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日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

再び龍について

2017-06-06 22:15:25 | 
こんばんは。
今日は朝から曇りがちの一日でした。
いつもの輝きはない朝日です。

                                

それからしばらくすると、日暈、ハロが出ていました、これが見えると大体お天気は下り坂といわれていますね。

                                

そんな雨にも関係しているといわれておりますものに、龍があります。
この龍については以前にも少し書きましたし、今回も同じようになるかもしれませんが取り上げさせて頂ければと思います。

最近、そんな龍に関することをよく見聞きするようになった気がします。
といっても、いわばそういう事に興味がある方や、自分自身がそのような事柄について書かれているブログ等を拝見しているからかも
しれません。
そのような方々が取り上げられておられる龍は、豊かさや金運をもたらしてくれる象徴のようにして書かれておられるように思います。
そう、龍はその昔、中国に於いては皇帝の高貴の証でもあったのでしょうし、今でも金に輝く龍はやはり豊穣をもたらすとされておるようです。

しかし、自分が感じる、又は瞑想をして見えてくる龍は、そのようなのとはまた少し違うようなのです。
自分が見える龍の方が素晴らしいなどと申しておるわけでは全くありません。
なんというか、種類が違う?というのか、次元が違うというのかうまく言い表せないのですけれど、どうもそんな感じがしております。

                                

第一に、龍が近くにいると先ほどから申すように、豊かさ豊穣をもたらしてくれる、だから仲良くすることが大事とかいわれていたりするの
ですけれど、自分に関していうならば、全く当てはまっておりません;。
瞑想で見えてきたり、或いは感じたりする龍は、自分ひとりだけのために何かをしているというよりも、より広い大きな視点で物事を捉えて
いるようで、「個」を超えた部分でその働き?をしているようなのです。

身体全体が白く輝くような、ある時は虹を纏ったような非常に眩いほどの超大ともいえるような体躯のその龍は、殊に最近は地球という星を
飛び出して宇宙空間を悠々と飛び回っているように感じられます。

これまでにもその龍は、ある時は日本列島ほどの大きさとなり、眼下にその大地を眺めながら凄まじいほどのスピードで駆けて行ったりして
おりました。
またある時には、その巨体をグルグルと富士山に巻きつけたかと思うと、今度はスルリとその身体を解いて白く輝きながら、回りにキラキラ
と煌く粒子を撒き散らすかのようにして天高く舞い上がり、そのまま見えなくなっていったりしました。
この最後の部分、よくアニメでキラリンと輝く点で表現されていたりしますが、本当にそんな感じで見えておりました。

こう書いていても、これではまるでどこぞで見聞きしたアニメか本の中の出来事を綴っておるようですけれど、あくまで自分の想念の中で見え
ている龍の姿です。  

このところは、そんな龍の視点から見える光景なのか、これもまたどこぞで脳内に留めていたような景色?なのですけれど、丸い地球の向こう
側から此方の未だ夜の明けていない世界へ、今まさに太陽の光が降り注いでき始めた、そのような光景が広がるのです。

                                

こうして書かせて頂いていても、巷間で言われておりますような龍とはやはり相当に違う気が致します。
己れの事のみならず、致すのならば、より広い視野、高い時点、或いは次元で事を為せ、といわれておるのでしょうか。
普通に捉えられている経済的な豊かさという部分ではないところの別の視点、物の見方としての豊かさを感じ取れということを
いわれておるのでしょうか。
ですが、そこを目指せといわれるならば、やはりその前の段階のこの経済的な部分は切っても切れない事柄なのでは、とも思います。
そしてまたこれも、先にも書いたようにこの世的な豊かさ、もっと言えば経済的な豊かさとは今のところ、どう考えても無縁な自分の
ように感じております、悲しいことに;。

しかし、とも思います。
先にこのような光景を見させて頂けたということは、いずれは此処に昇って来いということをいわれておるのかな、とも思います、非常に
僭越ではありますけれど。
龍とおぼしき雲を空に見るとき、此処まで参れというような声が頭に響いてくるような気がする時があります。
これもまた自分自身の勝手な思い込みにしか過ぎませんけれど。

ならば、そのように己れを己れでもって高めていくしかないのかもしれません。
そのように心に決めた時、その時に改めてこの地上近くにおる様々な働きをしてくれるという龍に合えるのかもしれない、今こうして綴りながら
そう感じております。

                             


ぶっ飛んだことばかりを書かせて頂いております、昨日から;。
いや、元々ですけれど;。

けれど、どうせぶっ飛んでおるのならば、書きましたように、宇宙から見る地球の姿をその龍の視点で今一度眺められるよう、そんな自分で
ありたい、そう思っております。


こんなブログに今日も皆さんお付き合い下さいまして、有難うございました。

                              






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龍と太陽系

2017-05-06 16:02:57 | 


こんにちは。
こどもの日も終わり、今日からお仕事の方もおられるでしょうね。
これが月曜となると、皆さんそれこそほとんど一斉にお仕事復帰?かと思います。
一緒に、励みましょう^^;。

                                

今日は、また毛色の変わった話題を。
以前にも書いていた龍やらについて。
ま、自分が好き勝手書かせて頂いておりますので、バカらしいと思われる方は、どうぞスルーして下さいませ。


今朝、なんとはなしに食卓の椅子に座り、目を閉じていると感じて見えてきた光景です。
見えた後に、自分でメモ書きのようにして書いたことを、ほぼそのまま載せてみます。


目を閉じて見えてきた光景

まず龍が日の光を浴びながら、白い巨体を茜色に染めながら飛んでいく

その先には多くの仲間の龍が待っている

皆、楽しそうに泳ぐように飛び回っている

自分がよく見るのはこの白い龍だが、この白龍(どちらとかというと、白い身体に虹色を纏っているように感じる)は
地球を突き抜けて(大気圏?)宇宙空間で太陽なのかどうか、降り注ぐ光を浴びてやはり舞うように飛んでいる

そうして、そこから見えてくる地球をこの龍の視点から見ていると

地球全体、その彼方此方で龍であったり天使であったり、あるいはその土地の精霊であったりがそれぞれ楽しそうに
ダンスをするが如く、喜びに満ちて活き活きとしている

だが、今現在、また古から紛争がある地域は不穏な暗い陰のように揺らいでいるようで、なんとも言えず陰鬱な空気に
覆われているよう

しかし次元の違う地球は、先程の明るく楽しい光に溢れたキラキラしたような雰囲気を持った星

本来はこちらこそが、実際の地球の筈なのに、今は暗い部分が殊更クローズアップされているよう

龍はそれを眺めているように感じる(龍自身がどうしたいというのではなく、あくまで中立な感覚)


と、ここから視点が変わり、次に見えてきたのは、自分たちの居るといわれる太陽系です。


太陽系の惑星を一つずつ辿っていくと

水星は太陽の周りを一番近くで周りながら、とても忙しい?けれど楽しくワクワクした感じ
嬉しくって仕方ないというみたい


金星は、これも光を思う存分浴びながら文字通り辺りを金色に染めるような光を放っているよう
華やかな印象
人間の感性で例えると女性のよう


地球はそんな水星、金星から多くの恩恵を受け取りつつ豊かさ豊穣さを湛えた惑星
多様性に富んだ星


火星は、地球に比べるとややドライな印象
しかしまだどちらかというと人間、人類に近い感覚があるよう


木星、土星は地球と比較すると、その巨大さからして大らかであり我々人間の与り知らぬ叡智と尊厳を供えている惑星
自分達の住む地球を、宇宙からの様々なもの(これが何かはわからない)から守ってくれる


天王星、海王星は太陽から遥かに離れ、その光や熱量という恩恵は受け取れていないが、その冷ややかな感覚は
冷静さをもたらしてくれている


太陽系という枠組みで見るならば、お互いが相互に関連しつつ絶妙なバランスで成り立ち、互いを尊敬し、且つ
根本には楽しい、enjoyという感覚が常にある


地球外は真空だとして何も無いとされているが、そこにはいつも満たされている、充ちている感覚が常にある

何もない『無』なのでは全くない、いわば常に愛に満ちた空間


                         



とまぁ、上記のような、さながら夢物語のような光景をボーッと一人で見ておったわけです。
だからどうした、と言われれば、いえそれだけです、とお答えするしかありません。
あくまでも自分自身が感じた感覚、世界ですので。

しかし、この様を見た、感じた後は、なんともいえぬ幸福感、充足感、満ち足りた感覚を覚えておりました。

この世界は、自分ひとりで生きているのではない、この宇宙も何一つ自分とかけ離れたものはない
そう思える、感じられる今朝の出来事でした。

たまには空想の世界に遊んでみるのもよいのでは?

                         
 

                        










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龍が行く

2017-04-17 17:43:24 | 
こんにちは。
今日は、この辺りは今相当な豪雨ともいえそうな状況になっております。
春の嵐といわれておりますが、まさにそのような感じですね。
どこにも被害が無いことを願うばかりです。

タイトルつけて、ありゃ、どこかできいたことあるような?とか今思いましたけど;。
その昔の大河ドラマでしょうか、でもまぁ、それとは関係ないのでこれで参りましょう。

夕方、なんにもない時は散歩したりしております。
ここら辺は結構山に近く、この時期になるとウグイスやら様々な鳥たちが綺麗な声で鳴き交わし、それだけで春だねぇ、と感じられますよ。
そんな場所を、うちよりもまだ高い所へある住宅団地まで坂道を登っていくのですが、その道すがら色々な景色が見えたり、或いは空の
雲に見とれたりしております。

そんな雲を見ていると、これもまた様々な形をしていたりして、見ていて飽きません。
昨日はそんな中で、長く延びた高層雲でしょうか、さながら龍のように感じられ、なんとも雄大で気持ちよく感じられる雲がありました。
                 
                 
こんな感じで、ずっと延びてきて
                
                 

一体どこへ向かっているのかなぁ、などと毎度のことながらぼんやりと考えていたりしたのですけどね。
この他にも
 
                 

ちょっと太め?な胴体のように思えたりしていましたけれど。

雲ですから当然、西から東に流れていくわけですが、昨日の朝の北の国のことを考えると、どことなくこの雲が寄り集まってその方面へ向かって
いるような思いに捉われました。
何事もなく収まってくれることを祈ります。

ところで、こんな空の雲を見て、自分では龍だと感じていても、人からすれば、ただの何でもない雲にしか過ぎません。
よく見かける、どこでも見えるそんな雲ばかりですし。
あくまで、自分が感じることでしかありません。
龍が行く、なんて大層なタイトルに相応しくもないかもしれませんね。
ま、そこは大目にみてやって下さいませ、なんせオバサンの独り言みたいなものですので;。

そうは申しましたが、瞑想をしていると良く龍が想念の中に浮かんできます。
これは見ようと意識して見ているわけではなく、目を閉じて静かにしていると、頭の中に龍の姿が見えてきたりします。

ある日の瞑想では、視界の下には山脈が連なり、その上を幾頭もの龍が悠々と泳ぐようにして飛んでいたり、その中の一頭が虹色を纏いながら
白く輝き日の光を浴びながら、やがて凄まじい勢いで空高く飛び立ったかと思うと、まるで光る点のように見えなくなり、次に自分の視点が
変わると今度はその龍が地球を飛び出しており、宇宙空間で太陽とおぼしき光を受けると、先程と同様に物凄いスピードで元居た場所へと還って
いく様が見てとれたりします。

ある時は、地表から光の柱が立ったかと思うと、じきにそれは龍の姿となり光り輝きながら空へと飛び立ち、日本列島の上を行き、富士山に
その姿でグルグルと嬉しそうに巻きついて、その後空へと上っていく、そんな光景を見ることもあります。

これはしかし、あくまで自分自身の想念の中での出来事?であり、妄想の範疇でしかありません、当然ですけれど。
そう思いつつも、いつの頃からか見えるようになった龍、自分の中では荘厳なその姿ながらも、どこかで懐かしいような、仲間のような、
そんな親しい相手のように感じております。


龍といえば、その昔から中国では皇帝の使いというのか、権力や強さの象徴として表されていますよね。
殊に皇帝のそれは、指も五本であったり、その手?に持つ玉も特別なものであったり、と非常に重要視されていますね。
また龍は雷雲や嵐を呼んだりされるとも云われておりますね。
身近なところでは、干支の十二支の中にもその姿は見ることが出来ますしね。

しかしながら、その姿は実際のところ、今の自分達には見ることが出来ません。
とは言え最近では、そんな龍に関する書物も数多く出てきており、想像上のものだけとも言い切れないのかな、とも思ったりもしますけれど。

古の中国の人々が、皇帝のために作ったであろう数多の彫刻や絵画、それらはあたかも目の前におるそれらの龍の姿をつぶさに観察しながら
その形を彫り出したり、或いは絵に描き止めたりしたようにすら感じられます。
頭の中の想像だけで、あれだけの創作物、創造物を作れるとは到底思えません。

これはまた、あくまでも自分が考えたことですが、古の人々は今の我々よりも遥かに目に見えない世界に通じる部分があったのではと思います。
いわば、今の自分達よりも次元の高い処を感じ取れるだけの能力を持った人々が多く存在したのでは、と思うのです。
本当にそうであるかどうかは、それこそ自分には分かりかねます。
ですけれど、そのような人々に支えられながら、自分達の居る世界とは別の次元にいるであろう龍や、或いは鳳凰とも朱雀ともいわれるもの
等の姿を如実に表現出来ていたのではないのかな、と思います。

今の現代社会は、まだまだ物が重要視され、目に見えない世界は疎かにされがちです。
ですが物自体、その最初は人が考えたものが形となって出てきて、それが目に見える物となったのだと思います。
こう書くと、では龍もそのような想像上のものではないのか、ともいえなくもありませんけれど。
もしかすると、龍も物も、自分の住む世界ではない別の世界のものを、あたかも自分が考えたかのごとく、そちらの世界から
引っ張り出してきたのでしょうか。
この辺りのことは、自分ではわかりませんね。

でも、龍を思うと、いつの時も、その雄大に飛び行く様を思い描きながら、自分自身も遥かな空を行くようで胸すく思いが致します。


さてさて、今日はいつにもましての誇大妄想ストーリーとなりました。
お付き合い頂きました皆様、どうも有難うございました。
最後はこんな写真にて失礼をば。
 
                      

                       
                        


 
 
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