唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

芳香族性,あるいは「プベルル酸」の化学構造の美しさ

2024-09-25 | 日記

 最近,厚生労働省は,小林製薬の紅麹サプリによる腎障害の原因物質を「プベルル酸」と特定した.

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 化学を学んだ人の多くは,ベンゼンC6H6が特異な構造の物質であるとの印象をもっているであろう.ベンゼンにおいては,6つの炭素原子Cは環状に結合して正六角形を構成する.そして,その正六角形の外側では水素原子Hが各炭素原子に結合し,全体として正六角形のもつ対称性が保たれている.以下では,ベンゼンの化学構造の特異性を,簡略化して説明しよう.

 炭素の「結合手」の数(「原子価」)は4である.したがって炭素は,たとえば4個の水素(原子価1)と結合し,メタンCH4を形成する.ベンゼンにおいては,炭素の結合手の1つは水素と結合している.また各炭素は,隣接する2つの炭素原子とは,それぞれ1つおよび2つの結合手で結ばれており,したがって環状をなす6個の炭素の間には,単結合および二重結合が交互に存在することになる.これは,提唱者(Friedrich August Kekulé von Stradonitz, 1829-1896)の名にちなんで,「ケクレ構造」と呼ばれている.

 さてここで,隣接する2つの炭素原子の一組に着目し,それぞれに結合する水素をメチル基CH3で置き換えたとしよう.こういう化合物は「オルト-キシレン」という名で知られている.ケクレ構造によれば,メチル基の付いた炭素の原子間は,単結合と二重結合の2種があるはずである.すなわち,オルト-キシレンは2種存在するはずである.しかしながら,この2つは単離することができず,そこでオルト-キシレンは1種類しかない(「異性体」は存在しない)ことが結論された.しかし,これはケクレ構造と矛盾する.そこで提案されたのは,ケクレ構造では単結合と二重結合が入れ替わった構造どうしが,すばやく相互転換しているという考えであった.すなわち,ベンゼンにおける炭素-炭素結合はすべて等価であり,それらは単結合でも二重結合でもないということである.

 20世紀に入って展開された量子化学によれば,ベンゼンにおいては,炭素の結合手(4つ)のうちの3つは互いに混じり合い(「sp2混成」),平面状で互いに120°の角度をなす3つの結合手を構成する.このうちの1つは水素と結合し,また他の2つは隣接する炭素原子と結合する.残った1つの結合手は,他の3つの結合手が構成する平面に対し,垂直方向(の上下)に分布する.ベンゼンを構成する6つの炭素原子上に存在するこの垂直方向の結合手は互いに強く相互作用し(π結合),隣接原子間に局在することなく,全分子中に分布する.これが「ベンゼンにおける炭素-炭素結合はすべて等価であり,それらは単結合でも二重結合でもないということ」の量子化学的内容である.

 ベンゼンの環は非常に安定であり,化学反応を受けにくい.このような性質は「芳香族性」と呼ばれる.「芳香族」という名称は,芳香油の成分がベンゼンに由来することによる.芳香族化合物はベンゼン(およびその誘導体)以外にも存在する(「非ベンゼン系芳香族化合物」).環を構成する原子数は6とは限らない.また,環に炭素以外の原子が入る場合もある.さらには,複数のベンゼン環がそれぞれベンゼンの構造を保って結合している「縮環構造」という化合物もある.私は学部時代,芳香族化合物の反応性,物理化学的性質,量子化学的扱いについて非常に興味を覚え,私の個人的探究テーマの一つとした(☆).

☆唐木田『1968年には何があったのか』批評社(2004),60頁(「八 科学の革命」).

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 最近,厚生労働省は,小林製薬の紅麹サプリによる腎障害の原因物質を「プベルル酸」と特定した.プベルル酸は以前からも疑われていた.私は「酸というけれどいかなる酸なのか」とその構造を検索し,その美しさにおどろいた.これは「トロポノイド」,すなわちトロポロン系化合物であった.トロポロンは,7つの炭素原子からなる環で構成される代表的な非ベンゼン系芳香族化合物である.環を構成する一つの炭素に酸素原子Oが結合し,その隣接する炭素には水酸基OHが結合しているという構造である.

 プベルル酸では,環の外の水素の1つがカルボキシル基COOHで置き換えられ,これが「酸」であることを示している.このカルボキシル基が結合した炭素に1という位置番号を与え,時計回りに順番に7までの番号を振ると,5の位置の炭素には酸素が,そして3,4,6の炭素には水酸基OHが結合している.これがプベルル酸の化学構造である.ズサンな企業が害をなしたとしても,プベルル酸が貶(おとし)められる必要はない.

 なお,ついでながら,すぐれた抗菌作用等で知られるヒノキチオールもトロポロン系化合物である.これは野副鐵男がタイワンヒノキの成分から発見したもの(1936年)である.野副はその母体物質(トロポロン)の構造を決定し,「非ベンゼン系芳香族化学」という新しい分野の誕生に貢献したのである.

唐木田健一


「幸福な家族はみなよく似ており,不幸な家族はそれぞれに不幸である」(トルストイ)のだろうか?

2024-09-18 | 日記

 トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」は,「幸福な家族はみなよく似ている;不幸な家族はそれぞれに不幸である」(☆)というよく知られた文章で始まっている.これは私にとって非常に印象的な指摘であった.しかし,この言葉とともに世を経るにつれ,実際は逆ではないかと思うようになった.家族における不幸は実にありきたりである.貧困,病(やまい),不和(離婚),等である.他方,家族における幸福はそれぞれに多様であるように見える.

☆Constance Garnettの英訳にもとづく.

 先の本ブログに引用した文献(☆)でも同様な議論があったのでここに紹介しておく.これはロザリンド・フランクリンが育った家庭についての記述である.

☆Anne Sayre, Rosalind Franklin & DNA (1975)/深町真理子訳『ロザリンド・フランクリンとDNA:ぬすまれた栄光』草思社(1979).下の引用文は本書26ページ上段.また,本ブログ記事「DNAの構造の発見とロザリンド・フランクリン」参照.

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「幸福な家庭はどれも似かよっている」という興味深い一文で『アンナ・カレーニナ』を書きだしたトルストイは,残念ながらまちがっていたと言えよう.経験がその逆を立証しているからだ.人間の不幸は,くりかえしほんの幾通りかのかたちをとってあらわれるにすぎない.それにひきかえ,人間の幸福に寄与するものはじつにまちまちであり,幸福な家庭は,それぞれに精密な描写が必要なのである.ロザリンドを生んだ家庭は,幸福な結婚生活の模範であり,理想の家庭の見本でもあった.そしてそれがどちらの点でも揺るがなかったことは,すべての証拠から明らかなのである.〔引用終了〕

唐木田健一


イムレ・ラカトシュによる諸家の「科学論」批判

2024-09-11 | 日記

 先の本ブログにおいてはラカトシュが提案する「科学的研究プログラムの方法論」(☆)の混乱ぶりを見ました.他方,ラカトシュは同時に諸家による「理論評価の理論」の批判もしており,これについてはその意義を認め,ここに紹介します.

☆I. Lakatos, The Methodology of Scientific Research Programmes (1978)/村上陽一郎・井山弘幸・小林傳司・横山輝雄訳『方法の擁護』新曜社(1986).以下の本文における〔〇〇頁〕は本書日本語版での頁を示す.

唐木田健一

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 帰納主義者の基準によれば,ある理論の他の理論に対する優位性は事実との整合によって与えられる.コペルニクスの仮説の優位性は正確な天文学的観察との対応により説明できるものだったのだろうか? 残念ながら,現在においてはコペルニクスの理論は,プトレマイオス天動説と同様,観察結果とは不整合であったことが認められている〔249頁〕.

 反証主義者の科学哲学においては理論の優位性は反証可能性の大きさによって評価できる.反証可能性こそが科学と形而上学とを境界づけるものである(☆).彼らはコペルニクス理論は反証可能であるが,プトレマイオスの理論は基本的に反証不可能であったとする.なぜなら,プトレマイオスの体系は多数の円の組合せによって天体の運行を記述するものであり,このやり方ではいかなる事実でも説明できてしまうように考えられるからである.しかしながら,それはフーリエ級数の発見以降につくられた神話である.それに,コペルニクスの体系もまた周転円をいくつも使わねばならなかったことを忘れてはならない(250-251頁).

☆反証主義者によれば,反証可能性が高いほどすぐれた理論なのである.また,《形而上学》は基本的に反証可能性をもたないとされる.K. R. Popper, The Logic of Scientific Discovery (1959);大内義一・森博訳『科学的発見の論理(上)(下)』恒星社厚生閣(1971).反証主義に対する私の見解は,本ブログ記事「“単称言明”はいかにして“普遍言明”となるのか.カール・ポパー“反証主義”の浅はかさについて」.

 別の反証主義者によれば両理論とも反証可能であったとされる.そして,のちの決定的実験によって,一方が験証され他方が反証されたのである.決定的実験として挙げられるのはガリレイによる金星の満ち欠けの発見(1616年)である.しかし,これを決定的というには,当時まだコペルニクス説は余りに多くの変則事例をかかえていたのである.あるいは,1616年当時は,ティコ・ブラーエの天動説が知られていた.それに対するコペルニクス説の優位が験証された時期を反証主義者に問えば,その答えはなんとベッセルにより恒星の年周視差が発見された1838年なのである.科学者共同体全体による地球中心天文学の放棄が1838年以降になって初めて合理的に擁護できるという反証主義者の見解など到底支持することはできない〔251-252頁〕.

 コペルニクス理論の優位性はその比類なく美しい単純性にあるという主張がある.しかしそれも神話にすぎない.コペルニクス理論は確かにいくつかの問題をプトレマイオス理論よりも単純なやり方で解いたが,その代償として,他の問題の解き方は予想以上に複雑となったのである.コペルニクス理論とプトレマイオス理論の単純性はおよそ同等と考えるのがよいと思われる〔254-255頁〕.

 クーンによれば,どちらの体系を選ぶかは趣味の問題にすぎない.また,ファイヤアーベントによれば,それは形而上学的信念の問題なのである.彼らによれば,一方の体系の他方に対する優位性についての合理的基準はないのである〔259-262頁〕.

[了]


イムレ・ラカトシュ「科学的研究プログラムの方法論」の混乱を見る

2024-09-04 | 日記

科学的研究プログラムの方法論

 科学理論の評価/あるいは対立する複数の理論間の優劣の判定に関し,ラカトシュ(Imre Lakatos)は,すでに提案されている諸家の理論を批判し,「科学的研究プログラムの方法論」なる考えを提案する(☆).研究プログラムとは発展しつつある理論の系列のことである.理論評価の単位はこの系列なのであって,孤立して取り出された仮説あるいはその結合体ではない.

☆I. Lakatos, The Methodology of Scientific Research Programmes (1978)/村上陽一郎・井山弘幸・小林傳司・横山輝雄訳『方法の擁護』新曜社(1986).以下の本文における〔〇〇頁〕は本書日本語版での頁を示す.なお,ラカトシュによる諸理論の批判については本ブログにおいて別に掲載の予定である(→「イムレ・ラカトシュによる諸家の”科学論”批判」).

 研究プログラムは「堅い核」と「防御帯」から成る構造を有する.ニュートンの研究プログラムを例にとれば,前者には三つの運動方程式や重力の法則が含まれ,また後者には大気中における光の屈折の理論をはじめとする膨大な補助仮説の群が含まれる.研究プログラムに対する変則事例が出現した場合,それは通常,堅い核に対する反駁とは見なされず,防御帯の中の仮説を修正することによって対応がなされる〔262-263頁〕.

 研究プログラムは前進的かそれとも退行的かによって評価される.個々の修正によって新たな予測が導出された場合,そのプログラムは理論的に前進的であるといわれる.また,その予測のいくつかが験証された場合,そのプログラムは経験的にも前進的なのである.自分のプログラムを適当に調節することによって所与の変則事例を処理することは常に容易である.この場合,その処理によって変則事例とは別に新たな事実を予測できるのでなければ,そのプログラムは退行的なのである〔263-264頁〕.

 ラカトシュは以上の枠組みに基づき,プトレマイオスとコペルニクスの二つの対抗するプログラムを評価する.

 

ラカトシュの分析によるコペルニクス研究プログラムの優位性

 プトレマイオスの研究プログラムもコペルニクスの研究プログラムも共にピタゴラス・プラトン的プログラムから生まれたものである.このプログラムは,天体の完全性に基づき,あらゆる天文学的現象はできる限り少数の一様な円運動あるいは軸のまわりの一様な回転の組合せによって記述されるべきであるという発見法的原理を基本とする.この原プログラムでは宇宙の中心がどこであるかの指示は何も含まれていない〔265-266頁〕.コペルニクスは,プトレマイオスおよび彼の後継者の手にかかって,そのプログラムの基本原理が退行していることを認識したのである.ひとつは,プトレマイオスによるエカント(☆)の導入である.プトレマイオスはこれにより,惑星の見かけの速度変化を説明することに成功した.しかしこれは,一様な円運動の原則からは逸脱しているように見える.また,太陽年と恒星年にずれがあるため,彼は恒星天球に二つの別個の運動を与えなければならなかった.日周回転と黄道の軸を中心とする回転である.最も完全な物体であるはずの恒星が単一で一様な運動をしていないのである! しかも,天動説がこれだけその基本原則を侵犯しても,それは経験的には退行的であり続けた.すなわち,何ら新しい事実を予測できなかったのである〔267-268頁〕.

☆円周上を移動する惑星の速度は実は一様ではない.それを説明するためプトレマイオスにより導入されたのがエカントである.エカントは円内の中心から離れた位置に存在し,それに対する惑星の角速度が一定となるのである.

 コペルニクスは天文学のこのような状態に対してピタゴラス・プラトン主義を甦らせようとし,しかもそれに成功したのである.彼はエカントを取り除いたが,それにも関わらず,プトレマイオスの体系とほぼ同数の円しか含まないような体系を生み出した.またそれは,現象との一致につき,プトレマイオス流の天文学に劣るところがなかったのである〔268-269頁〕.

 コペルニクスのプログラムはこのように発見法的に前進的であったのみならず,また確かに理論的にも前進的であった.それは以前には知られていなかった金星の相の変化(満ち欠け)を予測したのである.しかし,それは1616年まで験証されなかった.「それゆえ,科学的研究プログラムの方法論は,コペルニクスの体系がガリレオの時代まで,・・・・・十分に前進的とは言えないという点で反証主義の立場に同意する.コペルニクスの体系はプラトン主義的伝統のなかで発見法の前進を構成し,理論的にも前進的であったかもしれないが,1616年までこの体系の名誉となるような新しい事実はなかったのである.コペルニクス革命は1616年に初めて十分に一人前の科学革命になったがそのときには新たな力学-主導の物理学のためにその大部分が放棄されてしまったように見えるのである」〔270頁,下線は原文での強調〕.

 この「歓迎すべからざる結論」は,プログラムが前進的かどうかの評価の基準となる事実の予測を時間的に新しいものにのみ限定してしまったためであるように思われる.そこで,ザハール(E. Zahar)が,コペルニクス革命の歴史とはまったく独立な考察から提案した新たな基準を受け入れ,科学的方法論の基準に「重要な修正」〔271頁〕を加えなければならない.ザハールによれば,時間的には必ずしも新しい事実でなくても,理論を《劇的に》験証することはできる.たとえば,その現象自体は100年以上前から知られていたにしても,アインシュタインの一般相対性理論は水星の近日点の移動現象を予測し,それによって《劇的な》験証を受けたということができる.なぜなら,アインシュタインの最初の企図においてその現象の変則性は何の役割も果たしていなかったからである〔271-272頁〕.

 事実の予測をそのように解釈すれば,コペルニクスの体系は,たとえば,惑星の留と逆行(☆)を示すということを《予測》できた.この現象は,プトレマイオスの枠内においても注意深く観測され,その説明のために手が加えられていたのである.一方,コペルニクスの体系においては,この現象は原モデルの単純な論理的帰結である.同様な事実としては,外惑星の公転周期は地球から見た場合一定でないことを含めいくつかをあげることができる〔272-274頁〕.

☆惑星は通常,西から東に向かって動いている(順行運動)が,しばしばその動きを止め(留),その後しばらく西に向かって動き(逆行運動),もうひとつの留を経由して順行運動にもどる.

 まとめれば,コペルニクスのプログラムは,プトレマイオスのプログラムに比較して,理論的にも,経験的にも,そして発見法的にも前進的であったのである〔279頁〕.すなわち,「コペルニクス革命は,・・・・・単に科学的に優越していたがゆえに,偉大なる科学革命だったのである」〔277頁〕.

 

ラカトシュ的方法論の混乱

 我々は,孤立した命題ではなく研究プログラム,すなわち(時間の)系列としての理論を評価の単位とすべきであるというラカトシュの提案は重要であると考える(☆).しかしながら彼の方法論は,すでに破綻しているように見える.前の項では彼の論旨展開のエッセンスをきわめて忠実かつ正確に紹介したが,それを見ただけでも破綻は明らかであろう.

☆本ブログ記事「“社会構築主義”的問題:理論評価に対する“社会的要因”の関与について」および「日本の地質学界におけるプレートテクトニクス受容過程の理論科学的考察」において私は,理論に対して要求される項目を示すとともに,理論評価は時間軸上で継続されることの重要性を強調した.

 ラカトシュの方法論は,彼を彼にとって「歓迎すべからざる結論」に導いた.そこで彼は,ザハールの提案を受け入れ,自己の基準に「きわめて重要な修正」を加えた.それによって彼は「1543年(☆)の状況を眺め」〔272頁〕,プトレマイオスよりもコペルニクスの体系に支持を与える諸事実を見出すことができたということになっている.これらの事実は,プトレマイオスの体系では,パラメターを調整するなど技巧的にしか処理できないのに,コペルニクスの体系では,「単純」に,「当然のこと」として説明できるのである〔273頁〕.

☆1543年はコペルニクスの『天体の回転について』が出版された年である.

 しかしながらこれは,ラカトシュ自身が厳しく批判した単純性主義そのものではないか? 「コペルニクス理論は確かにいくつかの問題をプトレマイオス理論よりも単純なやり方で解いたが,その単純化の代償として,他の問題の解き方は予想以上に複雑なものとなっている・・・・・」.そこで,「プトレマイオスの体系とコペルニクスの体系の“単純性-差引勘定”は大体とんとんと考えるのが妥当・・・・・」〔255頁〕のはずであったのではなかったか.

 あるいは,それら諸事実は他の事実よりも《本質的に》重要であると主張されるのかも知れない.しかしながらそれは,クーンにならっていうと,地動説のパラダイム(およびそれを擁護したがっているラカトシュ)にとってのみ本質的であるにすぎない.さらにいえば,ある種の現象が地動説によって単純に説明できることなど,板倉によって引用されたプトレマイオスが大昔に気づいていたことなのである(☆).それよりも何よりも,ある種の現象が地動説によって自然に説明できるのは結構として,この我々の大地(地球)が動いているという余りに《不自然な》主張自体はどう擁護されるのだろう? これに関するラカトシュの言及はない.これが問題なのに!

☆板倉聖宣『科学と方法』季節社(1969),99頁.

 ラカトシュによるコペルニクス理論の考察において,我々は次の点で彼に同意することができる.それは,プトレマイオスの体系が自己本来の基本原理を確実に逸脱しているということをコペルニクスが認識していたという点である.この天動説内部の矛盾こそがコペルニクスを地動説に導いたのであり,我々は板倉においてみる通り,そこに着目してのみコペルニクス革命の偉大さを理解できるのである.

(本記事は1989年4月作成の未発表原稿に基づく)

唐木田健一