報道によれば,5月22日,袴田巌さんの再審(☆)において被害者遺族の意見陳述がおこなわれ,「この事件で尊い4人の命が奪われたことをどうか忘れないでほしい」という趣旨を検察官が読みあげたとのことである.この事件の裁判で遺族の意見陳述が行われたのは初めてだそうである.これに関連して私が思い起こしたのは,先立つ判決が覆され,被告人に無罪が言い渡されたときにしばしば耳にする「あいつがやったんでなければ,一体だれがやったんだ」という被害者関係者や地域の人から発せられる《声》である.
☆本ブログ記事では「『デコちゃんが行く――袴田ひで子物語』を読みましたか?」参照.
被告人に無罪が言い渡されたということは,(ほとんどの場合)真犯人が野放しになっていることを意味する.袴田さんが被告人となっている事件は,一家4人が刺殺された強盗・殺人・放火事件である.このような凶悪犯が野放しになっているのは恐ろしく,また許し難い事態である.しかし,「あいつがやったんでなければ,一体だれがやったんだ」という声は真犯人追及を求めるものではなく,単に無罪判決および被告人への不審の表明である.今回の被害者遺族の意見陳述も,検察は同様な効果を狙ったもののように思われる.これは世論に対して(また裁判員裁判の場合は裁判員に対しても)影響を与えるものとしてきわめて不適切であると思われる.裁判は検察と被告人/弁護人が証拠にもとづいて弁論を闘わせるべき場のはずである.
検察が直接には関与していないとしても,ほかにも同様な問題がある.それは被害者の個人情報がしきりと報道されることである.事件に直接かかわる事実関係などは報道に理由があるのかも知れない.他方,とくに殺人事件の場合など,「夢を抱いて努力していた被害者の将来が無残にも断たれてしまった」という趣旨がさまざまな角度から繰り返し報道される.こんな報道を被害者遺族がよろこんでいるとはとても思えないし,それ以前にネタ取りのため遺族のもとに殺到する報道陣など言語に絶する迷惑でしかないであろう.そして,被害者に関する報道は,被疑者/被告人に対する世論の悪印象を増大させていくのである.繰り返すが,裁判は検察と被告人/弁護人が証拠にもとづいて弁論を闘わせるべき場のはずである.
とくに私の印象に残っているのは,死者を発生させた交通事故の被告人が非常に重要な問題を提起しているにも関わらず,検察対被告人というよりも,被害者遺族対被告人の構図がつくられてしまい,圧倒的な世論のもと,被告人の主張があっさりとかき消されてしまったことである.
最近の報道によれば,NPO法人「大阪被害者支援アドボカシーセンター」が酒井智恵・肇夫妻との共同で「メディア対応リーフレット」を作成した.酒井さん夫妻は,2001年の「池田小学校事件」で当時7歳の長女を亡くした犯罪被害者である.事件当時,夫妻は殺到する報道陣の傍若無人の振舞いに憎悪を覚えたそうである.このリーフレットの表紙には,「メディア対応で困っていませんか」と記載されている.他方,リーフレットにはメディアと接触することによるメリットも記載されており,それらは,より正確な報道をさせることができる,情報が得られる,要望を社会に届けることによって場合によっては法律や制度の改正に結びつけることができる,などだそうである.そうするとこのリーフレットは,「被害者支援」という以上に,マスコミにその本来の使命を思い起こさせるメリットがあるようである.
唐木田健一
時 でしょうね~
ビューロクラティック オ─ガニゼ─ション パソロジスト
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