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コジキジゲン

十年マエの記録

2016-02-25 18:47:39 | 古事記字源

 今朝(けさ・コンチョウ)は、小樽の従姉の孫娘(1月2日0時)の「誕生命式」を頼まれていたので、印字して郵送してきた。「比肩建禄格・氐宿」である。だが産んだ母親は突然の陣痛と真夜中の「帝王切開」での苦痛と苦労の結果の命の誕生であったらしい・・・母と娘、共々、無事に健康であって貰いたいと願う・・・インクの補充が長期間いらないプリンター、順調で、便利ではあるカナ・・・本日は此処(蝦夷地)では大雪になりそうだ。帰り道は雪で埋づもった道をヨイショ、ヨイショ、ヨッコラ、ヨッコラと歩いてきたが帽子もダウンジャケットも真っ白っけ・・・コンピュータを開けたら、もう、2月25日木曜日だった。コレからが厳寒のシバレとドカ雪との本格的な戦いカモ・・・ムカシ、蝦夷地に渡って探検したヒトビトのコトを思えば、「天国」かも・・・それにしても、元々、ココで日常生活をしていた「アイヌのヒトビト」には、結果、「迷惑千万な外来人」であったろう・・・
 三笠の従姉の息子に貸していたボクの「2006年のブログ日記の印刷本」の「文字霊日記」を返して貰ったので再読・・・10年前も、今現在も書き込んでいるモノは同じような繰り返しの記録ではアル、なって・・・文章展開のコトバは軽い・・・そして、それ以前(1983~1990年~2000年代)に書き込んだ「ワープロの記事」を「ホームページに転写したモノ」も・・・
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 現在の「ボクのHP」は「モウ君の総合目次」として
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/kkmokuji.htm
 に移転し、「2011年」からお借りしています・・・
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 今現在は殆んど現物の「書籍・辞書・事典・字典」を手にして読むコトがなくなった。この町には古本屋も無いから・・・覗いて視るのはコンピュータのモニター画面上の文字と文章、ニュース、動画・・・そして、書き込むモノは、便利で手っとりバやい、「コピペ」で貼り付け・・・多分、「ボクの日記」を読んでくれるヒトも、ボクの不明確で曖昧なコトバは「ブログ辞典」で検索しているだろう・・・だが、ボクの手前勝手な「漢字熟語・コトバ」は検索しても出てこないカモ・・・ホトンド「・・・」、「ーーー ---」、「↓↑」に囲まれた文字や文章は「他者の記録モノ(ブログ記事・事典類)の転写」で、感想、説明、批評の部分のみが「ボクの主体的(?)なモノ」です。参考、参照で、ことわりもなく、「トラックバック」もしない場合も多く、転写、添付、ごめんなさい・・・決して、「盗作」と云うことではないので、御容赦ください・・・添付したホトンドのモノは、即、ダレでもが、コンピュータで「検索」出来るものばかりと・・・
 「原文引用」の殆んどが「無料のウイッキペデア(Wikipedia)百科辞典」です。貧乏人のボクは感謝しています・・・
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 で、面白いコトに「ウイッキペデア百科辞典」には時折、「コレは独自研究・出典不明で要注意」の文字が出てくる。「出典不明」は「要注意意」であろうが、「独自研究」と評する「主体」は一体ダレなんだか、ここの、この「文字、文章」には「客観(性)」があるのか、どうなのか・・・「客観(性)」は「専門家の権威(?)の分野」であるらしい・・・
 ナゼ、「独自研究」の「ドコ」がワルイんだか・・・「デタラメ(?)」でもあるまいが、コレは「私のドクジな研究、見解です。妄想、空想です」と書き込まねばダメらしい。確かに、結構、デタラメやウソの記事や、罠に嵌める記事もあるらしい・・・
 「伝記的な人物」の「履歴」は、「生年月日」以外は「?」な部分が多い・・・その人物の「行動、行為、実践」の「評価」も様々である・・・記録記事を書いた「人間の立場」も様々であるハズだから・・・
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 「自然科学分野」では一般的にはその既存、既知の常識的な「是非」が問われるのは当然だが・・・それでも、「未知」で、実証出来ない「仮説」が多い・・・
 「社会科学分野」では「政治・経済・経営・法律」で様々な「立場上」の考えがあってもイイだろうが、「自然科学」とは異なる「人間相互の諸関係のコト、約束ごと」である・・・
 「人文地理(human geography)は地理学の一分野であり、系統地理学の一部門・都市、経済など人文科学・社会科学で扱うテーマの地理学の諸分野の総称」・・・
 「歴史・歴史事件のニュース」は「現実、現場の客観性」が求められるが、その記録者、発信者の「主体的立場」が明らかにされねばネッ・・・
 現実事件、現実事実事象で「既存、既知」であっても、その捉え方の「因果関係の検証」には「絶対的なモノ」はない・・・「人間の心理・心情」が絡んでくるとお手上げである・・・
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 「見解の主体、評価の立場の主体、判断の主体、文章の記録責任の主体」を明らかにするコトは必要で、大切ではあるが、「日本語」はママ、「主語」が欠落し、文章自体が「5W1H」を欠落させる「文化?」である・・・「コトバの主語」を欠落させ、それを代用させる「名詞」、「形容詞」、「動詞」、「副詞」がワンサカの「階級、階層、身分上下相互間の序列制の言語」である・・・
 「責任回避」の都合のイイ「同音異義のコトバ」もワンサカで多い・・・「音声言語」だけでは、漢字を記録するまでは、その「真意」もアイマイであるが、タトエ、文脈から「推理、判断」しても、更に「漢字」自体も借り物であるから、その「意味解釈」もアイマイである・・・
 「物語・小説」は、タトエ、「実録」と云う文字がくっいていても、「モノガタリ」である。「事実の記録」ではない。作家の主観的な思いが込められた「創作モノ」である。その作品に表現されたように見える「主観=立場」すら、「享受者・読者」をダマす。「作家」と、その「作品表現の技巧」は別モノである。
 特に「私-小説」は「事実」と誤解されやすい。「5W1Hとして記録された事実・事件」が、その「小説の中」にあったとしても、作家の「モノガタリ作文の材料」でしかない・・・
 だが、どんな「記録された文字、文章」であろうが、出来あがった記録文それ自体は「現物記録」である。その「現物=記録された文字・文章」を「欠落(全部 or 一部)」させ、あるいは曲げて、「曲解、誤解の説明」に対しては、「その本」には、「その記述、記事、文字」がない、と批判されるのは当然であろう。
 驚くべきかな「日本国憲法」の解釈・・・
 「本の贋作」なるモノもある・・・「贋作」には製本されるべき「意図」がある・・・「恣意的=勝手気まま」ではない、人間社会での「利害=損得」関係が絡んだ「意図」である・・・
 「本当」は「本に当る」だが、「本」そのものをあまり「疑わない」し、「アイツはそんなコトは云っていないし、全集の記録にもない」、「本の記録文字、文章の崇拝者」である・・・そして、「翻訳もの」が怪しいとはあまり考えないヤツも多い・・・「翻訳モノ」はそれ自体で「別モノ」である・・・
 そして、「本」には「写本」や「類字本」も複数ある。
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 ・・・ヒマで、興味がアルなら、この「ボクの日記の2006年」を・・・随分とボクは「自分の日記」を大勢の他者、他人に「ヨン」で欲しかったらしい・・・何時の頃にか、ソレに消極的になってしまった・・・結果現在は「2016年2月25日18時45分」・・・

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