唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

都城秋穂『科学革命とは何か』岩波書店(1998)の紹介

2022-01-19 | 日記

本書の構成

 本書の華やかな中心をなすのは,地質学における「プレートテクトニクス理論」の生成である.プレートテクトニクスは,「地球の表面が(複数の)プレートで覆われており,それぞれが水平運動をしていると考えて,地震,火山活動や地質現象を統一的に説明する」ものである〔岩波『理化学辞典』,( )内は評者による挿入〕.「このプレートテクトニクス革命は,地球の科学的研究の上で最大の事件であ」る〔本書7頁〕.それは1960年代から70年代にかけて出現し,80年代中頃には完了したと判断される.

 本書の著者・都城秋穂(みやしろあきほ)氏〔以下,「都城」と記す〕は,東京大学助教授のあと,コロンビア大学,ニューヨーク州立大学の教授を歴任した地質学者であり,「変成岩成因論」に関する業績で著名である.最近では,著書『変成作用』[1]が一般によく知られている.また,彼の変成岩成因論とそれがプレートテクトニクスの体系に組み込まれるまでの過程は本書〔314-318頁〕にも記述がある.

 本書は三部からなる.大まかに要約すれば,第一部「地質学上の理論の歴史とその思想的・社会的背景」は地質学史入門編である.第二部「物理学の哲学はどこまで普遍的か」は歴史的変遷を含む丁寧な科学論入門であり,その中でプレートテクトニクス革命が論じられる.そして,第三部「科学理論,科学革命とは何か」は,主として物理学と比較した場合の地質学の法則・理論の特徴を明らかにする.

 本書のもととなったのは岩波『科学』に連載された論文「地質学とは何だろうか」であるとのことであるが,確かに本書では,科学論を背景とし,地質学の本質が詳細に論じられている.評者は,「かこう岩」とか「安山岩」と言われると,その知識は直接中学の理科の授業にまで遡ってしまうが,そのレベルの読者でも大変興味深く読み進むことができる.

 地質学は記載的研究が重視されている学問である.しかし,そこにおいても,学問の骨組みをなすのは理論のはずである.都城は,「私は地質学者としては例外的に,一生,主として新しい理論をつくるための模索と探究を続けた.」と書いている〔v頁〕.彼にとっての科学論は,この探究のための道具と位置づけられているようにみえる.従ってそれは役に立つものでなければならない.

 都城は,従来の科学論においては,科学理論として主に物理理論のことが考えられていたと指摘する.物理理論と同じ性質をもたないものは理論の名に値しないという人すらいる.また,地質学(や生物学)の理論の多くは物理理論のような型はしていないが,それは単に未発達のためであって,将来の発展により物理理論に似てくると期待する人も存在する.都城は,地質学や生物学にも現に理論はあるのであり,その多くは学問の対象の性質によって,物理学の理論とは本質的に異なった性質や構造を有すると主張する〔305-306頁〕.

 

「パラダイム」

 都城はクーンの「パラダイム」論[2]を取り上げる.よく知られているように,「パラダイム」概念は極めて曖昧である.理論の性質を検討しようというとき,この曖昧さは大変不都合である.そこで都城は,「厳密な意味でのパラダイム」として,次の4つの必要条件をあげる〔177頁〕.

  • 科学者共同体の中で実際上全員に支持され,しかも信頼感をもってみられていること.
  • その信頼により,パラダイムに合わない新しい観察が現れても,もっと工夫すればそれもいずれはそのパラダイムの中で説明できるようになるだろうと考えられること(パラダイムの自立性).
  • パラダイムに基づく研究をパズル解き的にすること.
  • 一つのパラダイムが他のパラダイムによって取って代わられるときには,その変化は革命(突然の根本的変化)によって起こること.

ただし,現在学界で受け入れられているパラダイムを問題にするときは,もちろん最後の条件を要求することはできない.

 パラダイムをこのように定義した上でプレートテクトニクス理論を考察すれば,それは明らかにパラダイムを構成する.プレートテクトニクスは1970年頃までに大部分の地球物理学者に支持されるようになり,また80年代の中頃には圧倒的多数の地質学者が認めるようになった〔224-226頁〕.それは大きな科学革命である.ところで,クーンによれば,科学革命はパラダイムの転換である.それでは,プレートテクトニクスはいかなるパラダイムからの転換であったのか.

 

プレートテクトニクスの性質

 都城によれば,プレートテクトニクス以前のテクトニクス〔地球の構造的変動を扱う地球科学の領域―評者による挿入〕には,「地球の冷却・収縮説」,「アイソスタシー説」,「大陸移動説」および「地向斜造山説」の4つの学説があった.これらのそれぞれは厳密な意味でのパラダイムではなかった.それらはいろいろに組み合わされ,さまざまな学説を構成していた.そして,それら多数の学説のそれぞれもまた,厳密な意味でのパラダイムではなかった.すなわち,プレートテクトニクスに先立ってはパラダイムは存在しなかったのであり,プレートテクトニクス革命は,クーンのいわゆる「パラダイム転換」ではなかった〔240-242頁〕.

 また,クーンは,「・・・対立する二つのパラダイムは共役不可能であって,論理的にそれらの間の優劣を決めることはできないといった.したがって,古いパラダイムが滅びて,その代わりに新しいパラダイムが現れても,それによって科学が進歩したかどうかは,わからないという困ったことになった.」〔180頁〕 しかし,二つの理論が対立しているということは,それら二つは完全には無関係ではなく共通の枠があって,その中で対立しているのである.だから都城は,たとい二つの理論の間の概念や用語体系が違っていても(すなわち,クーンらの用語における「共役不可能」であっても),その異なった二つの帰結を検討すれば理論の優劣は決められるであろうと述べる.物理学や化学ではその実例をあげることができる.しかし,地質学ではどうであろうか.

 プレートテクトニクスが現れる以前の地質学界では地向斜造山説が広く支持されており,プレートテクトニクスへの地質学者の反対は主としてこの立場からのものであった.しかし,地向斜造山説は個々の地域の地質を記載するための枠組みとして使われていたものであり,その意味でそれは大いに有用ではあったが,理論というほどの体系的な論理構造はもたなかった.それは,何物をも予言しなかった.これとは対照的に,プレートテクトニクスは,世界中の海洋における中央海嶺の両側の磁気異常の縞模様が対称的であるということを始めとする多数の予言をし,それらは次々と実証された.都城はラカトシュの用語[3]を採用し,プレートテクトニクスの「研究プログラム」は,地向斜造山説とは異なり,「前進的」であったと表現する.この二つの説は異なった前提から出発し,異なった論理を辿っている(すなわち《共役不可能》なのである)が,前進的かどうかという尺度を採用すれば,プレートテクトニクスのほうが優れていると判断できる.ただし,都城は,それは純粋な論理的判断ではなく,価値評価を含んだものであると注意している〔252-254頁〕.

 

《先入観》

 プレートテクトニクス以前にはパラダイムは存在しなかったといっても,この理論は当然先立つ学説の影響を受けている.プレートテクトニクスの出発点となったのは1960年以前の大陸移動説であり〔213頁〕,直接のきっかけとなったのは海洋底拡大説であった〔215頁〕.都城は,海洋底拡大説を始めたヘスやウイルソンは当時すでに50歳を越え,さまざまな古い学説やデータによく通じていたことを指摘する〔223頁〕.その後,その考えを確認し,発展させ,プレートテクトニクスの理論体系をつくっていったのは,20代から30代の人々だった.

 創造は無から有を生み出さすこととされ,そこでは,既存の知識は,先入観として創造活動の妨げになるかのような議論がなされことが多い.それは全く逆であって,創造の飛躍のベースとなるのは,既存の知識である[4].既存の知識に通じている人の存在は重要であり,そのことは,たとえば20世紀初頭の物理学革命におけるプランクの存在を考えてみればよい.あるいは,年齢は別としても,アインシュタインが既存の理論(とりわけマクスウェルの電磁気学)に通じていたことはよく知られている.ただし,いったん飛躍がなされ仮説が成立したあと,そこからの帰結を一筋に追究していくのは,既存の理論や思惑に比較的にとらわれにくい若い世代がふさわしいのであろう.

 「・・・科学を研究するには先入観や偏見を捨てて自然をよく観察してデータをつくれというたぐいの常識的科学観が昔から今日までしばしばいわれているが,それは作業仮説(すなわち一種の先入観)の重要性を理解していない人の言である.有効な作業仮説を思いつく過程は,合理的なものではなく,ふつうの論理学で取り扱うことはできない.」〔292頁〕

 

日本の学界の状況

 ソ連邦(当時)においては,古くから大陸移動説を認めプレートテクトニクスが始まるとそれを支持した地球物理学者もいたが,地質学者の大勢はプレートテクトニクスに反対の気分を長くもち続けた.そして,都城は,日本はプレートテクトニクスに対する反対運動が世界で最も激しく長く組織的に続いた国であると指摘する.「日本は,その地質学界が世界から孤立する傾向がある点でも,制度上あるいは社会組織上の地位の高い人が学説に対して統制力をもつ点でも,ソ連邦に似ている.」「しかしこの場合,そのような心理的・社会的要因は,日本におけるプレートテクトニクスの受容を約二〇年間遅らせたが,結局はそれ以上には及ばなかった.」〔248-249頁〕

 

地質学の法則や理論の特徴

 都城は科学における法則を,「普遍的法則」(たとえばニュートンの運動の法則),「確率的法則」(たとえば量子力学の法則),そして「傾向的法則」の三つに分ける〔279-284頁〕.傾向的法則とは,たとえば「タバコを吸うと肺ガンになりやすい」といったものである.経験的にはこの法則の成立は明らかであるが,例外も多い.タバコを全く吸わない人でも肺ガンになることはあるし,一生吸い続けても肺ガンにならない人もいる.都城は,地質学においては物理学とは異なり,傾向的法則が多いことを指摘する.そこでは,特定の現象に関連して多くの要因があり,それらを分析し,その一つ一つについて因果関係を確立することは困難である.普遍的法則や確率的法則では演繹的な予言が可能であるが,傾向的法則の場合それは不可能である.従って,都城は,地質学においては演繹的論理と仮説演繹法の使用には限界があるという〔293-297頁〕.

 また,物理学の典型的な理論においては,それを構成する各部分は演繹的に密接に結びついている.それは強い全体性を示し,構成部分を勝手に変更したり,他のものに替えたりすることはできない.地質学にもこのような理論はあるのであり,プレートテクトニクスの基本部分(「狭い意味でのプレートテクトニクス」)がそれに当たる.

 その一方,地質学の理論では,それを構成する各部分が独立で,他の部分とは関わりなく修正の可能なものが多い.このような構造をもつものを都城は「複合構造理論」と呼ぶ〔298-299頁〕.複合構造理論は,その個々の構成部分について学界内でいくつかの異説がある場合,互いに矛盾するさまざまな理論が併存することになる.火成岩成因論や地向斜造山説が複合構造理論の例である〔322-325頁〕.

 演繹的構造をもつ理論が否定されるときは,まさに革命的に,全体が一度に崩壊するが,複合構造理論の場合必ずしもそのようなことは期待できない.

 

理論探究の手段としての科学論

 都城は科学論に関心をもつ研究者に多大な親近感を示している.たとえば,「プレートテクトニクス形成期の最高指導者」であったウイルソンが,クーンのパラダイム論の影響下で,地球科学における革命を宣言したことが触れられている〔228頁〕.あるいは,変成相の法則の提唱者エスコラが,「彼の時代の科学哲学の進歩に関心をもち,それに敏感に反応したことは興味深い.」と書いている〔264頁〕.また,火成岩成因論で著名なボウエンは,地質学者の中では「自分の使う論理に対して例外的に強い関心をもっていた.」とも指摘する〔294頁〕.これらに示された親近感は,同時に,彼自身の科学者としての探究の姿勢を表すものであろう.

 

ヨーロッパ史の背景

 都城はまことに博識であり,特にそのヨーロッパ史や文学に関する造詣は,一般の読者を地質学史に引き込む強い力をもっている.たとえば,19世紀前半のヨーロッパの宮廷や貴族の間で博物趣味が流行していたことに関連し,スタンダールの『パルムの僧院』において,パルム公国の太子殿下が鉱物学に熱中し,金づちをもって森の中をうろつくことで日を送っていたことや,ゲーテの『ファウスト』では火成論と水成論の論争に触れられていること,などが言及されている〔68-69頁〕.これらの書物は評者にも親しみのあるものであり,それらの個所は次回の読書のとき,またこれまでとは違った感銘を与えてくれることであろうと思われる.

唐木田健一

(以上は,『化学史研究』25(1998),214-216頁に発表されたものである.)


[1] 都城秋穂『変成作用』岩波書店(1994).

[2] Thomas S. Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions/中山茂訳『科学革命の構造』(みすず書房,1971).

[3] Imre Lakatos, The Methodology of Scientific Research Programmes/村上陽一郎ほか訳『方法の擁護』(新曜社,1986).

[4] 唐木田健一『理論の創造と創造の理論』(朝倉書店,1995),107-110頁,122-125頁.


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