唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」はアインシュタインの言葉か?

2022-05-18 | 日記

YS氏(cc: KS氏)宛私信(総編集2009年8月22日)

先日ある新聞の一面コラムに,アインシュタインの言葉として,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」が引用されていたが,これはアインシュタイン(Albert Einstein)のいとこアルフレート・アインシュタイン(Alfred Einstein)の言葉ではないのか,というのが私へのお尋ねの趣旨でした。そこで,手元の本を少し調べてみました。ヘレン・デュカス[1]の関係した本(B・ホフマン/H・ドゥカス,鎮目恭夫/林一訳『アインシュタイン―創造と反骨の人』河出書房新社,1974)にそれらしいものがあったような気がして取り出しましたが,「死とは・・・」に該当するものは見つかりませんでした。

アインシュタインがそう言ったということが日本で広まったのは,吉田秀和・高橋英郎編『モーツァルト頌』白水社(1966)という本に引用されてからのようです。しかし,この本では出典が全く不明です。問題の新聞コラムの筆者が依拠したのはこの本ではなく,より最近のNHKアインシュタイン・プロジェクト『アインシュタイン・ロマン1』日本放送出版協会(1991)かも知れません。ここでは,アインシュタインの言葉として,「私にとって死とはモーツァルトが聞けなくなることです」が引用されています。出典としては,(出典が不明な!)上述の『モーツァルト頌』とともに,「アーカイブNo34-321」が引用されています(125-126頁)。「アーカイブ」とは「アインシュタイン・アーカイブEinstein Archives」のことです.またこの本では,引用のあと一文を挟んで,「なおモーツァルトを論じる音楽評論家として名高いアルフレッド・アインシュタインは彼のいとこにあたる」と書かれています。

アーカイブで検索したところ,原文には到達しませんでしたが(また到達できるのかどうか知りませんが),No34-321はauthor: Dukas, HelenでDate: 05/17/1939とありました。やはり,デュカスです。そこで先の本(『アインシュタイン―創造と反骨の人』)をもう少していねいに調べたところ,次の文章がありました(224頁):

彼〔アインシュタイン―引用者挿入〕の言うには,ベートーベンは自分の音楽を創造したが,モーツァルトの音楽は,宇宙に昔から存在してこの巨匠により発見されるのを待っていたように思われるほど,純粋だというのであった。また別の機会に,アインシュタインは原子戦争がもたらす荒廃を考えながら,そうなれば人々にはもはやモーツァルトは聞こえなくなるだろうと言った。一見これは奇妙に筋ちがいのことばのようにみえるが,文明の破滅を,これ以上深く言いあらわすことがほかにできるであろうか?

これが問題の言葉のもととなった文章と思われます。『モーツァルト頌』の編者は,どこかでこれを読んだ記憶から,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」という言葉を作文したのでしょう。だから出典が明示できないのです。注意すべきは,この文章で問題になっているのは,「原子戦争がもたらす荒廃」や「文明の破滅」であって「死」ではないことです。確かに「荒廃」や「破滅」は「死」とは結びつきやすいものですが,当然両者の区別は必要です。

また,もしこのアインシュタインの発言がNHKの本(『アインシュタイン・ロマン1』)で引用されたアーカイブNo34-321と関係があるとすれば,その日付(「05/17/1939」)はウラン235の核分裂が発見され,またそこで発生する中性子の数から,核連鎖反応が可能であることが明らかになった時期と一致します。これは興味深い事実です。

以上の事情で私は,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」などという言葉がアインシュタインのものとしてもてはやされているのは,無責任なモーツァルト評論家のいる日本だけであろうと考えています。

「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」は,世界史的アイドル《アインシュタイン》が死を定義づけた,あるいは自分にとっての死の意味を表現したかのように受けとめられますが,それでは(当人が世界史的アイドルということを除けば)単に熱烈なモーツァルト・ファンの発言に過ぎません。だから,一部のモーツァルト・ファンにはうれしいことなのでしょう。しかし,私から見たらそれは,酒好きの人が「死んだら酒飲めなくなる」と言っているのと同レベルです。

ついでに付け加えておけば,日本語Wikipediaの「アルフレート・アインシュタイン」の項では,根拠を示すことなく,「死ぬというのはモーツァルトを聴けなくなることだ」を「アルベルト(あるいはアルフレート本人?)の」「名言」と書いています。他方,英語版Wikipediaの“Alfred Einstein”の項ではそのような記述はなく,またAlfredとAlbertの関係も,(1)イトコである,(2)縁戚関係はない,(3)遠い親戚である,という3つの説があることを紹介しています[2]。私はアルフレートにも彼の仕事にも関心がありませんので,彼についてこれ以上追究することはしません。

なお,上に紹介した日本語訳の原文を示しておきます:

He said that Beethoven created his music, but Mozart’s music was so pure that it seemed to have been ever-present in the universe, waiting to be discovered by the master. On another occasion, contemplating the devastation that would result from atomic war, Einstein said that people would no longer hear Mozart.  At first this seems a strangely irrelevant remark.  Yet what could more deeply convey in so few words the destruction of civilization? 〔Banesh Hoffmann with the collaboration of Helen Dukas, ALBERT EINSTEIN CREATOR & REBEL, Plume (1972), p.252〕

上の英文では,“People would no longer hear Mozart.”となっています。主語は“people”であってアインシュタイン自身ではありません。これをそのまま訳せば,「人々はもはやモーツァルトに耳を傾けようとはしないであろう」となります。アインシュタインは,「モーツァルトの音楽は,宇宙に昔から存在してこの巨匠により発見されるのを待っていたように思われるほど,純粋だ」と評価していました(上に引用済)。したがって,ホフマン/デュカスの表現によれば,「原子戦争がもたらす荒廃」や「文明の破滅」の事態においては,「モーツァルトの音楽の純粋さは生き延びないであろう」とアインシュタインは考えたのです。

アインシュタインがモーツアルト愛好家であったことはよく知られています。したがって彼が何かの機会に,「死んだらモーツアルトを聞けなくなる」という趣旨を発言したとしても,それはいわば単なる《与太話》に過ぎません。他方,ここに私が紹介した文章は,信頼できる著者たちによる公開文書であり,かつ深刻な内容を示唆するものです。この文書の存在が明らかである以上,私たちはもはや,そんな与太話にお付合いをする必要は何もありません。

唐木田健一

2023年10月追記:本記事の続編的位置づけとして,「“アインシュタインとモーツァルト,どちらが天才だと思います?”――?」を御覧下さい.


[1] 私はここでは“Dukas”を「デュカス」と表記するが,「ドゥカス」とする訳者もある。

[2] Wikipedia(日本語および英語版)については2009年8月22日現在の記述である。なお,現在(2022年4月15日)の日本語Wikipediaの「アルフレート・アインシュタイン」の項には,「死ぬというのはモーツァルトを聴けなくなることだ」に関係する記述はない。


1 コメント

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Unknown (モーツァルト分からんくて悔しいよぉ〜)
2023-08-07 04:30:43
モーツァルト美さ分からんコンプレックス発動の長文。この熱量こそがホンモノの感情よな

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