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「母殺した」 少年が切断した頭部持ち警察に出頭(ニュース)

2007年05月15日 13時21分38秒 | 末路話
悲しいニュースばかりお伝えできなくて申し訳ない@kirekoです。


「母殺した」 少年が切断した頭部持ち警察に出頭 福島(朝日新聞) - goo ニュース



 15日午前6時58分ごろ、福島県会津若松市内に住む県立高校3年の少年(17)が「母親を殺した」と会津若松署に自首した。少年は切断されたとみられる人の頭部を学校指定のバッグに入れて持っていた。少年のアパートからは、頭部を切断された母親(47)の遺体が発見された。少年は「刃物で殺した」と話しており、県警は殺人容疑で少年を緊急逮捕した。

 同署などによると、少年は1人で同署に現れた。同署員が少年のアパートに駆けつけたところ、布団の上に母親の遺体があった。血の付いた刃物も室内で見つかったという。少年は14日深夜に母親が寝ているところを殺害した、と供述しているという。

 少年の両親は、会津若松市から約60キロ離れた金山町に住んでおり、少年は、会津若松市内の県立高校に通うため、高校2年の弟とともにアパートを借りていた。同校によると、少年は学校を休みがちだったという。

 近所に住む人の話によると、週末にアパートを訪れる母親の姿が見られたという。

 現場は、JR会津若松駅から約2キロの住宅街。午前7時過ぎから、警察関係者が現場の約50メートル四方に「立ち入り禁止」のテープを張り巡らせ、ふだんは閑静な住宅街が騒然となった。

 金山町役場によると、亡くなった母親は町立保育所の臨時職員だった。06年4月から常勤で働いており、14日も朝から午後6時ごろまで保育所で勤務していた。勤務態度は良好で、まじめだった。家庭でのトラブルなどについても、母親からは聞いていないという。

 金山町の自宅では、少年の父母、父方の祖父母、少年のもう1人の弟が暮らしているという。父親は会社勤めという。

 少年の通う高校は県内でも有数の伝統校で、4年制大学への進学率は05年度で6割を超えた。県警からの事件の連絡を受けて、同校は間もなく全校生徒を下校させて、自宅待機させている。

 事件を受け、県は15日午前10時15分、県庁で緊急対策会議を開き、対応を協議した。佐藤雄平福島県知事や県警本部長、教育長らが参加し、生徒・児童や保護者らの動揺を抑えるため、少年の在籍する高校に、緊急に臨床心理士を派遣することなどを決めた。




昨日、母の日の話をして「大事にしろ」と言ったとたんにこういうニュース。
書いた自分としても非常にやりきれない気持ちです。
この事件が通常の子の親殺し事件と違う「寝込みを襲い、顔面を殴打し、首をきった」の部分がなんとも精神的に病んでいるという一言で片付けられているのが悲しいです。

自分の見解を言わせてもらうと、正直殺害した少年に対して酷く憤ってます。
罪は罪。子による親殺しは昔から死刑クラスの重罪なのに、なぜこの子に
「精神的に病んでいる~」とか「進学校の生活が~」などとコメンテイター達が
言っているが、そこに情状酌量の余地があるなどと言えるのだろうか。
私はどんな理由があろうとも、親を殺害するという愚かな復讐心、憎悪に対して
我慢できなかった子どもに、若干の情報不足があるため真実はまだ見えてこないが、それでも差し引いて死罪に値するような事を少年はやっている。
殺害された母親がどんな人物だとしても、命を授けてもらった者が聡明でも愚かだ
としても、いかに酷い仕打ちを受け、心が歪んだとしても、解決する方法を知らなかったとしても、人間としてそれはやってはならない事なのだ。

私が許せなかったのは三つある。
まずは自分を17年間生み、育ててくれた母親を殺すという行為。
そして、自我を持っている17年も生きた男として寝込みを襲う卑怯な行為。
最後に顔面を殴打し、その首を斬り落とすという残忍な行為。

これだけはどんな理由があるにせよ許せなかった。

より現実的で、実に打算的な考えを言わせてもらうと
少年には一人弟が居るというが、いかにこれから兄弟が生きるとしても
少年の愚かな行為によって、兄弟及び親族は不自由さを否めないだろう。
そういうことを考える力の無いものが、直情的に人を一人殺害するという
行為は総合的に見てまったくデメリットだらけの愚かな行為だと思う。

そしてメディアにも怒りがある。
まず事件を伝えることには感謝しよう。これによって一人でも
『こういう考え』を抱いている愚かな者を立ち直らせてくれ、少なくとも
私一人は憤りを感じ、この情報を多くに発信しようとしている。
これは有意義な事だと思う。

しかし伝える情報の正確性は、果たして本当なのか
ニュース番組でのコメンテイター達の一言一句に、全て疑問を感じる。
推測に過ぎないことをまるで持論のように語る、この事こそ
正義の押し付け、考えの押し付け、自分が今たっている所が
世間的に見ていったいどれだけの影響力を持っている所なのか、
まったく考えていない発言が目立つことだ。

キャスター及びコメンテイターの低劣さに呆れる。
これでは正義を売り物にしているのも同じ事で、メディアの不信任につながり
フジテレビの捏造事件でもあったように、実際やっている事なのかも知れないが、物事を湾曲して伝えることも可能だということだ。

物事を多面的に見るのが我々視聴者の仕事だとしたら、正義を伝えるだけの
ニュース番組は入らないのではないのだろうか。
今回の事件で言う、家庭の情報も確実性にかけるものばかりの推測で
情報を整えないまま伝えるキャスターとコメンテイターが、
「精神がおかしい」とかそういう理由で一蹴するのは、実に見ていて不快だし
正義を売るのだとしても遺憾なことだと思う。

国民投票による憲法改正で、メディア統制問題が騒がれているが
反論するメディアは実に滑稽だ。火の無い所に煙は立たないというのに
これでは自分から「私たちは不正を行っています」といっているようなものだ。

正義を売り物にするなら、それこそ
「我々は正義を売っているから、どうぞやってください」と
番組で説明し、コメンテイター以下が一蹴すればいいと思う。

言論の自由を主張するメディアは、そういう方向性の位置づけに
早く目覚めて欲しいものだ。


少し主題がそれて申し訳ない。しかし、こう思うことが全て正しいのかというと
ニヒリストの私は少しそこにも疑問を感じる。
知恵の無かったほうが平和で楽しかった。
エデンの園のアダムとイブの話を思い出すようだ。



て、最後にまた主題がそれましたが、この事件の
母親と息子の年齢差が自分の家庭と同じだったので気になったので書きました。