④ 俺たちの小さな躓き、小さな出会い
俺たち二人の旅路も1年が経った頃。
教師と生徒の間で関係を持つこと、ともすれば
お互いに一触即発の時限爆弾を抱えているようなものだが
まだ寒さ感じられる3月某日。教え子のアイツが卒業を迎えることによって
この旅路の最も危ない橋を俺たちは無事渡り終えたのだ。
そして、ひょんな事から、俺はアイツと一緒に暮らし始めた。
最初の頃は、俺も若さゆえか未知数の事物に対しての冒険心が
甘い期待感を秘めた妄想を支え、膨大に膨れ上がる妄想を試験、体験することによって
絶対上手くいくと思ってた。
・・・けど現実は違ってた。
四六時中一緒に居るってのは、どうも落ち着かない。
不自由の発生はストレスに変わる。でも舵取りさえ間違わなけりゃ
これはこれで楽しいって考えながら三ヶ月が経った。
久々の大ゲンカ。くそっ、どうして俺たちはこういう方法でしか解決できないんだろう。
どう考えても俺に非はねえ。でも、そんなこと言ったってアイツは認めないだろう。
始まりはアイツの些細な嫉妬だった。
教え子の一人から届いたどうでもいい一通のメール。
思春期も過ぎた頃の成熟へと向かいたいという背伸びがメールの文面に反映され
それがあまりにも『利きすぎた』のだ。
どうやらアイツには刺激が強すぎたらしい。
そんなこんなで猛烈な勢いで家から追い出され
俺は、まだ春遠い寒さに耐え切れず一軒の飲み屋へと足を運んだ。
静けさが包む落ち着いた店の雰囲気に俺は誘われるように
飲み屋のカウンターに座ると、きつめのカクテルを注文する。
ヒゲの生えた初老のバーテンが、俺のしょぼくれた姿に何かを察したのか
ニンマリと俺に向けて笑みを向け、カクテルを運んでくる。
「お客さん初めてだね?とりあえずこいつはサービスだ」
ニンマリと笑うバーテンに対して「お前に何がわかる」と不機嫌そうに俺が
強めのカクテルをぐいっと口から飲みこむ。
「いい夢を・・・」
バーテンが意味深な台詞を吐いて俺の前を去る。
どうやら次の客を相手にするらしい。
「・・・ふへぇ・・・」
口腔内を程よく刺激する、キツイそのカクテルを2、3杯やるうちに気分を良くした俺は
そのうち、いつの間にか隣に座っている女の客が気になった。
俺が知っている顔に良く似ている。
肩まで伸びた黒髪に赤いスーツ、黒光りする革靴とブランド物らしいバッグ、
椅子にはクリーム色のコートがかかっている。
俺より少し小さめだが女性にしてみれば身長は高いと思う。
どこかで会ったような、どこかで見知っているような気がするが
誰だかは思い出せない。でも誰かに似ている。
酔っていることを武器にするのは狡猾だが、いい手段だと知っている俺は
その女の客に失礼と思いながらジロジロ見る。
「何か私にようですか?」
女が俺に話しかけてきた。
そして俺はそのまま酒の力を借りるように、その女と話をし始めた。
幸い、俺も彼女も相手がいなかった。
他愛ない話からし始め、砕けたところでお互いの身の上話もし始めた。
「・・・へぇ・・彼女とケンカして・・・追い出されたってワケね」
「なるべくココだけの内緒にしてほしいな。男としては恥ずかしいかぎりの話だし」
行きずり同士の話は止め処なく続き、店の中での時間は無限にも感じられた。
が、楽しい時間ほど過ぎるものの早いものはない。
俺も酒に呑まれながら、薄暗い店に飾ってあった古ぼけた時計を見る事
それだけは忘れていなかった。
「あんたと会話するのは楽しいな・・・だけど、そろそろお別れのようだぜ」
「え?なんで?」
俺は目の前に置かれたカクテルをグイッと飲み干すと、女に目をやる。
いつの間にかトロンとしていた女の目からは疑問の念が噴出し
どこかびっくりしたような声がカウンターに響いた。
「あれを見ろ」
店に飾られた古ぼけた時計を指差す俺。
時計は午前1時を回ったことを示していた。
「・・・もう1時だ。ここからは大人の時間だぜ?」
「まだ老け込むようなトシじゃないでしょ?なーにおじさんみたいな台詞いってんの」
目の前の女は、俺にそう言うとグラスをクイッと回しながら
残った青色のカクテルをグイッと一気に飲み干した。
「子供は門限を守る。お母さんにそう教わらなかったのかい?」
「子供扱いしないでよ!これでも私は大人よ」
女は不機嫌そうに立ち上がると怒ったように椅子にかけてあった上着をとり
店を出て行こうとした。
「待ちなよ。携帯忘れてるぜ?」
ガシッと俺の手から携帯を奪い取り鷲掴みにすると、
女は酔いつぶれそうになっている俺に向かってこう言った。
「ありがとう・・・さようなら・・・センセイ」
俺は酔っていたのか、最後の台詞が聞き取れなかった。
俺の名前を呼んでいたのだろうか?そのまま俺はまどろみの中に堕ちていった。
目覚めたのは夜が明けて、バーテンの「お客さん、店仕舞です」という声だった。
俺はバーテンが差し出した領収書を見ると、思わず俺は目を丸くした。
・・・しまった。飲み過ぎた。
店を出ると、俺はアイツとケンカしたことも忘れて
今日が日曜日であることを素直に喜べない強烈な二日酔いが襲う
鉛のような手、足、体を押して自宅へと舞い戻った。
ガチャン。
玄関に華奢で小さく蹲っていたアイツは俺の顔を見るなり
夜中泣きはらしたのであろう顔から、再び小ぶりの雨粒を降らし
子供のように俺に抱きついてきた。
「こんなこともあろうかと・・」
俺は目の前に泣きじゃくるアイツに、ポケットからスッとハンカチを挿し出す。
・・・目の前に子供のように泣きじゃくるアイツに貰った思い出のハンカチを。
二日酔いの頭にしては上出来過ぎる用意周到さに我ながら感心しつつも
俺たち二人は再び旅路をゆっくりであるが歩き始めた。
でも、いつの間にか癖になってしまったのか。
俺は旅路で躓く度に例の飲み屋にフラフラと行くようになった。
俺が行く度、いつもそこには例の女の客が居た。
知ってる顔だと理解しているが思い出せない、いつもそこにいる
肩まで伸びた黒髪に赤いスーツ、黒光りする革靴とブランド物のバッグを持った女。
旅の小さな躓きから始まった、小さな出会い。
いつの間にか、俺はその出会いに染まっていった。
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