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きつねゆりセカンドハウス

きつねゆりは「グロリオサ」の和名です。
あの方の復帰を願いながら、
ぶつぶつつぶやいています(o'.'o)

料理番組内

2016-05-11 11:35:03 | ぺ・ヨンジュン


“ヨン様夫人”女優パク・スジン、料理番組内で妊娠を自ら告白

韓国女優パク・スジン(30)が
「玉水洞(オクスドン)の一番弟子」を通して妊娠の事実を報告した。
韓国O'live TVは10日、ネイバーTVCastに
料理番組「玉水洞の一番弟子」放送分を先行公開した。
この日公開された映像でパク・スジンは、
共演者ユ・ジェファン(26、シンガーソングライター)と
シム・ヨンスン(75、料理研究家)に慎ましく妊娠を告白した。

この日の収録でユ・ジェファンはパク・スジンの妊娠報道にそわそわしていた。
これを悟ったパク・スジンはふざけて、
「だから私に優しく接するのね」としジョークを飛ばした。
そしてユ・ジェファンはパク・スジンの代わりにシム・ヨンスンに
「ヌナ(年上の女性に使用する言葉=ここではパク・スジンのこと)が
妊娠したらしい」と耳打ちした。
驚いたシム・ヨンスンはパク・スジンを温かく抱きしめ祝福した。
シム・ヨンスンの抱擁にパク・スジンは
「ありがとうございます」と涙ぐみ、視線を引き付けた。

2016年5月10日16



ちゃんと検査をして、確かだからテレビでも言えたのね
よかった~
よかった・・・・

私も、ヨンジュンにお祝い言いたいな・・・・・
公式掲示板に書き込んでも
ヨンジュン見るのかな・・・つぶつぶ
生まれる時まで暖かく見守っている方がいいかな・・・

この機会に・・・・

2016-05-10 11:06:32 | ぺ・ヨンジュン


この機会に、じっくり過去を振り返るのも
いいかも・・・・
知らないことはあるかな・・・えへへ


ペ・ヨンジュン 過去への旅路 [第1回]
過去への旅路 [第1回]・・・・・ポチっと

長く新作が発表されていないペ・ヨンジュン。
しかし、彼に敬意を表しているファンは今も多いことだろう。
かつて「愛してるっ!!韓国ドラマ」誌に掲載された
「ペ・ヨンジュン 過去への旅路」の記事を再構築して、
あらたに「ロコレ」で連載することになった。
彼の堂々たる人生を年代順にたどっていくことにしよう。

人は何歳の頃から自分が誰だかわかるのだろうか。
あるいは、幼い頃の記憶は何歳から思い出せるのか。
人それぞれにまったく違うだろうが、ペ・ヨンジュンの場合、
記憶しているのは家の中でいつも1人で遊んでいる自分自身だったという。
そういう意味では、とても内向的な子供だった。

2005年8月に三度目の公式来日をしたとき、
ペ・ヨンジュンはテレビ朝日系の「徹子の部屋」に出演したが、
その際に「あまりに内向的で親に心配をかけていました。
だからこそ、自分は変わらなければいけないのかな、と思いました」と語っていた。
親に心配かけていることを申し訳ないと思うような利発さを、
すでに幼い頃から持ち合わせていた。
そのクレバーな性格は今も変わらない。
まさに、人間の原点はその幼年時代にあるといえるだろう。

大河にもたとえられるペ・ヨンジュンという生き方・・
その源流を知るためにも、ゆっくりと時間をさかのぼってみよう。
そこには、ペ・ヨンジュンを彷彿させる様々なエピソードが浮かび上がってくる。
ペ・ヨンジュンは1972年8月29日にソウルの中区で生まれた。
家は東大門(トンデムン)市場に近い龍頭(ヨンドゥ)洞にあった。
そこは下町の雰囲気を残す賑やかな地域だった。
1972年というと、日本では第二次ベビーブームの真っ只中だった。
つまり、戦後すぐのベビーブームに生まれた人たちが20代に成長し、
結婚ラッシュとなって多くの子供が生まれたのだ。
それは韓国もまったく同じで、
1945年に植民地支配から解放されてからベビーブームとなり、
その子供たちが成人して1970年代前半に第二のベビーブームが起こった。
つまり、ペ・ヨンジュンの世代は人口が多く、
学校は常に生徒であふれかえっていた。
それだけ競争にさらされ続けたのだ。
しかし、ペ・ヨンジュンは人と争うことを好まず、
1人で静かに遊んでいるのが好きな子供だった。
とはいえ、幼い頃からペ・ヨンジュンは親の手に負えなかった。
それは彼がきかん坊だったからではない。
むしろ、素直で親の言うことをよく聞いた。それでは、なぜ親を困らせたのか。
実は、度がすぎるほど好奇心が旺盛だったからだ。
とにかく、ペ・ヨンジュンはなんにでも「なぜ」という疑問を持った。

なぜ、そうなっているのか。

なぜ、こうならないのか。

たとえば、男の子が好きな組み立て式のおもちゃ
(日本でいえばマジンガーZのキャラクターのようなもの)で遊んでいると、
それがどんな原理で組み立てられているのかが気になって仕方がなかった。
そうなると、どうしても分解したくなる。
ペ・ヨンジュンは屋根裏部屋にこもり、
ドライバーとペンチを持って早速解体作業に入るのだった。
母が急にいなくなった我が子を見つけたとき、
屋根裏部屋は散らかった部品で足の踏み場もないほどだった。
分解方法をひと通り学ぶと、今度は組み立ててみたくなる。
好奇心はとどまるところを知らない。
図面に目を凝らし、接着剤を使いまくって、
飛行機、戦車、自動車などを1日中でも組み立てて遊んだ。
普通の男の子なら、外で砂遊びやサッカーなどで遊ぶ。
けれど、ペ・ヨンジュンはむしろ誰にも干渉されずに
1人で思う存分に遊ぶことが好きだった。

そうはいっても、やはり男の子である。やんちゃな面もあった。
6歳のときには、
1歳下の妹の鼻の穴に豆を入れてしまって大騒ぎを起こしたことがある。
豆は穴の奥深くに入ってしまったようで、まったく出てこない。
結局、妹の鼻がパンパンに膨れ上がってしまい、
病院に駆けつける騒動となった。
ムチによる仕置きを受けたのも仕方がなかった。

小さい頃からテレビを見るのが大好きだった。
1人でいることが好きだったペ・ヨンジュンにとって、
テレビは何でも教えてくれる先生にも似ていた。
ドラマを見ていて不思議だったのは、どんな大人も
「掛けで」というとお金を払わずに店を出ていけることだった。
まるで魔法の言葉を見つけたような興奮を覚えたペ・ヨンジュンは、
実際に駄菓子屋で好きなお菓子を
「掛けで」というたった一言で持ち出してしまった。
しかし、駄菓子屋のおじさんから事情を聞いた母は烈火のごとくおこり、
ペ・ヨンジュンは手のひらが真っ赤になるほど叩かれた。

ペ・ヨンジュンの一家に大きな変化が訪れたのは、
彼が小学校3年生のときだった。
父が脱サラをして天安(チョナン)で牧場経営を始めたのである。
チョナンはソウルの南90キロほどの距離にある地域だ。
とりあえず父だけ単身で天安に行き、
ペ・ヨンジュンと母、妹は引き続きソウルの自宅に残った。
けれど、週末や長期の休みになるとペ・ヨンジュンは天安へ行き、
牛や豚の世話を手伝った。
都会の生活しか知らなかった彼にとって、牧場の生活は刺激に満ちていた。
家が密集したソウルの下町育ちだけに、
自然に恵まれた環境は楽しくて仕方がなかった。

また、父から空気銃の使い方を教えてもらい夢中になった。
自分ながら射撃の才能があると思い込み、
将来は狙撃選手になろうかな、と思うほどだった。
男の子だから、当然冒険心がある。
特に子供向けの冒険小説が好きだったペ・ヨンジュンは、
牧場のどこかに莫大な財宝が隠されているかもしれないと空想し、
牧草地のあちこちを掘ったりして楽しんだ。
そのまま牧場での暮らしが続けば、どんなに楽しかったことか。
しかし、それは長く続かなかった。
父の牧場経営が失敗してしまったからだ。
借金の返済のために龍頭洞の自宅を売却しなければならなくなったのは、
ペ・ヨンジュンが小学5年生のときだった。
これは本当にショックな出来事だった。
生まれたときからずっと住んでいたところだけに、人一倍の愛着があった。

しかし、一家はまだ開発途上だった江南の明逸(ミョンイル)に引っ越した。
ペ・ヨンジュンも子供ながら、
一家の生活が苦しいことを実感せざるをえなかった。
(次回に続く)


文=康 熙奉(カン ヒボン)

人間ペ・ヨンジュン

2016-05-08 11:20:24 | ぺ・ヨンジュン


韓国の伝統から見たペ・ヨンジュン

変化が早い韓国社会の中でも、特に芸能界は人気者の入れ代わりが激しい。
そんな中で、
ペ・ヨンジュンは新作がないままに悠然と日々を過ごしているように思える。
実際、経営の仕事に忙殺されているというわけでもないであろう。
しかし、ひとたび時機がくれば、彼は真っ先に姿を現すに違いない。

ペ・ヨンジュンは、多くのファンの支持を集めるスターでありながら
メディアでの露出が今はない。それゆえ、あれこれと思いをめぐらせてしまう……
彼の1日はどんなふうに彩られているのか、と。
そんな想像を重ねていると、一つの言葉にたどりついた。
それは「士大夫(したいふ/韓国ではソンビと呼ばれてきた)」である。
ペ・ヨンジュンに対して感じる“孤高”のイメージが
この言葉を導き出したのかもしれない。
士大夫(ソンビ)とは、
朝鮮王朝時代に在野で学問的な研鑽を積んだ高潔な人のことだ。
日本の歴史上では同じような概念を持った存在がないので、
士大夫を理解してもらうには相応の説明が要るかもしれない。
朝鮮王朝時代には儒教が国教になっていて、
国の制度から庶民生活の隅々まで儒教が強大が影響力を持っていた。
その中で、男性の最高の望みは儒教の教義に精通し、
官職を得て立身出世することだった。
しかし、一部の清廉潔白な人たちはあえて官職にこだわらず、
市井の中で自らが率先して儒教的道徳規範を生活の中で実践した。
それが士大夫であり、彼らは自分たちの生き方そのものが
他の人々を教化する模範になると信じた。
高い教養を持った高潔な士大夫たちは人々から一目置かれ、
その存在は王ですら軽視することができなかった。
とはいえ、士大夫はただ堅物だったわけではない。
彼らは志が同じ仲間と一緒に酒を飲み談論風発を好んだ。
また、詩や文章を通して自らの人生論を後世に伝えた。

以上のように説明してきてペ・ヨンジュンの話に移ると、
自然に映画『スキャンダル』のことを思い出してしまう
朝鮮王朝時代、士大夫の対極に位置していたのが退廃貴族たちだった。
彼らは名門に生まれた境遇に甘んじ、ただ享楽に溺れて人生を無為に過ごした。
映画『スキャンダル』でペ・ヨンジュンはそんな退廃貴族に扮した。
これは、大方の人からは“意表をつく配役”だと思われた。
なにしろ、この映画が制作された2003年当時、
ペ・ヨンジュンの謙虚で誠実な人柄は韓国でも知れ渡っていたのだから。
まさに、主役が本人と正反対の人物を演じることで
虚構の世界に際立った物語性を持ち込もうというのが
映画『スキャンダル』の試みの一つだった。
その狙いは十分な成果をあげた。
なぜそう言い切れるかというと、
観客たちの多くが退廃貴族の中に潜在的にあった
“真実の愛を渇望する心情”を見抜いたからである。
仮にペ・ヨンジュンが主役を演じなければ、
あそこまで観客たちが退廃貴族の心の中にまで入っていけたかどうか。
たとえ俳優は虚像を演じる存在だとしても、
人生に真摯に向き合っている人であれば、
対極に位置する人格に扮してもきちんと本質を見せてくれるのだ。
つまり、意表をつく配役のように見えて、
実は的を得たキャスティングだったと言えるのである。

ペ・ヨンジュンのキャリアにおいて独特の芳香を放っているのが、
『韓国の美をたどる旅』の執筆だった。
これは、俳優とは一線を画す作業であったために、
彼のプロフィールから洩れてしまうことが多いのだが、
実は人間ペ・ヨンジュンを語る際には
ターニングポイントになった作品であると思える。
日本や他のアジア諸国の人たちに韓国の文化と芸術を自ら紹介したい、
というのが執筆の直接の動機だったが、同書を読んでみると、
その深い精神世界に引き込まれる。
『韓国の美をたどる旅』では書名のとおり、
ペ・ヨンジュンが最初から最後まで旅を続けている。
それは、韓国の各地に住む名人たちの息吹に触れる旅だ、
と言っても過言ではない。
その旅を通して、ペ・ヨンジュンは韓国という国の成り立ちを
文化的な側面から明らかにしてくれるのだが、
彼が文化・芸術分野の士大夫たちを訪ねまわって最後に私が気づいたのは、
ペ・ヨンジュンこそが“士大夫(ソンビ)”だったということである。

彼は同書の後書きでこう書いている。
「出会う人々や体験するすべてのことが、
生まれて初めて感じる新鮮な思いとして受け止められる時間となった。
胸は高鳴り、自分でさえ知らなかった意欲と情熱が蘇ってきた。
新しい物事に接する時に感じる即興的な感動以上の
何かがいつも心の奥底に残り、次の旅程を期待させてくれる、
そんな旅だった。
自然の前で、深い芸術の魂の前で、巨大な遺産の前で、
私はただ平等な魂のひとつに過ぎなかった」

この文章の中では、
“ただ平等な魂のひとつ”という表現に感銘を受ける
(韓国語版では、「魂」という言葉が「霊魂」になっていて、
より神秘的な精神性を感じさせる)。
平等な魂のひとつ……
つまり、ペ・ヨンジュンは偉大なるものの前で
自分を謙虚に見つめ直しているのである。
その姿勢こそが士大夫になくてはならないものだ。

それでは、現代韓国において、
「士大夫(ソンビ)のようだ」と言われることには
どんな意味があるのだろうか。
経済優先の考え方からすれば、士大夫とは在野にいて出世を果たせなかった人、
というイメージがまとわりつく。“
損得”を価値基準にすれば、それは“損”な役回りなのかもしれない。
しかし、経済より人間性を尊重する社会になると、
士大夫に対する印象は一変する。
彼らの精神が世の中を動かすきっかけにもなりうるのだ。
朝鮮王朝でもし王政に誤りがあれば、
士大夫たちは死をかけて王に諫言することをいとわなかった。
また、他国から侵攻を受けたとき、
士大夫は真っ先に立ち上がって自らの使命を果たした。

作品がしばらく不在だからといって、
ペ・ヨンジュンは隠棲しているわけではない。
必要なことがあれば、かならず表に出てくるだろう。

そのときはいつなのか。
待つほうにも覚悟が必要である。

結婚をして子供も授かろうとしているペ・ヨンジュン。
やがてかならず自分の使命に忠実になるときがくる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)



カンssiは、家族以上に俳優ペンジュンが表に出て
「作品」に出てくれることを望んでいる・・・・
ずっと書いているコラムでひしひしと感じられますね。