こんばんは。
今日も朝からお天気の良い一日でした。
家の中へいるとかなりひんやりしますが、外へ出ると多少の風の冷たさはありますがそれほど気にならず気持ち良い天候だったかと思います。
朝はいつものように祝詞奏上させて頂きました。
今日はシリウスの香りをつけて致しました。
シリウス
〝 あなたが物を見る時 或いは感じる時
カメラのように素通しで見ているのではなく
あなたの主観を通して見ています
あるがままを見ているのではありません
これは美しい これは汚いと 何事にも主観がまず先に来ることを感じてください
その主観 感じ方が人と違うのは あなたにこれまでの経験や知識が入っているからです
けれど唯一つ どんな世界でも 必ず同じ理はあります
故なく 相手を傷つける事
これは何処においてもしてはならぬ事です
大前提として覚えていてください 〟
このような言葉でした。
言わずもがなな内容ですよね。
自分の眼で日々物を見ていますが、その物を見て素敵だなとか、あれは嫌だなと感じるのはあくまで自分の気持ち、主観が入ります。
カメラのように目の前にある光景をそのまま切り取るのではなく、必ずそこへ自分の思いが入るという事ですね。
そこには自分のそれまでの経験や知識が介入します。
どのような事であれ、必ずです。
そこで良い悪いを判断しているとも言えます。
住む場所により、年齢により、或いは性別により様々に意見が分かれることもあるでしょう。
それほどこの世界を見る時には主観が入るということなのだと思います。
けれど唯一つ、誰にでも当てはまることがあると言われました。
それは何の理由もなく、何もしない人を傷つけることです。
いえどんな理由があるにせよ許されることでは無い、そう思います。
言葉であれ力でねじ伏せることであれ、相手を傷つけることには相違ありません。
これだけは何があろうと何処へいようとしてはならぬことである、そのように言われました。
今世界はそのようなことが蔓延っていますね。
何も大きな争いだけではなく身近な自分の周りにも、小さなことであれ、あることでしょう。
それらはしてはならないこと、すべきではないこと、それを肝に銘じて過ごして行ければ、そのように思います。
宮島の続きと参りましょうか。
厳島神社に足を踏み入れます。
この時回廊の上は工事用のネット?というのでしょうか、それに覆われており見えなくなっていました。
そこから幾つものリズミカルな音が響いてきます。
どうやら檜皮葺の屋根の補修工事をされているようでした。
出雲大社もそうでしたが、何年かに一度はこのようにして檜皮を補修せねばなりません。
厳島神社のHPを見ると「東廻廊及び客神社拝殿・祓殿の屋根葺替、塗装工事」と出ており場所はそのまま「東廻廊、客神社」という
ことのようです。
期間は今年一杯とされているようですね。
そのようなこともあり昨日出しました御神紋の幕が引いてあったのでしょう。
国宝でもあり、工事をするとなると勝手に手を入れる訳にもいかないのでしょうし、またするとなれば本格的に補修せねばならないと
いうことにもなろうかと思います。
せっかく宮島へ訪れたのに大鳥居も見えないし面白くないと言われる方もいらっしゃいますが、むしろ何十年、何百年の中でも滅多に
見られない工事だとお考え頂ければ多少はお分かり頂けるかと思いますが、如何ですかね;。
そんな工事現場を見つつも回廊を進んで行きます。
多い時には回廊の幅そのままに人の群れで進んでいくようなことがありましたが、さすがに今はそれはありませんね。
最初に入った場所にある客神社(まろうど神社)の前で二礼二拍手一礼をし、更に進んで参ります。
不思議と私が参拝する折には干潮となっていることが多いようで、本来なら海に浮いたように見える社殿も潮の引いた場所へ建立
されている様子が見て取れます。
それはそれでなかなかに見ものではありますけどね。
(潮が引いた状態ですね)
(右側に見える覆いの部分が工事をしている場所となります)
(海水に満たされていればさながら海上に建つ社殿のように見えますよ)
(工事中の大鳥居 此方も今年一杯はこの覆いに被われているようです)
(潮が引いて良い点はこのように大鳥居まで干潟となった部分を歩いていけることですね)
この潮の引いた場所を見て思い出したことがあります。
子供の頃、小学生位まで、或いはもっとかなり後迄かもしれませんがこの場所で潮干狩りが出来ていました。
つまりは誰に限らずこの場所へ来て砂を掘りアサリを取っていたように記憶します。
ともすればシーズン前には近隣の漁業組合か何処かがアサリをこの辺りへ撒くなどして、大勢の人がアサリを取れるよう便宜を図って
いたように思います。
それがいつしかそのようなことが恐らく禁止になったのだと思いますね。
神社自体が国宝となりましたし、まさかその手前で貝掘りも無かろうとなったのかどうかは分かりませんけども;。
要するにかなり以前はもっと長閑な光景が見られていたということでしょう。
時代は進むものですね。
さて今日の午後からは月一の漢方内科の受診日でした。
服用し始めたのがおそらく去年の6月頃からだったかと。
最初はなかなか薬が合わず、何度かとっかえひっかえしてもらいながら、今はようやく自分の身体に合ったものを処方して頂いております。
有難い事だなといつも感じますね。
これを服用していなければ、此処まで日々元気でいられると思えませんので。
今日はこれまでと同様な漢方薬を出して頂きましたが、どうにも目が疲れるんですというと、一度薬を替えてみようかと言われました。
そうだなぁと思いながらも少し怖くて;もうしばらく今のまま様子を見てみますと申し上げ、その代わりにではありませんがVB12,
つまりはビタミン入りの眼薬を出して貰いました。
目が疲れるのは肝臓からと言いますし、診察が終わった後で、ありゃ、やっぱり提案沙汰れた薬に替えた方が良かったかなと思ったりも
しましたが次は3週間後ですし、その時にまた考えたいと思います。
そんなこんなで今日も過ぎました。
戻ってきたのが5時を回っておりましたので、今日のところはこれ位にさせて頂こうと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
今日も朝からお天気の良い一日でした。
家の中へいるとかなりひんやりしますが、外へ出ると多少の風の冷たさはありますがそれほど気にならず気持ち良い天候だったかと思います。
朝はいつものように祝詞奏上させて頂きました。
今日はシリウスの香りをつけて致しました。
シリウス
〝 あなたが物を見る時 或いは感じる時
カメラのように素通しで見ているのではなく
あなたの主観を通して見ています
あるがままを見ているのではありません
これは美しい これは汚いと 何事にも主観がまず先に来ることを感じてください
その主観 感じ方が人と違うのは あなたにこれまでの経験や知識が入っているからです
けれど唯一つ どんな世界でも 必ず同じ理はあります
故なく 相手を傷つける事
これは何処においてもしてはならぬ事です
大前提として覚えていてください 〟
このような言葉でした。
言わずもがなな内容ですよね。
自分の眼で日々物を見ていますが、その物を見て素敵だなとか、あれは嫌だなと感じるのはあくまで自分の気持ち、主観が入ります。
カメラのように目の前にある光景をそのまま切り取るのではなく、必ずそこへ自分の思いが入るという事ですね。
そこには自分のそれまでの経験や知識が介入します。
どのような事であれ、必ずです。
そこで良い悪いを判断しているとも言えます。
住む場所により、年齢により、或いは性別により様々に意見が分かれることもあるでしょう。
それほどこの世界を見る時には主観が入るということなのだと思います。
けれど唯一つ、誰にでも当てはまることがあると言われました。
それは何の理由もなく、何もしない人を傷つけることです。
いえどんな理由があるにせよ許されることでは無い、そう思います。
言葉であれ力でねじ伏せることであれ、相手を傷つけることには相違ありません。
これだけは何があろうと何処へいようとしてはならぬことである、そのように言われました。
今世界はそのようなことが蔓延っていますね。
何も大きな争いだけではなく身近な自分の周りにも、小さなことであれ、あることでしょう。
それらはしてはならないこと、すべきではないこと、それを肝に銘じて過ごして行ければ、そのように思います。
宮島の続きと参りましょうか。
厳島神社に足を踏み入れます。
この時回廊の上は工事用のネット?というのでしょうか、それに覆われており見えなくなっていました。
そこから幾つものリズミカルな音が響いてきます。
どうやら檜皮葺の屋根の補修工事をされているようでした。
出雲大社もそうでしたが、何年かに一度はこのようにして檜皮を補修せねばなりません。
厳島神社のHPを見ると「東廻廊及び客神社拝殿・祓殿の屋根葺替、塗装工事」と出ており場所はそのまま「東廻廊、客神社」という
ことのようです。
期間は今年一杯とされているようですね。
そのようなこともあり昨日出しました御神紋の幕が引いてあったのでしょう。
国宝でもあり、工事をするとなると勝手に手を入れる訳にもいかないのでしょうし、またするとなれば本格的に補修せねばならないと
いうことにもなろうかと思います。
せっかく宮島へ訪れたのに大鳥居も見えないし面白くないと言われる方もいらっしゃいますが、むしろ何十年、何百年の中でも滅多に
見られない工事だとお考え頂ければ多少はお分かり頂けるかと思いますが、如何ですかね;。
そんな工事現場を見つつも回廊を進んで行きます。
多い時には回廊の幅そのままに人の群れで進んでいくようなことがありましたが、さすがに今はそれはありませんね。
最初に入った場所にある客神社(まろうど神社)の前で二礼二拍手一礼をし、更に進んで参ります。
不思議と私が参拝する折には干潮となっていることが多いようで、本来なら海に浮いたように見える社殿も潮の引いた場所へ建立
されている様子が見て取れます。
それはそれでなかなかに見ものではありますけどね。
(潮が引いた状態ですね)
(右側に見える覆いの部分が工事をしている場所となります)
(海水に満たされていればさながら海上に建つ社殿のように見えますよ)
(工事中の大鳥居 此方も今年一杯はこの覆いに被われているようです)
(潮が引いて良い点はこのように大鳥居まで干潟となった部分を歩いていけることですね)
この潮の引いた場所を見て思い出したことがあります。
子供の頃、小学生位まで、或いはもっとかなり後迄かもしれませんがこの場所で潮干狩りが出来ていました。
つまりは誰に限らずこの場所へ来て砂を掘りアサリを取っていたように記憶します。
ともすればシーズン前には近隣の漁業組合か何処かがアサリをこの辺りへ撒くなどして、大勢の人がアサリを取れるよう便宜を図って
いたように思います。
それがいつしかそのようなことが恐らく禁止になったのだと思いますね。
神社自体が国宝となりましたし、まさかその手前で貝掘りも無かろうとなったのかどうかは分かりませんけども;。
要するにかなり以前はもっと長閑な光景が見られていたということでしょう。
時代は進むものですね。
さて今日の午後からは月一の漢方内科の受診日でした。
服用し始めたのがおそらく去年の6月頃からだったかと。
最初はなかなか薬が合わず、何度かとっかえひっかえしてもらいながら、今はようやく自分の身体に合ったものを処方して頂いております。
有難い事だなといつも感じますね。
これを服用していなければ、此処まで日々元気でいられると思えませんので。
今日はこれまでと同様な漢方薬を出して頂きましたが、どうにも目が疲れるんですというと、一度薬を替えてみようかと言われました。
そうだなぁと思いながらも少し怖くて;もうしばらく今のまま様子を見てみますと申し上げ、その代わりにではありませんがVB12,
つまりはビタミン入りの眼薬を出して貰いました。
目が疲れるのは肝臓からと言いますし、診察が終わった後で、ありゃ、やっぱり提案沙汰れた薬に替えた方が良かったかなと思ったりも
しましたが次は3週間後ですし、その時にまた考えたいと思います。
そんなこんなで今日も過ぎました。
戻ってきたのが5時を回っておりましたので、今日のところはこれ位にさせて頂こうと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。