唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

知識人としての物理学者へのメッセージ

2023-01-25 | 日記

この記事は桂愛景(けい・よしかげ)氏名義で,「物理学者の社会的責任」サーキュラー『科学・社会・人間』(事務局・白鳥紀一氏)の第11号(1985年1月1日)に掲載されたものです.

唐木田健一

     *

1.科学者の社会的責任

 現代の科学者は,ほとんど例外なく,給与生活者です.つまり,まずダンナがおり,そのダンナの意向を受けることによって雇用され,生活が成立しているわけです.このダンナとその意向は比較的に明確な場合もあればあいまいな場合もあります.前者は,たとえば企業科学者;後者は,たとえば大学科学者です.後者においては自分の給与をあたかもある種の奨学金のように見なしている人もあるぐらいです.しかし,いずれの場合も,各科学者にとってはダンナあるいはその代官が存在し,程度の差はあれ彼(等)によって自己の地位・給与・研究の“資源”を左右されているのです.だから,科学者の社会的責任とは,まずダンナに対する責任です.これを私は科学者の《第一の責任》と呼ぶことにします.かつてある学会の長老が若手科学者に対し,科学者の社会的責任を言う前にりっぱな科学者であれと発言したことがありましたけれど,これは上述の事情を反映したものであり,一面の真理ということができます.

 加えて,科学研究は没頭すればする程おもしろいという欠点をもっています.従って,科学者が給与生活者であるという現代の体制は,少なくとも原理的には,ダンナにとっても科学者にとっても実にハッピーです.科学者は自己の責任を果たすことで生計が立ち,地位が確保でき,おまけにおもしろいことができる;ダンナのほうにとってみれば,科学者は進んで自分の意図を実現してくれるというわけです.

 しかし何と言ってもダンナの概念はあいまいです.企業科学者にとってすらそうです.彼にとってダンナは直接には上司あるいは社長ということになりますが,究極にはお客様すなわち国民であるわけです.そうすると,身近なダンナの意向に沿った自己の研究が究極のダンナの意向に合致するかどうかを考え,あるいは場合によっては両者の矛盾に悩むこともあります.あるいは,科学者は自分が研究の場で獲得した知識と手法をもって世の中の事態を分析し,それに異議を申し立てるということもあり得ます:科学者の知識と手法はいわゆる普遍性をもっているからです.

 科学者のこのような傾向を積極的に受けとめ,それを科学者のもうひとつ別の任務であると考える人々が存在します.この任務を私は科学者の《第二の責任》と呼ぶことにします.本『サーキュラー』で“物理学者の社会的責任”と言う場合,それはこの《第二の責任》に力点がおかれているものと思われます.しかし,この《第二の責任》は科学者=給与生活者の図式からは明らかにはみ出しています.いわば,科学者のブンザイを越えているのです.このように自己の立場をはみ出し,ブンザイを越えようとする人々,これがサルトルの言う知識人[1]なのです.人は単に科学研究をしている限りは知識人ではありません:自己の知識・手法を自己の《第一の責任》の系をはみ出して適用しようとすることにより知識人となるのです.

 

2.人間の在り方

 人間とは本来,何ものでもあらぬものであります.人間は自己を選び・つくることにより何ものかとなります.この選択の過程を総合したものがその人の人柄であり本質です.自己を選び・つくるということは,同時に,世界に対して働きかけることであり,世界をつくることです.人は選ぶことによって世界を引き受け,そしてそれがいかなるものであるかを明らかにします.我々はいままで責任を為すべき任務と考えてきました.しかし,ここにおいてその意味はより一般的かつ具体的となります.すなわち責任とは自己が世界内のある事態・対象のまぎれもない作者(の一人)であることの意識です[2].そして,科学者の《第二の責任》はこれに根拠をもつものであります.

 核兵器が人類に脅威を与えていること,これはひとつの事実です.また,自分が素粒子論の研究をしていること,これもひとつの事実です.このふたつの事実(あるいはその他の事実)が結びつけられ,それに基づいて世界に対してさらなる働きかけをするとき,人はそれによりさらに自己をつくることになります.この事実と事実を結ぶものが,ある著作[3]で「理」と呼ばれたもののひとつの《機能》です.「理」は誰もが《有する》ものですが,かといって誰もが自覚的に把握しているというものではありません.

 先頃,《新左翼系の》弁護士および冤罪者の支援に活躍した弁護士がカクエイの弁護団グループに加わったということで話題になったことがあります.そして,私の乏しい見聞によれば,非難の声が多数を占めていたようです.御当人たちの弁は,まずカクエイ弁護は何ら弁護士の職務に反することではないこと,それどころか弁護士はいかなる被告人であっても弁護するのが任務であること,またカクエイ弁護は職人としての興味があるということのようでした.つまり,その仕事は“sweetでlovelyでbeautiful”ということなのでしょう.これは弁護士として何ら非難の対象となるものではありません.彼等は弁護士の《第一の責任》の枠内にいるのです.ただし,カクエイは過去も現在も権力者です.彼は裁く側の体制をつくった一人であり彼がたまたま裁かれる側に回っているのは権力内部の矛盾によるものにすぎません.また,世間一般から見て,彼は十分な弁護人を雇用できるだけの金と影響力をもっています.となると事態は実に単純です.すなわち,その弁護士はカクエイ弁護団への参加を選択することにより自己を更新したのであり,彼の過去の諸選択とともに総合された「理」の中で,自己がいかなる人物であるかを世間に周知させたということなのです.そして,一部の人による彼への非難は,単に失望感の表明なのです.

 人間の存在構造における責任の概念は,第一次的にはヨノタメ・ヒトノタメに関わるのではありません.それは,たった一度の人生の中で,自己をいかなる人物としてつくるか,あるいはそれと同じことなのですが,いかなる世界をつくるかということに関わるのです.ここにおいて,物理学者(として)の社会的責任などはもはや意味をもちません.そうではなく,物理を選んだ人間が自己の知識と方法を含む「理」に基づき,いかに世界に働きかけるか,すなわちいかに自己をつくるかが問題なのです.

 

3.物理学者と「理」

 科学者の《第二の責任》あるいは知識人としての責任は,上述の議論でも示唆されているように,すぐれて理=論的な問題です[4].そして,私の見解によれば,物理学者は理=論的問題になじみやすい特性をもっているようです.物理学研究ではよく定義された系,極めて一般性のある系について原理的な考察を行います.これは理=論的考え方に関するよき訓練の場です.また私は「理」の変化(“革命”と“革新”)がいかなる過程で生み出されるかの理解を極めて重要と考えていますが,今世紀初頭におけるふたつの種類の物理学革命はそのよきモデルと思われます.現代の物理学者は生れながらそれら革命の洗礼を受けているのです.

 本サーキュラーで小田は“何故,特に物理学者には社会的責任があるか”という問題を提起しています[5].これを私は物理学者の自戒と心意気と解します.物理学者であらぬ私にとって興味があるのは小田の提起したものとは別の次元の問題です: “何故特に物理学者が社会的責任を論じ活動するのか”.と申しますのは,少なくとも日本においては,科学の社会的意味・科学者の社会的責任を論じ・闘う人々の中での物理学者の比率が非常に高いように思われるのです.この事実を,たとえば,1960年代末から70年にかけての日本化学会におけるいくつかの個別の動きと比較したとき,私には両者のちがいは歴然としているように思われます.これは私は,部分的には,物理学と化学の学問としての性質のちがい,あるいは現実における学問の進め方のちがいに起因するとみています.

 以上の私の議論は,もちろん,物理学者総体を擁護するものでも,あるいは物理学研究を正当化するものもありません.繰り返しになりますが,問題はいかなる人間であることを選択するかということにあるのです.このことは,とりわけ理=論的考察の訓練を積んだ人々にとっては厳しい課題であるはずです.そして,私にとって一部の物理学者の行動の中にその反映が見出されるということなのです.

 

4.何のために物理を教えるか

 私は教育とは第一に,それぞれの対象分野での「理」とその展開の仕方を伝達することにあると考えています.このような教育をとりあえず《一般教育》と呼ぶことにしましょう.ここにおいては,細部の知識・技能はあくまで「理」の展開の仕方を例示する手段にすぎません.そして,物理教育とは物=理〔物(モノ)の理〕を通しての「理」の教育ということになります.一方,生徒・学生がある対象分野を志した(とみなされる)場合,彼等に対して施される教育(《専門教育》)は細部の知識と技能の伝達を主体とします.私は《専門教育》が多くの問題をかかえていることを知っています.しかし,以下では《一般教育》を中心に考察をしたい;というのは《専門教育》においては,一応,その目的(“何のために”)が明確であるからです.すなわちそれは,生徒・学生が給与生活者となったとき,自己の《第一の責任》が果たせるようにするための手段です.

 「理」の展開には水平的展開と垂直的展開があります.前者には対象分野内の展開と諸対象分野間の展開がありますし,後者は歴史的過程に関わります.藤田の物理教育プログラムは,私には細部は不明なのですが,物理思想を時代一般の思想にからませ,かつ歴史的な展開をたどっており[6],私にとっては物理を中心とした水平的かつ垂直的な「理」の展開をめざすものとしての関心があります.また,板倉の「仮説実験授業」は生徒なりの「理」をあらかじめ自覚的に適用させて実験結果を予測させ,かつ実験結果によってその「理」を実証させるかあるいは反証させてより一般的な「理」に到達させるという方法です[7].そして,板倉が教育研究者であるとともにすぐれた科学史家であるのは偶然ではありません.

 物理教育における「理」の垂直的展開の重要性について少し付け加えておきます.ある物理理論を学んだとき,その論証手続きのひとつひとつは理解できたが全体としてスッキリしないということがあります.あるいは,ある新しい物理量が出現したときその定義を知りその有用性をいくつか示されれば一応納得ということになりますが,やはりモヤモヤが残るということがあります.このような場合の多くは,理論展開あるいは物理量の必要性は理解できたが,その《必然性》が理解できないのだと思われます.すなわち,何故これらの手続きあるいは物理量であって他では不都合なのか? ある理論展開あるいはある物理量の究極の必然性はその現実の歴史にあります.物理教育において歴史をそのまま構成する必要は全く無いと思いますが,それを考慮しておくことは必要でありましょう.それは,たとえ回り道であっても――あるいは回り道であったとしたらなおさら――人類が実際にたどった道なのですから.

 

5.おわりに

 最初に述べましたように,現代の科学者(そして教員も!)は給与生活者であり,給与生活者としての責任と知識人としての責任の矛盾の中におかれています.同じような事情は,実は教育を受ける側にもあります.いまどき教育を立身出世の手段と考えるのは余り現実的ではありませんが,しかし教育が将来ソンをしないための手段であること,あるいは少なくとも社会で広くそのように信じられていることは未だまちがいがないようです.教育を受ける側では,そのような考えに基づく親および教員の《思いやり》と自己独自の好奇心との矛盾の中におかれます.そして,その矛盾のイライラにおいては親とともに教員もまた加害者であります.さらにこのとき,この教員は一体いかなる人物であるかが生徒・学生のまなざしによって凝視されているのだということも留意されなければならない点です.

(了)


[1] J. P. サルトル/岩崎・平岡・古屋訳「知識人の擁護」『シチュアシオンVIII』人文書院(1974)所収.

[2] J. P. サルトル/松浪訳『存在と無 現象学的存在論の試み』(第三分冊)人文書院(1960),273ページ.

[3] C. F. カールソン/桂訳『戯曲アインシュタインの秘密』サイエンスハウス(1982).

[4] 白鳥紀一「“理論”について」『科学朝日』1983年2月号,102ページ.

[5] 小田稔「自然と文明」『科学・社会・人間』第10号(1984年10月1日),2ページ.

[6] 藤田祐幸「近代合理主義の“成り立ち”と“限界”:文科系教養物理の一つの試み」『科学・社会・人間』第10号(1984年10月1日),10ページ.

[7] たとえば,板倉聖宣「仮説実験授業とは何か:そのなりたちと授業運営法」『科学と方法:科学的認識の成立条件』季節社(1972)所収.


学生・久能整君および弁護士・深山大翔君への連帯を表明する.「真実は人の数だけあるが,事実はただ一つしかない」ということ

2023-01-18 | 日記

 久能整(くのう・ととのう)君および深山大翔(みやま・ひろと)君はもちろん,それぞれ「ミステリと言う勿れ」[1]および「99.9刑事専門弁護士」[2]の主人公です.このことを確認しておいたうえで,最初にちょっとだけ,一見ドラマとは関わりのないように思われる話題に触れます.

 私は先のブログで,「事実の理論依存性theory-ladennessという考えについて.その混乱と危うさ」という記事を掲載しました.「事実の理論依存性」とは,事実は観察する側の理論(一般には思考の枠組み)に依存しているという主張です.この主張によって,「理論の正しさ」および「科学の進歩」という考えに混乱が生じ,結果として「相対性理論はニュートン力学より優れるのかどうか」などという素朴な問いが,あいまいさのうちに,あたかも無意味な議論であるかのように扱われることになりました.

 科学者社会はこんな主張にはまったく影響を受けませんでしたが,科学史および社会学分野の一部では大流行し,いわば一世を風靡しました.いまではその流行は消え去り,すっかり廃(すた)れたものになってしまいましたが,その残滓は見ることができます.たとえば,いまだ「パラダイム」などというカタカナ語を得意そうに振り回す人がいますが,「パラダイム」とはそれによって事実が左右されるという「思考の枠組み」を意味する名称です[3].また,流行は去ったとはいえ,それに乗って騒いだ人々は何ら反省・総括することなく,したがって科学像はゆがめられたままとなっています[4]

 「事実の理論依存性」は,事実の相対化・軽視の風潮を背景として出現し,科学を疑似的舞台として,その風潮を促進したものと私は考えています.現在では,巨大国家の元首が,自分に批判的な報道を「フェイク」呼ばわりし,自身はSNSなどを手段としてフェイク情報をたれ流すような事態になっています.また日本の国会では堂々と虚偽答弁がなされ,またその虚偽答弁に合わせて,諸役所では重要文書の隠蔽・改竄・廃棄が行われました.さらに最近では,重大事件の記録が各地の裁判所で廃棄されているという問題まで発覚しています.事実は理論に依存するのではなく,逆に理論は事実にもとづくのです.したがって,こんな風潮がつづくかぎり,世の中の「理」不尽は増大するばかりです.

 このような風潮のなかで私の出会ったのが,それぞれ久能整君および深山大翔君を主人公とするドラマです.両ドラマでは,「真実は人の数だけあるが,事実はただ一つしかない」という趣旨を前提に,事実の追求が重視されています.そう,問題は事実を追求することの重要性です.事実自体が重要であることは誰もがわかっていることです.だからこそ,フェイク・ニュースが流され,文書の隠蔽・改竄・廃棄が行われるのです.

 学生・久能君は,「真実は一つ」と強弁する相手に対し,次の例をあげます[5].AとBの二人がいたとする.あるとき階段でぶつかって,Bが落ちてケガをした.Bは日頃からAのいじめを受けていて,今回もわざと落とされたと主張する.他方,Aはいじめている認識などまったくなく,遊んでいるつもりでいる.今回もただぶつかっただけと言っている.どちらもウソはついていない.この場合,真実とは何かと問います.久能君の対話の相手は,「そりゃAはいじめてないんだからBの思い込みだけで,ただぶつかって落ちた事故だろう」と言います.久野君はこれに反論します.「真実は一つじゃない/2つや3つでもない/真実は人の数だけあるんですよ」「でも/事実は一つです.起こったことは/この場合はAとBがぶつかってBがケガしたということです/警察が調べるのはそこです.人の真実なんかじゃない/真実とかいうあやふやなものにとらわれるから冤罪事件とか起こすのでは」.――ここでは「事実」の本質がよく表現されています[6].「事実は一つ」というのは,立場によらないという意味です.

 他方(といってもまったく別のドラマの話ではありますが),刑事事件の裁判有罪率が99.9%といわれるなかで,弁護士の深山君は0.1%の可能性を求め,検察側の主張を覆す決定的な事実の追求をします.このドラマで,視聴者に伝えたいテーマとして制作陣に共有されているのは,「100人いれば100通りの真実があるけど,事実はたった一つしかない」[7]ということだそうで,それはドラマのなかでも明確に主張されています.またこの表現は,上の久能君のセリフとまことに気持ちよく一致しています.

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 「事の真相」といわれるものは,一般には多数の事実が集積し論理的に結合された結果,理に適ったものとして獲得されます[8].この獲得されたものが,私のいわゆる「理論」です.この理論を構成する諸事実は,たとえば「AとBが階段でぶつかって,Bが落ちてケガをした」とか「Cはある特定の時間帯に文京区本郷にいた」というようなもので,解釈や価値評価が入らないものです[9]

 これに対し,対立する事実が主張されたとします.たとえば,「Cは同じ特定の時間帯に久留米市の日吉町にいた」ということであれば,どちらが事実であるかを徹底して調査することになります.少なくともどちらかが虚偽なのです.「事実は一つ」なのです.この調査はまったく中立的に行うことができるし,また中立的に行うべきものです.冤罪事件は主としてここがポイントになります.

 真相が明らかになるにつれ,事実といっても,その真相に深く関わる本質的な事実と,非本質的な事実とが明らかになってきます.このとき,非本質的事実にのみ着目し,それが事の真相を表しているかのように主張したとすれば,それは理論(真相)を裏切ることになります.最近しばしば「事実は真実ではない」というような不穏なセリフを耳にしますが,これは「非本質的事実」のことをいっているのです.私がこういう発言を不穏に感じるのは,それが事実の相対化・軽視につながることをおそれるからです.

 「客観的事実」などという表現が用いられることがあります.これは単に,「事実である」ということを強調したものに過ぎません.私自身は,「客観的objective」という単語は「対象(object)に関わる(こと)」という意味でしか使用しません.対象に関わることは,私たちそれぞれにおける「内観」とは異なり,人々が共通して観察・評価が可能です[10]

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 上では久野君の「真実とかいうあやふやなもの」という発言を紹介しました.これについて,大分むかしのことになりますが,本多勝一さん[11]も「真実」という言葉のあいまいさを指摘し,「真実」とは事実または真理をより情緒的に訴えるときに有効な単語である,と結論しています.情緒ということ自体は決して悪いことではないけれど,論理的な世界,論理的な文章のなかで「真実」という言葉を使うのは問題であるというのが本多さんの助言です.

唐木田健一


[1] 原作・田村由美.私はフジテレビの連続ドラマ(2022年1月~3月)として視聴した.

[2] 脚本・宇田学.TBSドラマ(I. 2016年4月~6月,II. 2018年1月~3月).

[3] 本ブログ記事「唐木田健一「出版によせて」,藤永茂『トーマス・クーン解体新書―Undoing Thomas Kuhn』所収」.

[4] 藤永茂「君はトーマス・クーンを知っているか?」.ブログ「私の闇の奥」版あるいは「トーマス・クーン解体新書」版(この記事に関しては両者は同一内容).

[5] コミック『ミステリと言う勿れ』小学館(2018),第1巻42-45ページ.原文におけるルビは省略した.また,原文に句読点はなく,引用文中へのそれらの挿入は私による.また太字による強調も私による.引用文中の「/」は原文におけるコマの転換を表す.

[6] 「真実」という言葉を用いて先の私のブログ記事との関連をいえば,理論依存性があるのは事実ではなく,「真実」のほうということになる.すなわち,「真実」とは事実の解釈のことである.

[7] 深山大翔役・松本潤インタビュー.https://www.tbs.co.jp/999tbs/interview/

[8] 本ブログ記事「倫理的問題の評価において要求される項目」参照.

[9] ある人が価値に関わる発言をしたとしたら,それは「〇〇氏がxxと発言した」という事実として扱われる.

[10] 本ブログ記事「科学的探究とサルトル現象学.《科学的客観性》の意味」参照.

[11] 本多勝一『事実とは何か』未来社(1971),12-19ページ.


正月の男の子の半ズボン

2023-01-11 | 日記

 小学校に上る前のことである.こたつの中で,親戚からもらったばかりの絵本を眺めていた.そこには正月風景があった.女の子は着物をきて羽子板をもち,男の子はコマを回していて,空には凧が上っている.オトナからみればありふれた絵柄ではあるが,当時の私はこれを結構興味深く眺め,そして奇妙なことに気がついた.コマを回している男の子は半ズボン姿なのである.

 当時の私たちの冬の服装といえば,長ズボンとズボン下(ももひき),それにむかしながらの足袋の組合せであった(ただし足袋は,その後急速に靴下に置き変わり,姿を消していったと記憶する).こたつの隣にいる母に聞いてみた.それによれば,「東京は(と母は言ったのであるが)長野にくらべるとずいぶん暖かく,だからおしゃれな男の子は冬でも半ズボンをはいている」とのことであった.

 当時私が住んでいた長野市(あるいは長野県全般)の冬の寒さは格別であった[1].それを背景として,私の中学生時代には,クラスのやんちゃ連中は〈ももひき〉や靴下の着用をカッコ悪いものと認定していた.やせ我慢でイキがったのである.大勢に流れやすい私は,それにしっかり迎合した.ところが,高校では,クラスの秀才たちは「寒さから身を守るのは当然のこと」として,堂々と〈ももひき〉や靴下を着用していた.秀才たちの影響力は絶大で,それにより私はあっさり,やせ我慢をやめた.

 大学生となり東京に住んだ.体操の授業の前の更衣室で,私は同級生のOT君が真冬にも関わらずランニングシャツを着ているのを見て少しおどろいた.彼は静岡県浜松市の出身で,これは温暖な地での子供のころからの習慣によるものであったろう.

 そのおよそ十年後のことである.就職して神奈川県に赴任した.最初に住んだのは南足柄市であった.この年の正月,私は家族(妻・娘・息子)とカルタ遊びをした.このとき突如,子供のときのあの絵本のことを思い出し,同時にわが息子が半ズボン姿であることに気がついた.

2023年1月11日

唐木田健一


[1] 日本および世界の各地で取材活動をした本多勝一さんは,むかしのエッセイで「長野県の冬は世界で一番寒い」という趣旨を書いていたと記憶する.本多さんは長野県の伊那谷の出身であった.もちろん,外気温という尺度によれば,もっと寒いところはいくらでもあるであろう.しかし,たとえば北海道では,厳しい寒さを前提として家とその内部の設備が整えられている.あるいは,カナダのイヌイット(エスキモー)の氷の家の内部はずいぶんと暖かいらしい.これに対し,長野県の伝統的家屋は(日本の他の多くの地域と同様)夏の高温多湿を凌(しの)ぐように作られているため,冬の生活にはまことに厳しい.(当時の)暖房具としては,火鉢とこたつぐらいであった.そのため,こたつに入っていると,ほとんどの人は《ずくなし》となるのである.


「事実の理論依存性theory-ladenness」なる考えについて.その混乱と危うさ

2023-01-04 | 日記

 《科学哲学》という分野には「事実の理論依存性」なる考えがあります.これは「データ(あるいは観察)の理論負荷性theory-ladenness」などと呼ばれることもあります.その内容を簡単に要約すれば,事実(あるいはデータ)[1]は観察する側の理論(一般には思考の枠組み)に依存していると主張するものです.これにより,いわゆる科学論分野では,さまざまな混乱が生じました.

 事実が理論に依存するのであれば,事実は理論に対して中立ではありません.したがって,対立する複数の理論があった場合,事実にもとづいては,それら理論間の裁定はできないということになります.また,科学は歴史的に,理論が変化することによって説明可能な事実が増大し,蓄積的に進歩してきたと考えられていました.しかし,事実が理論に依存するのであれば,理論の変化によって事実の蓄積性は成立しないということになります.こうして,「理論の正しさ」および「科学の進歩」という考えに疑問が付せられたのです.また関連して,「通約(共約)不可能性incommensurability」などという考えも生じてきました.すなわち,対立する理論間は言葉が通じ合わず,その優劣の判定はできないということです.これにより,たとえば「相対性理論はニュートン力学より優れるのかどうか」などという素朴な問いが,あいまいさのうちに,あたかも無意味な議論であるかのように扱われました.

 この「事実の理論依存性」という考えを,ある文献[2]にもとづいて,少し具体的に紹介してみましょう.十八世紀のヨーロッパでは,燃焼に関するフロギストン理論という説が流行しました.この理論によれば,物が燃えるということは,その物の中に含まれる燃焼物質(フロギストン)が離脱することです.そこで,錆びた金属〔これも燃焼の結果と認められていました〕は,フロギストンが離脱したものと考えられます.それでは,錆びた金属と錆びる前の金属とではどちらが重いのでしょうか[3].現在の私たちにとって,燃焼とは酸化現象ですから,空中の酸素と化合して錆びた金属は,錆びる前よりも重いと考えられます.実際,錆びた金属のほうが重いという報告は,フロギストン理論より以前から存在しました.これはフロギストン理論を決定的に反証する「事実」のように思われます.しかしそれは,現在の私たちが酸化理論を共有しているためです.他方,フロギストン理論を共有する人々は,その「事実」を次のように見ていました.すなわち,フロギストンは「軽さ」(負の質量)をもっている.錆びた金属ではそれが離脱したので重くなったのである.――現在の私たちにとってはこじつけとしか思えないこの説明は,「フロギストン理論を共有する共同体のなかでは充分説得的であり,かつ客観的であったのです」.

 以上が,引用した文献の著者による「事実の理論依存性」に関する説明です.ここには基本的な混乱があります.「事実の解釈」が「事実」と混同されているのです.「事実」と「事実の解釈」は当然区別されるべきものです.そして,「事実の解釈」が理論に依存することなど,敢えて説明をする必要もない論理的に自明のことです.それでは燃焼に関わる「事実」とは何か.それは「金属は錆びると質量が増加する」ということです.この事実は,フロギストン理論においても酸化理論においても変わりありません.変わるのはその解釈なのです.事実は理論に依存しません.あるいは,逆に表現すると,理論に依存しないのが事実なのです

 一例をあげましょう.光電効果の実験結果(事実)は量子力学の確立するはるか以前に古典物理学の枠内で確立され,かつ解釈が困難な現象として知られていました.この実験結果が,アインシュタインの光量子仮説を通じて,量子力学の確立へと結びついたのです.量子力学においても光電効果の事実には何ら変わりはありません.ただその現象の解釈が可能になったというだけです.

     *

 以前に発表した私の論文[4]では,測定には理論が関わっているということを述べました[5].それは,測定対象である物理量の意味は,理論的に定義されるということの指摘です.ここで仮にその理論的枠組みに変化が生じたとしても,測定された量は新しい理論的枠組みにおいてデータとして評価することが可能です.さかのぼって考えてみれば,ニュートン力学の枠内で測定された距離や時間は,現在の私たちにとっても,データとしてそのままの意味をもっています.実際,現在においても,距離や時間に関する日常のほとんどの測定は,ニュートン力学の枠内で行われています.これらのデータを現在の理論的枠組みで評価したいのであれば,相対性理論にもとづいて,その測定の含む系統誤差の評価をすることになります.ただし,その大きさは,もとの測定値に与えられた/想定された誤差に比して,無視できるでしょう.

 私はまた同じ論文において,事実の発見には理論あるいは先入観が重要な作用をすることがあることを述べました[6].これは事実の発見に際して重要であるということであって,発見された事実がその後の理論によって変化するということではありません.たとえば,ケプラーは正多面体による宇宙の調和というすさまじい《先入観》から出発しましたが,彼の発見した諸法則は,ニュートン理論においても,さらには現代においても,法則(事実)として何ら変わらぬ意義を有しているのです.

 なお,科学理論の変化における断絶と進歩についての私の見解は,たとえば本ブログ記事「An Answer to Prof. S. Watanabe’s Paper titled “Needed: A Historico-Dynamical View of Theory Change”」およびその日本語版「渡辺慧教授の論文“求む:理論変化の歴史的・動的見解”に答える」に発表しています[7]

☆2023年10月追記:「事実」についての関連記事としては,本ブログ「学生・久能整君および弁護士・深山大翔君への連帯を表明する」参照.

唐木田健一


[1] 私は理論に関わる事実を「データ」と呼ぶことにしているが,ここでは,あとで引用する文献の表現に合わせ,データを含めて事実と称することにする.

[2] 村上陽一郎『新しい科学論――「事実」は理論をたおせるか』講談社(1979),186-189ページ.

[3] これについては下の注7も参照.

[4] 本ブログでは,「定量的科学におけるあいまいさについての考察」参照.

[5] 測定には一般に理論が関わる.ただし,測定法が確立されており,またそれが科学者間で共通に用いられている場合には,とくに理論は意識されない.

[6] これは,ハンソンが引用した「ある人は老パリジェンヌを見るだろうし,ある人はロートレック風の若い女性を見るだろう」というひとつの絵柄に関わる問題である.N. R. Hanson, Patterns of Discovery/村上陽一郎訳『科学的発見のパターン』講談社(1986),26-27ページ.

[7] 私の「理論変化の理論」の観点から上のフロギストン理論をざっと眺めてみる.木,紙,油脂などほとんどの可燃物は燃えると大部分が消失し,残った灰はもとの物質よりもはるかに軽い.他方,フロギストン理論を確立したシュタール(G. E. Stahl, 1660-1734)は,(燃焼の結果)錆びた金属はもとの金属よりも重いことを知っていた.フロギストンには正の質量と負の質量の二種があるのだろうか.これはシュタールも,またその後継者も説明できない困難な点であった.I. Asimov, A Short History of Chemistry/玉虫文一・竹内敬人訳『化学の歴史』河出書房新社(1967),62-63ページ.