鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

おくのほそ道を書く 仙台

2012-08-09 21:42:26 | おくのほそ道を書く(月)





   あやめ草足に結ばん草鞋の緒     



            仙台




仙台にはいりました。

ちょうど端午の節句で軒にあやめをさす日でした。

仙台には画家で加右ェ門と言う人がいて

名所を案内してくれたうえ  紺色の布で緒をつけた草鞋を二足まで贈ってくれた。



菖蒲を連想させるような あやめ草のように邪気をはらい 旅をまもってくれるような

紺色の草鞋を贈ってくれるなど 心にくいばかりです。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村






2012-08-07 09:30:32 | 今日の汗駄句






       夏深し仏様みな湖をむく






            鮎





毎日暑日が続いています。


昨日は原爆忌でした。 その日もあさから じりじりと照り付けていたとか。

どうか 戦争のない 世がおとずれますように。




メビウスの帯

2012-08-04 10:11:23 | 句鑑賞 Ⅰ(土)



      メビウスの帯や夫婦に吉丁虫



           浜 明史   平成15年




 「メビウスの帯」しは、学生服のカラーを一ひねりして、端を逆さまに接着した形のようなものを言う。

 吉丁虫は玉虫のことてで、歳時記によれば、人知れず箪笥にしまっておくと、着物が増えるのだという。 
 
 メビウスの帯の上を這っている虫には、何時の間にやら 表が裏になってしまって、二次元(平面)では、

一体何が起こったのか分からないのに、これを三次元(立体)で見れば、

誰にもそのからくりは一目瞭然と いうものである。

人生も実はこれと同じで、空間の三次元と時間の一次元の計四次元の世界で我々は生きており

その人生(特に夫婦間)ではいろいろ不可解なことが起きる

しかし、もし、我々が、もっと高次元の見方が出来れば人生の不可解も一挙に氷解するのではないかと思える

そしてその結果は吉丁虫の名のごとく、大いに吉なのである。

これこそが、作者の言いたかったことなのではないだろうか。


今津大天「俳句の対話術」より





「夫婦」面白いものですね。

日ごろは側にいて 何も気にならないで 一緒の空気を吸い 食べ物を食べて

それが 当たり前と暮らしている

それが 微妙なすれ違いがあったとしても 当たり前と受け止めてうけとめている

それを作者は「吉」と言う

人生ってこんなものなのでしょう。





ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村







おくのほそ道を書く 岩沼

2012-07-30 16:04:50 | おくのほそ道を書く(月)





この岩沼に古歌で有名な武隈の松がある

幹の根本から二またに分かれ昔の姿をたもっていた。

樹齢千年にふさわしい姿である



   武隈の松見せ申せ遅桜   


陸奥の遅桜よ芭蕉翁がつくころには桜は終わっているだろうから
ぜひ武隈の松をお見せしなさい。


と 挙白(芭蕉の弟子)が句を贈ってくれたので
返礼の挨拶句を詠んだ



         桜より松は二木を三月ごし



桜の頃から 見る日を待ちごれていた それが三月経ってようやく逢うことができた。











にほんブログ村 ポエムブログ 写真俳句へにほんブログ村




ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村







愛犬のボブが死にました。

2012-07-29 08:37:58 | 今日の俳句




書くのをためらっていました。

先日16年間我が家の家族としていてくれた愛犬の「ボブ」がいなくなりました。



5月の後半から食欲がなくなり

6月に入ってからは 下痢をするようになりました。


歩くのも 後ろ足の踏ん張りがきかなくなり ねたきりになってしまい。

7月に入ってからは 何も食べないとゆう状態になりました。


ビスケット ちくわ ゼリー 食べてくれると思うものを 何でも

冷蔵庫にそろえて 少しでもとおもってましたが

それらのものを 全部のこして いってしまいました。



特に アンパンが 好きでした。

しまいには アンパンも 戻すようになって 痩せ痩せになってしまったの。



野辺の送りには

アンパン 白い百合の花をもたせて 送っていきました。



この世は 出会いと別れの繰り返しといいますが

別れは ほんとうに 悲しいものです。


家族の一員として 良くお留守番もしてくれました。

一番うれしいのは 出迎えてくれるときの その「よろこび」



今 私は ぬけがらのようになっています。

でも 生きているものは ボブの分もがんばって やっていかねば

早く もとの 生活にしなければ ボブに笑われますね。




ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村













デイゴの花

2012-07-19 20:38:58 | 今日の汗駄句




デイゴの花が咲き始めました。

この地方は 木曽 長良 揖斐の三川がながれていて
昔から 水害のおおいところです。

江戸時代には 薩摩から 
水害がおこらない様 工事をしてくれたところです。

近年になって 交流が始まり
南国の花 デイゴがうえられています。

その花が今年も 目をたのしませてくれるようになりました。




       水害の街の片隅梯梧咲く




               鮎





にほんブログ村 その他日記ブログ 三行日記へ
にほんブログ村





ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村





コメントへのお返事は訪問にかえさせていただきます






おくのほそ道を書く 笠島

2012-07-17 09:33:30 | おくのほそ道を書く(月)






笠島の里にはいりました。

中将 藤原実方の墓はどのあたりかと 土地の人にたずねると

「ここからはるか右手 山の麓 そこには 道祖神のやしろ 実方のかたみの薄が今も残っている」
とおしえられる


しかし おりからの 五月雨で 道がぬかるんで 歩きづらい。

遠くからながめるだけで 素通りした。




        笠島はいづこ五月のぬかり道





実方は平安時代の歌人 小倉百人一首にもとられている。

天皇のご機嫌を損じて 陸奥の守になりましたが 任地にて客死しました。










にほんブログ村 ポエムブログ 写真俳句へ
にほんブログ村



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




コメントへのお返事はご訪問に変えさせていただきます。





句鑑賞 尺取虫

2012-07-14 21:05:07 | 句鑑賞 Ⅰ(土)






             尺取虫や世間見えぬと立ち上がり





                         柴田由乃



                    句集 「余生小粋に」より






尺取虫が後ろ脚で半分立ち上がった姿を
世間が見えないから
もっとよく見ようととして立ち上がった姿を
捉えた ユーモアー溢れる句である

揚句は 尺取虫の立ち上がる姿を句材とし
その姿に何かを求める
必死さを感じとった
尺取虫は「世間が見えぬ」と 立ちあがったのである

見逃せないのは
尺取虫の姿を見て誰もが感ずる
おかしみや 滑稽さの感覚を素直に昇華して
句にしたと言う点である
それこそが「世間みえぬと」の借辞の真骨頂なのである

俳句には表現のうまさ
技術 芸 というものも 必要だが

このような原感覚
驚きの念を失わない素直さが
最も必要とされるのではないだろうか。


今津大天  俳句の対話術 より







わずか数センチの尺取虫が
背伸びをしたところで どれだけのものが見えるように
なるのかしら

それを大仰に 詠ったところに
おかしみを おぼえます。

いや 皆 尺取虫でさえ 
必死に 世間からずれないように
世間の風を 乗り切って 生きているのです。

自分の感じたことを 素直に詠う

これこそ 俳句の真髄なのでは ないでしょうか。





にほんブログ村 ポエムブログ 写真俳句へ
にほんブログ村



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




コメントへのお返事はご訪問に変えさせていただきます。




2012-07-13 13:30:36 | 和歌に親しむ







          蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく





                僧正遍照



               古今和歌集  165





蓮は泥のにごった水の田に育っているが

その花はきれいで 少しもにごってなぞいない。

にごっていない 心をもっていながら

どうして 葉に置く露を
玉とみせかけて いるのだろうか。




きれいな 蓮の花が今年も見られるように
なりました。

今年はどこも 花のかずが 少ないように感じる
のですが まだはやいのかなぁー。

夏の聖花  蓮
花の浄土の満開の池
もうすぐ 蝶蜻蛉もみられるようになるでしょう。





にほんブログ村 写真ブログ 散歩写真へ
にほんブログ村


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村





こめんとへのお返事はご訪問に変えさせていただきます。





閑古鳥

2012-07-11 16:31:58 | 句鑑賞 Ⅱ




      松尾芭蕉の句に




         うき我をさびしがらせよ閑古鳥








閑古鳥と聞くと
閑古鳥がなくとかといって
寂しさが ましてきます。

閑古鳥は カッコーのこと
カッコーのなく そのこえに憂いさも おぼえますが

そのカッコーに さびしがらせよと 言います。

芭蕉は憂いさをひめながらも
カッコーよもっと さびしがらせよと
言うのです。

芭蕉は 憂いごとから目をそらせたりしません。

芭蕉の 精神の 見える一句ですね。





にほんブログ村 ポエムブログ 写真俳句へにほんブログ村




ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村




コメントのお返事はご訪問にかえさせていただきます。