、この遺跡のシンボルと言われている、大型掘立柱建物の巨大支柱跡の出現が、この遺跡の保存のきっかけになったという。
一昨日(11/14)の新聞に「奈良明日香村の甘樫丘の東麓遺跡で、大化改新のクーデターで唐黷ス、権力者 蘇我入鹿 の焼け落ちた邸宅跡と思われる掘っ立て柱建物5棟や塀などの遺構が見っかった」という記事で話題になっているが、此れとて 1400 年前のもの故、それより数倍古い、三内丸山遺跡がいかに歴史価値の高いものかが判る。
作品は右側手前に、復元された高さ 14.7m もある大型掘立柱建物と後方の倉庫に用いられたという建物数棟の写画である。
画像処理如何に拘らず、復元された建物の格好と空の状態により、十分古代の雰囲気を醸し出していると思う。