すでにむかしのことになるが,友人に勧められ,一般相対性理論の検証に関わるアーサー・エディントンの観測結果を考察した本に眼を通したことがある.この本はある科学史家によるもので,《その筋》では評判の高いものであった.
一般に理解されていることによれば,エディントンの観測隊は1919年の皆既日食の際,太陽近傍に見える星の位置を調べることによって,アインシュタインが予測した太陽の重力場による光線の湾曲を検証したとされている.この結果はロイヤル・ソサエティで発表され,新聞がそれを大きく報道することによって,アインシュタインは現在のような世界的有名人となった.
☆私はこの件を,桑木務訳/ハイデガー『存在と時間(上巻)』岩波書店(1960)の訳注で初めて知った.それによれば,アインシュタインの相対性理論が「専門家外に知られたのは,その理論で予言された結果が一九一九年のイギリス天文学者による皆既日食の観測によって実証されて“科学の革命,新時間空間論,ニュートン引力論の顚覆”というロンドンタイムズの大見出しで報ぜられたためで,アインシュタインの相対性理論は世界中にセンセイションをおこした」とある.
ところがこの本は,エディントンの観測およびその解析結果に疑義を呈していた.その疑義自体は,私は傾聴に値するものと考えた.しかし,気になったのは,その本では,一般相対性理論以前でも,すなわち「古典論によっても重力場による光線の湾曲は予測されるのであって,その値はアインシュタインの予測値の半分である」としていたことである.これには私は大いにおどろいた.
私の理解では,重力場による光線の湾曲は一般相対性理論によって初めて予測されたことである.そこに古典的理論など出現の余地はない.また,光線の挙動はマクスウェル方程式によって記述されるが,マクスウェル方程式に重力などは現れないし,マクスウェル方程式と重力との相互作用の理論も存在しない.私はこの本の著者の《無知》にあきれ,この話題を数人の友人たちにもち出したこともあった.
その数年のちのことである.物理の一般書を眺めているとき,「古典論による重力場での光線の湾曲」に相当するらしい議論に出会った.それによれば,半径Rで質量Mの球体に対し,無限遠方から速度vで質量mの粒子が近づいたとする.粒子は球体の表面すれすれを通過するとして,このとき引力により進行方向が曲げられ,再び無限遠方へと去っていくというモデルである(ただし,Mはmより十分に大きいとしておく).この場合の湾曲角度θはニュートン力学により計算でき,それはR,M,v,および万有引力定数Gで決まり,mには依存しない.ここで球体を太陽,運動する粒子を光線に見立てたもの〔v=c(光速度)〕が,古典力学で計算した重力場による光線湾曲の値とされているもののようである.
一般相対性理論の検証の際,このような《理論》が学界で通用していたとすれば,日食における観測結果を検討するとき,一般相対性理論の予測値が《古典論による予測値》とは有意に異なることを示す必要があろう.それなら,問題の本の著者が《古典論による予測値》に言及するのも当然であって,さきに「著者の《無知》」にあきれた私は,今度はそのような《古典論的予測》を知らなかった自分の無知を大いに恥じることになった.友人たちに自己批判もした.
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そのさらに何年かのちのことである.一般相対性理論に関するアインシュタインの諸論文を集中して読む機会があった.そのとき気づいたのは,アインシュタインは《古典論による予測値》にはまったく触れていないということだった.触れていないどころか,1911年に彼は自己の一般相対性理論にもとづいて,太陽の重力場による光線の湾曲を初めて導出し,その数値を与えている[1]が,それはたまたま,上に述べた《古典論による予測値》と一致するものであった.アインシュタインは論文の中で,この光線の湾曲の「問題を天文学者がとり上げることを強く望む」と書いている.仮にこのとき,天文学者が要請に応え光線の湾曲を正確に測定して,それがアインシュタインの予測値と一致したとするなら,彼の一般相対性理論は検証されたことになったのであろうか?
実は,このときの予測値には誤りがあり,この論文では「重力場による時計の遅れだけが考慮され,物指の読みの変化を忘れている」のであった[2].1916年に発表された理論(「完成版」)[3]においては修正がなされ,予測する湾曲はそのちょうど2倍の値となっている(☆).
☆アインシュタインの諸理論は,その第1報において,ほぼ完成された形で与えられている.それに対し,一般相対性理論については,論文上でも試行錯誤が見出される.
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あらためて「古典論による重力場での光線の湾曲」について考えてみよう.1910年代の物理学界といえば,すでに特殊相対性理論(1905)が提出されて十分な時が経過している.特殊相対性理論によれば,質点の運動速度は光速度(c)に達することはできない.したがって,光線を運動する質点として扱うモデル,および光速度v(=c)を含む湾曲の値は成立しない.
また,アインシュタインは1905年の「光量子論」に関する論文[4]の中で,「物理学者が,気体や物体に関して構成している理論的諸概念と,いわゆる真空中における電磁過程のマクスウェル理論との間には,深い形式上の相違がある」ことを指摘している.すなわち,物体の状態は,数は非常に多いにしても,有限の数の原子および電子の位置と速度により完全に決定されると考えられるのに対し,空間の電磁的状態を記述するためには連続的な空間関数が用いられる.そして,その状態を完全に決定するには,有限な数のパラメータでは十分でないとみなされる.マクスウェル理論によれば,光を含むすべての純粋な電磁現象の場合,エネルギーは連続的な空間関数である.他方,物体のエネルギーは,原子および電子といった多数の微小部分に分離して存在する.
したがって,アインシュタインにとって,光という電磁過程を質点(物体)の運動として扱う《古典論》など,最初から論外であったのである.
唐木田健一
[1] A. Einstein, Annalen der Physik, 35 (1911), pp.898-908. 日本語表現は,湯川秀樹監修/内山龍雄訳編『アインシュタイン選集 2』共立出版(1970)のものを採用した.
[2] 注1における日本語文献32ページの「訳注」.
[3] A. Einstein, Annalen der Physik, 49 (1916), pp.769-822.
[4] A. Einstein, Annalen der Physik, 17 (1905), pp.132-148.