唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

今村仁司『歴史と認識―アルチュセールを読む』を読む I.「認識論的断絶」

2022-02-23 | 日記

1.はじめに

ここでは,《構造主義的マルクス主義者》アルチュセールがバシュラール(Gaston Bachelard, 1884-1962)から借用し展開した概念である「認識論的断絶」を取り上げる.アルチュセールについては,私は別の場所[1]で,彼の『甦るマルクス』[2]を中心に考察したことがある.また本ブログでは,「アルチュセール『資本論を読む』と“理論変化”の問題」を扱った.そこで,ここでは,それらとは観点を変え,今村仁司[3]を通してアルチュセールを《読みながら》,マルクス(Karl Marx, 1818-1883)における新しい思想の形成を観察する.私がアルチュセールに着目するのは,彼の記述するマルクスによる理論革命が,私が科学史において見出した基本理論の変化(科学革命)と正確に対応するからである.

 

2.連続的観点

マルクスは『剰余価値学説史』(遺稿,1862執筆,出版は1905-10)や『資本論』(第1巻出版は1867)の中でスミス(Adam Smith, 1723-1790)やリカードゥ(David Ricardo, 1772-1823)の古典派経済学を二つの点で高く評価している.一つは,古典派が経済学の基本概念,すなわち,価値・価格・利潤・等を分離し分析したことである.他方は,経済学の方法に関わる.古典派は現象の本質への還元,そしてその本質の再結合,すなわち現在「還元-総合」とか「下向-上向」とかいう名で知られている方法を確立したのである.マルクスが古典派をこう評価しているからということで,彼を古典派の継承者とする見方は広く受け入れられてきた.また,マルクスが経済学の基礎とした「価値-剰余価値」の概念はすでに古典派の中にあったと解釈することができる.また,「下向-上向」は彼が主著『資本論』で駆使した方法である.マルクスは自己の理論的対象も,そして方法も,古典派から継承したのである〔10-11頁〕.

一方,マルクスは古典派を批判してもいる.それによれば,古典派の経済学的カテゴリーは「非歴史的」,「永遠的」,「固定的」,「抽象的」であるとされる.となると,マルクスの古典派に対する特徴は,「歴史的」,「一時的」,「流動的」,「具体的」といった用語で表現できるかも知れない.この種の解釈を徹底したのが《急進的歴史主義》に属するマルクス主義者たちであった.もし,マルクスの古典派に対する特徴が経済学的カテゴリーの歴史的性格にあるとすれば,マルクスは古典派を「相対化,一時化,流動化,要するに歴史化」したのであり,マルクスはいわば「歴史化されたリカードゥ」なのである.この歴史化の手段として用いられたのが弁証法であり,マルクスはこれをヘーゲルから借用し古典派経済学に適用したのである〔14-15頁〕.このように見ると,歴史的にはマルクスは古典派経済学の完成者として,その連続線上に位置づけることができる.マルクス自身も古典派やヘーゲルとの連続性を強調しているようにみえる〔19頁〕.

しかしながら,アルチュセールはこのような連続観を拒否する.彼によれば,マルクスは古典派経済学やヘーゲル弁証法と断絶したところで,マルクス独自の発見=理論的生産を成し遂げたのである.それではマルクスの新しさとはいかなるものか? それはどのようにして生まれたのか? またそれは連続観を裏づけるようにみえる諸要素とはいかなる関係にあるのか? これらがここにおけるテーマとなる.

 

3.認識論的断絶

問題設定

アルチュセールによれば,マルクスは理論革命を引き起したのである.それは古い理論からの新しい理論の分離・切断であった.ここでいう革命は何ら比喩ではなく,まさに政治・社会史における革命と同じ意味をもつ.それは現実的な質的飛躍であり転換である〔24頁〕.アルチュセールはこれを「認識論的断絶」と呼ぶ.

認識論的断絶とは「問題設定」の変更のことである.「問題設定」とは,アルチュセールのキーワードの一つで,理論におけるあらゆる問題提起の形態を条件づける「地盤」のことを意味する.人はこの中でのみ問題を提起することができる〔72頁〕.それは歴史の特定の時点で一般的に必要とされる論証の形式を定め,科学的・理論的妥当性のあり方の規範を与える〔83-84頁〕.理論家の思考または理論的な眼(まなざし)はこれによって決定されていて,そこに入り得るものだけを《認識》し《見る》ことができる.また,これは意識的な層と無意識的な層の複合体であるから,理論家は常に自分の問題設定を完全に把握しているわけではない〔102-103頁〕.

理論的問題設定の革命〔変更〕は同時に理論の対象設定の革命〔変更〕でもある.認識論的断絶の過程では,生まれたての新しい対象はまだ古い対象と一定の関係を保ち続けることもあるし,またそこに古い対象に固有の諸要素を認めることもできる.しかし,この残存する諸要素は,それ自体で意味を持ち続けるのではなく,対象の新しい構造によって特定の方向づけを与えられているか,あるいは与えられつつある.理論革命の前と後に同じ要素が存在しているとしても,両者の同一性または類似性は外観上のことでしかなく,それらの意味と体系上の機能は根本的に異なるのである〔24-25頁〕.

断絶の前後の関係

このような認識論的断絶を経たあと,人は古い立場の理論をいかに「読む」ことができるのか? 一つのやり方は,新しい立場を基準として古い理論を読むことである.この場合には,古い立場が見たものと見なかったもの,失敗したことと成功したことなどのリストが作成できる.古い理論の見なかったものは根本的な「不在」,つまり「見る」行為の不在,不注意として指摘されるが,その理由は明示されない.これは,経験主義の認識論の特徴であり,「見たもの」と「見なかったもの」(「見誤り」)を分断し,両者の「結合」の問題を見逃してしまう.他方,第二の読み方は,古い理論それ自体の中で「見たもの」と「見なかったもの」を比較し,「見たもの」と「見なかったもの」との関係を「見たもの」―古い理論のテキスト―の中で解明することである〔70-71頁〕.アルチュセールはこの第二の読み方を「徴候的読み方」と名づける〔74頁〕.

与えられた理論的問題設定の中に位置づけられるすべての対象は,その理論を共有している人にとって,見ることができるものである.したがって,見えている対象が見せているものは,理論的問題設定の領域そのものである.「見えるもの」をこのように考えると,「見えないもの」は「見えるもの」の裏,すなわち理論的問題設定によって可視性の世界から排除されたものということになる.一定の理論領域の中に問題や対象が現存していても,理論的問題設定によって理論の対象であることを禁止され抑圧されている限り,それらは見ることができない.こうして,「見えるもの」の場合と同じく,「見えないもの」の存在も,理論的問題設定と対象との関係の結果であると考えることができる.「見えるもの」の領域,すなわち理論的問題設定は,自己自身の内部で自己から排除するもの―「見えないもの」―によって全面的に特徴づけられているのである〔72-73頁〕.

方法

そこで,先に述べた「徴候的読み方」が可能であるためには,私たちは「見えないもの」を見ることができるのでなければならない.このことは理論的問題設定の転換―理論革命―によって初めて可能となる.ただし,繰り返すが,それは新しい問題設定を基準として古い問題設定を評価することではない.それは,新しい問題設定を背景とし,古い問題設定それ自体の中で,それが「見たもの」を通じ,「見なかったもの」を明らかにしていくことである.

認識論的断絶の過程にある革命家は,まだ自己の新しい理論体系を確立したわけではないし,また必ずしも自己の新しい問題設定を十分自覚的に把握しているわけでもない.彼/彼女は,古い理論の枠組みの中で,入手可能なあらゆる手段を武器とし,古い理論の論理・概念を徹底し極限まで押し進める〔30頁〕.その極限が古い理論固有の問題設定なのであり,彼/彼女はそれを明らかにし,古い理論における概念の欠如―「見えなかったもの」―を見出すことによって,古い理論にとっての「危機的(批判的)」な新問題を指示する〔72頁〕.そして,これこそがまさに,私が着目している方法なのである[4]

「徴候的読み方」は,革命家が自分の相手の理論に接する仕方であるし,また私たちがその革命家の論述を理解するに当たって適用すべき方法でもある.私たちは,マルクスの『経済学批判序説』(1857執筆)を一つの典型的対象とみなし,「徴候的読み方」を試みることができる〔29頁〕.

(次の記事に続く)

唐木田健一


[1] 唐木田健一『理論の創造と創造の理論』朝倉書店(1995),4章.

[2] L. Althusser, "Pour Marx" (1966)/河野健二・田村俶訳『甦るマルクス』人文書院(1968).

[3] 今村仁司『〈新版〉歴史と認識─アルチュセールを読む』新評論(1986).以下で本書を引用する際は,本文中に引用ページを〔〇〇頁〕として示す.

[4] 科学史における対応する場面としては,本ブログ記事「新理論の形成:首尾一貫性の追求,欠如,矛盾,そして弁証法」参照.また,『資本論』における「欠如」の発見については,先に本文で引用した本ブログ記事「アルチュセール『資本論を読む』と“理論変化”の問題」もみよ.


モーツァルト,ベートーベン,アインシュタイン

2022-02-16 | 日記

C. F. カールソン/桂愛景訳『戯曲 アインシュタインの秘密』サイエンスハウス(1982, 1991),第三幕「科学することを超える」より.

舞台は1952年8月,プリンストン,ファインホール[1]209号室―アルバート・アインシュタイン教授(73歳)の居室.訪問者は,ヨッシュ・ヤンノート博士(32歳).東洋の大学の准教授であり,1950年以来,プリンストン高等研究所の客員研究員を務めていた.当学年度で留学期限が切れ,本日は帰国の挨拶である.

     *

・・・・・(前略)

ヤンノート 以上の議論を前提として,科学に対するもうひとつ別の考え方を申しましょう.最近,私の友人が―医者ですけれど,私に手紙をくれました.我々医者は患者を待っているだけでよいのかと彼は問うています.彼のところへは生産活動で病んだ労働者がやってくる.彼はそれを治療してもとの社会へもどしてやる.これでは,自分は資本主義社会の矛盾を隠蔽する役目を果たしているだけではないか?

アインシュタイン 医者の治療行為は崇高なものというのが伝統的な考え方ですね.その崇高な行為が体制の矛盾を覆い隠すことになると言う・・・.医療というのは直接に人間の生命を扱うのだから問題がより露わにあらわれる.しかし,考え方によっては,自然科学のほうが,もっと広範な影響を与え得るのです.

ヤンノート それで,先生が最初に御指摘になった問題にもどるのだと思います.つまり,社会体制の中の科学の意味.私自身は,より普遍的・一般的な原理を求める科学者を志した以上,より一般的に,社会体制およびその中にいる自分のふるまいについてもそれを求めてゆきたいと考えています.たとえ,それが科学者としての道を捨てることになっても.

アインシュタイン ヨッシュ,科学は捨てないで下さい.私は,あなたのような人が仲間から去っていくのは残念です.

ヤンノート もちろん,科学は捨てません.また,捨てることもできません.私は科学者―より一般的な科学者であり続けたいと思います.しかし,職業的な科学者を続けることは,もはや適切ではないように思います.

アインシュタイン ・・・.

ヤンノート 東洋には,次のような諺があります.すなわち,朝に真理を知ったら,夕方に死んだとしても悔いはない[2].私は学生時代,先生の論文を初めて読んで,この諺に心から賛同したことを記憶しています.今考えても,なつかしい思い出です.科学はすばらしい.何もかも忘れるほどすばらしい.しかし,人類史上初めて原子核エネルギーの解放に立ち会って,“君たちの良心の呵責なんかにかまっちゃいられない.これは何てったってすごい物理現象なんだ.”と発言した科学者には私は同意できないのです.

アインシュタイン ・・・あなたは今後,どうやって生活してつもりですか?

ヤンノート まだ,はっきりとはわかりません.ひとつの可能性として,自分もその恩恵を受けている生産活動に従事したらどうかと考えています.もちろん,そうすることによって,いままでの生き方に伴う問題をのりこえられるとは考えていません.それどころか,それがますます露わになるだろうと覚悟しています.それによって,私は,私に関わる自己欺瞞を一つひとつ明確にしてゆきたいのです.私は,一般的・普遍的原理を求める科学者を職業としてきました.それによって,その私が,体制固有の原理で条件づけられ,自分のふるまいの中に体制固有の原理が入り込んでいるのを見出しました.もはや,研究は研究,世の中のこととは別というわけにはいかないのです.

アインシュタイン 私は以前,今度生れてきたら行商人か鉛管工になりたいという意味の発言をしたことがあります.私は今度生れてきても科学をすることを選ぶでしょう.しかし,科学で生計を立てるという事態は避けたいと思います.そのことを私はずっと以前から考えていました.しかし,私には余りに多くのことが起こったのです.そして,今は,ごらんの通りの老いぼれです.

ヤンノート ・・・

アインシュタイン 私には,あなたがこれからなそうとしていることがおぼろげながらわかる気がします.あなたは科学者としてすばらしい才能をもっており,また科学を愛してもいます.それにもかかわらず―いや,それ故にこそ,あなたは科学と科学者―少なくとも,現在の科学と科学者にアイソをつかしたのです.あなたがこれから求めようとしているのは科学と科学者,つまり科学することをのりこえる新しい視点なのでしょう.

ヤンノート 私には,まだよくわかりません.ただ,私は先生のお考え,つまり,個々の国家の主権を制限し,それを世界政府にゆだねること―とは全く反対の側からそれをめざしてゆきたいと思います.すなわち,個別の問題に関わり,それをのりこえ,一般化する視点を目指してゆきたいと思います.全体的破滅を避けるという原則が他のあらゆる原則に優先させなければならないことは私にも全く異論はありません.全体的破滅がおとずれてしまったら,個々の争いも意味がなくなってしまいます.しかし,全体的破滅を避けるという大原則と個々の問題―たとえば,合州国において人種的差別を受けている黒人のかかえている問題とのつながりが私には,まだ見通せないのです.

アインシュタイン 私もそのことに気づいていないわけではありません.

ヤンノート よく承知しています.先生は,具体的な問題まで,抜け目なく考慮していらっしゃいます.

アインシュタイン あなたと私のアプローチのちがいはあるでしょうね.

ヤンノート そうかも知れません.先生は,非常に大きな構想から仕事をお始めになる.一方,私は,・・・.

アインシュタイン 私が理論内部の審美的調和を求めすぎるといって,あなたには大分しかられましたね.

ヤンノート 先生はベートーベンよりもモーツァルトがお好きでしたね.

アインシュタイン 私はベートーベンを尊敬しています.彼は自分の音楽を創造しました.しかし,私は,よりモーツァルトにひかれるのです.彼の音楽は宇宙に昔から存在していて,彼によって発見されるのを待っていたように思われるのです.

ヤンノート 私も全く同感です.そして,全く同じ理由で私はベートーベンが好きなのです.しかし,先生がモーツァルトに関しておっしゃったことと,先生のなされたお仕事とは,私には共通のものが感じられますね.

アインシュタイン そんなことはない! 私は自分の先入観に神の御意志を従わせようとして手ひどい目に会うことがしばしばです.

二人とも笑う

ヤンノート それに多分,先生は音楽に平穏を求めておいでなのでしょう.私は,音楽に励ましを求めることが多いのです.

アインシュタイン (突然に,思い出して)ピアニストのあなたと合奏することはもうできなくなるのですね.

ヤンノート また機会があったら合州国にまいります.その時は.ただし,今度はベートーベンも・・・.

アインシュタイン (立ち上がって)これから家に行きましょう.まだ時間があるでしょ? よし,今日はベートーベンだ!

(第三幕終了)


[1] プリンストン大学の数学および理論物理学研究所と高等研究所のある建物のこと.

[2] 孔子の“朝聞道,夕死可矣”(「論語」第二巻第四里仁篇)のことか?


親鸞のいわゆる《悪人正機説》について:新しい宗教思想の生成

2022-02-09 | 日記

『科学・社会・人間』81号(2002年7月)64-68頁より

唐木田健一

はじめに

 最近,きわめて興味深い本に出会ったので,ここに御紹介したい.本サーキュラーの読者にも関心をもっていただけるものと確信する.また,私が特に注目する点については,のちに触れるつもりである.

 紹介の対象は,平雅行氏の『親鸞とその時代』[1]である.平は阪大文学部所属の歴史学者で,日本中世の仏教史が専門のようである.ここでは,彼のこの本のなかから,親鸞のいわゆる《悪人正機(しょうき)説》に関連する部分を切り出してみる.

親鸞の独創性?

 我々の多くにとって《悪人正機説》は,「善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」という表現で,『歎異抄』にある文章として学ぶものであろう.『歎異抄』は親鸞(1173-1262)の没後,弟子の唯円が編んだものとされている.私がこの文章に初めて接したのは高校時代と記憶するが,その印象はなかなか強烈なものであった.

 親鸞やその師である法然(1133-1212)の思想は,「どのような悪人であっても念仏を称えるだけで極楽往生できる」と概括されることが多い.しかし,こうした教えは当時の既成宗教(以下,平の用語法にしたがって「顕密仏教」と表現する)においても語られていたし,また京都を中心とする民衆の間で,流行歌として謡われる(『梁塵秘抄』に採録される)ほど流布していた〔21-22頁〕.この思想は彼ら独自のものではない.

 また,《悪人正機説》は,一般には,「阿弥陀仏の本願は悪人を救うことが目的であり,悪人こそ往生するにふさわしい機根であるという説」とされている[2].ここで,「機根」とは,宗教的資質あるいは人間や衆生そのものをさす言葉である〔124頁〕.平は,この《悪人正機説》が,中国以来の浄土教史のなかで繰り返し語られてきたことは周知の事実であると指摘する〔114頁〕.また,顕密仏教である法相宗の僧侶(貞慶,下に述べる「建永の法難」という親鸞らへの弾圧のきっかけをつくった人物)も悪人正機説を述べている〔20頁〕.すなわち《悪人正機説》は親鸞の独創なのではない.

 それなら,法然や親鸞の苦難の人生は一体何であったのか.そんな自明な主張のためだったのか〔23頁〕.親鸞は「建永の法難」(1207年)において,法然とともに流罪となっている.これは彼が公然と妻帯していたためであるとされることがある.しかし,妻帯は当時の顕密仏教の世界でも珍しいものでなかった.「真弟相続」といって,自分の子供を弟子にして法流と財産を譲っていくこともあった.極端な例としては,僧侶を外祖父とする天皇(土御門天皇,在位1198-1210)が存在したぐらいである〔92-100頁〕.だから,親鸞における法難は,明らかに彼の思想のゆえなのである.

 平は親鸞における深い独創性を認め,親鸞の《悪人正機説》といわれるものは,実は「悪人正因説」であって,むしろ「悪人正機説」を克服しようとしたものだと主張する〔112頁〕.

「正因」と「正機」

 次の定式,

     「××なをもて往生をとぐ,いはんや〇〇をや」,

すなわち,「××ですら往生できる.まして〇〇の往生は当然だ」と言った場合,通常××にはマイナスの価値,〇〇にはプラスの価値が想定されている.もちろん,「往生」がプラスの価値であることは大前提である.このように,価値の優劣を背景として××と〇〇が配置された場合の上記定式を,「正因(しょういん)説」と呼ぶことにする.ここで,〇〇を善人,××を悪人とした場合の「悪人なをもて往生をとぐ,いはんや善人をや」は,「善人正因説」といわれるものである.すなわち,往生の正因は善人(が行った積善行為)であるという教えである.法然や親鸞が新たな思想を創出しようとしたとき眼前にあったのが,この善人正因説であった〔117-124頁〕.

 ところで,上の定式は,別の角度からも見ることができる.すなわち,〇〇と××には,価値の優劣ではなく,仏菩薩による救済の優先順位が想定されている場合である.そのときの上記定式が「正機説」と呼ばれるものである.たとえば,法然の弟子である源智の発言と思われるもの(『醍醐本法然上人伝記』)によれば,「弥陀の本願は,自力による悟りが可能な善人ではなく,自力の不可能な悪人のために立てられた」.すなわち,「弥陀の誓願は悪人救済が中心」ということである.したがって,救済における優先順位は,悪人が一番(「正機」)で,善人は二番目(「傍機」)ということになる.ここで,「機」とは,すでに上に出てきた「機根」のことで,救済の対象をさす〔124-125頁〕.

 悪人正機説では,上記定式において,〇〇が悪人,××が善人となり,善人正因説とは表現が正反対となる.しかし,ここでは価値の優劣ではなく,救済の優先順序が問題となっているのである.注意すべきは,悪人正機説と善人正因説は(表現は正反対であるけれども),善人と悪人を巡る価値観に違いはないということである.悪人正機説において悪人が正機(〇〇)とされるのは,それが自力による悟りや往生が不可能―すなわちマイナスの価値の存在であるからである〔126頁〕.

 だから平は(「少しきつい言い方」と断っているが),悪人正機説は愚民視を随伴した救済論であると指摘する〔136頁〕.このことは,女人正機説に着目すればよく理解できる.すなわち,女人が正機とされるのは,それが罪深いからである.このように女人正機説は差別的救済論であって,悪人正機説もそれと同じ難点を抱えているのである〔136-137頁〕.悪人正機説は親鸞の思想ではない.それは我々が継承すべきプラスの遺産ではない.法然・親鸞らはそのことを見抜き,生涯をかけてその克服に努力したのである〔138頁〕.

〈悪人〉

 重要なことに触れておかなければならない.これまで何の注釈もなしに「悪人」という語を用いてきた.これに対する私のイメージは,中世における殺人者・野盗の類であった.それらはもちろん悪人であろう.しかし,そのイメージでは広範な「悪人」を見落としてしまうことになる.

 殺生は地獄に堕ちる罪業である.問題はその殺生の内容にある.当時の史料によれば,狩猟・漁労や養蚕が殺生とされている.これはまだ理解できるとして,さらに農耕や山林伐採・炭焼きまでが殺生に含まれているのである.なぜ農耕が殺生かといえば,田畑を耕せば虫が死ぬからである.このように,悪人とは,これらの労働に従事する広範な人々のことを意味した.そして,顕密仏教の教えは,人間は労働することによって罪を得るから,寺社に結縁奉仕して贖罪をしなければならないというものであった〔42,108頁〕.ということは,寺社への結縁奉仕が善行ということになる.他方,労働は悪行なのである!

 〈悪人〉=民衆にとって,堕地獄の恐怖は現実のものであった.そして,その恐怖を媒介として,民衆支配が成立したのである〔41頁〕.

親鸞の思想

 中世では末法思想が流布していた.すなわち,釈迦在世の正法(しょうぼう)の時代から像法(ぞうぼう)を経て末法へと,時代を下がるにつれて人間の資質が劣っていくという考えである.そして当時,時代は末法にあると信じられていた〔138頁〕.

 親鸞にとって,善人は末法以前の存在である.それらの人々はいまは誰もおらず,存在するのは悪人だけである.とはいえ,「自分は積極的な悪には無縁である」と言うことのできる人はいるかも知れない.しかし,そんなことが言えるのは,たまたま状況に恵まれただけである.親鸞は「さるべき業縁の催さば,いかなる振る舞いもすべし」と言っている.人間は状況次第でどんなことでもやりかねない〔140-143頁〕.

 この「末代のすべての衆生は悪人たらざるを得ない」という人間観を,平は「末代の平等的悪人」観と概括する〔144頁〕.この末代の平等的悪人とは,親鸞がその主著『教行信証』における割注で「具縛凡愚(ぐばくのぼんぐ)」とか「屠沽下類(とこのげるい)」と取り上げたものであり,また『浄土高僧和讃』や書状で「五濁悪世のわれら」と表現したものである〔146-148頁〕.

 親鸞においても,悪人正機説と善人正因説は見出すことができる.しかし,その場合の善人は「上代の菩薩聖人」であり,悪人は「末代の(平等的)悪人」のことである.彼はこれにより,悪人正機説が随伴していた差別性と,善人正因説が抱えていた大衆蔑視を克服したのである〔146,149頁〕.

 親鸞にあっては,末代の衆生はすべて悪人である.しかし,彼らがすべて同質というわけではない.平によれば,親鸞においては,末代の衆生のなかにも善人と悪人の区別がなされている.ただし,その善人悪人観は,通常のものとは全く異なる.

 親鸞の『正像末浄土和讃』では,「疑心の善人」「自力称名の人」「善本修習する人」という表現が登場する.平は,これらをまとめて,「疑心の善人」というカテゴリーを設定する.疑心の善人たちはいずれも「仏智疑惑の罪」を背負っている〔150-151頁〕.すなわち(『教行信証』の記述の趣旨によれば),末法の時代では自力得悟が不可能であり,そこにおける衆生が弥陀の正機であるのに〔145頁〕彼らはそれを信じず,念仏を称えることを自分の善根と考えるため,真実の信心を得ることができないのである〔151頁〕.すなわち,疑心の善人とは自らを善人と錯覚したまま,なお自力作善に励んでいる人々のことであり,ありていに言えば不信心者のことである〔155頁〕.こうしてここに,マイナス価値の善人という独特の概念が誕生する〔151頁〕.

 「疑心の善人」に対応する悪人概念を,平は「他力の悪人」と名づける.『歎異抄』第三条には,「他力をたのみたてまつる悪人,もとも往生の正因なり」という表現を見出すことができる.これはプラス価値の悪人である〔152-153頁〕.すなわち,自ら〈悪人〉であることを自覚して他力の信心―阿弥陀仏の本願に頼って救済を願うこと―に入っている人々のことである〔155頁〕.

 以上のように,これまで親鸞の《悪人正機説》とされてきた「善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」は,悪人正因説だったというのが平の主張である.表現は悪人正機説と同じであるが,そこでは善人と悪人の価値的な優劣が逆転しているのである.

遠近法的に重なり合う二つの観点

 ここで,私が平の論考において特に注目した点につき触れておきたい.我々はこれまで,さまざまな分野における新しい思想・理論・様式など(以下,一括して「思想」と表現する)の生成機構につき考察してきた[3].そこにおいて見出されたのは,新しい思想の発見者は既存の思想を足場とし,その内的な整合性を徹底するなかで,既存の思想内部における「欠如」や「矛盾」といった否定的要素に出会うということである.これが発見者に解決すべき課題の存在を告げる.そして彼/彼女は,その否定性をのりこえることによって,新しい思想に到達する[4]

 既存の思想に着目することの重要性を強調する点は,「パラダイム論」として知られる考え方[5]と我々の方法が共通するところである.地動説に対する天動説の扱いをみればわかるように,既存の思想は,新しい思想の立場から,非合理で頑迷な信念として片付けられてしまうことが多い.しかしながら,既存の思想は,新しい思想とは異なった,それ独自の価値基準を有するのである.

 パラダイム論と我々の共通点はここまでである.パラダイム論においては,新しい思想(「新しいパラダイム」)は既存の思想(「古いパラダイム」)の外に生まれ,それと競合しそれに取って替わる.これがいわゆる「パラダイム転換」である.そして,新旧両思想の関係は通約不可能,すなわち断絶していてコミュニケーションができないとされる.すなわち,パラダイム転換はいわば宗教的回心のようなものであって合理的説明は不可能であり,両パラダイムは完全に相対的なのである.

 一方,我々の考えによれば,発見者を思想の転換へと導くのは,既存の思想内部に彼/彼女が見出した否定性である.我々はそれに着目することによって,彼/彼女が既存の思想をいかにとらえ,それをいかにのりこえたかを理解することができる.

 平の論考において私が注目するのは,既存の親鸞像に対する平の観点と,顕密仏教に対する親鸞の観点である.平は,従来一般に親鸞の特徴とされてきたものが,何ら親鸞の独自性を示すものでないことを明らかにする.いわば,既存の親鸞像における「独自性の欠如」の発見である.これが彼を探究へと導いたのである.一方,その探究のなかで,彼は親鸞が顕密宗教の内部で遭遇した否定的要素を見出していく.それは端的に,マイナス価値の〈善人〉とプラス価値の〈悪人〉という逆説的用語に表現されるものである.親鸞は,「悪人正因説」を唱えることによって,「悪人正機説」と「善人正因説」をのりこえたのである.

 今日,発見者は既存の思想とは全く無関係に,それに束縛されることなく,新しい思想を創造するかのような議論のなされることが多い.すなわち,既存の思想など創造の邪魔物なのである.しかしながら,我々の考えは全く逆であって,発見者は既存の思想とそこにおける諸概念・諸道具に精通し熟達し,それに馴染んでいる.彼/彼女は,既存の思想をその極限にまで徹底することによって,そこから新しい思想へと飛躍するのである.平は,本文への注のなかで,論理的には親鸞の思想の本質は,「末代衆生正機説」と「信心正因説」だけであると書いている.すなわち,親鸞の「悪人正因説」は,「信心正因説」の修辞的文学的な表現なのである〔159頁〕.これは信心の徹底以外の何ものでもないであろう.

おわりに

 ここでは,平の『親鸞とその時代』において《悪人正機説》に関連する部分のみを切り出したが,他の個所においても私の興味は尽きることはなかった.特に深い感銘を受けた部分を項目として列記すると,

  • 道元による「女人罪業論」の否定
  • 親鸞が延暦寺を出奔する原因になったとされる「女犯偈」の夢告の解釈
  • 『唯信鈔』の著者で,思想史的には法然と親鸞の中間に位置づけられることもある聖覚の専修念仏に対する裏切りの確認

である.

 本書で中世における〈悪人〉の概念を学んだとき,私は「新訳聖書」における〈罪人〉を想起した.私は以前,荒井献の著作[6]の導きで,発見者としてのイエスを考察したことがある[7].〈罪人〉とは律法を犯す人のことであるが,その内容は〈悪人〉と大きく重なるもののように思われる.イエスは社会的な被差別者である〈罪人〉たちと深い同=情をもって交わった.イエスは律法を否定したのではない.彼は,律法を足場としてそれを徹底・一般化することにより,律法に相対したのであった.

                                                                (2002.01.06)


[1] 平雅行『親鸞とその時代』法藏館(2001).以下,本書からの引用は,本稿本文中の〔 〕内に頁を示す.

[2] 『広辞苑』(第四版・電子ブック版)岩波書店(1991).

[3] たとえば,本サーキュラーでは,唐木田健一「新しい様式の創造」『科学・社会・人間』60号(1997),22-26頁.〔本ブログでは,「科学史における理論変化の問題(2):基本理論の創造」,「渡辺慧教授の論文“求む:理論変化の歴史的・動的見解”に答える」,ほか.〕

[4] たとえば,唐木田「“パラダイム転換”からの転換の必要について」『化学史研究』28(2001),171-174頁.〔また,本ブログでは「新理論の形成:首尾一貫性の追求,欠如,矛盾,そして弁証法」,《革命家の保守性》参照.〕

[5] T. S. Kuhn, “The Structure of Scientific Revolutions”, The University of Chicago Press(1962, 1970).

[6] 荒井献『イエスとその時代』岩波書店(1974).

[7] 唐木田『理論の創造と創造の理論』朝倉書店(1995),5章.


アインシュタインの特殊相対性理論の論文(1905年)を巡って

2022-02-02 | 日記

唐木田健一『原論文で学ぶ アインシュタインの相対性理論』ちくま学芸文庫(2012)

 

著者から読者へのメッセージ

 

まず本書の第III章をざっとながめて下さい.これはアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論に関する原論文の日本語訳で,特殊相対性理論の帰結として通俗的によく知られている事柄のほとんど(運動する物体における“長さの短縮”,“時間の遅れ”,“質量の増加”など)を含みます.

本書は物理学を専攻としない読者に対しこの原論文に直接接していただくことを念じて用意されました.少なくとも,この企ての魅力的なことは読者のほとんどの方に同意していただけるでしょう.そして,著者の野心としては,単に物理学を専攻としない人びとということだけでなく,人文科学・社会科学を専攻とする(あるいは専攻とした)人びとにこの本を受け入れていただきたいのです.

学においても,人類史上,私たちに直接・間接多大な影響を与えている画期的な仕事というのがあります.たとえば,私たちの時代に近いほうの例を挙げれば,ダーウィンの『進化論』,マルクスの『資本論』,フロイトの『精神分析』などがそれにあたります.そして,アインシュタインの相対性理論も,明らかにこの範疇に属します.ただし,ここに一つの問題があります.

著者は物理科学を専攻としますが,たとえばマルクスの『資本論』の原典(あるいはそのすぐれた翻訳)に直接接し,その論旨を一所懸命追うことができます.これはもちろん著者の〈能力〉によるなどというものではなく,少なからぬ自然科学徒に共通した事柄です.一方その逆,すなわち人文科学徒や社会科学徒のうち,アインシュタインの原論文に接しその論旨を追うことができる人というのはきわめて限られるというのが現状と思われます.この“非対称性”(あるいは不公平)は,もちろん,物理学が他の諸学に比較してむずかしい(あるいは“高級”である)ことを意味するのではありません.しかしながら,物理学(あるいは一般に自然科学)は他の諸学に比較して“しきいが高い”ことは事実のようです.本書はこの“非対称性”を少しでも打ちこわすべく企画されました.

このように書くと,次のような意見が現れそうです.“ワシは『資本論』を学生時代から十年にわたって研究しているが,未だわからぬことばかりである.キミは『資本論』を少しばかり読んだからといってそれを理解したような気になっては困る.”―この仮想意見は多分その通りなのでしょう.しかし,私がいわんとしているのは,私は少なくとも『資本論』そのものを読んでしかも深い感銘を受けることができるということなのです.そして,相対論も多くの人々の感銘に十分値するものです.

自然科学における画期的な業績の多くは,比較的に短い論文として発表されます[相対性理論もそうです].したがって読者はその論文の新しさを理解するために,そこにおける多数の引用文献にあたる必要があります.[通常の場合,その引用文献だけでは足りず,その引用文献の引用文献,さらにはその引用文献のそのまた引用文献・・・という作業になります.]また,画期的業績の多くは荒削りであり,その後の展開により原型をとどめないぐらいに洗練されてしまうことがあります.そして,その洗練された形にのみ通じている読者にとって,原論文はきわめて理解しにくいといった事情もあります.これら,およびその他の事情が自然科学の原論文に接することを困難にしています.

しかしながら,幸いにして,本書で取り扱おうとしているアインシュタインの原論文は次のような特徴をもちます.まず第一に,それは一つの論文(すなわち,この論文)において理論をほとんど完成した形で与えているということです.第二に,その論文の新しい考え方(すなわち,新しい時間・空間論)に対する古い考え方というのは,実は,私たちが日常的に前提としている時間・空間の考え方だということです.いいかえれば,この論文は私たちが日常的に暗黙に前提としている“先入観”を打ち破ってくれるということです.この意味で,この論文にむずかしさがあるとすれば,それは物理学徒とそうでない人びとに共通するものなのです.大胆にいってしまえば,この論文に対しては物理学徒もそうでない人も対等であるということです.また,この第二の特徴とも関連しますが,この論文は引用文献を一つももちません.

とはいえ,この論文の理解にはやはり多くの物理的知識と数学的手法が必要です.それについては本書の第I章,第II章および第IV章が読者を手助けします.ただし,読者の中には本書が余りに多くの数式によって満たされているため,しりごみを感ずる人びとがいるかも知れません.一言だけ申し上げれば,本書が多くの数式で満たされ(結果としてむずかしそうな外観を呈し)ているのは,本書をできるだけやさしくしようとする意図によるものだということです.

本書は高校程度の物理学と数学の知識で理解できるように配慮しました.このことは読者の一部の方々には安堵の念を与えるものと思われます.一方,他の読者にとっては,うんざりさせられるものかも知れません.私もそのような読者に同調します.高校の物理と数学はかなり“高度な”ものですから.しかしながら,著者としてはやはり読者に忍耐をお願いしたい.そして,高校の物理や数学ととうに縁を切っておられる方々も,それらの復習を兼ね,どうか原論文の第I部にはくいついていただきたい.[第I部だけで特殊相対性理論の本質がつかめます.]著者の見解によれば,ここにおさめてあるアインシュタインの原論文は,その理解のみを目的とし人生の一定の時間をささげるのに十分に値するものですから.

1988年8月20日

桂 愛景(けい・よしかげ)

[この文章の初出:桂愛景『基礎からの相対性理論 原論文を理解するために』サイエンスハウス(1988)]