本日も、ガンガンの晴天・・・
ミニトマトとキュウリ一本収穫・・・
コレと云ってヤルこともなし・・・
PCとTVの電源を入れる・・・
そして
気儘(気侭・きまま)に
「徒然なるクサ(帳面)=ブログ」に随筆?
「ブログ (blog)」
「World Wide Web」 上の ウェブページ に
覚え書きや論評などを記す ウェブサイト
「Webに Log する」の
「ウェブログ (weblog) をブログ(Blog)」と略称
執筆者=ブロガー (blogger)
個別記事=ブログエントリー(blog entry)
↓↑
『徒然草(つれづれぐさ)』
「卜部兼好(兼好法師・兼好・吉田兼好)」
が書いた随筆・・・
徒然=「徒然(トゼン)」に同じ
何も起こらず物寂しい様子
何かをすることもなく
ただ時間を無為に過ごす状態・・・?
・・・呼吸し、生きていかねばならない「人間」なのに
「つれづれ」には
「くう・ねる・だす」は含まれない、って・・・?
・・・「徒然」=「連 (つ) れ連 (づ) れ」・・・
の「有無」は「有」で
生命活動
生活事の連脈、連結、連接だろう?
名・形動
することがなくて退屈
手持ちぶさた(無沙汰)・・・?
「社会、組織」からの・・・「沙汰(命令)が無い」・・・
「私的自由」が多い・・・
「徒」のカンジって、ナニ?
↓↑
徒=彳+走
彳+土+龰
=𨑒=土+辶
十+一+辶(⾡=彡+ト+人)
小学校で習う読みト
ズ
あだ
いたずらに
かち
ただ
ともがら
むだ=無駄
かち・乗り物に乗らないで歩く
なにもない・なにも持たない
から
ともがら・仲間
弟子・門下の人・門徒
「ただ」=限定の意
「いたずらに」=むだに・むなしく
無駄・無益の意
五刑の一
強制的に労役に服させる刑罰
徒刑(ずけい)
日本語
あだ・無駄・無益
悪徒
徒言(あだごと)=空ごと
徒事(あだごと)=無駄ごと
徒桜(あだざくら)=儚い出来事
徒し・空し(あだし)=気侭な
徒し心(あだしごころ)=浮気心
徒名・仇名・あだ名(あだな)=艶聞
徒情け・仇情け(あだなさけ)
=かりそめの情け
徒波・徒浪・仇浪(あだなみ)
唖然・啞然(アゼン)=呆れる
暗然・黯然(アンゼン)
依然(イゼン)=以前と変わらずの様子
怡然(イゼン)=歓ぶ様
隠然(インゼン)=背後、黒幕の威力
鬱然・蔚然(ウツゼン)=鬱蒼(ウッソウ)
嫣然・艶然(エンゼン)=色っぽく笑う
宛然(エンゼン)=そっくり
婉然(エンゼン)=気品ある物静かな様
一味徒党(イチミトトウ)
往返徒労(オウヘントロウ)=無駄足
家徒四壁(カトシヘキ)=貧乏な様
高陽酒徒(コウヨウのシュト)=唯の飲んべい
市井之徒(シセイのト)
徒手空拳(トシュクウケン)
馬歯徒増(バシトゾウ)=無駄に歳を喰うこと
無為徒食(ムイトショク)=ごく潰し
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
徒疎か(あだおろそか)=いい加減
徒野の露、鳥部野の煙
(あだしののつゆ、とりべののけむり)
徒野の露、鳥辺野の煙
(あだしののつゆ、とりべののけむり)
徒の悋気(リンキ)=他人同士の恋に嫉妬
徒花に実は生らぬ
徒や疎か(あだやおろそか)
市井の徒(シセイのト)
徒党を組む
船盗人を徒歩で追う
(ふなぬすびとをかちでおう)
↓↑
前回の
「曾・侯・乙・随」などの
「漢字」の探求?・・・だったが・・・
ーーーーー
「曾侯乙-墓(ソウコウイツ-ボ)」
漆箱 出土・・・漆=七
湖北省
随県・・・・・・・随(王朝)+懸
擂鼓墩(ライコトン)
(31度42分)
(113度24分)
BC433年
↓↑
随=阝+迶・・・真髄・神髄・心髄
阝+辶+有
阝+辶+月
随意・随筆・追随・付随
気随
自分の思ったままにふるまうこと
気のおもむくまま
気まま=気儘
したがう・つき従う・付いていく
供をする
隨員・隨行・隨従・隨身
隨伴・追隨・付隨
成り行きにまかせる
思いのまま
隨意・隨喜・隨処・隨時
隨筆・気隨
↓↑
六十四卦の一
第十七番目の卦
沢雷隨
外卦兌
内卦震
で構成
澤雷隨(タクライズイ)
従うの意
人に従い、事柄に従い
時流に従えば吉
逆らうと凶
↓↑
「随」は
「隨」の略体
「左」の字を欠く漢字
委随・意随・影随・鴈随
教随・群随・肩随・行随
順随・倡随・臣随・追随
天随・陪随・伴随・付随
随意・随蔭・随縁・随駕
随宦・随感・随喜・随宜
随迎・随肩・随後・随口
随行・随坐・随時・随侍
随手・随従・随順・随処
随所・随序・随唱・随踵
随仗・随心・随身・随声
随勢・随即・随逮・随逐
随直・随丁・随輩・随陪
随伴・随班・随筆・随風
随分・随兵・随便・随包
随封・随来・随藍・随鑾
随鸞
夢随
随・迶・髄・遀・㵦・膸
瀡・瓍・㰐
䜔=言+隨
他人の考えについて話すこと
・・・評論・論評?
自分のことを
あまり考えずに話すこと
従うこと
䥦=金+遀
髓=骨+遀
左+月+進行
ナ(奈=柰=林檎=蘋果
桼=漆=うるし・七)
工(工人・大工・石工
陶工・刀工)
月(肉=ジク・にく)
⻌=「 ⻍・ 辶・⻎」
=⾡=彡+ト+人
「迶」は
「隨」の略体
「瀡=㵦+阝=氵+隨=なめらか」
「楕円形=長円形」
楕=橢=木+阝+左+月=㯐=椭
タ・ダ
隨=阝+⻍+左+月
ズイ
したがう
瀡=氵+隨
氵+阝+⻍+左+月
なめらか
瓍=王+隨
スイ・ズイ
珠の名
辵=⾡(⻌・ ⻍・ 辶・⻎)
有=ナ+月(肉・ジク・にく)
↓↑
気随(キズイ)
随う(したがう)
随意(ズイイ)
随一(ズイイチ)
随員(ズイイン)
随喜(ズイキ)
随行(ズイコウ)
随所・随処(ズイショ)
随時(ズイジ)
意到筆随(イトウヒツズイ)
嫁鶏随鶏(カケイズイケイ)
管仲随馬(カンチュウズイバ)
銜尾相随(カンビソウズイ)
形影相随(ケイエイソウズイ)
彩鳳随鴉(サイホウズイア)
水随方円(スイズイホウエン)
随縁放曠(ズイエンホウコウ)
随感随筆(ズイカンズイヒツ)
意到りて筆随う
一目山随徳寺(イチモクサンズイトクジ)
一波纔かに動いて万波随う
(イッパわずかにうごいて
マンパしたがう)
影の形に随うが如し
随徳寺をきめる
善悪の報いは影の形に随うが如し
他の追随を許さない
水は方円の器に随う
礼は宜しきに随うべし
令は俗に従うべし
↓↑
「汝陰侯-墓(ジョインコウボ)」
六壬式盤(リクジンショクバン)出土
安徽(アンキ)省
阜陽(フヨウ)市
(32度54分)
(115度49分)
BC169
↓↑
『説文解字』
河南省
洛陽市
漢
洛陽
周
洛邑(ラクユウ)
(34度39分)
(112度26分)
AD100成立
ーー↓↑ーー
黹=业+㡀(小冂小)
=业+小(亅八冂)小(亅八)
=业+亅+八+冂+亅+八
生業は
釣り針の
把知(八字形⇔簗⇔魚籠=ビクの罠)
海の外の
冂(ケイ構え・キョウ構え
柵の囲い・境)
内海(うつみ・ナイカイ・港湾内)
山の内の冂の内の
弓矢=丫(ふたまた・木のまた)
内山(うちやま・ナイサン・盆地)
戈(ほこ)・l(棒)
斧(おの)
鉞(まさかり)
鉈(なた)
or
弋(ヨク・イキ)=𢍺
弋=𢍺=七+丶
=匕+丶⇔一+乚(乙)+丶
いぐるみ
矢に糸をつけて放ち鳥をとる道具
弋=繳射なり
=繳(いぐるみ)(玉篇)
とる・獲物をからめとる・弋猟
くろい・黒い色
くい(杭・杙)⇔(橋桁)⇔羽咋
うかぶ・水にうかび泳ぐ
遊弋(ユウヨク)
弑=しいする・ころす
下の者が上の人を殺す
弑逆・弑虐⇔嗜虐・簒弑(サンシ)
业=業(わざ・なりわい・ギョウ・ゴウ)
丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ
並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行
晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)
「易に曰く、明、地上に出づるは
㬜(至+至+日=晋)(易経)
㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」
至(一のムは十の一)が
並ぶ「至」
初めの「ム=横島」に重位置
横島←阿蘇山→横島
黹=ぬいとり・チ
刺繍・縫う
『康熙字典』
「黹」字中央を「ハ」形
下部内部の左払いと点を
上の横画
中央の縦画から離している
中国の新字形では「ハ」形を
「逆ハ字」の「丷」形とし
「曽=曾=曽」⇔ソ+田+日
↓↑
曽=丷+田(口十)+日
↓↑
曾=八+口+小(亅八)+日
左払いと点を
上の横画
中央の縦画とくっつけ
「弊・幣」
の左上の偏旁と統一
「黹=針と糸による
衣服や布の縫いとり・刺繍
『説文解字』は
㡀=「幣」の左上の字
破れた衣の意
「丵(叢から
取を除いた部分の字・草むら)
の会意文字・・・?
・・・「业+㡀(小冂小)」
金文など
衣架に掛けられた衣服に
縫いとりのある形に象る・・・
偏旁の意符として
縫いとり
刺繍に関することを示す
黹(チ)部
↓↑ ↓↑
挙=ツ+一+手=擧(旧字体)=举(簡体字)
舉(繁体字、俗字)
=與+キ(扌⇔手)
あげる・あがる・キョ
こぞる・こぞって
持ちあげる・取り上げる
事を起こす
捕える
ふるまい・行動
すべて
ーー↓↑ーー
會=亼+口+川(小⇔亅八)+日(曰)・・・
昍
「罒+l」
㑹=亼+由(口十)+日(曰)
↓↑
曽我・曾我・蘇我・嵯峨・相賀
↓↑
曾=異体字は「曽」
「曽(丷田日)」 は常用漢字新字体
「曾(八口小日)」 は旧字体
「蒸気を発する為の器具の上に
重ねた
甑(曾+瓦=こしき・蒸し器)から
蒸気が発散している象形
「かさねる・かさなる」
・・・甑が「瓦の曾」なら
「かわら=化話等」の
増長(重)だが
↓↑
曾=曽=かつて・これまで・すなわち
(以前に・これまでに)
曽遊・未曽有(ミゾウ)
かさねる・かさなる・かさなり
曽孫・類字は層・増す
ます・ふえる
すなわち
↓↑
かって=曽て・曾て・嘗て
・・・「嘗(な)めて」?
(副)
過去のある時点に
その事柄が成立
昔。以前。前に。
打ち消しの語を伴って
今まで一度も・ついぞ
~ない・・・
打ち消しの語を伴って
全然・決して・少しも
~でない
すべて・みな・ことごとく
↓↑
曾の二画目
「八」が
片仮名の「ソ」
草書体が
平仮名の
「そ」になった・・・?
遡=朔+辶=さかのぼって
辿(たどって)
振り返って
朔=屰(䒑屮)+月
屰=さからう
逆らう・ゲキ
武器
戈や矛の機能を備えた武器
殷~唐代にかけて多用
塑=でく・けずる
貼り付ける・・・糊(のり)
こねる
ソ・ス
塑像・塑造
愬=朔+心
うったえる・ソ・サク
朔+心
↓↑
曽て(かつて)
曽参
人を殺す=息子(曽参)が
人を殺したと
嘘も繰り返し云われれば
母親も信じてしまう
(ソウシンひとをころす)
曽祖(ソウソ)
曽祖(父ソウソフ)
曾孫(ひまご・ソウソン)
↓↑
亼=シュウ・集まるという意味
會意=入 + 一
象は三合之形
合・僉・俞
會・今・令・侖・食・舍・全
↓↑
「細々としたモノを集める」
「意見などをあわせる」
「まるく集まる様から円い」
の会意兼形声文字
儈=市場で売り手と買い手を
集めて引き合わせる仲買人
噲=のど・口の奥で円くなった部分
廥=まぐさ小屋
澮=田畑の水を集める溝
獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
懀=
𡑭=
璯=
薈=草木が集まって茂るさま
繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
糩=
膾(→鱠)=肉を集めたごちそう
鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
形声文字= 劊・鄶・檜(桧・ひのき)
意義[編集]
(人が)あつまる・あつまり
あう
儈=市場で
売り手と買い手を集めて
引き合わせる仲買人
噲=のど・口の奥で円くなった部分
廥=まぐさ小屋
澮=田畑の水を集める溝
獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
懀=
𡑭=
璯=
薈=草木が集まって茂るさま
繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
糩=膾(→鱠・なます)=肉を集めたごちそう
鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
劊・鄶・檜(桧)
ーーーーー
随県の
東団破
此曾国与史书(書)
中的姬姓・・・中国の
「姬=ひめ=姬(キ)=姫」姓
比米=米の量の比較=石
米国の比較・比率?
随国一国两名
始祖为(為)赫赫
有名的
周朝开(開)
ーーーーー
曾侯乙 墓(ソウコウイツ-ボ)
擂鼓墩1号墓(ライコトン-イチゴウボ)
中国の
湖北省
随県
(随州市
曽都区)
で発見された
戦国時代初期の諸侯の墓
「卜」字形の竪穴墓
南北16.5メートル
東西21メートル
1978年5月11日
文物考古部門が発掘開始
17日
泥水につかった墓の排水
21日
盗掘洞を発見
23日
曾侯乙-編鐘
が水面に露出
↓↑
墓主
45歳前後の男性
殉葬者は13~25歳の女性
出土した
銅鐘の銘文
戦国初期
曾国の
「乙」
という名の君主の墓
「曾侯乙」と呼ばれる
墓葬年代は
楚の
恵王56年(紀元前433年)頃
「曾侯乙乍・・・」
ーーーーー
大量の
青銅製の
礼器・楽器・兵器・金器・玉器
車馬器・漆器・木器・竹器
竹簡
などの文物
15404件が発見
↓↑
曾侯乙-編鐘
65個の青銅製の鐘
青銅と木で作られた
3段の枠に並べた楽器
編鐘
全65鐘が無傷で出土
編鐘に
5音 音階
7音 音階
西洋 音楽の
12平均律に匹敵する
独自の12律が存在
転調の発想があった・・・
音域は5オクターブ
すべての音に
異なる音名が付けられ
高度な
音楽理論があった
高度な音楽理論を元にし
編鐘は製造され
多種多様な音楽が演奏
編鐘の製造
紀元前433年
と銘記
↓↑
「曾侯乙-作持」
の銘文
「音階や音律」
についての記述
音楽史の貴重な文字史料
↓↑
曾侯乙-編磬
「へ」字形の石板(磬)を
青銅製の架に並べて吊り下げた楽器
曾侯乙-大鼎
「曾侯乙-作持用終」
の銘文を持つ鼎
鴛鴦形漆盒
曾侯乙之走戈
「曾侯乙之走戈」
の銘文を持つ戈
竹簡
240枚
6696文字
葬送に用いられた
車馬
武器甲冑
の名称を記録した遺策
ーーーーー
世界大百科事典内の
曾侯乙-墓の言及
【殷周美術】より
↓↑
…河南省洛陽の
金村古墓
輝県
固囲村-墓(輝県古墓群)
王侯級の墓
金属器の精品の出土
1977年
湖北省
随県
発見の
曾侯乙-墓
保存良好な
戦国前期
木槨墓
青銅器は
透し彫・浮彫・錯・嵌の技巧をこらし
とりわけ
「尊」と
「尊盤」は
複雑な透し彫装飾を器全面に
付加したみごとな精品
注目をひくのは
楽器群で
管弦打楽器がそろい
編鐘は
L字形
上下3段の
鐘虡(ショウキョ)
に
大小64点の鐘がかけられたまま出土
↓↑
「随」より
都邑
湖北省
随県
随県城の北西にある
前5世紀ころの
古墓
曾侯乙-墓
から
曾侯
の銘のある青銅器が出土
随
と
曾
との関係・・・が論議
「隋・唐」の
「隋」とは
「楊堅(文帝)」の父の
「楊忠」が
北周のとき
随国公に封ぜられ
命名されたことによる
↓↑
春秋時代(紀元前5世紀)
王孫誥
が諸侯の
賓客を款待する為に造らせた
と銘文に記録
↓↑
擂鼓墩
湖北省
随州市
西の郊外
省都
武漢市
から北西へ155キロ離れたところ
2000年以上前の
春秋時代(紀元前770〜同476年)
楚王
がここで太鼓を叩いて(擂鼓)
突撃する兵士を鼓舞した
↓↑
1978年
湖北省博物館
2400年以前の
曾国の王
曾侯乙の墓
を発掘した際
大量の
青銅器
漆器、陶器、玉器
竹簡など
埋蔵物
1万5400点余りが出土
その中で
「古代冷蔵庫」と称えられている
青銅製の
「鑑缶(酒を冷やしたり温めたりする容器)」
彫刻が精美な
「大金盞
16の環が繋げられた龍鳳玉飾り
二十八宿図」
を描いた
衣装箱
完全に保存された
65個の鐘を備えた
「編鐘」
は、現在でも各種の曲を演奏できる
「編鐘セット」によって
2400年前の音楽を再現することができる
↓↑
編鐘の表面に
2800文字の銘文
↓↑
墳墓
中室には
編鐘
編磬(打楽器の一種)セット
瑟(琴に似た弦楽器の一種)
建鼓
竹篪(笛に似た8つの穴がある楽器)
排簫
などの楽器
全部そろうと
大規模な古代宮廷オーケストラ
曾侯乙が主催した祭祀
婚礼、葬礼
などの儀式や宴会で演奏した・・・
東室からは
琴、太鼓、笙などの楽器が出土
曾侯乙
が音楽を好み、
余暇には、
居間でこれらの楽器で演奏
東室に安置された
副葬棺の中で眠っていた
8人の若い女性は
当時、彼のためだけに音楽を演奏した美女・・・
↓↑
鎛鐘がひとつある
大きな鐘体を持ち
精美に作られている
この鐘は
下段中央のもっとも目立つ位置に吊るされ
正面には
31文字の銘文が鋳造され
「楚恵王56年(紀元前433年)
惠王は西陽から戻り、
曾侯乙のために、
この鎛鐘を鋳造し、
曾侯が永遠に享受できるように
西陽に送った」
という意味の銘文
銘文は音律と関係ないが
曾楚両国
の強い友情の絆を示している・・・
↓↑
代々の
楚王は
随国への恩返しを肝に銘じ
楚国は相次いで
60ヵ国以上の諸侯国を滅ぼしたが
弱小の
随国は700年近く生き延び
随国文化を後世に残した
紀元前433年
曾侯乙が亡くなると
楚の
恵王は
父君を助けてもらった恩に報いるため
この鎛鐘を鋳造し
曾(随)国・・・・・曾=隨
もこの手厚い贈り物を
もっとも目立つ場所に置き
楚国に敬意を示した・・・
ー↓↑ーーー
つづく・・・
ミニトマトとキュウリ一本収穫・・・
コレと云ってヤルこともなし・・・
PCとTVの電源を入れる・・・
そして
気儘(気侭・きまま)に
「徒然なるクサ(帳面)=ブログ」に随筆?
「ブログ (blog)」
「World Wide Web」 上の ウェブページ に
覚え書きや論評などを記す ウェブサイト
「Webに Log する」の
「ウェブログ (weblog) をブログ(Blog)」と略称
執筆者=ブロガー (blogger)
個別記事=ブログエントリー(blog entry)
↓↑
『徒然草(つれづれぐさ)』
「卜部兼好(兼好法師・兼好・吉田兼好)」
が書いた随筆・・・
徒然=「徒然(トゼン)」に同じ
何も起こらず物寂しい様子
何かをすることもなく
ただ時間を無為に過ごす状態・・・?
・・・呼吸し、生きていかねばならない「人間」なのに
「つれづれ」には
「くう・ねる・だす」は含まれない、って・・・?
・・・「徒然」=「連 (つ) れ連 (づ) れ」・・・
の「有無」は「有」で
生命活動
生活事の連脈、連結、連接だろう?
名・形動
することがなくて退屈
手持ちぶさた(無沙汰)・・・?
「社会、組織」からの・・・「沙汰(命令)が無い」・・・
「私的自由」が多い・・・
「徒」のカンジって、ナニ?
↓↑
徒=彳+走
彳+土+龰
=𨑒=土+辶
十+一+辶(⾡=彡+ト+人)
小学校で習う読みト
ズ
あだ
いたずらに
かち
ただ
ともがら
むだ=無駄
かち・乗り物に乗らないで歩く
なにもない・なにも持たない
から
ともがら・仲間
弟子・門下の人・門徒
「ただ」=限定の意
「いたずらに」=むだに・むなしく
無駄・無益の意
五刑の一
強制的に労役に服させる刑罰
徒刑(ずけい)
日本語
あだ・無駄・無益
悪徒
徒言(あだごと)=空ごと
徒事(あだごと)=無駄ごと
徒桜(あだざくら)=儚い出来事
徒し・空し(あだし)=気侭な
徒し心(あだしごころ)=浮気心
徒名・仇名・あだ名(あだな)=艶聞
徒情け・仇情け(あだなさけ)
=かりそめの情け
徒波・徒浪・仇浪(あだなみ)
唖然・啞然(アゼン)=呆れる
暗然・黯然(アンゼン)
依然(イゼン)=以前と変わらずの様子
怡然(イゼン)=歓ぶ様
隠然(インゼン)=背後、黒幕の威力
鬱然・蔚然(ウツゼン)=鬱蒼(ウッソウ)
嫣然・艶然(エンゼン)=色っぽく笑う
宛然(エンゼン)=そっくり
婉然(エンゼン)=気品ある物静かな様
一味徒党(イチミトトウ)
往返徒労(オウヘントロウ)=無駄足
家徒四壁(カトシヘキ)=貧乏な様
高陽酒徒(コウヨウのシュト)=唯の飲んべい
市井之徒(シセイのト)
徒手空拳(トシュクウケン)
馬歯徒増(バシトゾウ)=無駄に歳を喰うこと
無為徒食(ムイトショク)=ごく潰し
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
徒疎か(あだおろそか)=いい加減
徒野の露、鳥部野の煙
(あだしののつゆ、とりべののけむり)
徒野の露、鳥辺野の煙
(あだしののつゆ、とりべののけむり)
徒の悋気(リンキ)=他人同士の恋に嫉妬
徒花に実は生らぬ
徒や疎か(あだやおろそか)
市井の徒(シセイのト)
徒党を組む
船盗人を徒歩で追う
(ふなぬすびとをかちでおう)
↓↑
前回の
「曾・侯・乙・随」などの
「漢字」の探求?・・・だったが・・・
ーーーーー
「曾侯乙-墓(ソウコウイツ-ボ)」
漆箱 出土・・・漆=七
湖北省
随県・・・・・・・随(王朝)+懸
擂鼓墩(ライコトン)
(31度42分)
(113度24分)
BC433年
↓↑
随=阝+迶・・・真髄・神髄・心髄
阝+辶+有
阝+辶+月
随意・随筆・追随・付随
気随
自分の思ったままにふるまうこと
気のおもむくまま
気まま=気儘
したがう・つき従う・付いていく
供をする
隨員・隨行・隨従・隨身
隨伴・追隨・付隨
成り行きにまかせる
思いのまま
隨意・隨喜・隨処・隨時
隨筆・気隨
↓↑
六十四卦の一
第十七番目の卦
沢雷隨
外卦兌
内卦震
で構成
澤雷隨(タクライズイ)
従うの意
人に従い、事柄に従い
時流に従えば吉
逆らうと凶
↓↑
「随」は
「隨」の略体
「左」の字を欠く漢字
委随・意随・影随・鴈随
教随・群随・肩随・行随
順随・倡随・臣随・追随
天随・陪随・伴随・付随
随意・随蔭・随縁・随駕
随宦・随感・随喜・随宜
随迎・随肩・随後・随口
随行・随坐・随時・随侍
随手・随従・随順・随処
随所・随序・随唱・随踵
随仗・随心・随身・随声
随勢・随即・随逮・随逐
随直・随丁・随輩・随陪
随伴・随班・随筆・随風
随分・随兵・随便・随包
随封・随来・随藍・随鑾
随鸞
夢随
随・迶・髄・遀・㵦・膸
瀡・瓍・㰐
䜔=言+隨
他人の考えについて話すこと
・・・評論・論評?
自分のことを
あまり考えずに話すこと
従うこと
䥦=金+遀
髓=骨+遀
左+月+進行
ナ(奈=柰=林檎=蘋果
桼=漆=うるし・七)
工(工人・大工・石工
陶工・刀工)
月(肉=ジク・にく)
⻌=「 ⻍・ 辶・⻎」
=⾡=彡+ト+人
「迶」は
「隨」の略体
「瀡=㵦+阝=氵+隨=なめらか」
「楕円形=長円形」
楕=橢=木+阝+左+月=㯐=椭
タ・ダ
隨=阝+⻍+左+月
ズイ
したがう
瀡=氵+隨
氵+阝+⻍+左+月
なめらか
瓍=王+隨
スイ・ズイ
珠の名
辵=⾡(⻌・ ⻍・ 辶・⻎)
有=ナ+月(肉・ジク・にく)
↓↑
気随(キズイ)
随う(したがう)
随意(ズイイ)
随一(ズイイチ)
随員(ズイイン)
随喜(ズイキ)
随行(ズイコウ)
随所・随処(ズイショ)
随時(ズイジ)
意到筆随(イトウヒツズイ)
嫁鶏随鶏(カケイズイケイ)
管仲随馬(カンチュウズイバ)
銜尾相随(カンビソウズイ)
形影相随(ケイエイソウズイ)
彩鳳随鴉(サイホウズイア)
水随方円(スイズイホウエン)
随縁放曠(ズイエンホウコウ)
随感随筆(ズイカンズイヒツ)
意到りて筆随う
一目山随徳寺(イチモクサンズイトクジ)
一波纔かに動いて万波随う
(イッパわずかにうごいて
マンパしたがう)
影の形に随うが如し
随徳寺をきめる
善悪の報いは影の形に随うが如し
他の追随を許さない
水は方円の器に随う
礼は宜しきに随うべし
令は俗に従うべし
↓↑
「汝陰侯-墓(ジョインコウボ)」
六壬式盤(リクジンショクバン)出土
安徽(アンキ)省
阜陽(フヨウ)市
(32度54分)
(115度49分)
BC169
↓↑
『説文解字』
河南省
洛陽市
漢
洛陽
周
洛邑(ラクユウ)
(34度39分)
(112度26分)
AD100成立
ーー↓↑ーー
黹=业+㡀(小冂小)
=业+小(亅八冂)小(亅八)
=业+亅+八+冂+亅+八
生業は
釣り針の
把知(八字形⇔簗⇔魚籠=ビクの罠)
海の外の
冂(ケイ構え・キョウ構え
柵の囲い・境)
内海(うつみ・ナイカイ・港湾内)
山の内の冂の内の
弓矢=丫(ふたまた・木のまた)
内山(うちやま・ナイサン・盆地)
戈(ほこ)・l(棒)
斧(おの)
鉞(まさかり)
鉈(なた)
or
弋(ヨク・イキ)=𢍺
弋=𢍺=七+丶
=匕+丶⇔一+乚(乙)+丶
いぐるみ
矢に糸をつけて放ち鳥をとる道具
弋=繳射なり
=繳(いぐるみ)(玉篇)
とる・獲物をからめとる・弋猟
くろい・黒い色
くい(杭・杙)⇔(橋桁)⇔羽咋
うかぶ・水にうかび泳ぐ
遊弋(ユウヨク)
弑=しいする・ころす
下の者が上の人を殺す
弑逆・弑虐⇔嗜虐・簒弑(サンシ)
业=業(わざ・なりわい・ギョウ・ゴウ)
丵=茂る生草・鍼灸、刺青のハリ
並(ならぶ・ヘイ)=䒑+业⇔並立・並行
晋(すすむ・シン)=一+业+日(曰)
「易に曰く、明、地上に出づるは
㬜(至+至+日=晋)(易経)
㬜=臸+日(曰)⇔「臸=至+至」
至(一のムは十の一)が
並ぶ「至」
初めの「ム=横島」に重位置
横島←阿蘇山→横島
黹=ぬいとり・チ
刺繍・縫う
『康熙字典』
「黹」字中央を「ハ」形
下部内部の左払いと点を
上の横画
中央の縦画から離している
中国の新字形では「ハ」形を
「逆ハ字」の「丷」形とし
「曽=曾=曽」⇔ソ+田+日
↓↑
曽=丷+田(口十)+日
↓↑
曾=八+口+小(亅八)+日
左払いと点を
上の横画
中央の縦画とくっつけ
「弊・幣」
の左上の偏旁と統一
「黹=針と糸による
衣服や布の縫いとり・刺繍
『説文解字』は
㡀=「幣」の左上の字
破れた衣の意
「丵(叢から
取を除いた部分の字・草むら)
の会意文字・・・?
・・・「业+㡀(小冂小)」
金文など
衣架に掛けられた衣服に
縫いとりのある形に象る・・・
偏旁の意符として
縫いとり
刺繍に関することを示す
黹(チ)部
↓↑ ↓↑
挙=ツ+一+手=擧(旧字体)=举(簡体字)
舉(繁体字、俗字)
=與+キ(扌⇔手)
あげる・あがる・キョ
こぞる・こぞって
持ちあげる・取り上げる
事を起こす
捕える
ふるまい・行動
すべて
ーー↓↑ーー
會=亼+口+川(小⇔亅八)+日(曰)・・・
昍
「罒+l」
㑹=亼+由(口十)+日(曰)
↓↑
曽我・曾我・蘇我・嵯峨・相賀
↓↑
曾=異体字は「曽」
「曽(丷田日)」 は常用漢字新字体
「曾(八口小日)」 は旧字体
「蒸気を発する為の器具の上に
重ねた
甑(曾+瓦=こしき・蒸し器)から
蒸気が発散している象形
「かさねる・かさなる」
・・・甑が「瓦の曾」なら
「かわら=化話等」の
増長(重)だが
↓↑
曾=曽=かつて・これまで・すなわち
(以前に・これまでに)
曽遊・未曽有(ミゾウ)
かさねる・かさなる・かさなり
曽孫・類字は層・増す
ます・ふえる
すなわち
↓↑
かって=曽て・曾て・嘗て
・・・「嘗(な)めて」?
(副)
過去のある時点に
その事柄が成立
昔。以前。前に。
打ち消しの語を伴って
今まで一度も・ついぞ
~ない・・・
打ち消しの語を伴って
全然・決して・少しも
~でない
すべて・みな・ことごとく
↓↑
曾の二画目
「八」が
片仮名の「ソ」
草書体が
平仮名の
「そ」になった・・・?
遡=朔+辶=さかのぼって
辿(たどって)
振り返って
朔=屰(䒑屮)+月
屰=さからう
逆らう・ゲキ
武器
戈や矛の機能を備えた武器
殷~唐代にかけて多用
塑=でく・けずる
貼り付ける・・・糊(のり)
こねる
ソ・ス
塑像・塑造
愬=朔+心
うったえる・ソ・サク
朔+心
↓↑
曽て(かつて)
曽参
人を殺す=息子(曽参)が
人を殺したと
嘘も繰り返し云われれば
母親も信じてしまう
(ソウシンひとをころす)
曽祖(ソウソ)
曽祖(父ソウソフ)
曾孫(ひまご・ソウソン)
↓↑
亼=シュウ・集まるという意味
會意=入 + 一
象は三合之形
合・僉・俞
會・今・令・侖・食・舍・全
↓↑
「細々としたモノを集める」
「意見などをあわせる」
「まるく集まる様から円い」
の会意兼形声文字
儈=市場で売り手と買い手を
集めて引き合わせる仲買人
噲=のど・口の奥で円くなった部分
廥=まぐさ小屋
澮=田畑の水を集める溝
獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
懀=
𡑭=
璯=
薈=草木が集まって茂るさま
繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
糩=
膾(→鱠)=肉を集めたごちそう
鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
形声文字= 劊・鄶・檜(桧・ひのき)
意義[編集]
(人が)あつまる・あつまり
あう
儈=市場で
売り手と買い手を集めて
引き合わせる仲買人
噲=のど・口の奥で円くなった部分
廥=まぐさ小屋
澮=田畑の水を集める溝
獪=ずるい(→老獪)・犬が調子を合わせる
懀=
𡑭=
璯=
薈=草木が集まって茂るさま
繪(絵)=様々な色の糸を集めて作った刺繍
糩=膾(→鱠・なます)=肉を集めたごちそう
鬠=もとゆい・髪の毛を集めた部分
劊・鄶・檜(桧)
ーーーーー
随県の
東団破
此曾国与史书(書)
中的姬姓・・・中国の
「姬=ひめ=姬(キ)=姫」姓
比米=米の量の比較=石
米国の比較・比率?
随国一国两名
始祖为(為)赫赫
有名的
周朝开(開)
ーーーーー
曾侯乙 墓(ソウコウイツ-ボ)
擂鼓墩1号墓(ライコトン-イチゴウボ)
中国の
湖北省
随県
(随州市
曽都区)
で発見された
戦国時代初期の諸侯の墓
「卜」字形の竪穴墓
南北16.5メートル
東西21メートル
1978年5月11日
文物考古部門が発掘開始
17日
泥水につかった墓の排水
21日
盗掘洞を発見
23日
曾侯乙-編鐘
が水面に露出
↓↑
墓主
45歳前後の男性
殉葬者は13~25歳の女性
出土した
銅鐘の銘文
戦国初期
曾国の
「乙」
という名の君主の墓
「曾侯乙」と呼ばれる
墓葬年代は
楚の
恵王56年(紀元前433年)頃
「曾侯乙乍・・・」
ーーーーー
大量の
青銅製の
礼器・楽器・兵器・金器・玉器
車馬器・漆器・木器・竹器
竹簡
などの文物
15404件が発見
↓↑
曾侯乙-編鐘
65個の青銅製の鐘
青銅と木で作られた
3段の枠に並べた楽器
編鐘
全65鐘が無傷で出土
編鐘に
5音 音階
7音 音階
西洋 音楽の
12平均律に匹敵する
独自の12律が存在
転調の発想があった・・・
音域は5オクターブ
すべての音に
異なる音名が付けられ
高度な
音楽理論があった
高度な音楽理論を元にし
編鐘は製造され
多種多様な音楽が演奏
編鐘の製造
紀元前433年
と銘記
↓↑
「曾侯乙-作持」
の銘文
「音階や音律」
についての記述
音楽史の貴重な文字史料
↓↑
曾侯乙-編磬
「へ」字形の石板(磬)を
青銅製の架に並べて吊り下げた楽器
曾侯乙-大鼎
「曾侯乙-作持用終」
の銘文を持つ鼎
鴛鴦形漆盒
曾侯乙之走戈
「曾侯乙之走戈」
の銘文を持つ戈
竹簡
240枚
6696文字
葬送に用いられた
車馬
武器甲冑
の名称を記録した遺策
ーーーーー
世界大百科事典内の
曾侯乙-墓の言及
【殷周美術】より
↓↑
…河南省洛陽の
金村古墓
輝県
固囲村-墓(輝県古墓群)
王侯級の墓
金属器の精品の出土
1977年
湖北省
随県
発見の
曾侯乙-墓
保存良好な
戦国前期
木槨墓
青銅器は
透し彫・浮彫・錯・嵌の技巧をこらし
とりわけ
「尊」と
「尊盤」は
複雑な透し彫装飾を器全面に
付加したみごとな精品
注目をひくのは
楽器群で
管弦打楽器がそろい
編鐘は
L字形
上下3段の
鐘虡(ショウキョ)
に
大小64点の鐘がかけられたまま出土
↓↑
「随」より
都邑
湖北省
随県
随県城の北西にある
前5世紀ころの
古墓
曾侯乙-墓
から
曾侯
の銘のある青銅器が出土
随
と
曾
との関係・・・が論議
「隋・唐」の
「隋」とは
「楊堅(文帝)」の父の
「楊忠」が
北周のとき
随国公に封ぜられ
命名されたことによる
↓↑
春秋時代(紀元前5世紀)
王孫誥
が諸侯の
賓客を款待する為に造らせた
と銘文に記録
↓↑
擂鼓墩
湖北省
随州市
西の郊外
省都
武漢市
から北西へ155キロ離れたところ
2000年以上前の
春秋時代(紀元前770〜同476年)
楚王
がここで太鼓を叩いて(擂鼓)
突撃する兵士を鼓舞した
↓↑
1978年
湖北省博物館
2400年以前の
曾国の王
曾侯乙の墓
を発掘した際
大量の
青銅器
漆器、陶器、玉器
竹簡など
埋蔵物
1万5400点余りが出土
その中で
「古代冷蔵庫」と称えられている
青銅製の
「鑑缶(酒を冷やしたり温めたりする容器)」
彫刻が精美な
「大金盞
16の環が繋げられた龍鳳玉飾り
二十八宿図」
を描いた
衣装箱
完全に保存された
65個の鐘を備えた
「編鐘」
は、現在でも各種の曲を演奏できる
「編鐘セット」によって
2400年前の音楽を再現することができる
↓↑
編鐘の表面に
2800文字の銘文
↓↑
墳墓
中室には
編鐘
編磬(打楽器の一種)セット
瑟(琴に似た弦楽器の一種)
建鼓
竹篪(笛に似た8つの穴がある楽器)
排簫
などの楽器
全部そろうと
大規模な古代宮廷オーケストラ
曾侯乙が主催した祭祀
婚礼、葬礼
などの儀式や宴会で演奏した・・・
東室からは
琴、太鼓、笙などの楽器が出土
曾侯乙
が音楽を好み、
余暇には、
居間でこれらの楽器で演奏
東室に安置された
副葬棺の中で眠っていた
8人の若い女性は
当時、彼のためだけに音楽を演奏した美女・・・
↓↑
鎛鐘がひとつある
大きな鐘体を持ち
精美に作られている
この鐘は
下段中央のもっとも目立つ位置に吊るされ
正面には
31文字の銘文が鋳造され
「楚恵王56年(紀元前433年)
惠王は西陽から戻り、
曾侯乙のために、
この鎛鐘を鋳造し、
曾侯が永遠に享受できるように
西陽に送った」
という意味の銘文
銘文は音律と関係ないが
曾楚両国
の強い友情の絆を示している・・・
↓↑
代々の
楚王は
随国への恩返しを肝に銘じ
楚国は相次いで
60ヵ国以上の諸侯国を滅ぼしたが
弱小の
随国は700年近く生き延び
随国文化を後世に残した
紀元前433年
曾侯乙が亡くなると
楚の
恵王は
父君を助けてもらった恩に報いるため
この鎛鐘を鋳造し
曾(随)国・・・・・曾=隨
もこの手厚い贈り物を
もっとも目立つ場所に置き
楚国に敬意を示した・・・
ー↓↑ーーー
つづく・・・