唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

責任と自由:柄谷行人『倫理21』の観点

2021-06-25 | 日記

ここに掲載するのは,「物理学者の社会的責任」サーキュラー『科学・社会・人間』2000年4号(通算69号)に発表されたものである.なお,文章中へのリンクの挿入は本ブログによる.

唐木田健一

 

1.はじめに

 私は先に,「日本社会の反倫理性と科学論の問題」と題する小論を本サーキュラーに投稿した[1].そこでは,日本社会においては時間軸に沿っての「理」の整合の追求がなおざりにされがちであること,そして時間軸に沿っての整合には断絶と継続の双方が同時に関わっているということを述べた.

 原稿を事務局に送付したあと私はたまたま,柄谷行人氏の『倫理21』[2]を読む機会を得た.そして,その内容が私の関心と大きく重なることを見出した.私などより,著名な批評家の議論のほうが,はるかに説得力があろう.そこで,その内容をここに御紹介することとした.なお,この柄谷氏の本は,彼のものとしては珍しく(!)読みやすく,また議論も大変広範なので,皆様にも御一読をお勧めしたい.

 

2.自由

 柄谷は,責任を考える上での前提として,自由な主体の存在をあげる.自由な主体に対してでなければ責任を問うことはできない.では,自由とは何か? 「自由とは,他に原因がなく純粋に自発的・自律的である」ことである.しかし,本当に自由な行為や自由な主体は存在しない.我々は,自由に振る舞っているつもりでも,「実際は,さまざまな教育や宣伝などで刷り込まれた欲望を満たしているだけ」である.「原因に規定されていない行為や主体はない」(8-9頁).構造主義者のいう通り,主体とは構造的に強いられたものである.しかし,それにも関わらず,自由な主体は存在するのであって,「それは倫理的な次元で,他者への応答response=責任responsibilityにおいてのみ立ち現れる」(10頁).それは,カントのいう「自由であれ」という至上命令に従うことにおいてのみ存在する(9頁).

 「自由であれ」は,他者をも自由な主体として扱うことを含む.カントのいうように,「他者を手段としてのみならず同時に目的(自由な主体)として扱え」が普遍的な道徳律なのである(9頁).ここでは「手段としてのみならず」の部分が重要である.大正時代にカントが流行したとき,それは「手段としてでなく」と読まれた.そんなことを実行するのは不可能である.だからカントは,昭和になってマルクス主義が隆盛すると,軽蔑されるようになった.しかし,それはカントの言葉を理解していなかったからに過ぎない(117-8頁).

 柄谷はこれに関連して,日本社会に特有と思われる出来事を取り上げる.それは「親の責任」という問題である.1972年の連合赤軍事件のとき,赤軍の人たちの親が「世間」から責められ,その中の一人が自殺をした.柄谷は,自殺に追いやった「世間」にも,そして自殺した親にも腹を立てる(16-8頁).まず,親に責任はない.そして,子供が「責任を取りうる(自由な)主体であることをあくまで認めようとする」(33頁)なら,こんなとき親は絶対に自殺などすべきではない.

 事件に絡み世間が異様に激しく親(や家族)の責任を追求するというパターンは,その後の「幼女殺人のM君の事件」(89年)や「神戸の中学生の事件」(「少年Aの事件」,97年)まで続いている.日本社会は少しも変わっていないのである(19頁).

 

3.原因と責任

 さまざまな事件の原因を追求していくと,親,学校,環境,現代社会などに遡及する.そこで,親や学校が非難されたり責められたりすることになる.その一方,親や学校や環境のせいということになれば個人の責任が問えないとして怒り出す人々も現れる.このどちらの態度も適切ではないであろう.原因の追求は重要であるが,それは責任を問うこととは別である(40頁).原因を知ることは認識の問題であり,責任を問うことは実践(倫理)の問題である(53頁).

 Aという原因は,Bという結果があったときに,遡及的に見出されるものである.それは自然科学における因果関係とは異なる.一定の原因があれば同じ結果になるというものではない.AはBを規定しない.たとえば,フロイトはある動物愛護者を分析して,以前に動物虐待者であったことを見出した.このことは,いま動物虐待者である子供が将来動物愛護者になるということを意味しない(42頁).これはアルチュセールが「構造論的因果性」と呼んだものである(43頁).Bという結果があっても,Aの責任は問えないのである.

 とはいえ,原因の追求が無意味であるということにはならない.徹底した原因の認識というのは意味のある責任の取り方のひとつである(78頁).スピノザは自由意志を否定し,認識(しようとする意志)のみが自由であると考えた.これは,いわば認識することが「倫理(エティカ)」ということになる(56-7頁).あるいは,柄谷は,次の漱石の言葉を引用する(79-80頁).

 元来私はかう云ふ考へを有つて居ます.泥棒をして懲役にされた者,人殺をして絞首台に臨んだもの─法律上罪になると云ふのは徳義上の罪であるから公に処刑せらるゝのであるけれども,其罪を犯した人間が,自分の心の経路を有りの儘に現はすことが出来たならば,さうして其儘を人にインプツスする事が出来たならば,総ての罪悪と云ふものはないと思ふ.総て成立しないと思ふ.夫をしか思はせるに一番宜いものは,有りの儘を有りの儘に書いた小説,良く出来た小説です.有りの儘を有りの儘に書き得る人があれば,其人は如何なる意味から見ても悪いと云ふことを行つたにせよ,有りの儘を有りの儘に隠しもせず漏らしもせず描き得たならば,其人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る.法律には触れます懲役にはなります.けれども其人の罪は,其人の描いた物で十分に清められるものだと思ふ.(「模倣と独立」)

自己の行動の過程を徹底的に検証し認識すること,─それは自己弁護とは全く別のものである(79頁).

 

4.未来の他者と死者としての他者

 20世紀の後半になって,産業資本主義の発展が,自然史的にみて,決定的な限界に直面していることが明瞭になってきた.グローバルな環境破壊,エネルギー・食糧不足などが差し迫っている.破局を体験するのは未来の他者である.倫理学者はこれを新たな問題ととらえ,「環境倫理学」が成立した.しかし,これは本当に「新しい」問題なのであろうか.それはすでにカントの批判の中に含まれていたものである(121頁).我々が現在の「幸福」を享受するために未来の他者にそのツケを回すとしたら,それは彼らを目的としてではなく単に手段として扱っていることになる(189頁).それは非倫理的である.

 また,20世紀の終わりにかけて,世界史の見直しが始まっている.アウシュビッツはなかったとか,南京大虐殺はなかったとかいう責任を消去する方向でのリヴィジョニズムだけではない.ポストコロニアリズム,フェミニズム,ゲイ理論などがその現れである.何か新たな地点に達するとき我々は過去を見直す.それは死者との関係の変化であるといってもよい.その場合,死者は変わらない.我々が変わるのである.というより,死者そのものが初めて我々の前に出てくるのである(178-9頁).

 文芸作品においても,そのような見直しは急激に行われている.たとえば,漱石の「満韓ところどころ」という紀行文には帝国主義的な差別的言辞があふれている.ただし,それによって,直ちに漱石がだめな作家ということになるわけではない.我々が当たり前に思っていることでも傷つき悩む人たちがいる.そして,それを知った上でも読み直せるような作品が「古典」といわれるものである.古典といえど絶えず再評価の試練に遭うし,またそれを通してのみ古典であり得る.その意味で過去は少しも完了していない.いいかえれば,過去の「他者」と我々との関係は完了していないのである(179-81頁).

 このように,死者や未来の人間との関係はコミュニケーション理論において基礎的なものである.しかし,それは常に忘れられている(114頁).

 

5.「倫=理」との関係

 ここで,柄谷の主張を,私のいう「倫=理」(注[1]の文献)と関係づけておきたい.それが本稿の主たる目的である.

 私にとって倫理とは《倫=理》,すなわち「人間関係〔倫〕におけるコトワリ〔理〕」のことである.すなわち,他者の存在が前提である.これは柄谷が,自由な主体は「倫理的な次元で,他者への応答response=責任responsibilityにおいてのみ立ち現れる」としたことと対応する.〔責任を「応答可能性」から考えるというのはデリダの観点を採用したもののようである(202頁).〕

 また,私は「倫=理」における「理」については,時間軸に沿っての整合と時間軸断面での整合に分けて議論することが有用であり,特に日本社会では時間軸に沿っての整合の追求がなおざりにされがちであることを指摘した.柄谷は死者や未来の他者への応答の問題を述べたが,これは明らかに私と同じ意図にもとづくものと思われる.

 私はこれまで,理論変化〔いわゆる「パラダイム転換」〕における新旧二つの理論の関係や「倫=理」における時間軸上での整合の問題に関し,「のりこえ」〔「半通約不可能性」〕なる概念を提起してきた.のりこえには二つの水準AとBが関与する.そして,そこにおいて,AからBへは断絶しているが,BにおいてはAが理解できるというものである.柄谷はアルチュセールの「構造論的因果性」を引用し,Bという結果があったときのみAという原因が遡及的に見出されるが,AはBを規定しないと議論している.これは,私のいう「のりこえ」の構造そのものである.

 私はこのようにして柄谷と私の関心が大きく重なることを確認した.そして,この一致は単なる偶然ではないようである.私はこれまでサルトルから非常に多くを学んできたが,『倫理21』における柄谷もサルトルへの肯定的評価を明確に表明しているのである.

 

6.サルトルの位置

 柄谷によれば,自由に関してカントの考えを受け継いでいるのは『存在と無』の時期のサルトルである.サルトルは構造主義者に批判されたけれども,デカルト的主体や自由意志を主張したのではない.カントが自由を義務と見たのに対し,サルトルは「人間は自由という刑に処せられている」といったのである(63頁).

 サルトルは過去から現在に及ぶフランスの植民地主義を批判した.これは第二次大戦中レジスタンスを果敢に闘ったフランス共産党もやらなかったことである.

 自らを被害者としてでなく加害者として見る思想家は,フランスでは,サルトルだけでした.だから,戦前・戦中世代にとって,サルトルが面白くない存在だったのは当然です.それは,彼らに「政治的責任」を思い出させるからです.旧世代にとって,ハイデガー的存在論であれ,レヴィ=ストロース的人類学であれ,ラカン的精神分析であれ,人間は主体ではない,責任などとれない存在なのだというようなことをいう思想家がありがたかったのです.・・・・・〔中略〕フランス人の過去を問う態度は消滅し,フランスこそヨーロッパの理性と自由を代表する国だというような言説が支配的になっていきました.それに対して異議を唱えたのは,デリダやドゥルーズですが,彼らは結局,サルトル亡き後に,かつてサルトルが果たした役割を自ら果たそうとしたのです.しかし,彼らはフランスでは極めて少数派です.だから,日本の知識人がサルトルを「死んだ犬」として馬鹿にするのは,根本的まちがっているのです(172-3頁).

フランスでは,このような状況のなか,自己欺瞞的で凡庸な「新哲学者」らが登場したのである(209頁).

 

7.おわりに

 本稿では全く触れなかったが,『倫理21』においてさらに読者の興味を引きそうな議論としては,「戦争における天皇の刑事的責任」(第九章)および「非転向共産党員の『政治的責任』」(第十章)の二つがある.また,本書は今年の2月に刊行されたものであるが,それに先立って1月には柄谷の編著による『可能なるコミュニズム』[3]が発表されている.こちらの本の方も,この資本主義社会にどう対応していくべきか途方にくれていた私に,希望への足掛かりを与えてくれたということを付記しておきたい.

             (00.04.23)


[1] 唐木田「日本社会の反倫理性と科学論の問題」『科学・社会・人間』73号(2000),3-6頁.

[2] 柄谷行人『倫理21』平凡社(2000).以下,本稿本文における「(○○頁)」は,本書からの引用頁を示す.

[3] 柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』太田出版(2000).


An Answer to Prof. S. Watanabe’s Paper titled “NEEDED: A Historico-Dynamical View of Theory Change”

2021-06-22 | 日記

Up until now, I have published papers and books on the theory of “theory change” in science, all of which were written in Japanese.  Here, I will present to English readers an outline of my theory on the basis of a part of my paper appeared in KAGAKUSHI (History of Chemistry), 1988, pp.185-190.

Ken-ichi KARAKIDA

2021年8月13日追記:この記事の日本語訳は8月4日付の当ブログ(”渡辺慧教授の論文「求む:理論変化の歴史的・動的見解」に答える”)に掲載しました。

 

1. INTRODUCTION

Prof. Satosi Watanabe published a paper[1] having a title “Needed: A Historico-Dynamical View of Theory Change”, where he criticized the most authors who had been discussing the problem of theory change.  He chose mainly Thomas S. Kuhn[2] as the target of his criticism, but he added that many of his objections could be addressed equally well to some other authors, including some of Kuhn’s critics.  According to Watanabe, the disputants seem to have had forgotten that they have been discussing the actual theory changes in history.  He, then, specified four separate, but interrelated, complaints about the discussions of the subject.

 

2. Watanabe’s Four Points

(1) One-wayness of Change

Kuhn’s theory does not reflect any trace of one-wayness of history.  When A and B are two successive theories, the most important aspect of the relation of A to B: f(A,B) should be characterized by its asymmetry: f(A,B)≠f(B,A).  Any theory which does not take seriously this asymmetry does not reserve the name of a historical study of theory change.  Kuhn compares theories A and B as if the two were just alternatives of equal validity.  Although he abruptly introduced the idea of progress in the last chapter of his book, this caused a direct contradiction to what he preached in the preceding chapters.

(2) Change and Continuity

Kuhn claims that successive theories are incommensurable. He compares two theories, new and old, to two languages and stresses that languages are basically untranslatable.  However, in spite of what philosophers of language and linguists may say, the existing human languages are mutually translatable to a degree that is perfectly useful in ordinary human life.  If we force the analogies of languages to consecutive theories in science, they should not be compared to, say, Hopi and English, but to adult’s English and child’s English.  The language of children is translatable into that of adults, but not vice versa.  Similarly, the language of Newtonian mechanics is perfectly understandable in, and derivable from, the language of Einsteinian mechanics, but not vice versa.

(3) Dynamics of Change

Kuhn emphasizes the role of anomaly or crisis that causes the scientific revolutions.  However, if one follows his line of thought, one cannot explain why sometimes a scientific revolution (theory change) happens without actually some empirical facts being discovered to be in conflict with the old theory.  In addition, he is completely silent about the influence of external factors on the production of crises and in some cases also on the concept formation.  These defects reveal that Kuhn’s theory lacks a basic historico-dynamical understanding of the process of theory development.

(4) Uniqueness of Theory

Kuhnians believe that there are many alternative theories possible to cover the same field of experience.  However, those who face the actual history of science with intellectual honesty discover that in reality the one theory which has been adopted by history is practically the only theory possible.  For instance, given the domain of mechanics usually covered by special relativity, can anybody produce an alternative theory?  The Kuhnian theory cannot cope with this simple historical fact.

 

3. About the Scheme of Theory Change AB

In the scheme of theory change A→B, where B is a new-born theory, it should be noted that theory A can mean a combination of existing theories as well as an existing theory.  About the Copernican revolution, theory A is a Ptolemaic system, i.e., typical A→B.  In the case of special relativity, Einstein combined Newtonian mechanics (Galilei transformation) with Maxwell’s electromagnetic theory in order to study “the electrodynamics of moving bodies”.  As the result, Newtonian mechanics underwent significant change, while Maxwell’s theory remained unchanged.  The problem of black body radiation, which finally generated quantum mechanics, needed various disciplines including thermodynamics, statistical mechanics, wave theory, electromagnetics, etc. as well as Newtonian mechanics.  The establishment of quantum mechanics brought great changes on all of those disciplines.

 

4. Newly Proposed Theory of Theory Change

A key factor of theory change A→B is internal contradictions (inconsistencies) found in theory A.  That is, new theory B is generated by surpassing the contradictions in theory A.  In other words, being different from the claim of Kuhn, A and B are not two competing theories, but B comes from A.

Copernicus was induced to his system by the knowledge that Mathematicians (Ptolemaic astronomers) are inconsistent in the investigations[3].  In the case of special relativity, Einstein found the “asymmetry” (inconsistency) in the theoretical interpretation of Maxwell’s electromagnetics when it was applied to moving bodies.  The wave-particle duality (contradiction) is well-known in the establishment process of quantum mechanics.

Observed data contribute to the theory change only when they bring about contradictions in the theory through some theoretical treatment.  Einstein’s theoretical interpretation on the photoelectric effect (“the light quantum hypothesis”) caused contradictions in existing theories.  In contrast, the anomaly of perihelion precession of Mercury was known since mid-19th century, and general relativity (1915) of Einstein revealed that the phenomenon was beyond the scope of Newtonian mechanics, but the anomaly itself didn’t cause the theory change.

 

5. Relation between Theories A and B: “Semi-incommensurability”

The theory change is a jump from A to B, and

(a) Theory A constitute a framework of the jump.  However,

(b) Theory B can never be deduced from nor reduced to theory A.  On the other hand,

(c) The real significance of Theory A is first given by theory B as the ultimate significance of Newtonian mechanics was first comprehended in the light of special relativity and quantum mechanics.

I call this relation “semi-incommensurability”, i.e., there is a logical gap from A to B, but A can be understood with B.

I derived the above relation from the study of the theory change in science.  However, afterwards I found that the relation is equivalent to the structure of Project (Pro=jet in French) of Jean-Paul Sartre[4].  I found further that the relation is also exactly the same with “life’s irreducible structure” of Michael Polanyi[5].  Thus, the relation “semi-incommensurability” between A and B has more general significance than initially considered.

 

6. An Answer to Watanabe

The relation of “semi-incommensurability” answers to both points of “(1) One-wayness” and “(2) Change and Continuity” of Watanabe (see section 2).  That is, there is a logical gap from A to B, but A can be understood with B.  This also means that the relation of A to B is characterized by its asymmetry.

The reason why sometimes a scientific revolution happens without actually some empirical facts being discovered to be in conflict with the old theory〔the point of “(3) Dynamics of Change”〕 is explained in section 4 in the case of special relativity as an example.  Einstein found the contradiction theoretically.

According to my theory, a key factor of theory change A→B is internal contradictions found in theory A.  Therefore, the discoverer who contributed to the theory change belonged to the old theoretical framework.  This explains the dynamics of change.  A theory change is a theoretical problem, and the biggest theoretical problem for a theory is the presence of its internal contradictions, which is serious especially for the person who is deeply committed to the theory.  In addition, a fundamental contradiction has the nature of becoming more and more obvious in the trials to resolve it.  This motivates the change of the theory.

The influence of external factors is essentially understandable in Sartre’s structure of Project (the pyramid of a hierarchized multiplicity of significations).  However, I don’t discuss it further here.

As for “(4) Uniqueness of Theory”, if there were two independent theories possible to cover the same field of experience, it only means that contradictions are present in the theoretical field which should be surpassed.

 

7. Concluding Remarks

From my point of view, although there are no a priori criteria for the evaluation of theories, the “asymmetry” between the theories A and B or the progress in the theory can be recognized.  In the process of history, we have no “objective marks” which assure us of the correctness of our choice, but the result of the choice is significant.  According to the concept of Project, a person is defined by his/her choice in the situation.  This is also the focus point of our research on science history.

 

K. Karakida’s Publications on Theory Change (in Japanese)

Papers:

KAGAKU-KISORON-KENKYU, 16, No.3 (1983), pp.17-21.

KAGAKUSHI, 1985, pp.186-192; 1988, pp.185-190; 16 (1989), pp.49-54; 27 (2000), pp.169-175; 28 (2001), pp.171-174; 31, (2004), pp.215-224.

Books:

Riron no Sôzô to Sôzô no Riron, AsakuraShoten (1995).

K. Nishimura et al. ed., Bunsûga dekinai Daigakusei, TôyôkeizaishinpôSha (1999), pp.37-58; ChikumaShobô (2010), pp.61-85.


[1] S. Watanabe, Synthese, 32 (1975), pp.113-134.

[2] T. S. Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions, The University of Chicago Press (1962, 1970, 1996).

[3] The Preface of Copernicus’ De Revolutionibus Orbium Caelestium (1543).  See also K. Itakura, Kagaku to Hôhô, KisetsuSha (1969), pp.81-133 (in Japanese).

[4] J.-P. Sartre, Critique de la raison dialectique (pécédé de Question de méthode), Tome I, chapter III, Librairie Gallimard (1960).

[5] M. Polanyi, Knowing and Being (ed. by M. Grene), The University of Chicago Press (1969), 14.


ヘーゲル弁証法のエッセンス

2021-06-14 | 日記

矛盾と革命

20世紀物理学革命を導いたのは、特定の課題を解くため、ニュートン力学を含む既存の諸理論を統合したときに生じる矛盾でした。新理論は、それを解決するための試行錯誤の結果、誕生したのです。「矛盾」→「革命」ということで、ここでは「弁証法」と呼ばれる過程が作用したのではないかと思われます。しかし、弁証法とは何でしょうか。

「弁証法の正しい理解と認識はきわめて重要である。それは現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原理である。また弁証法はあらゆる真の学的認識の魂である。〔中略〕―弁証法は哲学においてけっして新しいものではない。古代の哲学者のうちでは、プラトンが弁証法の創始者と呼ばれているが、これは、プラトン哲学においてはじめて弁証法が自由な学問的な形をとって、したがって客観的な形をとってあらわれているかぎり、正しい。ソクラテスにおいては弁証法は、かれの哲学的思索の一般的な性格と一致して、なお主として主観的な形態、すなわちエイロネイア〔反語法〕の形態を持っている。ソクラテスはまずその弁証法を普通の意識一般に向け、次に特にソフィストたちに向けた。かれはその会話において常に、問題になっている事柄をもっとよく教えてほしいようなふりをし、そしてその事柄について色々な質問をあびせることによって、相手をかれが最初正しいと思っていたものとは反対のものへ導いた。例えばソフィストたちが自分を教師と称していると、ソクラテスは次々と質問をあびせて、ソフィストであるプロタゴラスをして、あらゆる学習は想起にすぎないことを認めざるをえなくしたのである。―プラトンは、そのより厳密に学問的な対話において、弁証法を用いてあらゆる固定した悟性規定の有限性を示している。かくして例えば「パルメニデス」において、かれは一から多を導き出しながら、しかも多が一として自己を規定せざるをえないことを示している。プラトンはこのような偉大な仕方で弁証法を取扱ったのである〔後略〕」[1](下線は引用訳文の傍点、〔 〕内は引用者による挿入)。

弁証法(Dialektik〔独〕、dialectic〔英〕)はこのように古代から知られていますが、現代の私たちへの影響は、主としてヘーゲル(1770-1831)に由来するものでしょう。そのヘーゲルは次のように語っています(実は、上の長い引用文のつづきです):

「―近世では弁証法を復活し、それにふさわしい地位を新しく与えたのは、特にカントであった。かれは〔中略〕理性のアンチノミー(☆)と呼んでいるものの考究によってそれをなしたのであって、理性のアンチノミーにおいて問題となるのは、色々な理由にもとづいてああ考えたりこう考えたりすることでもなければ、単に主観的な行為でもなく、どんな悟性規定でも、それをその真の姿において考察しさえすれば、直接にその反対物に転化することを示すことである。―さて、悟性がどんなに弁証法に反抗しようと、弁証法は単に哲学的意識にたいしてのみ存在するものとみることはできない。ここで問題となっているような事柄は、哲学以外のあらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見出されるものである。われわれの周囲にあるすべてのものは弁証法の実例とみることができる〔後略〕」。

☆カントのアンチノミーとは、たとえば、「世界は時間的な始まりをもち、また空間的にも限界を有する」という正命題と、「世界は時間的な始まりをもたないし、また空間的にも限界をもたない。すなわち世界は時間的にも空間的にも無限である」という反対命題がともに成立することをいう。カントが『純粋理性批判』で示したアンチノミーは4組ある.

カントにおいて矛盾は、理性がそれを越ええないという否定的な意味をもっていました。これに対してヘーゲルは矛盾を、自分自身をのりこえるものとして、肯定的な統一の一契機という意味で認めようとしました[2]

 

真理は全体である

ヘーゲル弁証法における基本的な考えは、「真理は全体であり、全体とはみずからの展開を通じて、みずからを完成する実在である」というものです[3]。ここで具体的な全体は、一挙にまとまって与えられるものではありません。したがって、思考がある原則を述べても、それは常に真理の一面(部分)に過ぎません。そのため、その原則に対しては、それとは異なった/それとは対立する原則が生じることになります。これは真理が前進するときの展開なのですが、そこに矛盾だけをみてしまうのが普通です。しかしヘーゲルは、次のことを注意します。植物においては、つぼみは花が咲くと消えてしまう。また、花からは果実が生じる。つぼみ、花、および果実は互いに異なっているだけでなく、互いに相容れないものとして斥け合います。しかしこれらは流動的であって、有機的統一の契機となり、この統一においては互いに対抗しないばかりか、一方は他方と同様に必然的です。この必然性によって初めて、生命という全体が成立します(☆)。

☆このヘーゲルによる説明は、たとえ話と解したほうがよいと思われる。とくに、たまたま「つぼみ」、「花」、「果実」の三つ組が登場するので具合がわるい。それらをいわゆる、「正」-「反」-「合」、あるいは「定立」-「反定立」-「総合」に強引にあてはめて満足するのは、教条主義的弁証法の始まりである。なお、生命は弁証法そのものであるから、この話の弁証法的含意までを否定してしまうのは行き過ぎである。

真理は全体なのだとすると、それは個別の原則(や原理)では表現できません。それは学として、すなわち体系としてのみ現実的であり、また表現することができます。原則といわれるものは、たとえそれが真であっても、単に原則にとどまるかぎり、すでにそのことによって真ではありません。原則に反駁することは容易です。その欠点(欠けるところ)を示すだけで済みます。原則に欠点があるのは、それが単に始まりであるに過ぎないからです。もし、この原則に対する反駁に根拠があるとすれば、それがもとの原則そのものに由来し展開されている場合です。原則と対立した断言や思いつきによって、そとから立てられる場合ではありません。反駁は本来、原則の展開であり、したがって原則の欠点を補うものとなります。

真理は全体であり、それはみずからの展開を通じて、みずからを完成します。このことは、真理は主体(主観)としても理解し表現できることを意味します。真理とは自己自身が生成することであり、みずからの終わりを目的として前提し、そこから始めて、それを実現する過程と終わりとによってのみ現実的であるような円環です(☆)。哲学の場合はとくに、事柄そのものは目的もしくは最終の結果の中に完全な本質となって表現されるかのように考えられており、それに比べて実現の過程は本質的でないように誤解されがちなのですが、事柄は目的の中で汲み尽くされるものではなく、その実現の中で汲み尽くされるものであり、また結果は現実の全体ではなく、全体の生成と一緒になるとき現実の全体となるとヘーゲルはいいます。

☆「円環」というのは、同じ過程を繰り返すということである。ただし、終わり(Ende、目的)が新しい始まりとなるので、この始まりは先の始まりよりも内容豊かである。すなわち、「目的」→(それを実現するための)「過程」→「終わり」=(新しい)「目的」→・・・である。

 

ヘーゲルの特技

ヘーゲルの伝記作者ローゼンクランツ(1805-1879)は、次のように書いています[4]

「〔前略〕真の批評は生産的な再生産とならざるを得ないのであって、これは作品に外部から賞賛や非難をくっつけるのではなくて、作品をして自分自身の性格を語らせるものなのである。

ゲーテツェルターとの往復書簡の中で認めているように、ヘーゲルはこういう性格描写にすばらしく精通していた。彼自身の言葉に従うと、彼は『論敵の陣営に身を置く』すべを知っていて、この論敵をそれ自身を通して反駁し、敵が全然いないところでは、攻撃したり、あくまで自分の正当さを主張することはなかったが、このような能力を用いて、ヘーゲルは他人の意見をきわめて鮮やかにありのままに描くことができた。これはひとつの天賦の才であるが、すでに以前にも述べたように、うっかりした読者が、ヘーゲルを読む場合に、彼によって批判されている相手の説を彼がただ述べているだけの個所と彼自身の見解を述べている個所とをしばしば看過して混同することがあるが、そのかぎりでは、この才能は彼にとって厄介なものとなったわけである」。

文中のゲーテとはあのゲーテ(1749-1832)のことであり、またツェルター(1758-1832)は指揮者であって、ゲーテやシラーの詩の作曲家としても知られています。

「論敵の陣営に身を置く」というのはヘーゲル自身の言葉のようですが、これはまさにヘーゲルがソクラテスの弁証法について記述した内容(本ブログ記事の冒頭)と同じ性格のものです。弁証法は「あらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見いだされるもの」ですが、ヘーゲルはそれを日常的かつ自覚的に運用していたということを示しています。この彼の「天賦の才」は、思想の諸断片を統一する力、および内部矛盾の存在に対する感度によるものと思われます。

 

弁証法の実践

論敵の陣営に身を置くには、まずは相手の思想の諸断片の統一化(大げさな表現では、体系化)がなされなければなりません。この統一化が徹底すれば、ここから相手のまだ考えてもいなかったことが導出できます。これは、数学の体系からさまざまな定理や系が導出できるのと同じです。またときには、統一化において矛盾が見出されることもあります。これは、相手の思想の断片が、それと対立する断片を生じていることを意味します。この矛盾は、論理的な思考によって見出されるというよりは、統一化の過程で或る種の不安定感を覚え、それを反省的に考察した結果見出されるといったものです。

思想に矛盾が見出されても、そのあとの選択は弁証法が決定してくれるわけではありません。その矛盾は、試行錯誤によって、主体的にのりこえられなければなりません。他方、論敵の立場に身を置き、相手の思想が首尾一貫していることが見出されたとすれば、そのときには自分のほうが主体的な変化を(自分自身によって)強いられることになるでしょう。

弁証法は日常的なものであり、それは「あらゆる意識およびあらゆる経験のうちにすでに見いだされるもの」です。また、社会的諸矛盾も絶えることはありません。しかし、弁証法を把握するには、自覚的な体系的思考が必要です。そうでなければ、矛盾といっても、「あれはあれ、これはこれ」、すなわち外的な差異とのみ受けとられ、のりこえるための努力には結びつきません。

ということは、弁証法は結局、体系的思考に欠けた人には通用しないということなのでしょうか。取りあえずは、そうなのでありましょう。ソクラテスは結局、「神々を否定し、青年たちに悪影響を及ぼす」とのとがで刑死しました。しかし、彼の思想はいまだ生きいきと私たちに伝わっています。それに、現実は矛盾を原動力として展開します。したがって問題は、この展開に自覚的に関与するか、それとも無自覚に流されていくかにあると思われます。

〔以上は、唐木田健一『現代科学を背景として哲人たちに学ぶ』の三章の一部にもとづく〕


[1] G. W. F. Hegel, Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaft im Grundrisse (1830). 日本語版としては、樫山欽四郎訳『ヘーゲル エンチュクロペディー』河出書房新社(1968)および松村一人訳『小論理学』(『エンチュクロペディー』のうちの「論理学」部分)岩波書店(1951)を参照した。松村訳には「補遺」が含まれている。この補遺はヘーゲルによる講義の筆記録であるが、ヘーゲル自身が直接に執筆したものではない。以下、あらためて注のあるまでは,この『小論理学』からの引用である。なお、ここでの引用は、『小論理学』、81節(補遺I)松村訳。

[2] K. Rosenkranz, Georg Wilhelm Friedrich Hegel’s Leben (1844). 中埜肇訳『ヘーゲル伝』みすず書房(1983)、p.253。以下で本書を引用する際は、単に『ヘーゲル伝』とのみ記し、日本語版のページを示す。

[3] G. W. F. Hegel, Phänomenologie des Geistes (1807). ラッソン編第三版、p.21。本書の日本語版『精神現象学』としては、金子武蔵訳(岩波書店)、樫山欽四郎訳(河出書房新社)、長谷川宏訳(作品社)、牧野紀之訳(未知谷)がある。

[4]『ヘーゲル伝』、p.155。引用文中の下線は、この日本語版における傍点である。


事実と価値

2021-06-12 | 日記

事実とは「これこれである」と表現されるものです.他方,「これこれであるべき」ということは価値と呼ばれます.事実だけから価値を導くことはできません.「これこれである」という表現だけをいかに組み合わせて論理展開しても,「これこれであるべき」という表現を導き出すことはできません.

アインシュタインは「科学と宗教」という講演(1939,およびのちに論文)の中で次のように述べています[1]

・・・・・このような客観的知識を求める熱望は人間として望みうる最高の望みに属しており,みなさんもこの分野で人間のあげた成果やその英雄的努力を私が軽く見たいと思っているのではないかと疑われるようなことはおそらくないでしょう.それにしてもやはり,これこれであるということは,これこれであるべきだということへ直通する入口を開くものではないということも同様に明らかなことです.人はこれこれであるということについての最も明快かつ最も完全な知識をもつことはできても,何がわれわれ人間の願望の目標であるべきかということをそれから導き出してくることはできないのです.客観的な知識はある種の目的を達成するための強力な道具をわれわれに供給してくれますが,究極的な目標自体およびそれに到達しようとする憧れは他の源泉から生まれてこなければなりません.〔中略〕

しかし,目標や倫理的判断の形成の際に知的な思考がなんらの役割も果たしえないものと仮定してはなりません.ある目的を達成するのにある種の手段が有効であると誰かが悟れば,その手段そのものが一つの目的になります.(下線は原文における強調)

ここでアインシュタインは,客観的知識―これは科学的知識のことで,上で述べた「事実」に属します―の分野は非常に成果があがっているけれども,そこから何をなすべきか―これは上で述べた「価値」に属します―を導き出すことはできないということを主張しています.価値は「他の源泉から生まれてこなければなりません」.

まとめれば,「物質の原理」(物理や化学の法則―アインシュタインのいう「客観的知識」)はもっぱら事実に関わります.他方,価値は目的と一体であって,それは「他の源泉」,すなわち「生命の原理」に由来します.

目的をもつのは人間独特のことだと考えられていることが多いのですが,目的は全生物に共通―生物はそのさまざまな水準において合目的―なのです.人間は,進化の結果として,それを独特な仕方で担っているのです.

事実と価値は断絶しています.しかし,上のアインシュタインの言葉には留意が必要です.すなわち,ある目的(価値)が共有されるなら,その手段としての事実は目的に代わるものとなります.たとえば,「裏切者は仲間から排除されるべきである」という価値の命題が当然のこととして共有されているとき,「彼は裏切者である」という事実の命題は,明らかに価値的含意を有します.すなわち,そこからは「彼は仲間から排除されるべきである」という命題が引き出されます.

〔以上は,唐木田健一『生命論』の5の一部にもとづく〕


[1] 湯川秀樹監修/中村誠太郎・井上健訳編『アインシュタイン選集 3』共立出版(1972).


マイケル・ポラニーの暗黙知

2021-06-11 | 日記

電気ショック

ポラニーはある実験結果(Lazarus and McCleary, 1949)を紹介します[1]。実験者は多数の無意味な文字のつづりを被験者に示しました。そして、ある特定のつづりを示したあとでは、被験者に電気ショックを与えました。被験者はまもなく、その特定の「ショックつづり」が示されると、ショックを予期する兆候を示すようになりました。しかし、どのようなつづりのときショックを予期するのかと尋ねても、それには答えられませんでした。すなわち被験者は、いつショックが来るのかを知るようにはなったのですが、どのようにして予期するのかを語ることはできませんでした。

これと類似した現象は、別の実験者たちが報告しています(Eriksen and Kuethe, 1956)。ここでは、ある「ショック単語」に関連した言葉を被験者が口にしたとき、いつも電気ショックを与えました。まもなく被験者は、そのような言葉を口にすることを避けることによって、ショックを免れるようになりました。しかし、被験者に尋ねても、自分がそのようなことをしていることは知らないようでした。すなわち被験者は、ショックを免れるための実際的な方法を知るようにはなったのですが、その方法を語ることはできませんでした。

これらの実験からポラニーは、「人は語ることができるよりも多くを知ることができる」ということ、およびそれが具体的にはどういうことなのかを説明しています。この「知ってはいるが語ることはできない知識」が、彼のいう「暗黙知」です。

☆ジークムント・フロイトは『精神分析学入門』の中で、神経症患者について「(被験者は)自分が知っているということを知らない」と表現している。これと暗黙知との対応は注目すべきことであろう。なおポラニーは注の中で、実験の報告者(Eriksen and Kuethe)が被験者のショック回避行動を「防衛的メカニズム」と呼び、「フロイトの観念」に関係づけたことを記している。他方、ポラニー自身は、回避行動を「閾下(いきか)知覚subception」の過程の一種として紹介し、ここに関与しているのは無意識的あるいは前意識的感知(unconscious or preconscious awareness)ではないこと強調している。私の見解によれば、これはフロイトの発見した諸現象との関係を否定しているのではなく、そもそもフロイトの発見した現象は「無意識」と呼ばれるべきものではない(「それはどんな度合いの意識をももつことができる」)ことを主張しているのである。

 

暗黙知の基本構造

これらの実験から、暗黙知の基本構造をみることができます。暗黙知は常に、二つの項目を含んでいます。ショックつづりやショック関連語が第一の項であり、電気ショックが第二の項です。これら二つの項目の結合は、被験者にとって暗黙的です。すなわち、知ってはいるが語ることはできません。それは被験者が、電気ショックに関心を集中させているためです。このとき被験者は、ショックを示唆する諸細目(つづりや言葉)(☆)を手がかりにします。すなわち、電気ショックに注目するという目的において、これら諸細目について感知していることを手段にするのです。

☆「諸細目(particulars)」はポラニーの特徴的な用語の一つである。諸細目とは、まずは諸要素の集合体と考えればよい。つづりは文字の集合体である。言葉は、音節(あるいは単語)の集合体である。この集合体を能動的に統合し、或るものとして認知することが、知識成立の基礎となる。なお、この諸細目の統合体が、すぐあとに出てくる「包括的存在」である。これは、「多様(諸要素)の総合的統一」と呼ばれるものにあたる。

繰り返せば、電気ショック(第二項)がそれとして知られるのは、それ自身が注目されているからです。他方、ショックを示唆する諸細目(第一項)のほうは、それらが電気ショックに対する手がかりになる、ということで知られるに過ぎない。そのため、それら諸細目についての知識は暗黙的になるのです。

ポラニーは、第一項(手がかり)を近接項、そして第二項(注目する対象)を遠隔項と名づけます。この「遠-近」の意味については、のちに明らかになるでしょう。ここで暗黙知というのは、近接項についての知識を意味します。

 

包括的存在

同様の関係は、特殊な実験においてのみでなく、日常においても、さまざまな形で見出すことができます。たとえば、私はある人の顔を知っています。そしてそれを千、あるいは一万もの顔と区別して認知することができます。この場合私は、顔に注目するため、その諸部分(目、鼻、口、などの諸細目)についての感知に依拠します。私たちは通常、ほとんど瞬時に顔を識別できます。しかし、どのようにして識別するのかを語ることはできません。

特定の技能の実行においても、私たちはさまざまな筋肉活動の集合を内的に感知し、それに依拠しています。筋肉の個々の要素的な諸活動を手がかりとして、それら諸活動が共通にめざしている目的の実現に注目するのです。

暗黙知とは、二つの項目の協力によって構成される或る包括的な存在を理解することです。その場合、近接項は包括的存在の諸細目であり、他方、その包括的存在の全体としての意味が遠隔項です。すなわち、私たちが包括的存在を把握できるのは、包括的存在の諸細目について感知していることに依拠し、包括的存在の諸細目全体の意味に注目することによってです(☆)。

☆先の電気ショックの実験における包括的存在とは、ショックに直結したつづりや言葉のことである。それらは電気ショックを意味する。これは多数の顔の中から特定の顔を認知することと同じである。すなわち、多数の文字のつづりや言葉の中からショックつづりやショック単語を識別するのである。

ここでの考察で明らかなように、ここでの遠隔項と近接項は、「非還元的層構造」における上層と下層に対応します。近接項を手がかりとして遠隔項に着目することで、近接項の意味が理解できるのです。

 

ほとんど気づかれない近接項

電気ショックの実験においては、被験者は電気ショックに注目しつつ、同時に「ショックつづり」を目にし、また「ショック単語」を口にし、耳にしていました。すなわち、近接項は知覚されていました。これに対し、近接項が、それ自体としては、ほとんど気づかれない場合もあります。

生理学者たちによってずっと以前から明らかにされていたことですが、私たちが対象を見る仕方は、身体内のある活動、それも自分自身としては感じることのできない活動についての感知により決定されています。すなわち、身体の内部で進行していることを、注目する対象の位置や大きさ、形、運動として感知しているのです。言い換えれば、私たちは身体内のこれら諸過程に依拠し、外部の対象の諸性質に注目しているのです。

ポラニーはこれに関連し、さらに別の実験報告(Hefferline et. al, 1959/1961/1963)を紹介します。筋肉の自発的けいれんで、当人には感じられないが、その作用電流を増幅することによって、外部からは観察できるものがあります。ここで被験者に不快な雑音を聞かせておき、このけいれんが起きたときはいつも、その雑音を止めるようにしておきます。そうすると被験者は、けいれんが起こる回数を増し、それによって雑音の発生を大幅に抑えることができました。暗黙知はここでは、制御することも、感じることすらもできない内的活動に作用しているのをみることができます。この実験結果は、外部の対象の認識において、身体内部の意識下の過程(subliminal process)を手がかりとして感知することに対応しています。

 

身体

知的であろうと実践的であろうと、外界についての私たちのすべての知識にとって、その究極の道具は身体です。外部の事物に注目するためにはいつも、私たちは対象としての事物と自分の身体との接触についての感知に依拠しています。自分の身体は、通常決して対象としては経験されない世界で唯一のものです。他方、世界に関するすべての経験は常に、その身体に依拠して注目されます(☆)。自分の身体が外部のものではなく、自分の身体として感じるのは、身体をこのように知的に活用しているためです。

☆確かに、対象としての自分の身体というものも存在する。たとえば、私は自分の手を見ることができる。しかしそれは,「対象として構成された私の身体」であり、世界内の諸対象を認識するために作動しつつある私の身体ではない。

遠隔項は注目の対象であり、近接項はその手がかりです。手がかりは概して、目的の対象よりも手近にあります。これがポラニーによる「遠-近」の名称の由来です。本質的には、近接項は私の身体であり、それはいわば私に最も近い。他方、注目の対象(遠隔項)は外部の存在です(☆)。

☆電気ショックはもちろん、外部の現象である。それは、ある感触を与える布地が外部の対象であることと同じである。

 

サルトル(そして漱石)との関係

サルトルにおける意識は「定立的意識」と「非定立的意識」の組から成りますが、これはポラニーにおける「知覚の遠隔項」(注目の対象)と「知覚の近接項」(手がかり)の組にそのまま対応します。すなわち,知覚の近接項は、私のいう「背景的意識」なのです。また、知覚の近接項は本質的には身体に結びつけられましたが、これは(本ブログでの議論はまだですが)サルトルの「非定立的意識」が彼のいう「対自=身体」と一つのものであることに対応します。

ついでながら触れておきますと、夏目漱石は『文学論』[2](1907)の中で「文学的内容の形式」は(F+f)であることを述べ、Fは焦点的印象または概念、またfはこれに付着する情緒を意味する、としています。これも私のみるところ、サルトルおよびポラニーとまさしく同じ内容になります。

〔以上は,唐木田健一『現代科学を背景として哲人たちに学ぶ』の八章の一部にもとづく〕


[1] 以下の内容は、M. Polanyi, Tacit Dimension (1966)による。 日本語版としては、佐藤敬三訳『暗黙知の次元』紀伊國屋書店(1980)および高橋勇夫訳『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫(2003)がある。

[2] 夏目漱石『文学論(一)』講談社学術文庫(1979)。