唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

湯川秀樹「中間子」論文(1935年)の序論.ついでに「序論」というものの意味

2024-08-21 | 日記

 ここに紹介するのは,H. Yukawa, “On the Interaction of Elementary Particles. I”, Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan, 17 (1935), pp.48-57の§ 1. Introductionの日本語訳である.

素粒子の相互作用について.I

湯川秀樹

(口頭発表1934年11月17日)

1.序論

 量子論の現段階では素粒子の相互作用の性質についてほとんど何も知られていない.ハイゼンベルクは中性子と陽子との間の「位置交換Platzwechsel」の相互作用を原子核の構造に関して重要と考えた[1]

 最近フェルミは,β崩壊の問題を「ニュートリノ」の仮説にもとづいて扱った[2].この理論によれば,中性子と陽子はニュートリノと電子の一対を放出および吸収することによって相互作用できる.しかしながら,その仮説にもとづいて算出した相互作用エネルギーは,原子核内における中性子および陽子の結合エネルギーを説明するにはあまりに小さい[3]

 この欠点を除去するには,ハイゼンベルクとフェルミの理論を次のように変更することが自然であるように思われる.すなわち,重い粒子の中性子状態から陽子状態への遷移には,つねに軽い粒子,すなわちニュートリノおよび電子の放出が伴うわけではなく,その遷移により解放されるエネルギーはときにはもう一方の重い粒子により吸収され,それによって今度は逆に陽子状態から中性子状態へと転換されると考えるのである.後者の過程が生じる確率が前者のものよりはるかに高ければ,中性子と陽子との間の相互作用はフェルミの場合よりもはるかに大きくなるであろう.これ対し,軽い粒子の放出確率は本質的に影響を受けない.

 さて,そのような素粒子間の相互作用は,荷電粒子の間の相互作用が電磁場により記述されるのと同様に,力の場によって記述できる.上での考察は,この力の場と重い粒子との相互作用は,軽い粒子とそれとの相互作用よりもはるかに大きいことを示している.

 量子論では,電磁場には光子が伴っているように,この力の場には新しい種類の量子が伴っている必要がある.

 本論文では,この力の場とそれに付随する量子の可能な性質について簡単に議論し,またそれらの原子核構造に対する関連を考察する.

 上で述べたような交換力および通常の電気的・磁気的力に加え,素粒子間には他の力も存在する可能性がある.しかしわれわれは後者について当面は無視する.

 より完全な説明は次回の論文でおこなう予定である.

〔唐木田健一訳;「§2.相互作用を記述する場」以下省略〕

 上の序論の中で湯川のいう「“力の場”に伴う粒子」が,「中間子」という「新しい種類の量子」である.

 中間子論における湯川の「偉さ」については,本ブログで南部陽一郎の評価を紹介した.その紹介に伴い,私は理論的探究における首尾一貫性の追求が重要であることを強調し,それは既存の理論を論理的に徹底することに対応すると述べた(☆).

☆「新理論の形成:首尾一貫性の追求,欠如,矛盾,そして弁証法」における「既存の理論の論理的徹底」の項

 既存の理論を論理的に徹底するなかでは「欠如」や「矛盾」といった否定的な要素が現れてくる(☆).これら否定的な要素は《客観的》に「誰の目にも明らか」というものではなく,そこに否定性を発見することで,発見者の個性が明らかになるという性質のものである.

☆上の注でリンクした記事のなかの「矛盾あるいは否定的要素の出現」の項

 中間子論に関して湯川が発見した否定的要素とは,概括的には「量子論の現段階では素粒子の相互作用の性質についてほとんど何も知られていない」ということであり,このことの具体的内容が序論において説明されているのである.序論とはこのように,きわめて重大な意義をもつのである.

 なお,常識的観点から付け加えておけば,序論は先行研究をレビューする場所である.それにより「本研究」の新しさを浮かび上がらせる.現状における「否定的要素」は,(湯川論文のように)そこで表現するのである.

唐木田健一


[1] W. Heisenberg, Zeit f. Phys. 77, 1 (1932); 78, 156 (1932); 80, 587 (1933). 我々はこれらのうち最初のものをIと表記する.

[2] E. Fermi, ibid. 88, 161 (1934).

[3] Ig. Tamm, Nature 133, 981 (1934); D. Iwanenko, ibid. 981 (1934).