唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

「マックス・ヴェーバーの犯罪」と佐伯真光・山本七平論争:「続」反倫理の生態

2021-10-07 | 日記

この10月4日付で刊行された私の『科学・技術倫理とその方法』(緑風出版)の2章6では,「『反倫理』の生態」として,浅見定雄の分析にもとづき,『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ベンダサン(=山本七平)の生態を扱いました.ここでは,その「続編」として,「佐伯/七平論争」を紹介します.これは,唐木田健一「『マックス・ヴェーバーの犯罪』事件」,橋本努・矢野善郎編『日本マックス・ウェーバー論争』ナカニシヤ出版(2008)第5章の一部にもとづくものです.なお、ブログ掲載にあたっては形式上の変更がなされていることをお断りしておきます。

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1.「知的誠実性」を論じる知的不誠実

 2002年9月に羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪―「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』という本(以下「羽入本」と略記)が刊行されている[1]。著者は東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻博士課程の1995年の修了者である。一般的にみればこの本は、自然科学分野の対応物としては、たとえば「アインシュタインは間違っていた」といったいわゆる「トンデモ本」のカテゴリーに属し(☆)、その限りの扱いですむはずである。しかし、社会学者・折原浩は継続的に、この本を徹底的かつ緻密に批判している[2][3][4][5] (また、北海道大学経済学部の「橋本努ホームページ」における「マックス・ウェーバー 羽入-折原論争の展開」も参照)。

☆ただし、この本には著者《独自》の立場からの事実の調査が含まれており、その点では自然科学に関わる多くの「トンデモ本」との違いがある。とはいえ、問題は、せっかくの調査された事実がどう用いられるかにある。

 私にはここにおける折原の姿が非常に危ういものに思われる。折原自身すら自己を「飛んで火に入る夏の虫」や「“火中の栗”を拾おうとしていること」にたとえてもいる(☆)。この折原の危うさは、私には現在の日本における学問の危うさと重なって見える。

☆ただし、「“栗”とは何か。羽入の論難に対応するヴェーバー側の歴史・社会科学、その“言葉・意味・思想・エートス論”を、それだけ鋭く、鮮明に描き出すことか。そうではない。それは比較的容易で、“火中の栗”ではない。むしろ、羽入による論難の射程を論証することによって、知的誠実性を(ヴェーバー断罪の規準とするほどに)重んずる羽入自身が、疑似問題で“ひとり相撲”をとったと知的に誠実に認め、捲土重来を期して学問の正道に立ち返ることである。批判や抗議であれば、短絡的速断と罵詈雑言ではなく、非の打ちどころのない学問的論証に鍛え上げることである」。注[3]の文献、48-49頁

 断っておくが、危うさとは、折原の主張が説得力に欠けるとか、あるいは論争において折原が危ういなどといったことではない。まるで逆である。これを仮に《勝負》と呼ぶなら、すでにその結果は明らかである。折原は強力である。私が危ういというのは、折原ほどの人物が、タイトルからして際物であることが明らかなこんな著作を、なぜ懸命になって批判しなければならないのかという点にある。

 折原は高名な「ヴェーバー学者」である。したがって、彼による羽入本の批判は、表面だけをとらえるなら、いわば「赤子の手をねじる」ような大人げない行為(もっと悪く言えば権威者による若手の弾圧)に見えることであろう。あるいは、ヴェーバーという「偶像」を破壊する《若き知性》の出現に、業界のボス(すなわち折原)が利権擁護の強迫観念に取りつかれて反応しているというレッテルを貼り付けることもできる。また、折原に対しては、比較的に専門の近い人から「羽入本は反論にも価しないものであり、“自然の淘汰”に委ねればよい」という趣旨の意見も寄せられたそうである。

 羽入本では、ヴェーバーが「犯罪者」「詐欺師」「知的不誠実」と非難されている。仮にこの主張が正しいとするなら、ヴェーバー研究者は「詐欺」の片棒を担ぎ、ヴェーバーの「欺瞞」を世に広めて害毒を流してきた「犯罪加担者」ということになろう。これは、ヴェーバー研究者としては、放置しておいてよい問題ではないというのがまずは折原の立場である[4:29-30頁](☆)。

☆これに対し、たとえば『マックス・ヴェーバー入門』岩波書店(1997)の著者・山之内靖は、「論争にも、また、羽入氏の議論にも、まったく関心がありません」とし、「(いま自分を捉えている)巨大な課題からすれば、所詮はヴェーバー研究者の間で強迫観念的に語られるに過ぎない倫理性だの知的誠実性など、時間を割くにはあまりに小さい問題なのです」と書いている。この応答は「橋本努ホームページ」(上述)のコーナーに掲載されている。

 また、羽入本は、自称「文献学」にもとづく一見緻密な「論証」を多量の自画自賛をまじえて自信たっぷりに展開しており、ヴェーバーの原文あるいは訳文と照合しながら読まない限り、一般の読者は誤導されやすい。したがって折原は、問題点を逐一指摘し、羽入による誤読・錯視・曲解を検証していく作業は、他の「誰にも転嫁できない、優れて専門家の責任とされざるを得ないのではないか」と書いている[4:94頁](☆)。それに、日本の社会および大学の現状は、奇態な主張が「淘汰」されるどころか、「悪貨が良貨を駆逐する」ことをより懸念すべき事態にあると思われる。

☆専門家の責任といっても、別に折原のみが専門家であるわけではない。折原は、「中堅」や「新進気鋭」のヴェーバー研究者たちに「遠回しに反論執筆を促した」が思わしい手応えがなかったことを記して「苦言を呈して」いる。注[4]の文献、25-26頁。

 羽入本のもととなった論文は、東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻の課程において、修士および博士の学位を授与されたとのことである。また、この本は2003年度「山本七平賞」(PHP研究所)を受けている。この賞の選考委員は、加藤寛、竹内靖雄、中西輝政、山折哲雄、養老孟司、江口克彦の6人である。このうち、山折はかつてヴェーバーの論文を訳したことがあるという程度の関わりはあるが、他の5名はヴェーバーに関しては全くの素人である。これらの人々がこの本を絶賛し喝采をおくっている。政治的あるいは商業的意義はともかく、学問的には無責任きわまりないものである(☆)。

☆選考委員の「選評」は『Voice』2004年1月号に掲載されている。ここからは「PHP名士」の退廃を実によく読み取ることができる。これについては、雀部幸隆「学者の良心と学問の作法について―羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』の山本七平賞受賞に想う」『図書新聞』2004年2月21日号および2月28日号参照。この雀部の論文は「橋本努ホームページ」に転載されており、そこで読むことができる。さらに、折原の注[4]の文献、第五章においては、各選考委員の選評が個別に批判され、加えてその全体としての意味が考察されている。

 他者(それも世界的に超著名な学者)を「犯罪者」「詐欺師」「知的不誠実」と批判するなら、それに対する反批判にはあらかじめ相当程度の覚悟と準備があって当然である。ところが、折原が批判を公にしてから2年以上経っても、当の羽入からの反論あるいは弁明はないとのことである。ただ、ある対談に出て[6]、「折原の批判は“営業学者”の“ヒステリック”な“罵詈雑言”に過ぎず、したがって自分はそんなものに答える必要はない」という趣旨を発言している(☆)。知的誠実性を問題にしながら、自分ではそれを放棄しているのである。

☆真正面から批判されてもまともに応えることができない場合、当人あるいは利害関係者が仲間内での対談を設定し、それを公表してお茶を濁したり鬱憤を晴らすというのは、ひょっとしたらよくある手なのかも知れない。私には、たとえば、藤永茂(「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」『世界』1998年1月号)によって批判された村上陽一郎が、後輩筋と思われる相手と対談してグチをこぼしていたこと〔「サイエンス・ウォーズ 問いとしての」『現代思想』26-13(1998)〕が想起される。

 折原は、羽入が学問的討議に応じない以上、彼に学位を授与した東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻の関係者に公開論争を求めると宣言している。私も本件に関する東大倫理学教室の対応には多大なる関心をもって注視したい。

 なお、羽入本を批判した折原の諸著作は、ヴェーバーの「“倫理”論文」(「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の“精神”」)のよき入門書・再入門書となっている。「すぐれた学問体系は論難があってもそれをプラスに転化してしまう」という(たとえば物理学の基本理論にみられるような)特徴が、折原による理論展開においても確認することができる。

 

2.「山本七平」という反倫理

 羽入本が山本七平賞を受けたことは、私には大変意義深いことのように思われる。山本七平(=イザヤ・ベンダサン)はベストセラー『日本人とユダヤ人』(1970)で世に出たが、すでに1972年には本多勝一との公開討論によって[7]、その論理的詭弁とともに、それまで曖昧であったイデオロギー的背景が明らかにされている。

 また、「佐伯/七平論争」という《有益》な記録もある。少なくとも日本においては、ある事柄をめぐっての論争の勝敗が、当事者双方の合意する審判者によって、玉虫色でなく明瞭に判定された例はきわめて稀であろう。山本はそのような論争で敗れた貴重な実例である。

 これは、アメリカ上院の公聴会で用いられた宣誓文の日本語訳に関する論争で、宗教学者・佐伯真光の訳文は誤っていると山本が指摘したことではじまったものである(☆)。論争が継続されるなかで、山本は(おそらく形勢の不利を悟って逃げの手を打つつもりであったと思われるが、)「“ディベート道場主”松本道弘氏にでもレフリーをやってもら」いたいという趣旨を述べた。佐伯はそれを受け、松本にレフリーを依頼したのである。

☆この論争の経過は、佐伯真光「山本七平式詭弁の方法」、本多勝一編『ペンの陰謀』潮出版社(1977)にまとめられている。ただし、山本の側の転載拒否により、山本の文章は含まれていない。山本文の掲載紙誌については調査の上リストされている。

 松本の裁定結果は「勝負あった! 佐伯/七平論争」というタイトルのもとにまとめられている(☆)。松本はまず、ディベートのルールにしたがえば、山本は佐伯に敗れたと結論づける。その第一の理由として、山本のルール違反が上げられる。論争は山本の挑戦からはじまったもので、彼には挙証責任がある。それにも関わらず彼は佐伯からの反論に全く答えていない。松本は山本のこの論争法を「日本的にいえば、きたないし、ディベートの基本原則からすれば、アンエシカル(ルール違反)である」(かっこは原文、また下線は原文における傍点)と指摘する。山本が敗れた第二の理由は論旨のすりかえである。「こういう戦略は、論理が重視されない日本では見過ごされやすいが、実はここに大きな“陥穽”がある」(松本)。第三の理由は山本の議論における客観性の欠如である。山本は「通常」という言葉を用いるが、その裏づけは示されない。「・・・は誤りで、・・・は正式である」というが、その証拠がない。そして松本は、「山本氏はトウフを重ねるごとく、詭弁を弄した形に終ってしまった。残念なことである」と書いている。

☆松本の論文は『人と日本』1997年1月号に掲載されたとのことであるが、私は本多編『ペンの陰謀』(上述)に採録されたものを参照した。

 なお、この佐伯/山本論争の過程で、山本が話しにならぬほど英語の初等的知識に欠けることが暴露されている。たとえば彼は、熟語“not~at all”がわからず、“Do not swear at all.”(いっさい誓うな)という文章において“swear at”という熟語があると主張し、その上わざわざ「swear at all(すべてに誓え)」という訳まで付けている。また、別の個所では、間接話法が理解できずまた祈願文と命令文の違いがわからなかったので、「助けよ、汝を、神よ」といった支離滅裂な訳文まで披露している。これらはこの論争における山本の誤りのほんの一部に過ぎない。佐伯はこの事態に、最初は「半信半疑」だったようである。

 それにしても、山本は何冊もの本を翻訳・出版し(!)、また晩年には「監訳者」というようなエラい立場にもなっていたということを記憶しておく必要がある。これに比較したら、山本七平賞受賞者・羽入辰郎教授が“not A, but B”の構文を“indeed A, but B”の譲歩構文と取り違えた[4:268頁]などというのは、ほんの御愛嬌ということにされてしまうであろう。

 英語の問題ばかりではない。山本の諸著作は事実の誤りと矛盾撞着に満ちている。このひどさは常人の想像を絶するレベルにある。この私の表現に若干なりとも誇張を感じる読者は、たとえば『日本人とユダヤ人』を浅見定雄の批判[8]と対応させてチェックすることをお勧めする。おそらく仰天するはずである。

 山本がタネ本とするのは、ユダヤ学とか聖書学、あるいはきわめて読む人の少ない中国や日本の古典なので、事実(知識)に関する誤りは素人には気づきにくい。ちなみに、浅見は日本では数少ない旧約聖書学・古代イスラエル宗教史の専門家である。しかしながら、原典と照合さえすれば、山本の引用がいかに不正確でゆがめられたものかは、専門家でなくても容易に判定のできるものである。また、仮に原典が入手できなくても、《幸いにして》、山本の文章は矛盾だらけである。これも、注意さえすれば、誰でも容易に見て取ることができる。

 たとえば、浅見は自分の学生に山本の著作の論評を課したところ、彼らの一人はその内容のあまりのデタラメさに憤慨し、その怒りを浅見にぶつけてきた事実を紹介している[8:90-92頁]。私自身も別の例を直接に知っている。ある企業の管理者研修のとき、講師が山本の著作(『人間集団における人望の研究』1983)を教材に指定し予習を義務づけた。もちろんこの講師は、浅見とは違って、この本を名著と判断して採用したのである。しかし、当日になって、研修生たちは、この本の論理矛盾や特殊例を強引に一般化する論法に対し、次々と批判をしたそうである。ただ一人批判に加わらなかった研修生は、あとで、「確かに論旨は支離滅裂かも知れないが、自分はこの本から新しい知識を学んだ」と言ったそうである。実は、その知識が一番のくせものなのである(☆)。

☆あるフレーズなり文がたまたま自分のフィーリングにフィットすると、その真偽や文脈とは関わりなく、作者を愛好するというのは(少なくとも特定の「地域」では)よくあることのようである。この場合、その真偽や文脈を論じ出す人が現れると、「無用な詮索をするもの」として嫌悪の対象となる。

 この山本のような人物がマスコミ界で生き続け、書店では本が平積みされ、著作集を刊行し、めでたく天寿をまっとうされたあとは御名を冠した賞まで出現するというのが羽入事件の背景の一側面である。さきに触れたが、羽入の山本七平賞受賞は、実に順当な出来事であると言うことができるであろう。まさに「類が友を呼ぶ」「時宜的ゲマインシャフト形成」[4:137-139頁]である。

〔以下、3節および4節は省略〕


[1] 羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪―「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』ミネルヴァ書房(2002)。

[2] 折原浩の書評「四疑似問題でひとり相撲」、東京大学経済学会編『季刊経済学論集』69-1(2003)、77-82頁。

[3] 折原浩『ヴェーバー学のすすめ』未來社(2003)。

[4] 折原浩『学問の未来―ヴェーバー学における末人跳梁批判』未来社(2005)。

[5] 折原浩『ヴェーバー学の未来』未來社(2005)。

[6] 「マックス・ヴェーバーは国宝か―“知の巨人”の研究で糊口をしのぐ営業学者に物申す」『Voice』2004年5月号、198-207頁。これについては、雀部幸隆「学者の良心と学問の作法について:語るに落ちる羽入の応答―『Voice 5』誌上羽入-谷沢対談によせて」『図書新聞』2004年6月5日号参照。

[7] 『諸君!』1972年1月~4月号。これは、本多勝一『殺す側の論理』すずさわ書店(1972)に、ベンダサン(山本)の側の議論を含め、採録されている。

[8] 浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』朝日新聞社(1986)。


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