「戦場にかける橋」や「猿の惑星」の原作者として知られるピエール・ブールは,「E=mc2」というタイトルの小説を書いている.私は学生時代,タイトルにひかれてこの本[1]を入手し一読した.同じような時期だったと思うが,たまたま映画「猿の惑星」も見た.両者が同じ原作者によるものであることは,だいぶあとになって気づいた.
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アインシュタインが導出した有名な公式E=mc2は,エネルギー(E)と質量(m)の等価性を表わす.ただし,その換算係数は光速度の二乗(c2)という大きな数なので,ごく微量な質量が莫大な量のエネルギーに対応することになる.
この式がいかに魅力的なものであるかは,小説「E=mc2」の冒頭に,著者の観点から,「理念」と称して滔々と述べられている.しかしながら(著者によれば),その理論(相対性理論)はごく小さな規模でしか知られていない.この真理を民衆のものとするには,目に見える形での検証が必要である.本編の主人公,イタリア人エンリコ・ルケージは,この式にしたがい,エネルギーをもとにして物質を創造することを考えた. E=mc2に関わる彼の研究は国際的な評価を受け,1938年11月にはノーベル賞授与の連絡があった.
たとえ微量なものとはいえ,物質を創造するには莫大なエネルギーが必要である.それをどこで見つけるのか.ルケージが着目したのは宇宙からの放射線であった.それは我々に降り注いでいるのだから手の届くところにある.そして,その源泉は無尽蔵である.とはいえ,それを実現するには,非常に金のかかる重大な組織化が必要である.現在ドイツでは,相対性理論の信奉者には弾圧が加えられている.アインシュタインはとっくのむかしに故国を去らなければならなかった.イタリアでも同様なことがもうじきはじまるであろう.ルケージは計画が実現可能な国としてアメリカを選んだ.アインシュタインはすでにアメリカに住みついていた.
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合衆国大統領と会見したアインシュタインは,彼が先に送った手紙の内容について大統領に確認を求められた.その手紙によれば,
「・・・・・・世界各国において最近完遂された業績の結果私は,E=mc2の原理は実際的適用を可能にすると思うようになりました.
特に,最近ルケージ教授によって行われた研究の成果は,私に草稿のまま提出されて来ましたが,いわゆる『宇宙』線という形で宇宙に散乱したまま空しく放置されているエネルギーの一部が凝縮されて,ウランのような重金属に転化され得るということが,この研究の結果としてあらわれて来ます.この実験は動かすことのできない理論的意味があるものですが,人間にとって今世紀の他の諸発見とはまったく比較にならない重要な進歩をなすことになるでしょう・・・・・・」〔224-225頁〕
(中略)「結論として,秘密に通じている数少い幾人かの物理学者と私は,ルケージの事業に関心を持って,これを他のあらゆる国家計画に優先させ,研究者たちに彼らの必要とする多額の予算を与えられるよう,合衆国大統領に切におすすめします」〔225頁〕
これに対して大統領は,世界中で戦争資材,陸海空の武器が問題になっていて,国内でも軍部からの予算の要求が絶えないこの時期に,理論的意義は大いにあるのかも知れないが,直接の効用が乏しい事業が提案されているということにアインシュタインの注意を向けさせる.しかしアインシュタインは,暴力は暴力を呼ぶだけであり,反対に現在のさまざまの錯乱の中で利欲を離れた事業の模範を示すことこそ,世界の人々に尊敬の念を起こさせ,壊滅への宿命的な道程であるあの狂気の諸国の軍備競争を集結させ得ると訴えるのである.
しかし,このあとの大統領の発言は,アインシュタインをぎょっとさせる.大統領は秘密厳守を約束させた上で参謀総長にアインシュタインの手紙を見せたというのだ.そしてそのときの総長の反応によれば,もし学者たちが正しくて,E=mc2が成立しているとすれば,物質の一小片が巨大な量のエネルギーを潜勢状態で内に含んでいるように思われる.「学者たちには,非常に短い時間の間に力を爆発させるようにして物質を破壊することを命じて下さい」.大統領はアインシュタインに言う.「このことがあなたの頭に浮かばなかったことに私は驚かされたのです」.アインシュタインは当惑した.彼はそんなことを考えても見なかったのである.
大統領は参謀総長の示唆が実現可能かどうかをアインシュタインに尋ねた.アインシュタインは,物質からエネルギーへの転換がまったく可能であるばかりか,反対の変換よりも多分はるかにやさしいであろうことをすぐに見抜いた.もちろん,嘘をつくことはたまらなくいやだった.しかし,彼の人間としての品位が学者としての良心に勝った.彼は,参謀総長の提案は実現不可能であり,物理学の法則に反する,と断言したのである.
彼だけでなく,E=mc2を実践の領域へ移すことに専念していたヨーロッパのすべての学者も,そんな適用は予想していなかった.破壊という観念に対する本能的嫌悪が,彼らの明敏な視野をこのときだけ限定したのである.それでも,大統領は疑念を解いていなかった.彼は,相対論物理学が戦争能力にどのように寄与し得るかという点について,その後も泰斗たちの意見を求めた.しかし,誰もがアインシュタインと同じ意味の返事を繰り返した.
大統領を最終的に説得したのはアメリカの物理学者オルメイヤーだった.彼は科学的業績にすぐれるばかりでなく,いくつかの点で非常にアメリカ的で,財政の問題に関心をもつほどまでに現実主義のしみ込んだ一流の組織者であった.彼は,アインシュタインらの懸念をよそに,大統領からの召喚において,アインシュタインと同じ返答をしたのである.大統領はオルメイヤーに全幅の支持を与え,ルケージの提案する事業に,戦争予算の重大部分を振り向けることにした.オルメイヤーはニュー・メキシコ州ロス・アラモスの台地に研究センターをつくり,科学界の知名の士を集めて,ルケージの提案する装置の開発をはじめた.
ルケージは,まずはウラン原子1個の生成に成功した.原子の存在は,ウィルスンの霧箱の拡大写真が映写されるスクリーンによって確認された.ルケージの理論と計算によれば,連鎖反応が生じ,最初に創造された原子から二つの原子が生まれ,この二つから四つが生まれ,これが継続するはずであった.
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ルケージの装置は完成した.この装置の効果は,重要な都市の上空で顕示される必要があった.その場所と時刻は,大統領をはじめとして,学者や軍人,そして政府部内の人々,が出席する会議で検討された.場所は,「このときなお科学とE=mc2と闘っている唯一の国である日本」となった.日本における公開の証明によって血なまぐさい戦争の即時停止をもたらし,以てこの公式の超人的力を立証できるであろう.都市としては,アインシュタインの提案により,ヒロシマとなった.ここはかつて彼が訪問し,温かい歓迎を受けたところであった.時刻は正午と決まった.「この時刻が日本の民衆が一番街路に多く出ているとき」だからである.
なお,政府部内の人々や軍人たちのほとんどは,物理学者たちと同じ楽観論をもってはいなかった.予備的実験に立ち会った軍人によれば,空に何かがきらめくのを見た.それがつくり出されたウランであるといって,白いほこりの粒のようなもののいくつかを彼の掌に乗せてくれたという.しかし,この夢想家たちが相手では何一つ確信はもてなかった.
オルメイヤーやルケージがヒロシマ上空で立ち会うなか,装置は作動を開始した.しかしこのとき,科学者たちの予想もしなかった悲劇が発生するのである.
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以上が,ピエール・ブールの小説「E=mc2」のあらすじである.この小説では,ムッソリーニやヒットラーとともに,アインシュタインやオットー・ハーン(ウランの核分裂の発見者の一人,上のあらすじでは省略)が実名で登場するし,またエンリコ・フェルミを思い起こさせる人物(→ルケージ)やロバート・オッペンハイマー(→オルメイヤー),さらにはニールス・ボーア(→スボルグ教授,上のあらすじでは省略)までが登場する.
原爆の開発は微量の質量を莫大なエネルギーに変換するものであるから,E=mc2におけるm→Eと表すことができる.他方,この小説はE→m,したがって逆向きの「マンハッタン計画」として読むことができるであろう.しかしながら,私としては,ここに若干の注釈を加えておきたいと思う.以下では,上のあらすじには触れられていない部分も関わることを,あらかじめお断りしておく.
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連鎖反応
アインシュタインをはじめとする科学者たちをどう性格づけるかは物語の都合によるであろう.したがって,たとえば,アインシュタインがE=mc2の爆弾への適用を考えもしなかったというのは,一応はおもしろい設定として受け入れることができる.
他方,ルケージの発見とされる連鎖反応は,この事業の核となる現象であり,開発された装置において実用される重要技術である.それにも関わらず,物語上,科学者たちはその本質をまったく把握していなかったことになる.彼らが優れた科学者であることは小説のなかで強調されているのである.
もちろん,「優れた科学者でも専門外のことについては間抜けな判断をすることがある」ということはしばしば言われる.しかしここでの場合,問題は専門中の専門,すなわち事業の目的に直接関係することである.これは何かのアイロニーなのであろうか.また,そんなことは別としても,素朴な読者にも物語のオチが途中でバレてしまうという事態は,著者にとって不都合ではないだろうか.
1919年の「天文学的実験的観察」
この小説中では,E=mc2の検証として,1919年のイギリスの天文学者たちによる観測について(2箇所にわたって)触れている〔193頁,213頁〕.これは世界的に大変有名な観測であるが,一般相対性理論の検証に関わるものである.他方,E=mc2は特殊相対性理論から導出されたものである.形式的には特殊相対性理論は一般相対性理論に包含されるが,理論的には両者はまったく独立である.したがって,1919年の「天文学的実験的観察」〔213頁〕は,E=mc2とは何の関わりもない.
こんな「上げ足取り」のような指摘はしたくもないが,小説中で歴史的事件に触れる場合,物語の進行ととくに関わりがなければ,史実に忠実であるほうが読者の興味を引くであろうし,史実に関して妙な誤解を広めずにすむであろう.また,ついでながら,この天文学的観察に関連して,「アインシュタインは実験による確認など軽蔑する」と書かれているが〔193頁〕,この天文学的観察は,史実としては,アインシュタインが自分の論文で提案したものである[2].
古典物理学は誤っていたのか?
ルケージは物理学を初めて志して,古典物理学の基礎を学んでいるとき,同時にそれらの観念の誤りを見抜いてそれを証明した,ということになっている〔211頁〕.これはルケージが「天才的な学者たること」を示す一つの取るに足らないエピソードではある.しかしこれは,本ブログにおける私としては,見過ごすことのできぬものである.
まず,こんなことはあり得ない.なぜなら,古典物理学(たとえばニュートン力学)は「誤って」などいないからである.古典物理学はいまでも,(科学史ではなく)物理学の授業において,しっかりと教育されている.誤っているものをなぜ生徒・学生に教えなければならないのか[3].
相対性理論や量子力学の出現によって私たちが学んだことは,「ニュートン力学は誤っていた」ということではなく,「ニュートン力学はどのように正しかったか」ということである.このことは,私が本ブログでしばしば取り上げる「理論変化」[4]に関わる重大事項である.
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公式E=mc2を初めて導出した1905年のアインシュタインの論文の末尾部分には次の文章がある[5]:
エネルギー含量が大きく変化するような物質(たとえばラジウム塩)においてこの理論の試験に成功することはあり得ないことではない.
これは,放出されるエネルギーから物質の重量減少を算出すれば,公式の検証ができるのではないかという提案である.アインシュタインはもちろん,自分の理論の検証には多大な関心をもっていたし,(ここでの例に限らないが)その提案内容は彼が物理学の広い領域にわたって深い知識を有していることを示すものであった.
唐木田健一
[1] Pierre Boulle, CONTES DE L’ABSURDE (1963)/大久保和郎訳『E=mc2』早川書房(1968).ここには,「E=mc2」を含む7つの短編が収められている.なお,以下の本文の一部に〔○○頁〕という挿入があるが,これはこの日本語版でのページを示すものである.
[2] 本ブログ記事「一般相対性理論以前でも光線の湾曲は予測できた!?」.
[3] 本ブログ記事「“単称言明”はいかにして“普遍言明”となるのか.カール・ポパー“反証主義”の浅はかさについて」.
[4] たとえば,本ブログ記事「科学史における理論変化の問題(2):基本理論の創造」,「渡辺慧教授の論文“求む:理論変化の歴史的・動的見解”に答える」,等.
[5] 唐木田健一『原論文で学ぶ アインシュタインの相対性理論』ちくま学芸文庫(2012),p. 303.