日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

上向き 下向き

2017-10-02 21:52:02 | ものの見方 考え方
こんばんは。
朝から曇っており、一日雨模様でした。
激しいとまではいきませんでしたけれど、かなりの雨量はあったようです。
これから稲刈りを迎える農家の方にとっては朗報なのかどうか、自分ではわからないのですけれどその時期には天候に恵まれることを期待したい
ですね。
そんな日の朝は、やはりどんよりな雨降りのお天気でした。



                                


昨日は若いご夫婦のお宅に神様をお祀りさせて頂きましたと書きましたけれど。
その前後、これもまたいつものごとく車をまずは借りにいくことから始まります。
この車のことについても、後に述べたいと思います。
ともあれ、バスでレンタカー屋さんまで行くのですが、そのバス停へ中学生くらいの女の子が重たそうなスポーツバッグを肩に掛けてやって来ました。
あまり見かけない制服でしたので、おはようと声を掛けてどこの学生さんと聞くと、市内の私立中学の名前を言われました。
今日は何かあるの?とこれまたオバサンは遠慮もなく話しかけるのですけれど;可愛い笑顔を見せるその子は、今日は県の体育館で新体操の試合が
あるんです、と話してくれました。
ああ、確かにこの私立の学校は盛んだったかもと思い、頑張ってねと声を掛けるとそのお嬢さんははにかむような表情ながらも嬉しそうにハイ、と
返事をしてくれました。
そのお嬢さん、試合ではどうだったんでしょうね、持てる力を発揮しておられたら、と思います。



                               



そんな朝でしたけれど、件の出雲屋敷祭も滞りなく終わらせることが出来、帰りはそのお宅で私服に着替えさせて頂いて帰りました。
大体はそのまま着物のままで帰宅するのですけれど、ちょうどお昼時でもあり、どこかで簡単にご飯食べて帰ろうかと考え、そのようにさせて
頂きました。
食べるといっても、大抵はスーパー等でお弁当買って車で食べたりするだけなんですけれどね;。
ともあれこの時、どうやら自分の時脱いだ足袋を片方忘れて帰ってしまったらしく、向こうから直ぐに連絡を下さっていたようなのですけれど
自分の方が走行中等はスマホ自体を音を小さくしていたり消していたりするので、直ぐにはわからなかったようでした。
結局はその後彼女たちの方が気を利かせて下さり、その時自分の居たショッピングモールまでその片方の足袋を持ってわざわざ届けに来てくれた
のでした。
足袋片方忘れるなんて;、なんともお恥ずかしいようなお話ですけれど、彼らの機敏な行動力に感謝致した次第です。
本当なら自分がもう一度参らせて頂かねばならないのに、わざわざ足を運んで下さったその事にとても嬉しく思えた出来事でした。
うっかり者の自分、気をつけねばです。

朝の中学生さんといい、今回のこの若いご夫婦といい、これからを担う世代が溌剌として元気なことは、こうして書いておりましても、なんとも
頼もしく思えます。
それだけ自分が歳を取ったということではありますけれど、次代を作っていく人達がやはり明るく希望を持てる世の中であって欲しい、そう感じた
事でもありました。(足袋とは全然関係ないんですけれど;)



                                 





そんなこんなで、昨夜は最近の疲れが溜まってもいたのか(と先日も申しましたけれど、これも歳です、そうそう回復は致しません;)お風呂に
入って湯船に浸かると、ホッとするのと同時についウトウトしてしまいました。
そんなウトウトしつつも、以前此方で紹介させて頂きました白水明(びゃくすいめい)さんの今月の呪文を思い出し、心で唱えておりました。

因みに今月の呪文は

               令令 戌 、 丑 急急如律令 (れいれい  いぬ 、 うし きゅうきゅうにょりつりょう)
というものです。
この呪文は今月中有効ですので、皆さんも心落ち着けて唱えてみられて下さい。

その呪文を唱えて目を閉じながら、そう言えば今回もこうして車を借りねばならないように自分の車を使えなくなっているけれど、どうしてこんな
事になったんだろう、とぼんやり考えておりました。
自分の車が使えれば、毎回レンタカーを借りに行く手間も費用も省け、疲れもその分違うはずです。
どうしてかなぁ、と思っていると、それは自分の思考が現実化しただけ、という言葉?考えが頭に上ってきました。
どうももう一人の自分なのか、或いはより上の存在?なのかが自分に対して話をしてくるように感じられました。

      「何故、このようになったのか それは己れ自身がそのように思考したからだ
       以前、そなたは今の車をもしかすると使えなくなる日がくるのでは、と考えたであろう
       どこがどうというのではなく、漠然と嫌いだと感じていたはずだ
       乗っていない自分もその時に想像していたはずだ
       今はその思考が現実化して具現化しているだけの事だ
       自分で今の現実を作り出しているだけだ 」

そう頭の中に響いて来ました。
確かに以前、この車に買い換えて後、車種は以前と変わらないのですけれど、どうにもしっくり来ずに嫌だなぁ、早めに次のに替えられるなら
そうしたいなぁ、などと生意気にも考えていた時期がありました。
いわば、どうしてそうなるのか、というプロセスは全く抜きにして結果の部分のみを考えていたことになります。
これは良い結果を考えていたのではなく、全く正反対の悪い結果を考えていた事柄が現実になっているということです。
そう思うと、事の善し悪しは別として、思考そのものは正確に形を成してきていたのでした。

これは常日頃、良い事だけを考えて行動することですよなどと偉そうげに物申しております自分自身への反面教師のように思えました。
実際、結果として自分の思考は現実化しているのですから、その点に関しては申し分無い?わけです。
ですけれど、その現実は自分にしてみれば、とても褒められた状況ではないことも確かな事実です。

      「自分が思考することで、実際がどうであるのか身を持って体験せねば、そなたはどのようにしてもわからなかったであろう
       この度のことでその事を十分に分かったはずだ
       思考は必ず現実化する
       それを理解せよ 」

そのように今一度声が響いてきたように思いました。
自分で身をもって体験せねば、つまりは痛い思いをせねばわからなかったということです。
それだけ馬鹿、という話なのですけれど。

       「負のエネルギーはマイナスの感情を伴い、それが合わさるとより大きなベクトルとなり更に下向きの方向へと向かう
        だからこそ、プラスのエネルギーを併せることでより大きなプラスの力を得、ベクトルも上へと上昇するのだ 」


そう言われたようにも思います。
確かに、マイナスが合わさると掛け算ではプラスとなりますが、実際には負のエネルギーが増大するだけのようにも思えます。
これらの言葉は、件の龍からの声だったようにも思えます。
此処でふと感じたのは、龍というのはぐるぐると回転して螺旋を描くようにも描かれていたりしますけれど(そうでもないかな;)、これは左回り
(反時計回り)のエネルギーを指すのでは、ということです。
左回り、つまりは螺旋を描きながら上へ上へと上昇していくものです。
逆に右回りですと下へと下降していく形になります。
全てのエネルギーがそうだというわけではありませんけれど、ふと感じたことでした。

この左、また右回りという螺旋については、これもまたいずれ回を改めて書いてみたいと思います。
この事はカタカムナにも大きく関わっているものでもありますし、神道にもこの概念はあります。
拙い自分の頭でどこまで考えられるかですけれど、いつかは挑戦してみようと思います。



                                




いつにも増して纏まりの無いブログですけれど、お付き合い頂きました皆様、いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。


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