二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

音の遠鳴り!

2016-03-12 11:12:33 | ■工房便り 総合 
昨日、チェロの演奏会を聴きに行きました。

10人のチェリストたち。

最初に、3月11日ということもあって、追悼の為アリア、

ふと気が付くと一台だけ、音が抜けてきます。

流石に10人でのアンサンブルですしそれぞれ相当良い楽器を弾いていたと思います。

でもその中でひときわ抜けて来る楽器があります。

ましてやそれがどの楽器かはっきりとわかるのです。

以前はクラシックの、コンサートというのよく行ったものでしたが、最近は二胡屋を始めたこともあってか、

若いチェリストたちの情報というのを全くと言っていいくらいに知りませんでしたが、

素晴らしかったですね、あれだけのチェリストがそろうのですね。

2年前に行った、ベルリンフィルのチェリスト達の演奏に匹敵します。

そんな、中でも音がひときわ抜けて来るというのは、、、

後で、ほぉさんに聞いたら、(あの暗い中で眼の悪い私は、カタログなど読めないのです、もっと字大きくしてほしい)その楽器はストラデヴァリウスだったそうです。

ここでもストラドかよ!と、流石にという気持ちと、何でという気持ちと、

そのことは置いておいても、遠鳴りとはよく言ったものだという気がします。

遠鳴りというのは、楽器の演奏者のすぐそばで聞く音の大きさの感じより、

遠くでもなおかつその音が届いてくるということでしょう。

楽器自体全体で、音の圧力として鳴らない限り遠くまで音は届きません。

大きな音を出す楽器というのは作れます。

すぐそばで弾いているととても大きい音なのだけれど、会場の後ろまで届かないという楽器もかなりあります。

ついつい演奏者は自分で弾く楽器の音をすぐそばで聞きますから、音が大きいということに反応してしまいがちですが。

聴く方は体の芯までゆすぶってくれるような音の方が感動します。

それには楽器全体が鳴っていないと、そこまでの音として観客に聴こえてこないのです。

「PAが有るから音の多きさなんか関係ないわよ」と言った二胡の演奏家もいます。

楽器を演奏する人が言ってはいけない事だと思うのですよ。

楽器全体が鳴ることで作られてくる音楽性というのもあるのです。

いくらマイクを使ったとしても、しっかりと鳴る楽器の音というのは、人を感動させるものだと、つくづく思いました。

これは楽器造りとしてまだまだ研究の余地があるのでしょうね。

まだまだ、進化します。







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2 Comments

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めぐさん (nisino )
2016-03-14 14:58:46
音を遠くまで響かせることのできる演奏力というのもあります。また届かせる事の出来る楽器と言うのもあります。
二つがそろうと、二胡でも300人ぐらいの会場でも一番後ろまで音は届きます。勿論、会場の形にもよります。
せっかく建築も出来ますし、宇崎竜童の音楽スタジオなども作りましたし。楽器も作っています。人生最後にそんな音楽ホール立ててみたいですね。そこで私の楽器を弾いてもらいたいです。
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Unknown (めぐ)
2016-03-14 14:07:36
自分で弾くときの音、客席で聴く音、マイクを通した音が全部違って聞こえて、おなじ二胡なのに不思議に感じます。
この間、客席側で二胡の音を聞く機会があり、客席に音を届けるならば、相当頑張らないと音がはっきりしないんだと感じました。

マイクを通すことも必要だとは思いますが、私は生の二胡の音が好きなので、やはり生で聞きたいと思います。
(好みの話になるのかもしれませんが。)

楽器と演奏者、ともに成長していくことが大事なのかな~と感じました。
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