英雄百傑
第三十六回『虚突慢望 不性滅知 官軍一夜陣、謀働いて猛を動かす』
英名山のふもと、名瀞平野に『一行三月陣』を完成させるために
暑い日差しの差し込む昼は避け、夜の闇にまぎれて進む官軍将兵達。
オウセイ、ドルア、ガンリョ、クエセル率いる4千は英名山のふもと、
武青関、武赤関の敵に向かって中央に陣を張り、
ミレム、スワト、ポウロ、ヒゴウ率いる2千はオウセイの陣の右手、
その二里後ろにある草原地帯に隠れるように陣を張り、
キレイとゲユマは、オウセイの陣の直線状の後ろにある、
名瀞平野に3千の兵をもって陣を張った。
リョスウと1千の兵は最後尾の名瀞ヶ丘の陣を守り、やってくるであろう
後詰めのキイ軍団を待っていた。
率いる軍団は敵に悟られまいと歩けば音の出る甲冑を脱ぎ、
旗指物はなびく事の無いように水平に持ち、物資を運ぶ荷車は
5人から10人程度の兵と兵の手に担がせ、前方を歩く武器を持った兵は
足音を消すために地面を少しならしながら、絶対に声が出ないように
布を口から首に結わって噛み、そのあらゆる音を消して、進軍した。
しかし、どんなに帳の降りた深い闇夜で、静かに行軍しようとも
夜目の利くような目の良い者からすれば、平野を歩く多くの兵の動きは
うっすらではあるが、見えていないはずは無かった。
英名山 武青関
英名山の左手、関州の要衝として存在する山塞、武青関。
山地に作られたゆえに天然の要塞、守る門は狭くとられて厚い鉄に覆われ、
壁は大きな岩石の塊を削りとって強固、門の狭さと比べて関の中は
兵1万は余裕で入るような広い造り、高地でありながら山を削って
要塞を築いたため、それぞれの壁が山の温度を保ち、朝夕の寒暖の差は無く
英名山から流れる豊富な水源もあり、兵を置くのには絶好の場所であった。
まさに威風堂々、天険と呼ぶべきこの無双の要害。
その武青関の守備をまかされた、高家四天王キュウジュウとソンプトは
官軍の動きを逐一追う、物見からの情報をつぶさに聞いていた。
「フフッ、よく兵を動かす将だね。おそらく一万という大軍が敵を目の前にして動いているっていうのに、物見からの情報がまるで『推測の入ったおおよその見当』を抜けきれないじゃないか…フフッ、ステアの兵が負けたのも案外納得できちゃうかもね。これは楽しめそうだねソンプト。フフッ」
「まぁ…!いやだわ!キュウジュウにそこまで言われるなんて!アチキだって言われた事無いのに!んもう悔しいだわさ…!それにしても戦の前に敵を褒めるなんてキュウジュウ将軍もヤキが回ったのかしらねえ?」
「フフッ、僕だって恐れるものは恐れる。褒めるものは褒めるさ」
「オホホ…でも負ける気はしないって顔してるだわさよ」
「フフッ…当然ッ!」
武青関の門の上の物見台で火を焚き、少量の酒を酌み交わしつつ
楽しげに会話をすすめるキュウジュウとソンプト。
その裏、続々と物見がもってくる、おおよその情報を繋ぎ合わせて
二将は敵がどういう風に動くか、脳内で予想図を作り上げていた。
「ねえ、キュウジュウ。アチキは敵の動きの予想が出来たけど、アンタも予想はもうたってるんでしょ?言いなさいよ」
「フフッ、断片的だけど、あれは攻める姿勢だね。程度の知れた守りの陣じゃ、僕達をしとめることなんて出来ないから、あえて僕達の所から丸見えの所…そう、名瀞の切れ目、英名山のふもとに見え見えの陣をひいて、僕達を関から誘い出そうとしているんじゃないかな?
「さすがは四天王のキュウジュウ。顔も頭も冴えるわねぇ」
「フフッ、褒めても何もでませんよ。まあ、この状況で、そうまでして誘い出したいとするなら、おそらく敵の布陣は『一行三月陣』、敵の本隊は他の郡から進むだろうね。実に古い戦法で、古典的だけど、理には適ってるね。だとすれば別働隊の陣があるはずだけど…そこがどこかまでは僕にも見当つかないな」
「オホホ、目覚しい推察ね。でもキュウジュウ将軍はそこまで。甘いわ、恋する乙女のように甘いわよ。甘みの抜けたアチキは、すでに勝利の作戦を考えているのだから」
「へえ、僕に教えてくれないか?その勝利の作戦というのを…」
「オホホッ、それにはまずステアの兵が動くように差し向けないとねえ…」
二人は怪しげに笑うと、キュウジュウは紙と筆をとり、
ソンプトにいわれたように書状をしたため、一つの書簡に入れると
武赤関に居るステアに向けて使者を送った。
英名山 武赤関
ステアとコブキが1万5千の兵をもって陣取っている山塞
この武赤関は夜の帳が落ちるとともに静寂に包まれていた。
コブキとステア、その守衛の兵は高地の薄い酸素に耐えながら、
見張りを行っていたが、夜も深まり、その数も数えるほどになっていた。
ステアやコブキも幕舎に帰り、寝所で眠りにつこうとしていると
そこへ一人の伝令が駆け込んできた。
「四天王キュウジュウ様から四天王ステア様に伝令ーッ!」
「こげん夜中になん騒々しい!おいの寝るとこば邪魔するほど重要な報せでゴワスか!」
「はっ、キュウジュウ様からこの書状をステア様にと…」
「ふんっ!なん言い来よったか!ほい!それよこせぇ!」
ステアは大声で使者から書状の入った書簡を奪い取るように受け取ると、
その書簡の中に入ってた文章をつらつらと眠り眼を覚ましながら読んだ。
「なん・・?これは…すごかことばい!」
ソンプトの知恵で、キュウジュウが書いた書状はこのようであった。
『臣キュウジュウ、至急の用にて夜中の無礼とは思うが申す。今日、帳落ちたあと山ノ下に敵兵大軍の動きあり。密偵の情報によると、陣を山のふもとに築き、大軍をもって武赤関を攻めるよしである。これをソンプトに教えたが、ソンプトは臆病者ゆえ、自陣をよく守れと申した。ステア将軍は勇猛の将だが、守りは苦手であり。コブキ将軍には守りの経験が浅い。この守りに疎い二将をもって、ソンプトという一将軍の油断で関が落ちれば一大事と思い、私は決心した。我が軍は明朝、山を下り敵陣を攻め滅ぼす所存である。おそらく夜襲に備えて夜に攻めるは難しいので、陣を造り終えて疲れ果てた明朝を狙う。ステア殿は武青関から、我が部下の明けの鳥(陣太鼓)がなり次第、ふもとの敵陣を攻めあげた我が軍の後詰めをやってもらいたい。良い結果を待っている』
ズズズ…ズズズ…
手紙を読んだステアは、眉間にシワをよせ、体を震わせると
夜中であるのを構わず、いきなり大声をあげた。
「あん優男め!守りが疎いじゃと…おいを愚弄するつもりか!キュウジュウめ、少しばかり守りに長けるからちゅうて、神速の兵と呼ばれた、おいの攻めの兵を後詰めに指名して上官気取りでゴワスか!あん野郎、見てっしゃい!」
ビリビリッビリビリッ!
手紙を読み終わると、ステアは眠気眼もどこいく風で
腕を震わせると、いきなり書状を勢い良くビリビリと破いた!
これがステアの性格を利用したソンプトの罠の手紙とは知らず、
無数の紙の欠片は空中を舞い、力なく乾いた山の床に落ちていった。
「やい!兵を起こせ!合戦で攻め遅れたことなき、おいどんの兵の強さを見せ付けるでゴワス!」
ジャーン!ジャーン!
ステアの怒号とも思える声と供に、深まった夜にドラの音が響く!
兵達は飛び起き、甲冑や武器をもってステアの前へと駆けつけると
ステアは集まった3千の兵を動員し、山を下っていった!
名瀞平野 オウセイの陣
ドドドドドッ!
山の関の門が開け放たれ、多くの人間が声をあげて
深まった闇夜の山道を駆け下りる音が聞こえる。
「むっ、あの音は敵に気づかれたか!誰か、このことを若の陣とミレムの陣に伝令せよ!他の者は陣の完成を急ぐぞ!」
「ははーっ!」
オウセイはドルアとガンリョに工事を続けさせながら陣の周囲に目をやった。
そこには見張りに立っていた1千の野賊傭兵団と野賊の長クエセルがいた。
「クエセル!おぬしも工事を手伝え!」
「え、なんで俺がするんだ?」
「おぬしの兵も動員すれば陣も早く作れるであろうが!」
「しかしオウセイさんよ。見張りはどうするつもりで?」
「もう見つかっておるのだから見張りなどは無意味だ!今は周囲の柵だけでもいい、陣を完成させ敵の攻めを寄せ付けないことが肝心だ!」
「へっへっへっ、しゃーねえなあ。じゃあ特別料金だ。完成させたら一人頭の金をその分、上乗せしてくれよ!」
「わかったから口よりも手を動かすのだ!」
オウセイは、クエセルを跳ね除けるような言葉を吐くと
人手の居ない西の陣の工事に自ら向かった。
残されたクエセルと野賊1千は、急いで西側へ向かっていく
オウセイの背中を見て口を広げ、下品な笑みを浮かべた。
「へっへっこれで遊んで暮らせる金が手に入るぜ!おい!やろうども!手伝ってやんな!」
「「「合点承知でさあ!!」」」
号令と供に、クエセルをはじめ、野賊たちも陣屋を作るのに尽力した。
こういった陣を作るのに、見張りを含める兵力の殆どが
一気に工事に参加する事は非常に稀であり、野賊たちの怪力も手伝って
陣造りのその速度たるや、まさに空前絶後の早業であった。
ドンドン!ザッザッ!ガッガ!ガシッガシッ!バンバンッ!ズッズッ!
隠れて仕事をしなくてよいと思った兵達は、松明を置く灯台に火をつけ
煌々と燃える火であたりを明るくして、陣屋造りの仕事に打ち込んだ。
力強く杭を打ち込む音、鉋で木材を削る音、尖った丸太をくくり柵にし、
平地の土を掘り、その木柵を埋め、幕舎を立て、物見小屋を立て
みるみるうちに陣が出来上がっていく。
…ドドドドドドッ!
遠くに聞こえる多くの馬蹄と人の動く音…
ステアの3千の兵が関を放ち、山を降りてくる。
耳と目で、逐一それを確認していたオウセイ達は、
将であることも忘れ土にまみれ、木材のおが屑に喉をつまらせながら
工事を頑張る兵を鼓舞し、その陣頭に立って指揮をした。
一方、ステアとその軍勢は、
いつもどおりに進まぬ行軍に苛立ちを覚えていた。
…ドドドドドドドッ!
「おいの兵なら止まらんで!すすめえ!あん優男に遅れなどとって、勝ちを譲るわけにはいかんのじゃああ!」
「ステア様、闇夜の山道は危ない上、兵は寝ておりませぬ!行軍はもう少しゆっくり行ったほうが…」
ステアの副官トウサイが、馬に乗って走るステアに向かって言う。
彼の言うとおり、深い闇夜、なおかつ山道の行軍は降りるに早いとはいえ
眠らず疲れた兵達の足は限界に達しており、ゆるゆると歩くほか無かった。
「だまっちょれ!おいの兵は疲れを知らん兵ばかり!おいの兵達よ!山を降りたら小休憩をとるよって、そこまでがんばるでゴワス!そこから敵の陣に一番乗りした奴には褒章をとらせるでゴワス!辛抱わかるが、がんばりもはん!!」
「はぁ…はぁ…ふもとへいければ、きゅ、休憩か」
「ううう、ね、ねむい。だがしかし、とにかく今は走るしかねえー」
「そ、そうじゃ!そ、それに褒美をもらえばこの疲れも誉になるぞ」
「そうか、ううう、くそー走るぞー!」
「「「オーッ!」」」
疲れる兵を伴っての行軍は、普通士気が落ち、兵の統率がとれず
戦力が激減するものだが、ステアの言葉は力強く、またそれに訓練された
ステアの兵たちの士気は高いまま保たれていた。
ドドドドドッ!
しかし神速のステアといえども、さすがに
英名山という高山から、夜の山道を降りるのには時間がかかった。
夜駆けの行軍によって兵は疲れ、ステアは思うようにすばやく行動できず
山をくだりオウセイの陣につくまでには、ゆうに1刻半(3時間)を要していた。
この頃にはオウセイの陣も完成間近であり、攻めてくるのがわかっていたので
疲労した兵を陣の後ろに、まだ元気のある兵を陣の前へ配置し
オウセイ、ガンリョ、ドルア、クエセルは陣頭に立ち、敵がくるのを
今か今かと待ちわびていた。
そして、その後ろにはすでに陣を完成させたミレムの軍が近づいており
ステアが陣に攻撃をかければ、すぐに駆けつけられるようになっていた。
英名山のふもと、名瀞平野の先端に重い空気を伴って対陣する
官軍オウセイ隊4千と高家四天王ステア軍3千、そのどの兵も疲れていたが
流石にステアという名将の率いる兵は、疲れていても士気が高かった。
「おし!休憩はここまででゴワス!おいが率いる我が強兵の恐ろしさ、敵にたっぷり味合わせてやるでゴワス!みないくでゴワスーッ!!」
「「「ワーーーッ!!」」」
ドドドドドッ!!
名静平野に多数の人馬の嘶く声が聞こえると、
小休憩をとっていたステアの兵は、旗をかかげ、槍を持ち、刀をひっさげて
特有の早い朝日が山の手を昇り始め、暑い夏の日差しが見え始めた平野を
敵陣に向かって駆け抜けた!
名瀞の戦いの始まりである。