気まぐれ翻訳帖

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グーグル会長シュミット氏の新刊をアサンジ氏が酷評

2013年07月12日 | メディア、ジャーナリズム
グーグルの会長エリック・シュミット氏とグーグル・アイデアズの責任者ジャレド・コーエン氏の2人の手になる新刊本『THE New Digital Age(新デジタル時代)』を、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジ氏が酷評しています。
アサンジ氏による、この書評はニューヨーク・タイムズ紙に掲載されました。

おもしろい人物の取り合わせなので、予定していたものを急遽変更して、こちらを先にアップします。

書評のタイトルは、
The Banality of ‘Don’t Be Evil’
(「邪悪なまねはするな」の陳腐さ)

原文はこちら↓
http://www.nytimes.com/2013/06/02/opinion/sunday/the-banality-of-googles-dont-be-evil.html?pagewanted=all&_r=0

(なお、原文の掲載期日は6月1日でした)


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June 1, 2013
2013年6月1日

The Banality of ‘Don’t Be Evil’
「邪悪なまねはするな」の陳腐さ

By JULIAN ASSANGE
ジュリアン・アサンジ


『新デジタル時代』は、技術者主導の帝国主義への驚くほど明確で挑発的な青写真である。著者は現代を代表するテクノロジーの魔術師の2人、エリック・シュミット氏とジャレド・コーエン氏。両氏は21世紀における超大国アメリカのための新しい語法を創出した。この語法は、米国務省とシリコンバレーとのいよいよ緊密な結びつきを反映するものだ。そして、それを象徴するのがグーグルの会長を務めるシュミット氏とグーグル・アイデアズの責任者であるコーエン氏という著者である。コーエン氏は国務長官のコンドリーザ・ライスとヒラリー・クリントンのアドバイザーを務めていた人物である。

著者の2人は、この本の構想が練られていた2009年に、米軍の占領するバグダッドで話し合いを持った。瓦礫の中を歩きまわりながら、2人は話に夢中になった。米軍の攻撃でぺしゃんこになったが、イラクは消費者向けのテクノロジーによって生まれ変わりつつある。そして、テクノロジー産業は米国外交の強力なツールになり得るというのが2人の結論だった。

この書は、世界の人々と国を超大国アメリカのミニチュア版へと変貌させる際にテクノロジーがはたす役割を顕揚するものだ-----これらの人々や国がそれを欲するか否かは別として。文章は簡潔で、論じ方は自信満々、ただし、洞察はこれといって目覚ましいものはない。しかし、そもそもこの本は読まれることをあてにしていないのだ。同盟関係を高らかに宣言することで、その関係の促進を図った書なのである。

『新デジタル時代』は、まず何をおいても、グーグルが米国の地政学上の予見者としてみずからを位置づけようとする試みである。グーグルは、「アメリカは今後どこに向うべきか」という問題に答えを出す会社であろうとする。こういう次第であるから、驚くにはあたるまい-----欧米のテクノロジー産業の魅力にお墨つきをあたえるべく、世界的に著名な戦争肯定者たちがうやうやしく駆り出されるのは。本の謝辞では、ヘンリー・キッシンジャー氏にとりわけ麗々しく感謝の言葉が捧げられている。そして、キッシンジャー氏とともにこの著書に賞賛の言葉を寄せているのは、ブレア元首相や元CIA長官のマイケル・ヘイデン氏である。

この著書では、筆者は喜んで「白人のオタクの責務」をはたしている。本の随所で、都合のいい、想像上の有色人種の逸材が登場する。コンゴの漁師の娘、ボツワナのグラフィック・デザイナー、サンサルバドルの反汚職運動家、タンザニアのセレンゲティで牛を放牧する文盲のマサイ族、等々等々。これらの人々が読者の前におごそかに召喚されて、白人帝国の情報サプライチェーンに接続された、グーグル社の先端的な携帯電話を誇らしげにかかげる。

著者は、将来の世界について、専門家らしく無味乾燥な像を描いてみせる。今後何十年かの機器は、われわれが今日手にしているものとほとんど大差がないとの予測である-----より洗練されたものになるだけで。アメリカの消費者向けテクノロジーが地球の表面を容赦なく覆うことで「進歩」が促進される。すでに、グーグル社ブランドの携帯型機器は日ごとに百万台近くの規模で増え続けている。グーグル-----そしてグーグルを通じてアメリカ政府-----は、あらゆる人間のコミュニケーションに割って入ることになる-----中国を除いて(あの聞きわけのない中国!)。製品はいよいよ高度で驚異的なものになる。都会の若きエリートたちは今よりもずっと快適に眠り、仕事をし、買い物に精を出す。つまり、民主主義は監視技術によってひそかに侵食され、支配は大手をふって「参加」という言葉で言い換えられる。そして、組織的な支配、威嚇、抑圧という目下の世界の枠組みは変わることなく続く-----話題にされず、苦悩の種ともならず、多少懸念とされるだけで。

著者の2人は、2011年のエジプト国民の勝利については渋い顔をする。同国の若者たちをほとんど評価せず、「若者に見られる改革運動と傲慢の結びつきは万国共通の現象だ」と言い放つ。デジタル機器によって背中を押された群衆についてふり返り、革命は今後「始めるのは容易」でも「成就するのは難しい」だろうと言う。キッシンジャー氏が著者に語るところによれば、強力な指導者がいないために結局は連立政権に落ちつかざるを得ないだろう、そして、やがては独裁制に陥ってしまう、とのことだ。「もうアラブの春はくり返されない」だろう(中国はダウン寸前であるが …… )と著者は語る。

著者はまた、「資金の潤沢な」革新的グループの未来についてバラ色の夢を描いている。新しい「コンサルタントの一群」が登場して、政治家を世に送り出したり政治家本人のイメージをきめ細かく修正したりするのにデータを活用することになるだろうと言う。

「彼の」スピーチ(未来も今とたいして変わらないようだ)と文章は、一般に供される前に「高度な特徴抽出ソフトや傾向分析ソフト」を適用される。また、「当該政治家の政治能力のウィークポイントを探る」ために「脳活動の解析」やその他の「高度な診断法」が用いられる。

この著書は、米国務省の体制的タブーや強迫観念をそのまま映すものとなっている。イスラエルやサウジアラビアについての実質的な批判は見当たらない。また、まったく驚くべきことに、南米の主権回復運動などはそもそも存在しなかったかのようである。それは、これまで30年間で、アメリカが支援してきた富裕者支配と独裁制から多くの国を解き放ったにもかかわらず。代わりにこの地域の「高齢の指導者」に言及し、キューバのように政権移行がスムーズにいくとは考えない。そして、言うまでもないことながら、アメリカ政府にとって都合のいい悪玉-----北朝鮮とイラン-----については、おおいに不満を訴えている。

グーグルの誕生は、独立心に富むカリフォルニアの大学院生の気風を土台としていた。寛大、善良で、遊び心にあふれた気風である。しかし、巨大で邪悪な世界と接触を続ける過程で、グーグルは、ワシントンの既存の権力諸機関-----国務省から国家安全保障局に至るまで-----にみずからの運命を密接にからませるようになった。

世界の暴力的な死亡事例のうち、限りなくわずかの割合しか占めないにもかかわらず、テロリズムは米国の政策策定者たちのお気に入りの題目である。これだけテロリズムに執着しているからには、著書の中でぜひとも取り上げねばならない。そういう次第で、「テロリズムの将来」なる一章が特に設けられている。それによれば、テロリズムの将来はサイバーテロにあり、とのご託宣である。そして、人を不安に追いやるシナリオが得々と語られる。その中には、息を呑むパニック映画さながらのものさえある。サイバー・テロリストが米国の管制システムを乗っ取り、航空機をビルに突っ込ませる、送電網を機能停止に追い込む、核兵器のシステムを誤動作させ発射させる、等々等々。著者はさらにネットで抗議活動を展開する人々をテロリストと同じくくりにしてしまう。

私は著者とはかなり異なった考え方を持っている。グーグルに代表される情報産業の進化は、大多数の人々にとってプライバシーの死を先触れし、世界を独裁政治の方向に近づけるものだ。この点は、私の著書『サイファーパンクス』でも中核的なテーマとして論じた。シュミット、コーエンの両氏は、そうしたプライバシーの死が「抑圧的な独裁政権」が「国民を標的にする」ことに役立つ点は認めている。が、一方で、彼らは、「開かれた」民主主義政権であれば、それを「国民や消費者の関心により適切に対応する」ことを可能にする「賜物(絶好の機会)」ととらえることができると言う。しかし、現実には、欧米における個人のプライバシーの腐食とそれにともなう権力の集中は、権力の濫用を不可避にし、「よき」社会を「悪しき」社会へと近づけているのである。

著書の中の「抑圧的な独裁政権」をめぐる節では、抑圧的な種々の監視措置が非難がましく紹介されている。一般市民へのスパイ行為を可能にする「裏口」をソフトウェアに組み込ませる立法、ソーシャル・ネットワークの監視、国民全員を対象とした情報の収集などである。ところが、これらのすべてはアメリカですでに幅広く実施されている。それどころか、これらの措置の一部はグーグル自身が急先鋒となって進めていた。たとえば、ソーシャル・ネットワークの人物情報をすべて実名と結びつけさせる動きなど。

不吉な前兆はすでにうかがえる。が、著者2人の視野にはそれは入ってこない。彼らはウィリアム・ドブソン氏の見解を拝借する。メディアは、独裁制の下でも、「反対派メディアを許容する-----体制批判側が暗黙の境界をわきまえている限り」。しかし、上で述べた潮流-----個人のプライバシーの腐食とそれにともなう権力の集中-----は、アメリカで勢いを増しつつある。AP通信やフォックス・ニュースのジェームズ・ローゼン記者への捜査がもたらす萎縮的な影響については誰も否定するまい。だが、ローゼン記者の召喚にからんでグーグルがはたした役割についてはほとんど明らかになっていない。これらの潮流には私自身も個人的にかかわりを持っている。

米司法省は今年3月、ウィキリークスに対する犯罪捜査が3年目に入ったことを認めた。法廷の証言によれば、対象は「ウィキリークスの創設者、所有者、運営者」などである。また、ブラッドリー・マニング氏は明日から12週間にわたる審理を受ける予定で、検察側の証人24人が非公開で証言するとある筋は伝えている。

この著書は、大きな可能性を蔵したままに終わった作品で、著者のいずれも自分たちが構築しつつある、集権化された巨大な悪を描写することはもちろん、それに気がついていることを示す言葉さえ見当たらない。彼らは言う。「20世紀にロッキード・マーティンが占めた役割は、21世紀には、技術系企業とサイバーセキュリティ企業が担うことになるだろう」。自分のしていることを自覚さえせずに、彼らはジョージ・オーウェルの予言を最新式に更新し、なんら違和感を覚えさせずに実施している。もし読者が将来の姿をかいま見たいのならば、アメリカ政府が後押しするグーグル・グラスが人々のうつろな顔にずっと装着されたままの図を思い描いてみるといい。この著書の中には、消費者向けテクノロジーを崇拝、鑽仰する人間がインスピレーションを得られるような点はほとんどないだろう。なくてもちっとも気にしないだろうが。しかし、この書は、よりよき未来を構築するための闘いにかかわっている人々にとっては必読の書である-----ひとつの単純な原則、つまり、「汝(なんじ)の敵を知れ」という意味において。


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[訳注と解題と余談など]

■いつものことですが、アサンジ氏の文章はところどころわかりにくい箇所があります。それで、適宜、言葉を補って訳出しています。
誤訳、不適切な訳、原文の英語に関する質問、等々がありましたら、コメント欄からお伝え下さい。


■タイトルに含まれている表現の Don’t Be Evil(邪悪なまねはするな)は、もちろんグーグル社のスローガン。

The Banality of ‘Don’t Be Evil’
(「邪悪なまねはするな」の陳腐さ)
というタイトルの趣旨は、
「『邪悪なまねはするな』という斬新なスローガンを掲げるグーグルだが、その会長の執筆したこの書籍には斬新な点はまったく見当たらない」ぐらいの意でしょう。


■前半の原文の
In the book the authors happily take up the white geek’s burden.
(この著書では、筆者は喜んで「白人のオタクの責務」をはたしている)
の中の white geek’s burden(白人のオタクの責務)は、white man's burden(白人の責務)という定型表現のもじりです。
White man's burden(白人の責務)とは、「白人は劣等の有色人種を文明化する責務・使命を有する」とする、帝国主義の正当化に用いられたリクツのひとつ。
上の一節の意味は、「技術に精通している白人の著者が、有色人種にもメリットがあることを大いに喧伝している」ぐらいの意と解します。


■その他、細かい点を解説し始めるとキリがないので、気になる方はコメント欄から質問してください。


■今回の文章と関連する「米国のインターネット支配の野望」については、以前のブログを参照してください↓

「サイバー攻撃の脅威」のプロパガンダ性(および、脅かされるインターネットの自由)
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/80c971fc1ecc2762c8ceb95b49585768

ちなみに、こちらの文章の書き手は、現在スノーデン事件で日本でも多少知名度のあがったグレン・グリーンウォルド氏です。


■さらに詳しく追求したい方のために。

・訳文中のアサンジ氏の著作(共著)『サイファーパンクス』その他については、例によって、「デモクラシー・ナウ」さんのサイトが参考になります↓

サイファーパンクス ジュリアン・アサンジが語るネットの自由と未来 
http://democracynow.jp/video/20121129-1


・後半の文中の
「フォックス・ニュースのジェームズ・ローゼン記者への捜査」
については、以下のサイトが参考になります↓

新聞紙学的
http://kaztaira.wordpress.com/2013/05/26/%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%80%81%E5%85%A5%E9%80%80%E5%87%BA%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%80%81%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E5%85%B1/


・訳文中の「権力の集中」や「集権化」は、民間企業のグーグルやマイクロソフトなどの独占企業の力の増大と、政府(行政府)への権力の集中の2つの要素を含んでいると思われます。
後者は、世界的な現象であるらしい「行政府の権力の肥大化」の問題と重なりますが、これについては下記のサイトが参考になります↓

行政権の肥大に対抗するアメリカ市民
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/790.html


また、米国の行政権の肥大は、「米国司法権の形骸化」の問題と表裏一体ですが、これについては以前にも取り上げました↓

米国司法の後退
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html

こちらも、筆者はグレン・グリーンウォルド氏。


■最後の段落の文章について。
What Lockheed Martin was to the 20th century,” they tell us, “technology and cybersecurity companies will be to the 21st.”
(彼らは言う。「20世紀にロッキード・マーティンが占めた役割は、21世紀には、技術系企業とサイバーセキュリティ企業が担うことになるだろう」)

これは、20世紀の、いわゆる「軍産複合体」(軍と産業界の協力体制(癒着構造))では、ロッキード・マーティン社などの兵器メーカーが産業界側の代表的存在だったのが、21世紀には、グーグルなどのIT企業がそれに取って代わるということですね。


■シュミット会長は最近、「邪悪なまねはするな」というスローガンは馬鹿げていると発言したそうです。
このスローガンを掲げ続けるのはさすがに難しくなったので軌道修正を図ったのでしょうか(笑)