日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

銀龍の言葉    宮島へ参りました part5

2022-04-07 19:08:08 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
このところ眩しい程の朝日で始まります、ただし少しずつ埃っぽい感じはして来ておりますが。




                           




                           


                           


                              




                                




                              
(山桜はかろうじて咲いていますね)




日の出がだんだん早くなっており自分がもう1時間早く起きれば朝焼けも見られるだろうにと思うところです。
以前も話したように昔は大体朝は早かったのが今は起きられなくなっており、それは要するに夜が遅いからですよね。
遅いと言ってもせいぜいが23時半位までですが(いや遅いぞ;)早い人だと9時には床に就くとかいう方がおられるようですし。
9時は、さて今からお風呂入ろうかという時間でして。
そんなこんなをしていると段々ずれて来るんでしょうね。
そんなグダグダしたオバサンを尻目にこの辺りの小中学生は今日から学校が始まったようです。
朝7時20分頃には家を出る子達、そうでないと学校まで2キロちょっとあるので子供の足で行くことを考えるとそうなりますね。
そんな子供らの声を聞きながら、その時間帯は普段は朝ごはんを食べている自分;。(その時間には出ている時もまれにあります)
普段から5時起きという方を見習いたいところですが、もうちょっと気合をいれなければならないかと思います、ハイ。




                         




今朝も祝詞奏上させて頂きました。
今日は銀龍の香りをつけて致しました。


 銀龍

 〝 今のあなたは あなたの居る場所で その流れに乗っています

   世界の何処かで起こっていることは 全く関係ないのではなく 

   やはり何処かで繋がりがあります

   そのような大きな流れ その中にあなたがいることを感じてください

   けれど どのような流れであろうとも あなたに変わりはありません

   この流れの中で あなた自身を生きてください  〟
   

このような言葉でした。
昨日、太い飛行機雲の写真を載せましたがさながらそれは井戸に居た龍が空へ駆け上がった姿のように感じられました。
それを思い出し、今朝は銀龍の声を聞いたみたいと思ったのがあります。
今の世界の流れ、大きく流れているものはいつの時代にもあるでしょう。
ただし大き過ぎて自分にはそうと知れないものでしょうけれど、それでも気づけばいつもの暮らしの中にその流れは入って来ている
かと思います。
LGBT,これなども30年も前ならば当然の如く考えられなかったことですが、今では殆どの国で理解されていることかと感じます。
確かに今でも認めない、容認出来ないとする場所も少なくありませんが、現在ではそちらの方が今後は少数派となっていくのではと
思われますね。
以前はそれが常識と考えられていたことは働き方にも出て来ており、コロナ禍以降リモートで仕事することもその昔では少しはあった
でしょうが今では大いに認められていることでもありますね。
事程左様に気づけば大きな流れ、うねりの中に自分達もそうと気づかぬうちに入り込み、流れに乗っているという事かもしれません。
そのような流れの中にありながらも、けれどあなたという存在自身は変わらずそこへあるんだよと言われました。
流れの中にあっても自分を見失わずということでしょうか。
そのように感じた今日の言葉でした。      




                               




この辺りでいい加減宮島の続きを書いておこうかと思います;。
長引くだけ忘れてしまいますしね。

厳島神社の回廊を渡って行き、拝殿の前まで参ります。
以前はよく此方でいつに限らず結婚式が執り行われているところへ遭遇したりしましたが、さすがにコロナ禍以降は神社さん側も
少し控えておられるのかもしれませんね。
どなたでも見られる、いわば観衆の面前で新郎新婦がおられますし(本当に手が届きそうな距離です)その中でご両家のご親族また
雅楽を奏する神職らもおられ、それは見事な超現実を見ているようでもあります。
殊に海外の方らはまさにかぶりつきといった感じで、このドラマティックな出来事を見逃さないという風に見入っておられますしね。
教会でもひと様の挙げる式は後ろから見ることは出来るのかと思いますが、日本のこのような純和風な結婚式はそうそう目の前で見る
ことは自分達も少ないと思いますし、貴重でもあります。
それを思えば早くこのコロナ禍が収まり、またこのような御神前にて多くの方々に見守られながら式が挙げられる日が来ますようにと
祈るばかりですね。
そんなことを思いながらも拝殿前で柏手を打ち、静かに頭を垂れます。
頭の中には

 〝よう来たの

  ゆるりとして参れ 〟

の市杵島姫命のお声がしたように感じられました。                




                           
                         



                           




                             
(此方は能舞台 時に此処で薪能が行われます)



                             




その後は久しぶりにお神籤でも引かせて頂こうかと考えましたが何故かしらこの時はこのお神籤の前に人だかりが出来ており、とても
ではありませんが出来そうにありませんでした。
ちなみにこの厳島神社のお神籤はよくあるように大吉とか凶が出る物ではなく、何番という番号が出て来て、それに該当するものを
棚から選ぶようです。
これは出雲大社も似ておりまして、つまりは人によれば大凶とか出ればせっかくお越しに頂いたのに、それで気分が塞がるのは申し訳
ない、ならばそんな風にはすまいということから始まったそうです。
なんにしても今回は引くことはなく終わったお神籤、ということはこの度は引かずとも良いということを神様がお考えだったのかなと
良い方に解釈しておきましょう。(笑)
更に歩を進めて次には大国神社へと参ります。
此方は回廊の先に設けてある場所です。
写真にもあるように大国主命、つまりは大國主大神をお祀りしておられる場所ですね。
大抵此方迄足を運ぶ方はおられませんが、今回はある若い女性が先にお一人、お賽銭を上げた後にかなり長く頭を下げておられました。
何事かを一心に祈願しておられたのでしょうね。
少し離れたところでお待ちしておりましたが、人が居る事も気づかれない程熱心に拝んでおられました。
願いが叶いますように、そう思います。
私も大神様にまた参りました、次には出雲にてお会いしとうございますと心の中で祈念しておりました。
さて今年はそのようになりますかどうか;。
まだもう少し続きますが、宮島行きは今回はこの位とさせて下さいませ。


                          


                          




                             




                            

                          

         
                           




午後からお天気も良いのでこの近くを散策して来ました。
野の花もあちこちで咲いており綺麗ですねぇ。
山桜もかなり葉桜となりそうです。
実はこの後に僅かではありましたが、ぽつぽつと雨が落ちました。
湿り気が欲しい頃だよねと思っていた気持ちが通じたのでしょうか?
それにしてはちょっと降り方が足りず;むしろかえって埃っぽくなった気がしないでもありません。
晴天続きだと雨が欲しくなるものですね、贅沢な悩みだと我ながら思っております。




                        




                         




                   




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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