唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

ここ何十年も「原爆許すまじ」を耳にしない――広島平和記念公園のこと

2024-08-14 | 日記

「原爆許すまじ」

 子供のころしばしば「原爆許すまじ」という歌(☆)を耳にした.

ふるさとの街(まち)やかれ

身よりの骨うめし焼土(やけつち)に

・・・・・

ではじまる暗く重々しく,同時に力強い歌であった(作詞・浅田石二,作曲・木下航二).これは,主として,原爆に関するNHKラジオのニュースや報道番組を通じて,広島や長崎からは遠く離れた私たちにも届いたのであった.

☆正確なタイトルは「原爆許すまじ」のようであるが,ここでは私の子供のころの記憶にもとづいて「原爆許すまじ」とした.道場親信さんの論文「“原爆を許すまじ”と東京南部―50年代サークル運動の“ピーク”をめぐるレポート」では,一貫して「原爆を許すまじ」と書かれており,「原爆許すまじ」は引用文にしか出現しない.

 私たちがこの歌に直接の関心をもったのは,小学生のとき学校で見に行った映画「千羽鶴」(監督・木村荘十二,1958年)の影響であった.この映画は,幼いころに被爆し原爆症により小学6年で亡くなった佐々木禎子さんを主人公としたものである.この映画の中での「原爆許すまじ」の歌は非常に印象的であった.映画を見た数日後,同級の深堀泉さんが歌詞を調べてきた.みんながそれを書き写し,クラスではこの歌がうたえるようになった.

 「原爆許すまじ」はこのような歌だったのであるが,私はここ数十年,それを耳にしたことはない.

異様に《美しい》原爆ドーム

 初めて「原爆ドーム」を訪れたとき,ちょっと異様に感じたのは,ドームを構成している材料や「がれき」がとても《美しい》ことであった.原爆ドームは「廃墟」のはずである.しかしそれは,少しも荒れ果てた感じを与えない.すぐに理解したのは,この重要な建造物を維持・管理するため,多大な手間と費用がかけられているということであった.すなわち,荒れ果てた状態を荒れ果てさせないように維持しているということである.

 少しあとになってこのことを笹本征男さん(☆)に話したら,面白いことを教えてくれた.以前,平和記念公園の売店で,原爆ドームの組み立てキットが売られていたとのことであった.すなわちそれは,組立が完成すると,あの原爆ドームが出来上がるというのである.

☆笹本征男(1944-2010).日本占領史研究者.『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』新幹社(1995)ほかの著者.

 笹本さんはついでに,もうひとつの話を付け加えてくれた.若い人とともに平和記念公園にいたときのことである.彼が「原爆が破裂したのはこの上空だったんだよ」と言ったら,「えぇ? こんな静かな公園の上でですか?!」という返事が返ってきたとのことであった.

原爆の子の像

 原爆の子の像は映画「千羽鶴」の最後のほうに出てきたと記憶する.像の少女の顔が,映画で禎子役をつとめた女の子に似ていたので印象に残っている.この像は,禎子さんの同級生たちが中心となって,1958年に建立されたとのことである.

 初めて広島平和記念公園を訪れたとき,まずは原爆の子の像に会いたいと思った.案内図を参照して探したが見つからない.うんざりして,ぼーっと上のほうを眺めていたら目に入ってきた.少女像は,非常に高い三脚ドーム型台座上にあったので,左右をきょろきょろとばかりしていた私は気がつかなかったのである.

 この台座をなす塔の内部には湯川秀樹さんの筆による「千羽鶴」「地に空に平和」の文字が彫られた鐘があるそうである.しかし,イカンながら,そのときはまったく知らずに過ごしてしまった.

唐木田健一,2024年8月