墨工房日記

墨職人の楽しみながらの、奮闘記

墨って最先端?

2008年09月28日 | Weblog
前回のブログで墨の起源について考えました。
古い、ふるい物です・・が・・・

こんな、ことも

今、最先端中の最先端の癌の治療で
画期的な技術が確立できるかも・・なそうです。

癌の治療で癌の患部にがん細胞をやっつける薬を付けるのは、とても難しいようです。
患部の一部につけるのは可能ですが、全体に付けるのは凸凹があるためか、ザラザラなのかわかりませんが、どうしても一部に付かないようです。

そこで、画期的な話ですが、

ナノチューブという、大きさの単位でものすごく小さいナノの単位で出来ているカーボンを使うのです。
このカーボンにはさらに小さな穴が沢山開いております。
第1・この穴に癌の治療薬を入れる。
第2・薬を入れたナノチューブをたんぱく質の液に混ぜる。
第3・第2の液を癌の患部に付けると、がん細胞の隅々まで広げることができ癌を退治できる。

これって、最先端の墨のようです。

ナノチューブは炭素です。すなわち・・煤です。
これにたんぱく質の液・・・すなわち・・膠液です。

膠は水に溶けると、限りなく水と混ざる性質があります。さらに、これに混ざった煤も水のようになります。

このために、凸凹の細胞に水の如く付けることが出来るのでしょうか?

濃墨で、ザラザラの和紙に描くと、墨は和紙にしみ込みませんが、
水を加えた淡墨ですと、和紙に吸い込まれていきます。

このようなことなんだろうか?
素人なので、詳しいことは解かりませんが、
時代の最先端で墨が生きていると、嬉しいです。

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墨の歴史

2008年09月26日 | Weblog

ラスコー洞窟の壁画 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。


墨は膠と煤を混ぜて作られます。
煤は黒い色付け、膠は煤を定着させる働きがあります。

墨はいつ頃作られたのでしょうか?
文献によりと、中国で漢の時代には存在しており、

形は玉状で“墨丸”と呼ばれており、遺跡から出土しています。
ざっと、2000年前!!

煤と膠が出会ってから、基本的に今まで墨は変わっておりません。
奇跡の出会いがあったのです。・・・いつ・・

先日、膠を深く研究している画家・kim-minさんとお話していて、
「何時、煤と膠が出会ったのでしょう?」

と・・・・私
kim-minさん
kim-minさんの作品集

「人類が火を使ったときでしょう」

かなり古くなる~~
人々が洞穴などで狩猟生活をしていた時代に、

壁画などを描きました。
最初は消し炭などの木炭で描きましたが、

すぐに消えてしまいます。

ところが、肉を焼いた時に出る“肉汁”の付いた炭、もしくは炭と肉汁を混ぜてどろどろにして“墨”を作り描いたら、壁画が消えなかった・・・

肉汁には膠が入っています!!

こんな推察ですが、私も同感です。
ロマンがあるのか、自分の仕事が10000年前の仕事か?

>

アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年 - 10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。

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高知市を訪ねて

2008年09月19日 | Weblog
17,18日に私が参加している、
町創りの会 “田辺ほんまもん協議会”
の仲間達と高知県高知市に研修に行きました。

紀州から高知に行くには・・・地図を広げて、海の上を渡れば、隣の県ですが、
実際は大阪に出て、明石大橋をわたり、淡路島を縦走して鳴門大橋をわたり、

明石大橋(四国側より)

四国の徳島市に上陸、そこから四国山地を横切って高知着!!
バスで8時間の行程です。

バスの中から研修が始まり~~ずーと~~夕方までお勉強でした。
高知と和歌山は自然が豊で素晴らしいところですが、

過疎、高齢化、人口減少とのいたちごっこでドンドン疲れているようです。
でも、まあ、正直言って個人的には“過疎は広々、のびのびで贅沢なことですが”

高知市ではイロイロなところを視察して周り、市の職員もずいぶん丁寧に案内してくれました。ありがとう!!

  宿から観た桂浜

中味は、難しくて紹介できませんが、
お互い、良いところを吸収して頑張りたいとの思いで一杯でした。

初めて渡った
“明石大橋”
高知の景勝“桂浜”
それから“坂本竜馬”の勇姿をお伝えします。

 坂本竜馬像

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水墨画家・岸野忠孝さんの個展

2008年09月15日 | Weblog
14日、国際奈良学セミナーハウス(奈良市)で行なわれた、
水墨画家・岸野忠孝先生の個展を拝見しました。

会場のセミナーハウスは奈良公園内にあり、東大寺、興福寺などなどの観光名所の一角で
以前のお寺を改修した、とても素晴らしい和風の場所です。

岸野さんは今年に古希を迎えられましたが、画業ひとすじでご活躍されています。
広い会場一面に作品が展示され、ユックリ鑑賞できました。

 

 



独特の画風と、墨の力を活かしきる作品は大好きです!!

今回は、私の作った墨を沢山使ったから・・・とのお話を聞いておりましたので、
何が何でも拝見したかったです。

一点一点説明を受け、墨に関してイロイロなお話を承りました。
これほど、墨を大切におもわれる方も、私の知る限りでは数人です。

 岸野先生と

墨作り職人として、幸せなことです。

帰りは、奈良から宇治により平等院を拝観して帰りました。
平等院は人気のスポットのためか、人人・・ひとで



平等院は素晴らしいのですが、
田舎者にはユックリできる場所ではありませんでした。

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俵太さんがやって来た!

2008年09月09日 | Weblog
8月のある日、突然に恰幅の良い変な格好の中年の男性が尋ねてきた。
じ~~と見ていたら、どこかで会った人、
俳優の越前屋俵太さんでした。



懐かしい!!
もう、10年ほど前にTV撮影で工房に来てくれていた。
その頃は、テレビにもよく出演しており、とても売れっ子でした。

その後~~~
あまり見ることも無く、あるとき、詳しい人に尋ねると・・

芸能人の世界がイヤになり京都の山奥で農業をやっている・・・
とのことでした。

俵太さんは来て、今は俵越山と名乗り、書家です。とのこと
オドロイタ!! 本当に書家をしているんです。

私の墨を買いに来た!! 嬉しいことです。
わいわい、再会を喜んだ後、

松煙墨を使い、一筆書いてくれました。


“伝統に知力が加わり、新しい物が生れる”

俵太さんは上手くは無いのですが・・と言っていましたが、
とても味のある、素晴らしい作品です。

特に、伝統、知力、新しい の部分
墨は先に書いた部分が重ねて後に書いた部分の上にくる点を利用して
の重なり具合がとてもオモシロイ表現です。

このドタバタが1時間の楽しい番組になって放送されたのですから、
さすが!! 俵太さんです。今後の活躍が楽しみです。

俵太さんHP

文頭で“突然”と書きました、一応、TV局からは取材で来るとの話はありましたが、
ビックリカメラ!!でした。

歌手の坂本冬美さんがステージ上で自筆の書をバックにして歌う、
俳優の松村雄基さんの書道好きなど等・・墨に興味が湧いてくるようです。

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