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気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

チョムスキー氏語る-----思い出、国境、人類の共有財産

2013年09月23日 | 国際政治
お久しぶりです。
去年と同様に夏バテでくたばっていました。
今月も1回きりの更新で失礼します。

今回は、米国有数の知識人ノーム・チョムスキー氏がベイルート・アメリカン大学の2013年卒業生に対しておこなった講演の書き起こしの文章です。3ヶ月ほど前のものですが。

チョムスキー氏は、イラク戦争やシリア内戦をはじめとする現代の数々の酸鼻にもかかわらず、西欧のこれまでの歴史を視野に入れて未来に一筋の光明を見出しています。


原文は例によって、オンライン・マガジンの『Znet』(Zネット誌)で見つけました↓
http://www.zcommunications.org/we-must-defend-the-global-commons-against-commercialization-environmental-catastrophe-and-autocratic-rule-by-noam-chomsky.html

(なお、この文章の掲載期日は6月18日でした)


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We Must Defend The Global Commons Against Commercialization, Environmental Catastrophe, And Autocratic Rule
われわれは地球の共有財産を守らなければならない-----商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して


ノーム・チョムスキー

出典: Marcopolis.net

2013年6月18日(火)

ベイルート・アメリカン大学2013年卒業生に対するノーム・チョムスキー氏の基調講演
「われわれは商業化、環境破壊、強圧的統治に抗して地球の共有財産を守らなければならない」




私がレバノンの土を踏んだのはこれまでも何度かあります。この国に大変な希望が満ちていた時もありましたし、絶望に覆われていたような時もありました。しかし、困難を乗り越え、前進しようとする強い意思はいつもうかがうことができました。初めてレバノンを訪れた-----訪れたというのは正確な表現ではないかもしれませんが-----のは、ちょうど60年前の今頃でした。妻と私はある夕刻、イスラエルの北部ガリラヤでハイキングをしていました。1台のジープが歩いている私たちに近づいて来、車上のひとりが「ひき返せ」とどなりました。私たちは別の国に足を踏み入れていたのです。いつの間にか国境をまたいでいました。当時は国境を示すものがありませんでした。現在はものものしい警備体制が敷かれていると思いますが。

これはちっぽけな出来事ではあります。ですが、私にある認識を強烈にきざみ込んでくれました-----自分が薄々は気づいてはいたものの、はっきりと意識の表面には上らせていなかった認識を。国境の正当性はせいぜい限定的でかりそめのものにすぎないということを。本質的な正当性はそなえていないのです。ほぼすべての国境は強制的な力の行使によって定められ、維持されてきました。ひどく恣意的なものです。レバノンとイスラエルの国境はイギリスとフランスという西欧列強の利益のために策定されました。たまたまそこに居住していた人々には-----また、地形にさえも-----なんの考慮も払われませんでした。まったく理に欠けています。だからこそ、それと知らずいつの間にか国境をまたいでいるということが起こるのです。

今日、世界の深刻な紛争をざっと見渡してみると、そのほとんどすべては帝国主義時代の不法行為の結果であり、西欧列強がみずからの利益のために策定した国境に端を発していることがわかります。数多くの例のうちからひとつを挙げてみますと、パシュトゥーン族の人々は、アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)を認めていません。この境界線は英国によって引かれたものです。歴代のアフガニスタン政府もその正当性を受け入れていません。この境界線を越えるパシュトゥーン人を「テロリスト」と呼ぶのは、現代の帝国主義国家にとって都合がいいからにすぎません。そうすることによってオバマ政権はテロに対する戦いを名目に、彼らの居住地に無人航空機と特殊部隊を使って無慈悲な攻撃をしかけることができるのです。似たような事情は世界のあちこちで見出せます。

今日、きわめて高度なテクノロジーにより厳重に守られ、また、アメリカ国内で熱心な議論の対象となっている国境は、アメリカ・メキシコ間のそれです。両国は良好な外交関係を維持しているにもかかわらず。この国境もまた、例にもれず、非道な侵略によって成立しました。「史上もっとも邪悪な戦争」のおかげです。この表現は、若いころメキシコ戦争に従軍し、後に大統領となったユリシーズ・グラント将軍のものです。メキシコとの国境は1994年まではしごく開放的な状態でした。しかし、その年にクリントン大統領は「ゲートキーパー作戦(入国阻止作戦)」を開始し、警備を大幅に強化しました。以前には、人々は親戚や友人に会うために頻繁に行き来していたのですが。

ゲートキーパー作戦は、おそらくその年の別の出来事が導入の動機となっています。つまり、NAFTA(北アメリカ自由貿易協定)の「押しつけ」です。「自由貿易協定」というのは不適切な名前であり、「押しつけ」と呼ぶのはまちがっていません。参加候補国では大勢の人々が反対していたのですから。クリントン政権ははっきりと理解していました、メキシコの農夫たちがいかに優秀であろうと、多額の補助金を受け取っているアメリカの農企業には太刀打ちできないことを。メキシコの会社がアメリカの多国籍企業の敵ではないことを。これら多国籍企業は「内国民待遇」-----メキシコの企業より不利ではない待遇-----が与えられることが、そもそもNAFTAの規定に含まれていました。こういうわけで、ほとんど必然的に国境を越えて難民が殺到することは容易に予想がつきました。これらの人々のほかにも、1980年代にレーガン大統領が中米でおこなった非道な戦争の荒廃から逃れるためにやってくる人々もいまだに跡を絶っていません。

国境がなし崩しになる、そしてまた、国境の象徴となり国境が原因となっていた深刻な憎悪と紛争が沈静化する徴候が今日いろいろな形で現れています。
そのもっとも目覚ましい例はヨーロッパです。
何世紀もの間、ヨーロッパは世界でもっとも悲惨な地域でした。むごたらしい、破滅的な戦争を幾たびも経験しました。17世紀の「三十年戦争」だけを見てみても、おそらくドイツの人口の3分の1ほどがこの戦争のおかげで失われています。ヨーロッパは、こうした悲惨な時代を経る過程で、科学技術を発達させ、戦争のやり方に習熟しました。これが、後にヨーロッパが世界を制する原動力となったのです。

最終的に形容しがたい蛮性が炸裂した後、この相互の破壊行為は1945年に終息しました。学者によると、これは民主的な平和を望んでの幕引きということになっています。しかし、戦争終結の大きな要因は、自分たちがあまりに強力な戦争技術を身につけるに至ったため、これ以上この相互破壊のゲームを続けると自身の破滅をもたらしてしまうと悟ったことにほかなりません。
戦後からこれまでの欧州統合の歩みは深刻な問題をかかえています。それは今現在、誰の目にもあきらかです。けれども、過去と比べた場合、大きな前進であることはまちがいありません。

同様のことがこの中東で起こっても格別不思議というわけではないでしょう。近年まで国境など実質上存在しなかったのですから。そして、実際にそれは起こりつつあります、むごたらしい形で、ですが。
自殺と同一視されるほどのシリアの悲惨な国内紛争は国全体を無残に引き裂いています。中東地域を担当するベテラン記者のパトリック・コックバーン氏が述べた可能性をわれわれはまじめに受け取らねばなりません。シリアのこの内戦とそれが近隣におよぼす影響の結果、1世紀前にイギリスとフランスによって押しつけられたサイクス・ピコ協定の枠組みが崩壊するかもしれない。そう、同氏は語っています。

シリアの内戦はスンニ派とシーア派の争いを再燃させました。しかし、この争いは、そもそも10年前のアメリカとイギリスによるイラク侵攻のもっともおぞましい帰結のひとつです。それに、われわれが忘れてはならないのは、ニュルンベルク裁判において、侵攻、侵略が「もっとも重大な国際犯罪」とされたことです。それは、付随して生じるあらゆる悪を内包しているがゆえに他の戦争犯罪とは別格とされました。このニュルンベルク裁判における考え方は、現代の国際法の中核を成しています。
イラクのクルド人居住地域と目下のシリアは自治と統合の方向に歩を進めています。

今では、多くの地政学の専門家が、パレスチナ国家の成立より早くクルド人の国が誕生する可能性を指摘しています。
パレスチナは、もし圧倒的な国際的合意による条件等によって独立を勝ち得たとすると、そのイスラエルとの国境は、商業的、文化的交流という平凡な過程を通じて影を薄くするでしょう。これまで比較的平和な時期にそうなりつつあったように。
「イギリス委任統治領パレスチナ」について多少は知っている人間であれば、強制的な分割がいかに恣意的であり、甚大なダメージを与えるものであるかはよくご存知のことと思います。

上で述べたような事態の展開によって、この地域の統合は一層進むでしょう。そしておそらく、イスラエルとレバノンを分けていたガリラヤの人為的な国境はなし崩しになるでしょう。そうして、ハイキングをする人たちその他は、私たち夫婦が60年前にやったことをまたくり返すことになるかもしれません。ここで詳細な分析はひかえますが、以上のような進展は、私には、パレスチナ難民の苦境を幾分かでも解決する方向に向けた、唯一の現実的な希望を差し出すものと感じられます。もっとも、この問題は、イラク侵攻とシリアの自殺的な内戦以来、この地域を悩ましている難民問題のほんの一例にすぎなくなってしまいましたが。

国境をぼやかし、国家の正当性に懐疑的な目を向けてみると、浮び上がってくるのは「誰が地球を所有しているのか」というかりそめならぬ問いです。地球の大気は誰の持ち物でしょうか。この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、「長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し」、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。また、誰が地球を守るのでしょうか。こう問いを発したのは、世界各地に居住する当該地域固有の民族に属する人々です。自然の権利を擁護するのは誰でしょうか。誰が人々の共有財産について管理係の役目を引き受けるのでしょうか。

深刻化しつつある環境破壊に端を発する災厄から地球を救う道が喫緊の課題であること-----これは、教育を受けた正気の人間であればわかりきったことであるはずです。ところが、現代の歴史においてもっとも注目すべき特徴は、この危機に関するくいちがった対応です。自然を守ろうとする最前線にいるのは「原始的な文明」に属するとされる人々です。土着の人々、部族の人々、カナダの「ファースト・ネーション」またオーストラリアの「アボリジニ」と呼ばれる人々、そして一般に帝国主義国家の侵略をどうにか生き延びた人々の子孫です。一方、自然に対する攻撃の最前線にいる人々は、自分たち自身を「もっとも文明の発達した」、「もっとも豊かで、もっとも強大な」国に属すると称する人々です。

人類の共有財産を守ろうとする動きはさまざまな形で現れます。小さな形では、まさしく今、タクシム広場で起こっています。勇気のある人々がイスタンブールに残る人類の共有財産を守ろうとしています-----商業化、地域の再開発とそれにともなう地域社会の崩壊、強圧的統治に抗して。これらが、古くからの貴重な宝をだいなしにしようとしています。主流派メディアがようやく認識し始めたことですが、これらの人々の声は「自分たちの声を聞いてもらいたい人々の叫び、統治のスタイルについて発言権を欲する人々の叫び」です。タクシム広場の衝突は「支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂」です。

トルコの地位の重みを考慮すると、タクシム広場の闘いの帰結は中東の他の国々にもかならずや大きな影響をもたらすでしょう。けれども、それにとどまらぬはるかに重大な意味を有しています。今タクシム広場で闘っている人々は、上に述べた商業化、地域の再開発、強圧的統治などから人類の共有財産を守る世界的な闘いの最前線にいるのです。この闘いは、私たち全員が情熱と堅い意思を持って参画すべき闘いです-----もし、国境のない世界、私たちの共有財産であるこの地球で人間らしい生活を送ることを望むのであれば。この地球を守るのか、それとも破滅の道を歩むのか、ふたつにひとつです。


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[訳注と補足と余談など]

この講演にうかがえるように、チョムスキー氏は、現在の世界各地の悲惨な紛争その他にもかかわらず、人類の平和的共存の可能性をなお信じています。

自分の個人的な思い出話を起点とし、国境の不合理性、過去から現在までの帝国主義的国家の非道から環境問題、統治のスタイルまで話が展開しますが、これらが有機的につながり、単なる抽象的なご高説に終わっていません。氏の個人的な確信に裏打ちされています。そういう意味で、非常に印象的な語りとなっています。


チョムスキー氏の文章は以前にも訳出しました。こちらもぜひ一読を。

チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/a554e4c629f391e59807ee8286fed27f


■訳注

・文中の、
「この大気は現在、温室効果ガスによって汚染が進み、『長年懸念されていた数値を越え …… 、これまで何百万年もの間例のなかった濃度に達し』、深刻甚大な影響をもたらすおそれがある-----そう、私たちは一月ほど前に知らされました。」
の部分は、おそらく、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事に言及したものと思われます。

Heat-Trapping Gas Passes Milestone, Raising Fears
http://www.nytimes.com/2013/05/11/science/earth/carbon-dioxide-level-passes-long-feared-milestone.html?pagewanted=all&_r=0


・文中の
「タクシム広場の衝突は『支配対自由の争いであり …… 、賭けられているのはタクシム広場にとどまりません。賭けられているのはひとつの国の魂』です。」
の引用部分は、以下のニューヨーク・タイムズ紙の記事が出典と思われます。

In Istanbul’s Heart, Leader’s Obsession, Perhaps Achilles’ Heel
http://www.nytimes.com/2013/06/08/world/europe/in-istanbuls-taksim-square-an-achilles-heel.html?pagewanted=all


■内容についてもう少し掘り下げたい方のために参考となるサイトなどを紹介しておきます。

・文中の「アフガニスタンとパキスタンの国境線(デュアランド線)」とパシュトゥーン民族については、以下のサイトが参考になります。

パシュトゥーニスタン問題についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/sc_skipjack/20091019/p1


・文中で、グラント将軍がメキシコ戦争を「史上もっとも邪悪な戦争」と形容したことについては、日本文学の翻訳家で親日家であるドナルド・キーン氏の著書『明治天皇』(上巻の第31章「グラント将軍、日本の休日」、角地幸男訳、新潮社)に次のように出ているそうです。

メキシコ戦争中、私は良心と戦っていた。私は、戦争に参加した自分を決して完全には許していない。私はこの問題について、大変はっきりした意見を持っていた。合衆国がメキシコに仕掛けた戦争ほど邪悪な戦争はない、と私は考えている。若かった当時も、そう考えていた。しかし、辞める道徳的勇気がなかった。

私は、これを以下のサイトで知りました。

大統領のトリビア(1)
http://homepage3.nifty.com/ap1967/trivia01.html


・文中の、ニュルンベルク裁判における考え方に関連しては、以下のサイトが参考になります。

戦争責任とは何か
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/historyeducation/Sensousekininn.htm

チョムスキー氏語る-----超金持ちと超権力者たちの妄想

2013年05月20日 | 国際政治

米国を代表する知識人のノーム・チョムスキー氏がインタビューに応えて、アメリカの帝国主義的支配とそれを支える思考について語ります。

タイトルは、
Noam Chomsky: The Paranoia of the Superrich and Superpowerful
(ノーム・チョムスキー: 超金持ちと超権力者たちの妄想)


原文の初出は TomDispatch.com(トムディスパッチ・コム)ですが、私は定期的にのぞく AlterNet(オルターネット誌)で読みました。そのサイトはこちら↓
http://www.alternet.org/world/noam-chomsky-paranoia-superrich-and-superpowerful?paging=off

(なお、原文の掲載期日は2月3日でした)


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Noam Chomsky: The Paranoia of the Superrich and Superpowerful
ノーム・チョムスキー: 超金持ちと超権力者たちの妄想

「アメリカは終わったのか?」-----これは、自分たちがすべてを所有すべきだと信じている人々のおきまりの繰り言です

2013年2月3日

[本文章は、ノーム・チョムスキー氏へのインタビューをまとめた新刊
『Power Systems: Conversations on Global Democratic Uprisings and the New Challenges to U.S. Empire』
中の一章である『Uprisings』から抜粋したものである(出版社メトロポリタン・ブックスの好意による)。聞き手はデビッド・バーサミアン]



中東のエネルギー資源に関してですが、アメリカはかつて持っていたのと同様のレベルの支配力を維持しているのでしょうか?


エネルギー資源を豊富にかかえている主要国は依然として欧米が支援する独裁制の下にしっかりと支配されています。ですから、実際のところ、「アラブの春」で実現した前進は大したものではありません。とはいえ、やはり無意味というわけでもありません。欧米が影響力をふるう独裁制は腐食が進行しています。実際、腐食が始まってからそれなりの時間が経過しています。ですから、たとえば、50年前を考えてみてください。エネルギー資源-----それは米国の政策策定者たちの主要な関心事であったわけですが-----は、大部分が国有化されています。これをひっくり返そうとする動きが絶えず見られました。しかし、今のところそれは成功していません。

米国によるイラク侵攻のことを考えてみてください。特定のイデオロギーの熱狂的な信奉者でもないかぎり誰にとっても明らかでしょう、米国がイラクに侵攻したのは民主主義を愛するからではなくて、イラクがおそらく世界で2番目か3番目に石油を大量に秘めている国であり、重要なエネルギー産出地域の中心部に位置しているからである、と。これは、口にしてはならないことだとされています。陰謀論と見なされているのです。

米国はイラクで深刻な打撃をこうむりました。同国のナショナリズムによってです。そして、主に非暴力的な抵抗を通じてです。米軍は武装勢力グループを掃討できるかもしれません。しかし、街頭で抗議の声をあげる数十万の市民を駆逐することはできません。イラクは占領軍の押しつけた種々の条件を一歩一歩着実に取り払っていきました。2007年の11月には、米国のねらいを実現するのがきわめてむずかしいことがいよいよはっきりしてきました。そして、興味深いことに、その時になって初めてそのねらいが明示されたのです。つまり、2007年の11月に、2期目のブッシュ政権は、イラク政府と今後どのような取り決めを結ぶかを公式に宣言しました。それには2つの重要な要求事項がふくまれていました。1つは、米国がなんら制約を受けずにイラクの米軍基地を拠点にして戦闘活動を展開すること(そして、この軍事基地を将来も保持すること)。もう1つは、「イラクに対する海外投資、とりわけ米国のそれ、を促進すること」です。ブッシュ大統領は2008年の1月にこれらの点を『大統領署名声明』の1つではっきりと謳いました。しかし、何ヶ月かすると、イラクの人々の抵抗によって米国はこれらの要求をあきらめざるを得なくなりました。「イラクの支配」は米国の為政者の目の前で崩壊しつつあります。

イラクの件は、昔の支配のしくみと同様のものを軍事力によって再構築しようとする試みでした。しかし、それははね返されました。
私が思うに、概して米国の政策は一貫しており、変化が見られません。第2次世界大戦以来ずっと同じです。ですが、それを遂行する能力は衰えを示しています。


それは米国経済の弱体化が原因ですか?


原因の一部は、単に世界がより多様になったためです。今ではさまざまな対抗勢力が登場しています。第2次世界大戦が終わった時、アメリカはまちがいなくその力の頂点にありました。世界の富のおよそ半分を手にしていました。ライバル国はことごとく深刻な痛手を負うか壊滅状態でした。前代未聞の安泰な地位を手に入れ、アメリカは実質的に世界を思い通りに動かす計画を追求しました。当時はそれがかならずしも非現実的というわけではなかった。


いわゆる「重要地域計画」ですか? (訳注1)


そうです。第2次世界大戦が終わるやいなや、国務省の政策策定チームの長であるジョージ・ケナンやその他の人々がその計画の詳細をつめました。そして、その後実現にむけて活動が開始されました。現在中東や北アフリカで起こっていることは多かれ少なかれ、また、南米で起こっていることは実質上すべてが、その1940年代後半に端を発しています。アメリカの覇権に抵抗した最初のめざましい成功例は、1949年のことでした。その年、ある事態が起こり、興味深いことに、それは「中国の喪失(中国を失った)」と呼ばれました。まことに奇妙な言いまわしです。しかし、それに異議をとなえる者は誰もいませんでした。この「中国の喪失」は誰の責任であるのか、喧々諤々の議論が巻き起こりました。大きな国内問題となりました。それにしても、まことに奇妙な表現です。われわれが何かを「喪失」できるのは、まずそれを「所有」していることが前提です。つまり、自明のことだったわけです、われわれが中国を「所有」していることが。そして、もし中国の人々が民族自立にむけて動き始めたとしたら、その時、われわれは中国を「喪失」するわけです。「中国の喪失」以降も「中南米の喪失」、「中東の喪失」、某地域の「喪失」などをめぐる懸念が浮上しました。これらすべての土台となっている考え方は、アメリカが世界を支配しており、その支配をゆるがすものはすべてアメリカにとって「喪失」であり、それをいかにして回復するかを検討しなければならぬ、というものです。

今日でも、皆さんがたとえば外交政策をあつかう雑誌を読んだり、あるいは、滑稽と言えるほどの形では、共和党議員の主張に耳を傾けてごらんなさい。彼らはこう問いを発しています、「われわれはいかにしてこれ以上の喪失を食い止められるのか」、と。

しかし、支配を維持する力は急激に衰えています。1970年代になると、世界は経済的にいわゆる3極に分かれてしまいます。米国を核とする北アメリカ、それと規模をほぼ同じくするドイツを核とする欧州、そして、日本を核とする東アジアです。最後の東アジアは、当時、世界でもっともダイナミックな成長を示していました。そして1970年代以降、世界の経済秩序はいよいよ多様なおもむきを呈しています。そういう次第で、米国の政策を実現することはより困難になっています。ところが、その土台となっている思考はほとんど変化していません。

たとえば、クリントン・ドクトリンを思い出してください。これは、「重要な市場、エネルギー供給、戦略的な資源への自在なアクセス」を確保するために米国は単独で力にうったえることができるとするものです。ブッシュ大統領のいかなる宣言もここまで大胆ではありませんでした。しかし、クリントン大統領の言い方はおだやかであり、傲岸不遜なところもとげとげしいところもなかった。それで、大論争に発展することもありませんでした。クリントン・ドクトリンの考え方は現在まで脈々と続いています。それは、知識人の常識の一部ともなっています。

オサマ・ビン・ラディンの殺害後、歓呼と賞賛の声が圧倒的な中で、この行為の適法性を疑問視するつぶやきが少数ながら聞かれました。大昔には、無罪推定と呼ばれるものがあったのです。容疑者をとらえたとしても、罪が立証されなければなりませんでした。法廷で裁かれなければなりませんでした。これはアメリカの法の中核を形成するものです。それはマグナ・カルタにまでさかのぼることができます。それで、少数のつぶやきが聞かれたわけです-----われわれは英米法の土台を放り捨てるべきではない、と。
ところが、これらの声に対しては、たくさんの怒りと憤りが寄せられました。中でももっとも興味深いものは、いつものことですが、左派リベラル系の人々の反応でした。マシュー・イグレシアス氏は人々から高い評価を受けている左派リベラル系の著名コメンテーターですが、ある文章で、こういったつぶやきの声をあざけっています。彼らは「驚くほど無邪気」でうつけた人間だ、とイグレシアス氏は言います。そして、その理由を説明します。イグレシアス氏によれば、「世界の体制的秩序がはたす主な役目のひとつは、まさしく、欧米諸国による破壊的な軍事力の行使を正当化すること」だからです。もちろん、このとき、同氏の念頭にあるのはノルウェーではありません。アメリカです。つまり、国際的な秩序が土台としている原理は、アメリカが思うままにその力を行使できるということなのです。アメリカが国際法その他に違反しているかどうかを問題にするのは、「驚くほど無邪気」で、まったく間の抜けた話というわけです。
ちなみに、イグレシアス氏がこれらの言葉を投げつけた対象は私自身でした。しかし、私は、自分が「無邪気」で、うつけた人間であることに不満はありません。マグナ・カルタと国際法には多少の関心をはらう価値がある、まさしくそう私は考えているのですから。

以上のことにふれたのは、ただ単にはっきりさせたかっただけです-----知識人たちの世界では、たとえ政治的指向の点で左派リベラルと呼ばれる人々であっても、核となる考え方はほとんど変わっていないということを。しかし、これを実現する能力はいちじるしく衰えています。だからこそ、アメリカの衰退についてこれほどあれこれ論じられるわけです。たとえば、著名な外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』の年末号をご覧になってください。表紙には太字で黒々と『アメリカの終焉?』と疑問が呈されています。これは、自分がすべてを所有して当然と考えている人々のおきまりの繰り言です。自分が一切を所有して当然と信じていて、自分の手から何かが少しでも離れるとなったら、それは悲劇であり、世界が崩壊しつつあるということなのです。それで「アメリカの終焉」が問われるわけです。かなり前にわれわれは「中国を失った」。東南アジアも失った。南米も失った。おそらくは将来中東と北アフリカ諸国も失うことになるだろう。アメリカはもう終わったのか?-----これは妄想と呼んでもよいものです。超金持ちと超権力者たちの妄想です。もし自分が一切を所有できなかったら世の終わりなのです。


ニューヨーク・タイムズ紙にはこんな文章が載りました。
「『アラブの春』をめぐる喫緊の政策課題:
民主的な変革への支援、安定性の追求、有力な政治勢力となったイスラム派に対する警戒などを含む米国の鼎立し難い欲求をどのように調和させるか」。
タイムズ紙はこのように米国の3つの目標を浮き彫りにしています。これについてはどのようにお考えですか?


そのうちの2つについてはまさしくその通りですね。アメリカは安定を好んでいます。ただし、安定の意味することを素通りしてはなりません。安定とは米国の指図にしたがうことなのです。ですから、たとえば、外交政策上の大きな脅威とされているイラン、このイランに対する非難のひとつは、同国がイラクやアフガニスタンを「不安定化」させているというものです。どうやってかというと、自国の影響力を近隣諸国に波及させようとすることによって、です。一方、われわれ米国は諸国を「安定化」します-----その国に侵攻し、破壊することによって。

この点については、それを表現するお気に入りの言葉を私は何度か引用してきました。著名で、率直な、外交政策のすぐれた専門家であるジェームズ・チェイス氏の言葉で、同氏は『フォーリン・アフェアーズ』の元編集者でもありました。1973年にチリのサルバドール・アジェンデ政権が打倒され、アウグスト・ピノチェト将軍の独裁政治が始まったことにからんで、チェイス氏はこう述べています。われわれは「安定化」のためにチリを「不安定化する」必要があった、と。これは矛盾というふうには受け取られていません。まさしくその通りなのです。われわれは安定を手に入れるために-----つまり、彼らがわれわれ米国の言うとおりに行動するということですが-----チリの議会制度を破壊しなければならなかった。そういう次第で、確かにわれわれは安定を好んでいます、このような限定的な意味において。

イスラム政治勢力に対する懸念は独立を求める動きについての懸念とちょうど同じようなものです。自分たちから独立した存在はどんなものであろうと、懸念の対象にならざるを得ません。こちらの力を弱体化するおそれがあるからです。実際、少々皮肉な話です。というのも、アメリカとイギリスは大体においてこれまでずっとイスラム政治勢力ではなく過激なイスラム原理主義の方を強く支持してきました。宗教と結びついていないナショナリズムを抑制する勢力として、です。本当におそれていたのは世俗的ナショナリズムの方だったのです。
それで、たとえば、サウジアラビアという国があります。同国は世界でもっとも強く原理主義を奉じている国、過激なイスラム教国です。宣教師的な情熱を持ち、過激な原理主義をパキスタンに広め、テロリストの資金源となっています。しかし、同国は同時にアメリカとイギリスの政策の橋頭堡でもあります。両国は一貫してサウジアラビアを支持してきました-----ガマル・アブダル・ナセルのエジプトやアブドルカリーム・カーシムのイラクを初めとする国々の世俗的なナショナリズムの脅威に対抗するために。アメリカとイギリスはイスラム政治勢力を好みません。自分たちから自立するおそれがあるからです。

上述の3つのポイントの1番目、つまり、われわれが民主主義を希求していること。これは、ヨシフ・スターリンが世界の自由と民主主義に対するロシアの取組みを話題にするのとほとんど同じレベルにあります。旧ソ連の人民委員かイランの宗教指導者の口からそれを聞いたら笑ってしまうような類いの話です。ところが、同じことを欧米の同等の立場の人間から聞くと、人はていねいにうなづくのです。おそらくは深い畏敬の念を持ってうなづきさえするのです。

これまでの行状を見てみれば、民主主義への傾倒などはたちの悪い冗談にすぎません。このことは一流の学者によっても認められています。彼らはこんな言い方はしませんが。
いわゆる「民主化促進」に関して主だった学者のひとりにトマス・キャロサース氏がいます。かなりの保守派で、高い敬意を払われている学者です。新レーガン主義者であって、熱狂的なリベラル派などではありません。同氏はレーガン政権下の国務省で働いていました。民主化の進展を検証する書籍を数点世に問うています。この民主化の進展について同氏はきわめてまじめに考えています。
そのキャロサース氏が言うには、確かに民主主義は米国の深奥に根をはる理念ではあるものの、歴史をふり返ればおかしなふるまいが見られる。これまでのあらゆる政権は「精神分裂」気味であった。彼らが民主主義を支持するのは、それがある戦略的、経済的国益に沿っている場合だけである、と。キャロサース氏はこれをふしぎな病理として描写しています。まるで米国が精神科の治療か何かを必要とする患者であるかのように。もちろん、これには別の解釈もあり得ます。けれども、それは、高い教育を受け、しかるべきふるまいをする知識人には決して頭に浮かんでこないはずの解釈なのです。


エジプトのホスニ・ムバラク元大統領は、政権が打倒されて数ヶ月経つ今、勾留され、刑事責任を追及されています。一方、イラクその他の罪状に関して、米国の指導者が責任を問われるなどということは想像できません。こういう状況が近い将来変化する可能性はあるでしょうか。


それは基本的にイグレシアス氏の言う原理の問題ですね。国際的な秩序を構築している土台そのものが、米国が意のままに暴力をふるう権利を持っていることだ、というわけなんです。だとしたら、どうやって罪を問うことができるでしょう。


そして、その権利は米国以外のどの国も持っていない、と。


その通りです。いや、おそらくは米国の「クライアント」は持っているかもしれません。たとえば、イスラエルがレバノンに侵攻し、1000人の人々を殺害し、国の半分を破壊する。よろしい。なんら問題はない。これは興味深いことです。
オバマ大統領は大統領になる前は上院議員をつとめていました。議員の当時はたいした働きはしていません。しかし、オバマ氏自身が特に誇りとするものをふくめ、いくつかの仕事ははたしています。大統領予備選以前のオバマ上院議員のウェブサイトをふり返ってみてください。オバマ議員は、2006年にイスラエルがレバノンに侵攻した際、自分が上院決議案の共同提案者であることを誇らしげに強調しています。この決議案は、イスラエルがその目的を達成するまで同国の軍事行動を阻害するいかなる挙にも出ないことを求めるものでした。また、イスラエルによるレバノン南部の破壊に抵抗する勢力をイランとシリアが支援しているとして両国を非難しました。ちなみに、イスラエルによるレバノンの攻撃は直近の四半世紀のうち、この時が5度目でした。
というわけで、イスラエルは上に述べた権利をひき継いでいます。他の「クライアント」国も同様です。

しかし、その権利の大元の所有者はアメリカ政府です。世界を所有するとはつまりそういうことです。それは人が呼吸する空気のようなもので、それに疑問を感じたりはしません。現代の「国際関係論」を構築した中心人物といえば、ハンス・モーゲンソー氏をあげることができますが、同氏はしごくまっとうな、分別のある人間でした。戦略的観点からではなく倫理的観点からベトナム戦争を批判するという実にまれなおこないをした、ごく少数の政治学者や国際問題の専門家たちのひとりでした。そのモーゲンソー氏の著作に『アメリカ政治の目的』と題するものがあります。どんな内容か容易に想像がつくでしょう。アメリカ以外の国は目的など持っていません。ところがアメリカは目的を有しており、それは「超越的」なもの、つまり、世界に自由と正義をもたらすことなのです。しかし、モーゲンソー氏はまっとうな学者でした、キャロサース氏と同様に。それで同氏は過去を入念に検証しました。そして、こう言います。歴史を精査してみると、アメリカがその超越的な目的に沿って行動しているとは思えない、と。ところが、同氏は続けてこう書いています。われわれの超越的な目的に異議をとなえることは「無神論の誤ちにはまり込むことだ。無神論は同じような論法によって宗教の価値を否定してしまう」。これはまことに適切なたとえです。アメリカが世界に自由と正義をもたらすという目的を有していること、これは心の奥深くに根ざした宗教的な信念です-----あまりに深く根ざしているので、それだけをひっぱり上げることはむずかしい類いの。そして、もし誰かがこの点に疑問を呈した場合は、たちまちヒステリックと呼べるような反応が返ってき、しばしば「反米主義」だとか「自国憎悪」だとかの非難が浴びせられるのです。こういう見方は興味深いものですが、民主的な社会においてはあり得ません。全体主義的な社会だけ、そして、アメリカだけに存在するのです。アメリカではこれが常識となっているのです。


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[訳注、補足、余談など]

■チョムスキー氏については以前から関心がありました。しかし、ネットには同氏の文章はけっこう翻訳されています。なので、自分が出る幕はないと思っていました。
ところが、だんだんわかってきたのですが、翻訳は10年前のイラク戦争の前後に集中しています。イラク戦争には日本の自衛隊の参加が問題となったので、そうなるのも当然です。
ですが、チョムスキー氏はイラク戦争後もずっと文章を発表し続け、インタビューに答えたりもしているわけで、最近の文章が翻訳されないのはもったいない、誰もやらないなら自分が、ということで今回訳出してみました。


■訳注1
「重要地域計画」については、以下のサイトが非常に参考になります。
http://www.ne.jp/asahi/institute/association/old/older_200610/paper/paper02.htm

とりあえず重要な部分を一部下に引用します。

戦後の米対外政策を決定づけてきた思考枠組みは、戦時中に作られたある計画書に基づいている。それは国務省と対外関係委員会が6年間かけて検討・作成した「戦争と平和研究プログラム」である。彼らは、1941年、42年頃には、米が戦争に勝ち、その後巨大なグローバル・パワーになることを知っていた。問題は、「世界をどのように組織するか」であった。
 彼らは「重要地域計画」(Grand Area Planning)と称する概念を練った。重要地域とは、彼らの言葉で説明すると、「世界管理のために戦略的に必要な」地域である。どの地域を「オープン化」―投資に関してオープン、利益の本国還元に関してオープン、つまり米国の支配に対してオープン―するかを、地政学的分析によって検討した。
 彼らは、米経済を、内部変革なしに(これはプログラム研究会のすべての議論の大前提であった)、所得配分や権力構造の変革とか政治体制の修正なしに、繁栄させるためには、最低限西半球、解体中の大英帝国圏、そして中東の支配が必要である、と結論を出した。もちろんそれは最低限であって、最大限は世界全土の支配である。
 この最低限と最大限の中間あたりに「重要地域」があった―そしてそこを金融制度や事業計画の視点から組織化する仕事があった。これが戦後世界を通じて働いた枠組みである。
 欧州植民地の解放、太平洋での日本の野望が敗れたことで、米資本はそれまでできなかった市場への参加ができるようになった。ブレトンウッズ体制で帝国主義の新たな経済的枠組みを組み立てるかたわら、直接・間接的な軍事力行使を世界的規模で展開した―朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン政権転覆、チリ政権転覆、キューバ政権転覆未遂、中央アメリカやアフリカでの数限りない内戦介入等々。
 「重要地域」中、特に重要なのは中東で、経済的・軍事的・政治的グローバル支配にとって不可欠な地域―特に世界第一の原油埋蔵地域でもあった。同地域への米の介入は1950年代から始まり、そのうち最大のものは、1953年民主主義選挙で選ばれ、外国石油会社を国有化したイランのモサデク政権を転覆させたことだった。


■イラク侵攻の目的のひとつが石油であったことについては、前回のブログ
「イラク戦争から10年-----勝者はビッグ・オイル(巨大石油企業)」
でもふれています。

確認のためもう一度、連邦準備制度理事会の元議長アラン・グリーンスパン氏の回顧録の一節を引用すると、

I am saddened that it is politically inconvenient to acknowledge what everyone knows: the Iraq war is largely about oil.
(悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治上、具合が悪いのだ)

この what everyone knows という表現から、イラク戦争の主要な目的のひとつが石油であることは政府高官や一部の識者の間では暗黙の了解事項であったことがわかります。


■チョムスキー氏の表現にはときにわかりにくい箇所があります。
それは、皮肉なユーモアをまじえるせいもあります(これがチョムスキー氏の文章の魅力でもあるのですが)。
ある人物をどこまで本気でほめているのか判断しにくかったり。

文中の
Centuries ago, there used to be something called presumption of innocence.
(大昔には、無罪推定と呼ばれるものがあったのです)

も、もちろん、皮肉です。


ほかにも、すぐにはわかりにくい文章があります。

中ほどの文章
Of course, there’s another interpretation, but one that can’t come to mind if you’re a well-educated, properly behaved intellectual.
(もちろん、これには別の解釈もあり得ます。けれども、それは、高い教育を受け、しかるべきふるまいをする知識人には決して頭に浮かんでこないはずの解釈なのです)

この another interpretation(もうひとつの解釈)とは、どのようなものか。
一応、チョムスキー氏の言わんとするところをストレートに表現してみると、以下のようになるのではないでしょうか。

米国の為政者にとって「民主主義」や「自由」は大義名分、口実、プロパガンダであるにすぎない。単に国益を追求しているだけである。
しかし、キャロサース氏のような、学者ではあるが政権内部で働いた経験を有し、「常識人」でもある人間は、あからさまにそう口にすることはできない。
そこで、米国政権は「分裂気味」だ、ふしぎな病理をかかえている、などと苦しい説明をしなくてはならない。
「民主主義や自由はタテマエにすぎない」などという考えはそもそも思い浮かべてはならないことになっているのだ。

いかがでしょうか。まちがっていたらごめんなさい (^^;)


■終わりの方で言及されているイスラエルのレバノン侵攻については、以下のサイトが簡略でわかりやすい説明をかかげています。

イスラエルのレバノン攻撃 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E6%94%BB%E6%92%83


■若い頃は、「アメリカ帝国主義」などという言葉はおおげさだなあと思っていました。「○○戦争の目的は石油である」という主張も陰謀論に近く感じられて、そういった文章はあまり読もうとしませんでした。私は甘かった(笑)。

「重要地域計画」についても今回初めて知りました。


■「アラブの春」と米国の外交政策については、以前のブログでもふれています↓

「米国の外交政策の欺瞞」
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e760.html

イラク戦争から10年-----勝者はビッグ・オイル(巨大石油企業)

2013年04月18日 | 国際政治
今回の文章のタイトルは
Why The War In Iraq Was Fought For Big Oil
(なぜイラク戦争がビッグ・オイル(巨大石油企業)のために戦われたか)

掲載元は、これまでも何度か紹介したオンライン・マガジンの ZNet(『Zネット誌』)で、筆者は Antonia Juhasz(アントニア・ユハス)女史。

原文はこちら↓
http://www.zcommunications.org/why-the-war-in-iraq-was-fought-for-big-oil-by-antonia-juhasz

(原文の掲載期日は3月22日でした。また、原文サイトにあるリンクや参照記事の案内は省略しています)


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Why The War In Iraq Was Fought For Big Oil
(なぜイラク戦争がビッグ・オイル(巨大石油企業)のために戦われたか)

By Antonia Juhasz
アントニア・ユハス
2013年3月22日(金曜日)


そう、イラク戦争は石油のための戦いだった。「戦争には勝者も敗者もない」とよく言われる。しかし、イラク戦争には勝者がいた。ビッグ・オイル(巨大石油企業)である。

「イラクの自由作戦」の爆弾が初めてバグダッドに落とされてから今年で10年。アメリカ主導の連合軍は大半がイラクから撤退したが、欧米の石油会社の活動はこれからがいよいよ本番である。

2003年のイラク侵攻の前には、同国の石油産業は完全に政府の管理・運営下にあり、欧米の企業が手出しをする余地はなかった。しかし、10年の戦乱を経てみると、その大部分は民営化され、外国の企業がおおいに幅をきかせている。

エクソンモービル、シェブロン、BP、シェル-----これら欧米の石油大手がイラクに拠点をかまえた。米国の多くの石油サービス会社も追随した。たとえば、ハリバートン社である。同社はテキサスに本拠を置く会社で、ディック・チェイニーが2000年にブッシュと組む副大統領候補になる前は経営責任者をつとめていた。

長い間希求され、ようやく得られたこの石油へのアクセスはもっぱらイラク戦争によって実現したのである。

石油がイラク戦争の唯一の目的というわけではない。しかし、それはたしかにその柱だった。そのことは、イラク戦争が始まってからの何年間かで、米国の軍や政界のトップ指導者たちがみずから明かしたことである。

「もちろん石油がかかわっている。われわれはそれを否定することはできない」。
こう述べたのは、ジョン・アビザイド陸軍大将。同氏は、イラク駐留米軍を指揮した中央軍の司令官で、これは2007年の発言である。
連邦準備制度理事会の元議長をつとめたアラン・グリーンスパンも同意見だ。回顧録の中にはこう書かれている。
「悲しいことに、誰もが承知していること-----イラク戦争はおおむね石油をめぐる争いだということ-----を認めるのは政治上、具合が悪いのだ」。
当時上院議員で、今は国防長官のチャック・ヘーゲルも同趣旨の発言を2007年にしている。
「石油のために戦争をしているわけではないと人々は言う。とんでもない。むろん、石油のためだ」。

欧米の石油会社はイラクからおよそ30年間閉めだされていたが、今ようやくこの世界屈指の大油田のいくつかを開発し、巨額の収益をあげることができるようになった。しかし、イラク侵攻以来、同国からアメリカへの原油輸入はかなり安定したレベルで推移しているが、その恩恵はイラクの経済や社会には浸透していない。

このような帰結は意図されたものであり、米国政府と石油会社の長年の圧力によるものである。
1998年に、当時シェブロンのCEOであったケネス・デアはこう述べた。
「イラクは膨大な原油と天然ガスをかかえている。これらにシェブロンがアクセスできればありがたい」。
そして、今日、それはその通りになっている。

エクソンやシェブロン、BP、シェルなどのビッグ・オイル(巨大石油企業)は、石油ビジネスの経験を有するブッシュとチェイニーを政権につかせるべく2000年に大量の資金を拠出した。これまでの大統領選の時の規模をうわまわる額であった。そして、彼らの献身は、ブッシュが大統領に就任してほんの1週間足らずで報いられた。『エネルギー政策策定部会』が、チェイニーをトップに頂き、設立され、米国の将来の包括的エネルギー政策をまとめるために、政権当局者と各企業の代表者らが協議することになった。3月には、イラクの原油生産能力の全貌を示す一覧と地図が検討された。

ほどなくして、軍事侵攻のためのプラン作りが水面下で始まった。ブッシュ政権の1期目で財務長官をつとめたポール・オニールは、2004年にこう述べている。
「2月(2001年)までには、会話はもう大半が物資の手配をめぐるものになっていた。(イラク侵攻の)是非についてではなく、いかに侵攻するか、また、いかに迅速にそれをおこなうかについてだった」。

『エネルギー政策策定部会』は、2001年の5月に提出した最後の報告書において、次のように主張している。「エネルギー部門のさまざまな分野を外国からの投資に開放すること」を中東諸国にうながすべきだ、と。これこそがまさしくイラク戦争で達成されたことである。

達成された経緯は以下のような具合である。

国務省の『イラクの将来』プロジェクトにかかわる石油・エネルギー作業部会は、2002年の2月から2003年の4月にかけて検討をかさね、「イラクは戦争終結後できるだけ早急に国際石油資本に対して門戸を開放すべきである」という結論をまとめた。

この作業部会の構成メンバーの名は未公表である。しかし、『火に油を注ぐ-----占領下イラクの石油と政策』の著者でジャーナリストのグレッグ・マティットによると、イブラヒム・バハル・アル=ウルーム氏がその一員であった。同氏は、2003年の9月に米国主導の暫定政府から石油相に任命された。そして、ただちに作業部会の出した結論を実行に移すことに取りかかった。

一方、エクソンモービルやシェブロン、コノコフィリップス、ハリバートンなどの代表者たちは、2003年の1月にチェイニー副大統領のスタッフと会い、イラクの今後の産業界にかかわるさまざまな計画について話し合った。これ以降10年の間、欧米の石油企業の元幹部や現幹部らは、まずイラクの石油省の行政官として采配をふるい、その後はイラク政府への「アドバイザー」として行動した。

イラク侵攻の前は、欧米の石油会社がイラクで事業を展開するのに2つの障害が立ちふさがっていた。サダム・フセインとイラクの法制である。フセインの方は侵攻によってたやすく片がついた。法制の問題を解決するについては、ブッシュ政権の内部と外部双方で、米国主導の連合政権(2003年の4月から2004年の6月まで機能した)を介してイラクの石油法を修正しさえすればよいとの議論がなされた。しかし、ホワイトハウスは性急なふるまいをためらい、選挙によって選ばれた新政府に圧力をかけ、あらたな石油関連法案を成立させるやり方の方を選んだ。

イラクのこの新しい石油法-----欧米の石油会社がその策定に一部関与した-----は、企業にきわめて好意的な条件で同国を海外からの民間投資に開放するものであった。ブッシュ政権はイラク政府に対してこの法の可決を公式、非公式両面で強く求めた。そして、2007年の1月、米兵2万人の「増派」計画がまとめられる中、ブッシュ大統領は新石油法の可決をふくむ具体的な道標をイラク政府に提示した。「投資、国民の結束、和解を促進する」というふれこみである。

しかし、イラク国民の反対の声がおおきく、議会も強硬に抵抗したため、新政府は法案を通すことができなかった。これをめぐっては、国民議会エネルギー委員会のメンバーであるウサーマ・アル=ヌジェイフィー氏が抗議して職を辞したほどであった。当該の法案は世界的企業にあまりに強大な支配権を付与し、「イラクの未来を圧殺する」ことになると同氏はうったえた。

2008年になり、米国とイラクで選挙がいよいよ近づき、法案の可決が見込み薄で、海外からの軍の駐留も長くは続かない見通しとなると、石油企業各社は別の手をひねり出した。

すなわち、議会とのかかわりを避け、個別の契約を締結するようになったのである。その契約は、新石油法がもたらすとされるアクセスの一切と好意的な条件の大半を実現するものであった。ブッシュ政権は、この契約のひな形を作成することにも力を貸した。

ブッシュとオバマ両政権の高官たちは、職を辞してからも石油会社のアドバイザーとして、イラクをめぐるこれら企業の活動を手助けした。たとえば、駐イラク大使をつとめたザルメイ・ハリルザド氏の会社であるCMX-グリフォンは、「国際的な石油会社と多国籍企業に対し、イラクに関するたぐい稀なアクセス、洞察、知見を提供する」と謳っている。

上述の契約には、新石油法であればかなえられるでろう安定性と確実性が欠けている。また、政府が石油部門を管理、運営、所有すると定める既存の法律と齟齬が生じるという抗議の声がイラクの議員たちからあがった。

しかし、これらの契約は、チェイニー氏のひきいる作業部会が示した中核的目標をまさしく成就する。すなわち、イラクの石油部門をほぼ民営化することと外国の民間企業に門戸を開放すること、である。

その上、これらの契約は期間が類を見ないほど長期のものであるとともに、外国企業の持ち株比率が高い。また、イラクの原油は国内にとどまる、企業は収益を地域経済に投資するかもしくは現地労働者を多数雇用する、等々の要件を除外している。

直近の5年間でイラクの原油生産量は40%以上増大した。1日に300万バレルである(もっとも、それでも、1979年に国営会社が記録した350万バレルにはおよばない)。しかし、このうちのまる80%は海外に輸出され、イラク国民はエネルギー消費の基本的ニーズさえ満たすのに苦労している。一人当たりのGDPも大幅に増えたものの、それでも世界でもっとも低いレベルにとどまっており、近隣の裕福な石油産出国のはるか下の水準に位置する。水道や電気などの基本的社会サービスも贅沢の域に属し、人口の4分の1が貧困にあえいでいる。

国内に幅広くエネルギー関連の雇用が生まれるというふれこみもいまだ実現にいたっていない。石油・天然ガス部門の直接的な雇用は、今のところ、総雇用のうちで2%にも達していない。外国企業が地場労働者よりも移民労働者を多く使っているからである。

つい最近、エクソンモービルとロシアのルクオイルがかかわる、超巨大規模の西クルナ油田で、1000人以上の人々が抗議のために集まった。雇用を求めてと、石油生産のためにうしなわれたもしくは損害を受けた土地に対する賠償を求めてのことである。軍が事態収拾のために駆り出された。

また、これらの企業に堪忍袋の緒を切らして、石油事業にかかわる労働者をふくむ、イラクの代表的な市民団体と労働組合が合同して2月15日にこう宣言した。国際的な石油企業は「外国の軍隊にとってかわってイラクの主権を侵害」しており、「撤退の時期を明確にする」べきだ、と。

一方、米国本土では、シェブロンのヒューストンの拠点施設前で2010年に抗議の集会が開かれた。以前情報をあつかう陸軍の将校で、『反戦イラク帰還兵の会』のメンバーでもあるトーマス・ブオノモ氏が参加し、「拝啓シェブロン殿: われわれの職務に泥を塗ってくれてありがとう」と書いたプラカードを高くかかげた。

そう、イラク戦争は石油のための戦いだった。そして、敗者をともなう戦争だった。敗者とは、イラクの国民であり、みずからの血を流した人々である-----最終的にビッグ・オイルが栄えるために。


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[訳注・補足など]

■筆者のアントニア・ユハス女史についてとこの文章のテーマに関連しては、下記の『デモクラシー・ナウ』のサイトが参考になります。

巨額の政治献金で公共政策をあやつる石油業界
democracynow.jp/video/20100505-3


■もっと深く追求したい方は以下のサイトも参照してください↓
(私は訳し終えてから知りましたが ^^;)

・巨大石油企業がイラクに抱いた夢: Falluja, April 2004 - the book
teanotwar.seesaa.net/article/78509747.html

・TUP速報957号 「イラク――石油メジャーの任務は完了か?」 グレッグ・マティット
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=990


■イラク戦争の目的と思われるものは、石油のほかにも、ネオコン主導による「中東再編」の野望もあります。
これについては以前のブログでも少しふれています。↓

「米国の進路を決定しているのはネオコンか?」
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0da0.html

「サイバー攻撃の脅威」のプロパガンダ性(および、脅かされるインターネットの自由)

2013年04月08日 | 国際政治

お久しぶりです。
ようやく多少時間がとれました。
手をつけてからいったん中断していた訳文を仕上げてアップします。

筆者は例によって Glenn Greenwald(グレン・グリーンウォルド)氏。
掲載元はオンラインの『ガーディアン紙』です。
掲載日から2ヶ月以上経っていますが、文章の賞味期限はまだ切れていない、基本的に当分は有効であると信じています。

タイトルは
Pentagon's new massive expansion of 'cyber-security' unit is about everything except defense
(米国防総省のサイバー・セキュリティー部隊の大幅増強は、自国防衛とはまるっきり無関係)

原文はこちら↓
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2013/jan/28/pentagon-cyber-security-expansion-stuxnet

(原文の掲載期日は1月28日でした。また、原文サイトの画像やリンク、デザイン上の工夫等は無視しています)


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Pentagon's new massive expansion of 'cyber-security' unit is about everything except defense
(米国防総省のサイバー・セキュリティー部隊の大幅増強は、自国防衛とはまるっきり無関係)


「サイバー攻撃の脅威」は、政府と民間部門が構築する「公安体制」の権能と利益の拡大を正当化するための新しい口実にすぎない


グレン・グリーンウォルド

ガーディアン紙 2013年1月28日(月)



米国政府は、予算上の制約による国防省の規模縮小をほこらしげに語る。ところが、一方で、今朝のワシントン・ポスト紙によると、「今後数年間で、[国防省の]サイバー・セキュリティー部隊は大幅に増強され、現行の5倍以上の規模になる見込み」である。同じく今朝のニューヨーク・タイムズ紙には、具体的には「この増強計画は、国防省の現在のサイバー部隊900名に4000名以上をつけ足す」ものと出ている。ポスト紙は、この規模拡大を評して、「主として防衛手段に専心していた組織を、ネット時代に対応する戦闘部隊へと転換しようとする試みの一環」と表現した。このサイバー軍司令部をひきいるのは、キース・アレクサンダー陸軍大将。同氏は国家安全保障局の長官でもある。この国家安全保障局というのは、すこぶる秘密主義の政府諜報機関のひとつであり、他国民-----おっと、米国民も-----の情報通信に対するスパイ活動に従事している。

今回の規模拡大に関する国防総省の大義名分はきわめて怪しいものだ。しかも、これらの活動はインターネットの自由やプライバシー、国際法などに広範で深刻な脅威をもたらす。それでいながら、例によって、一切が極秘裡におこなわれ、ほとんどチェック機能と説明責任をともなうことがない見通しだ。さらに、これまた毎度のことながら、この規模増強によって大いにフトコロをうるおすであろう民間企業がワンサと控えている。


攻撃を「防衛」と言いくるめる

まず、この、いわゆる「サイバー・セキュリティー」にかかわる増強がどのようなふれ込みでおこなわれているかを見てみよう。それは、例によって例のごとく、不安をあおるあからさまな手法を軸とした、持続的なプロパガンダである。

2010年の3月に、ワシントン・ポスト紙は、マイケル・マコネル氏による驚嘆すべき論説をかかげた。同氏は、ブッシュ政権下で国家情報長官をつとめた人物で、以前はブーズ・アレン社の幹部であった。現在、ふたたび同社の幹部に返り咲いている。この会社は、米国政府が「サイバー・セキュリティー」にかかわる活動を拡大するたびに莫大な利益をあげるあまたの企業のスポークスマンとして活躍している。マコネル氏の過去20年の経歴-----ブーズ・アレン社の幹部および政府高官としてのそれ-----は、諜報、監視、国家安全保障にかかわる分野で政府と民間部門の融合を加速することにささげられてきた(ちなみに、国家安全保障局(NSA)の米国民に対する違法な盗聴プログラムに大手電話会社が協力した件で、彼らの罪を不問に付するべく、中心となって動いたのもマコネル氏であった)。米国政府のサイバー空間のスパイ活動とサイバー攻撃を民営化すること-----これが、マコネル氏の目下の主要な関心事である。

マコネル氏の論説は、きわめて空騒ぎ的でヒステリックである。「アメリカは今日、サイバー戦に従事しており、それは負け戦となりつつある」。まず、こう宣言する。そして、米国の金融システムに対する敵側のサイバー攻撃によって「混乱がひき起こされる」とともに、「電力網、空路・陸路の交通、電気通信、浄水システムなども危険にさらされる」と警告する。これらの脅威に対処するために、「われわれ」-----つまり、「政府当局と民間企業」のことだ-----は、「サイバー空間を監視する早期的な警戒システムを構築する必要がある」。同時に、「インターネットを抜本的に見直し、要因分析、地理的分析、情報解析、影響評価-----すなわち、誰が利用したのか、どこから利用したのか、何の目的で利用したのか、利用の結果はいかなるものか-----などをより容易におこなえるようにしなければならない」。こう、マコネル氏は説く。
この論説をめぐって、『ワイアード誌』のライアン・シンゲルは次のように語っている。
「マコネル氏が主張しているのは、人がネットでおこなう一切を追跡可能にし、地理的に特定できるようにインターネットを再構築することである。それは、国家安全保障局が利用者とそのコンピューターをつきとめ、報復するためなのだ」。

マコネル氏のきわめて不穏な論説がポスト紙に載ってから1週間も経たないうちに、今度はホワイトハウスがサイバー攻撃の脅威について不安を一層拡大する声明を出した。その中では、アメリカはサイバー攻撃にほとんど手も足も出ない被害者のごとく描かれている。声明はこう切り出す。「オバマ米大統領は、一国家としてアメリカが直面するもっとも深刻な経済上、国家上の安全保障の課題のひとつとしてサイバー・セキュリティーをかかげた。しかし、この課題は、われわれが、政府もしくは国として十分に対応体制が整っているとは言い難い課題である」。そして、次のように述べる。「行政府は、米国のサイバー・セキュリティーの主要な関係者すべて-----州政府・地方政府、民間企業なども含む-----と緊密に協力して事にあたること」、および、「政府機関と民間部門の協力関係を強化すること」を「要請された」。声明は、さらに、オバマ大統領の意思についてもふれている。大統領は、「ブッシュ大統領が始めた『包括的国家サイバー・セキュリティー・イニシアチブ』に基づいて作成された『サイバー・スペース政策報告書』が推奨する各種の政策案を実行に移す構えである」。

これ以降、政府関係者による不安たきつけのレトリックは、いよいよ激烈になった。そのねらいは、アメリカが「侵略者」による一大サイバー攻撃という深刻な脅威をかかえていると米国民に信じ込ませることにある。このレトリックのきわめつけは、昨年の10月、国防長官のレオン・パネッタ氏が警告として使用した表現「サイバー版パールハーバー」である。パネッタ氏は、これにより「物質的な破壊にとどまらず人命も失われることになろう。米国全体がショックを受け、凍りつき、米国が脆弱であるとの深刻な感覚が芽生えるだろう」と述べる。同氏はまた、中国、イラン、テロリスト集団などの名前をあげ、各種のおぞましい事態の可能性に言及した。そのおぞましいイメージは、2002年当時、ライス国務長官がイラク戦争にからんで使用した「キノコ雲」という言葉を思い出させずにはおかない。

「ある攻撃的な国もしくは過激派グループが、この種のサイバー技術を用いてきわめて重要なスイッチを支配する可能性がある。それによって、列車が転覆するおそれがある-----最悪の場合、列車が致死的な化学薬品を積んでいることもあり得る。あるいは、大都市の水道水が汚染される可能性もある。わが国の電力網が広範囲にわたって機能不全に追いやられるかもしれない」

しかし、例によって例のごとく、実態はまったく逆なのだ。この莫大な資金拠出は、もっぱらサイバー攻撃者から自分を守るためというわけではない。米国自身が世界有数のサイバー攻撃者なのである。この資金拠出・規模増強の主たる目的は、サイバー攻撃によって他国を壊滅できる米国の力を確固たるものにすることだ。実際、上のワシントン・ポスト紙の記事でさえ、こう述べている。今回の規模増強の主目的は「敵国に対しネット経由のコンピューター攻撃をおこなう」ことである、と。

イランやロシア、テロリスト集団などではない。アメリカ自身が、きわめて高度で危険なサイバー攻撃を敢行した史上最初の国(イスラエルと組んでのことであったが)なのである。昨年の6月、ニューヨーク・タイムズ紙のデビッド・サンガー記者は次のように報じた(世界の大半がうすうすそんなことではないかとにらんでいたが)。
「大統領就任後の早い時期から、オバマ米大統領は、イランの主要な核濃縮施設を支えるコンピューター・システムに対し、いよいよ精妙をきわめる攻撃をおこなうことを極秘に指示した。これによって、米国の初のサイバー兵器の持続的使用を大幅に延長することになった」。
それどころか、オバマ大統領は、
「攻撃の規模を拡大することさえ決定した-----この作戦の一部が2010年の夏に手違いで周知になったにもかかわらず、である。これは、プログラミングのエラーによるもので、イランのナタンツの工場から漏れ、ネットを通じて世界中に拡散した」。
サンガーの記事によると、オバマ自身、アメリカが本格的なサイバー攻撃をしかけた史上最初の国となる、この決定の重大さについて認識していた。

「ホワイトハウス地下の危機管理室で開かれた、『オリンピック・ゲーム』と呼ばれる作戦をめぐる会合に何度も参加した人間によると、オバマ大統領は、自分が各攻撃ごとにアメリカを未知の領域に導いていることを痛切に認識していた-----ちょうど以前の大統領たちが1940年代に核兵器を、1950年代に大陸間弾道弾を、この10年の間に無人攻撃機を史上初めて使用したときと同じように。自分がサイバー攻撃をしかけている-----たとえ慎重をきわめ、限定された状況においてであっても-----と認めることは、他国やテロリスト、ハッカーたちに彼らの攻撃を正当化する理由をあたえるのではないか、オバマ大統領は何度もこの懸念を口にした」
(訳注1)

アメリカはサイバー攻撃にもろい弱国ではない。第一級のサイバー攻撃者なのである。サイバー方面にくわしいコロンビア大学のミーシャ・グレニー教授は昨年の6月、ニューヨーク・タイムズ紙に次のように書いた。
「イランに対するオバマ政権のサイバー攻撃は、インターネットの軍事化という点で、重大で深刻なターニングポイントとなった」。

まさしくオバマ大統領の危惧した通り。一主権国家に対してサイバー攻撃をおこなった史上最初の国が米国であると判明したからには-----原爆そして無人攻撃機を使用した最初の国であったことと同様に-----、サイバー戦に関して自分が防衛する側だといくら主張しても、まず誰も信じてはくれまい(米国のメディア界か外交政策にかかわる業界を除いは!)。
グレニー教授はこうも書いている。
「スタクスネットやフレームのようなきわめて悪質なウイルスを世に広めたことで、アメリカはみずからの倫理的、政治的信任をいちじるしく損ねてしまった」。
だからこそ、昨日のポスト紙が伝えるように、米司法省がサンガー記者の取材源をつきとめようと半狂乱になり、徹底的な調査に乗り出した次第なのだ。サイバー戦に関してアメリカが屈指の攻撃者であるという赤裸々な真実が白日のもとにさらされるからである。

ジョージ・オーウェル風の「サイバー・セキュリティー」なる大義名分をかかげた今回の規模増強は、米国の軍事費支出一般に関する典型的なパターンを表わしている。「邪悪で攻撃的な面々」からの脅威に対して、自衛しなければならぬという建前により、すべてが正当化される。が、現実はまったくの正反対。あらたな軍備計画は、米国以外のすべての国に対して、米国が第一等の脅威であることを確実にすべく練り上げられるのである。生物兵器を開発したときもそうであった。かかる生物兵器から自国を守るためという名目で開発されたのである(たとえば、2001年の炭疽菌の事件を思い出していただきたい。米国政府みずから、この菌の出所は米国陸軍の研究所であると認めている)。総じて、このようなやり方で米国政府は国民に信じ込ませる、自国が他国による攻撃をなすすべもなく受ける弱者の側だ、と。実態は、米国以外の国をすべて足しあわせたよりもっと多くの兵器で自身の身を固め、より多くの武器や爆弾を幅広く他国に売り込んでいるにもかかわらず。
(訳注2)


プライバシーとインターネットの自由に対する脅威

国防総省の「サイバー・セキュリティー」計画は、他国に対する攻撃的脅威であるだけではない。プライバシー、インターネットの自由、また、米国民だけでなく世界中の人間が自由に意思疎通をはかる権利に対しても深刻な脅威となる。米国政府は、これらの「サイバー・セキュリティー」計画を、インターネットを監視・統制する手段、また、プロパガンダを広める手段と長く見なしてきた。これらが国家安全保障局(NSA)と国防総省の指揮下で進められていることは、当然のなりゆきとして、透明性や実質的な監視が欠如することになろう。

2003年に、当時ラムズフェルド長官指揮下の国防総省は、「情報作戦ロードマップ」と題する極秘の報告書を作成した。これは、今回のサイバー部隊増強に拠りどころを提供するものだった。その報告書の中で、国防総省は、「情報作戦を、航空作戦、地上作戦、海上作戦、特殊作戦と同等の中核的軍事作戦として位置づけること」を目的にかかげている。言い換えれば、その中核的なねらいは、インターネットに依拠したコミュニケーションを軍が管理することであった。

(画像省略)

それは、さらに、サイバー攻撃能力の卓越を、「心理作戦(PSYOP)」と「情報中心の戦闘」におけるきわめて重要な軍事目標と定めた。

(画像省略)

また、「情報作戦の戦場」を、戦時だけにとどまらず平時においても支配下に置くことの重要性を説いている。

(画像省略)

この国防総省の報告書について、BBCは2006年に次のように報じた。
「このロードマップのおそらくもっとも驚嘆すべき点は、軍の心理作戦の一部として出された情報が一般人のパソコンやテレビのスクリーンに進出していることを彼らが認めていることだ」。
そして、これら心理作戦にかかわる新規の軍事活動に「限度」を設ける必要性について、報告書はもっともらしく言及しているけれども、「それをどのように実現するかについて説明しようとする姿勢はうかがえない」。
また、報告書の「電磁波の全領域を最大限に支配しようとする」計画に関して、BBCはこう述べている。
「しばしの間立ちどまって考えていただきたい、米国の軍部が地球上のあらゆる電話、あらゆるネットワーク化したコンピューター、あらゆるレーダーシステムを機能不全にする力を追求していることを」。

その後、米国の「公安体制」がプライバシーを侵食し、インターネットの自由を腐食する試みについての報道がおびただしく登場した。
昨年の11月には、ロサンゼルス・タイムズ紙が「学生にサイバー空間-----諜報における最先端のフロンティア-----でのスパイ活動のやり方を指導する」プログラムについて報じた。学生たちは「ほかにも、コンピューター・ウイルスの作成やデジタル・ネットワークへの不正侵入、パスワードの解読、盗聴機器の設置、こわれた携帯電話やフラッシュ・ドライブからのデータの入手、等々の手法についても学んでいる」。このプログラムは、言うまでもないことながら、その履修生たちの大半を、CIA、また、米国のサイバー空間でのスパイ活動を担当している国防総省管轄下の国家安全保障局に送り込むことにつながった。それ以外の学生はFBIやNASA、国土安全保障省などに職を見つけている。

商務省国家電気通信情報庁の長官であるローレンス・ストリックリングは、2010年のある講演で、米国政府が「インターネットを放任しておく」方針を転換するつもりであることをはっきりと告げた。
「1990年代半ばにインターネットが初めて商業化されて以来、放任主義がインターネットに関する米国政府の方針であった」とストリックリングは確認してから、こう述べる。
「この方針は、インターネットの揺籃期においては米国にとって妥当なものであった。また、世界に向けて示すには妥当な身ぶりであった。しかし、『あの時はあの時、今は今』である」。
(訳注3)

インターネットの意思疎通を監視、偵察する米国政府の能力は、すでに報道された範囲においてさえ、途方もなく巨大である。ワシントン・ポスト紙が2010年に「トップシークレット・アメリカ」と題して報道した一連の記事の中には、こうある。
「国家安全保障局のデータ収集システムは、電子メールや電話、その他のコミュニケーション・ツールを毎日17億件盗聴し、記録している」。
これに加えて、オバマ政権は、ネットのあらゆる形態の意思疎通にアクセスできることをおおっぴらに要求している。

インターネットを利用しつつ管理しようというこの「公安体制」の試みが度外れに拡大することによる、プライバシーとインターネットの自由に対する危険性は、いくら強調しても十分ではない。
『ワイアード誌』のシンゲルは2010年に次のように述べた。

「肝に命じていただきたい。軍産複合体は今やインターネットにねらいを定めている。将軍らは優秀なハッカー部隊を鍛え上げて、サイバー戦を闘うという甘美な夢を思い描いている。その力を拡張することに決して躊躇しない軍産複合体は、インターネットを軍備競争のあらたな市場に転換したがっている」

ひどく誇張された「サイバー攻撃の脅威」は、このインターネット支配のための方便なのである。「キノコ雲」やトンキン湾事件のサイバー版なのだ。シンゲルはいみじくもこう述べている。
「目下進行中と言える唯一の戦争は、インターネットの核心を奪取しようとする闘いである」。
これこそが、国防総省と国家安全保障局のサイバー計画をめぐる支配の大幅強化を理解するのにかなめとなる事情である。


民間の請負業者にとって金の鉱脈

「サイバー・セキュリティー」にかかわるこの規模増強の原動力となっているのは、例によって政治権力にかぎられた話ではない。民間部門の利潤追求もその構成要素である。戦争にかかわる従来通りの軍事契約が多少数を減らされたおかげで、この穴埋めをする何かが必要であった。今回のような大規模な「サイバー・セキュリティー」関連の契約は願ったりかなったりである。政府によるこの種の取組みは、ほとんどすべてが「民間部門のパートナー」の協力によって実施される。彼らは、これらの仕事で公的資金を大量に投入されるのだ。

2週間前、『ビジネスウィーク誌』はこう報じた。
「ロッキード・マーティン、AT&T、センチュリーリンクは、米国政府のプログラムに関連する契約を受注した。これらの会社は、サイバー空間の脅威をめぐる極秘の情報を政府から受領し、これをセキュリティー・サービスの形にととのえ、他の会社に販売することができる」。
これは、「『サイバー空間の脅威』に関する米国の極秘情報に基づいた市場の構築」をもくろむ政府の取組みの一環である。
5月には、以下のような報道もあった。
「国防総省は、政府当局とインターネット・サービス・プロバイダーとを連携させる試験的取組みを拡充し、これを恒久的措置とする意向である。この取組みのねらいは国防にかかわる企業のコンピューター・ネットワークを強固にし、海外の敵対国によるデータ不正取得をふせぐことである」。
これは、「機密かそうでないかを問わず、サイバー空間の脅威をめぐるデータを政府と産業界が幅広く共有することを目指す、より大きな取組みの一環である」。

それどころか、国家安全保障と諜報を念頭に公的部門と民間部門の融合を促進するという目的を追求する、国防関連と諜報関連の請負業者らによる大規模な組織が存在する。INSA(Intelligence and National Security Alliance(諜報・国家安全保障連合))である。マコネル氏が以前その長をつとめていた。この組織は、みずからを表現して、「米国のあらゆる諜報関連組織のトップたちによる連携体制」であり、「政府当局、民間部門、学術会のトップ指導者たちの経験を集約する」ものだと語っている。
私がすでに2010年に詳細に論じたことだが、この組織の中核的目標のひとつは、サイバー攻撃の可能性を持ち出して米国民をふるえ上がらせ、民間の諜報企業が提供する「サイバー・セキュリティー」関連の手段への巨額の資金拠出とインターネットの広範な支配を正当化することであった。

マコネル氏自身、2010年の論説欄において、次のようにはっきりと認めている。サイバー・セキュリティー関連の取組みを民間部門に委託することが次第に増えるにつれ、「政府と民間部門の伝統的な役割は輪郭がおぼろになる」、と。この論説の発表ときびすを接して、INSAのサイトには「官・民パートナーシップによるサイバー・セキュリティーへの対処」と題する文章が載った。そして、これに付随して、政府機関(議会や規制当局など)や監視システム、民間の情報企業、インターネットが相互に結びついているさまを示す、おぞましい図がかかげられている。

(画像省略)

民間部門の利潤は今やサイバー空間の脅威をめぐる不安扇動のキャンペーンとわかちがたく結びついている。INSAが2009年に開催したある会合-----「サイバー抑止会議」-----では、政府当局者と諜報産業界の幹部らが集まり、声をそろえて、「政府と民間部門は、具体的な役割と責任を割り当てるモデルを創出することにより、協調と提携関係をさらに促進すべきだ」と強くとなえた。

当時ブーズ・アレン社の幹部であったマコネル氏が国家情報長官に指名された際、諜報関連の請負企業にくわしいティム・ショロックは独立系ラジオ局の『デモクラシー・ナウ』で次のように語っている。

「そうですね、NSA … つまり、国家安全保障局は、外部発注の点で抜きん出た政府機関と言えるでしょう。…… ブーズ・アレン社は、おそらく、米国の諜報活動においてきわめて大きな役割を演じている大手10社のうちのひとつです。諜報機関が北朝鮮を監視しているとか、アルカイダの電話を盗聴するとかなんとかが話題になった場合、まず間違いなくこれらの会社が深くかかわっていると見ていいでしょう。ブーズ・アレン社はこの中でも最大手と言えます。私の試算ですが、わが国の諜報関連予算450億ドルのうち、およそ半分がブーズ・アレン社をはじめとするこれら民間の請負企業にわたっています」

諜報と監視を意図したこの公的部門と民間部門の融合は、これらの民間企業に公的資金を配分することで大変な利潤を得させるだけではない。従来は政府のなわばりであった能力さえもあわせて付与するのである。ところが、政府機関は少なくとも名目上は最低限なんらかの法規的監視の下に置かれるのであるが、これらの企業には実質上そういう仕組みは存在しない。その監視、諜報の能力が急成長しているにもかかわらずである。

アイゼンハワー大統領が「軍産複合体」と呼んだ存在は、その産声をあげて以来これまでずっと不安、恐怖をあおるキャンペーンによって肥え太ってきた。遊園地の回転木馬さながら、次々とおぞましい敵が現れては消え現れては消えして、息つく間もない。共産主義者、テロリスト、南米の独裁者、フセインの化学兵器、イランの宗教指導者、等々等々 ……。これらが軍産複合体の命脈をながらえさせてきた。「サイバー攻撃の脅威」はその直近の一例にすぎない。

上にあげた、ひどく誇張された漫画のごとき脅威と同様に、サイバー攻撃に関しても、たしかにある程度の脅威は存在する。しかし、シンゲルが述べているように、これらの一切は政府と民間のコンピューター・ネットワークのセキュリティー体制を強化することで対応が可能だ。ちょうどテロリストに対処するには小規模の治安対策で十分であるように。

今回の「サイバー・セキュリティー」関連の規模増強は、実際のサイバー空間の脅威とはほとんど関係がない-----ちょうどイラク侵攻や世界的な暗殺計画が実際のテロリストの脅威とはほとんど関係がないのと同様に。そのねらいは何よりも米国のサイバー戦の戦闘能力の強化、インターネットの支配強化および巨額の公的支出が民間部門へ配分され続けることの確保にある。つまり、これは過去60年にわたって官・民の協力による米国という「公安国家」が使用し続けてきた定型書式を忠実になぞっているにすぎない。すなわち、もっともらしい口実を土台にして自分たちの立場を強固にしつつフトコロをうるおすことである。


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[訳注と補足と余談など]

■訳注1
この点に関しては、『日経ビジネスオンライン』の
「暴露されたオバマが仕掛ける『サイバー攻撃』」
が参考になります。ただし、全文を読むには会員登録が必要。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120607/233059/?rt=nocnt)

例によって、大手マスコミは、アメリカとイスラエルによるこの悪質なウイルス攻撃については積極的に取り上げようとしないようです。中国がサイバー攻撃をした可能性のある事件については大々的に報じるんですが。
まったくの茶番です。


■訳注2
アメリカの軍事力の突出ぶりについては、以前のブログ
「戦争を独占する国アメリカ」
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/e/02ee03b8f33673905a769eafd0e9aed6
を参照。


■訳注3
『あの時はあの時、今は今』(原文は that was then and this is now)は、当時ヒットしていたケティ・ペリーの曲「パート・オブ・ミー」中の一節のようです)


■今回の文章を読むと、米国政府がウィキリークスを執拗につぶしにかかっているのは、米国の「ネット支配」と「サイバー攻撃能力の卓越」という野望にとってウィキリークスが邪魔になるからと思われてきます。


■昔からよく「アメリカ経済は戦争でもっている」などと言われてきました。「軍産複合体」に属する企業は兵器メーカーが中心のイメージでしたが、今回の文章が示唆するように、今やIT企業も大きな割合を占めるようになってきている様子。戦争関連(テロ対策という名目も含め)で食っている人々がメーカーからIT企業まで含む広範囲なものとなり、「アメリカ経済が戦争関連でもっている」という言い方も陰謀論では片づけられない真実味を帯びてきたように感じます。

戦争を独占する国アメリカ

2012年11月10日 | 国際政治

今回も前回と同様、アメリカの帝国主義的ふるまいという側面にふれた文章。

筆者は、アメリカにとって世界とは何を意味するかという問いに、こう答えます。

「米国政府の観点からすれば、世界はもっぱら兵器を供給し、兵力を派遣し、訓練をほどこし、作戦を練り、戦争を遂行するための舞台なのである」と。

また、こうも言います。
「ある意味で、アメリカは世界的規模で戦争を推進する巨大マシーンなのだ」。


例によって、オンライン・マガジンの Salon.com(サロン誌)から取りました。
筆者は Tom Engelhardt(トム・エンゲルハート)氏。

タイトルは
America’s war monopoly
(アメリカの戦争独占)

原文はこちら↓
http://www.salon.com/2012/09/13/americas_war_monopoly/

(なお、原文の掲載期日は9月13日です)


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America’s war monopoly
アメリカの戦争独占

アメリカは思いもかけぬ国々で軍事活動にたずさわっている。アメリカの一番の得意は戦争なのだ。

トム・エンゲルハート (トムディスパッチ・コム)
(この文章の初出はトムディスパッチ・コムである)



さあ、皆さん、クイズの時間です。
アメリカの戦争とのかかわり方についてお聞きします。
質問は3つ。最近のニュースから作成しました。
では、最初の問題です。はりきって参りましょう。


わが国の海兵隊員200名が2週間前に軍事活動を開始したのはどこでしょう?


a) アフガニスタン
b) パキスタン
c) イラン
d) ソマリア
e) イエメン
f) 中部アフリカ
g) マリ北部
h) フィリピン
i) グアテマラ


これらの選択肢の a) から h) まで、人がどれを選ぶにせよ、それはもっともなことだ。
米国の戦争は、アフガニスタンで-----同国の南部のどこかで-----続いている。これに、米海兵隊員200名がなんらかの作戦で関与したとしても不思議ではない。
パキスタンでは、公式に認めていないが、CIAが指揮する空爆が長い間おこなわれている。また、過去、特殊作戦部隊によるパキスタン侵入あるいは同国国外から有人機を飛ばしての空爆も実施された。しかし、海兵隊はかかわっていない。

イランといえば、その周辺地域における米国政府の戦争準備はめざましいものがある。ペルシャ湾に展開する海軍、イラン周辺国の基地の陸軍、同じくイラン周辺の空軍(ミサイル防衛もふくめ)など、それぞれが継続的に増強されているさまを見れば、どんな人間でも息をのまざるを得ない。イラン国境近くには特殊作戦部隊が張りついているし、CIAは頻繁に無人偵察機をイラン国内に飛ばしている。また、米国政府はイスラエルと組んで、同国の核開発プログラムとコンピューター・システムにサイバー攻撃をしかけた。イランの原油輸出とそれに関連しての銀行への厳しい制裁措置も発動した。過去には、少なくとも数度の越境作戦もおこなわれたもようだ。それは2007年にまでさかのぼるという。おまけに、最近のニューヨーク・タイムズ紙の1面には不吉な文章が載った。オバマ政権がイランとの対応をめぐりイスラエルをなだめようとする試みについての記事にはこうある。「オバマ政権が検討しているプランの中には……これまで考慮されたが結局採用されなかった隠密の活動がふくまれている」。
というわけで、200名の海兵隊の活動はイランに関するものなのかといえば、まだそうではない。しかし、自分を責めるにはおよばない。的はずれの回答というわけではない。

ソマリアに関しては、ワイアード誌の「デインジャー・ルーム」ブログによれば、米無人機による前代未聞の数の偵察・攻撃が実施されているもようだ。同国内のイスラム武装勢力アッシャバブとアルカイダの残党が対象である。これにくわえて、アメリカは同国の代理戦争に関して少なくとも部分的には資金拠出し、支援し、装備を充実させ、助言をおこない、その進展を助けている。恩恵をこうむっているのは2007年はエチオピア軍、最近ではウガンダ軍とブルンジ軍である(また、現在同国に侵攻しているケニア軍も)。また、首都のモガディシュは、CIAの工作員とおそらくは他の非正規兵や傭兵が強固な地歩を築いている。

イエメンもソマリアと同様。すなわち、代理戦争と無人機による空爆(有人機も使用)の取り合わせである。特殊作戦部隊の指導教官が派遣されていること、南部で一般市民の犠牲者(および米国に対する憤り)が増していることなども似たような事情である。しかし、これまたソマリアと同じく、海兵隊の参入はまだである。

中部アフリカはどうか。この回答も一理ある。実際、少なくとも100名のグリーン・ベレー(米陸軍特殊作戦部隊)が今年、この地域に派遣された。ウガンダを拠点とする、ジョゼフ・コニーの率いる 「神の抵抗軍」に対処する作戦の一環としてである。

北部マリはどうか。イスラム過激派(アルカイダと関係のあるグループもふくまれている)に乗っ取られたこの国は、たしかにアメリカが将来介入するであろう公算が高い。それに不思議なことがある。この国とはアメリカは民主的に選ばれた政権が打倒されてから軍事的な協力を公式には断っていた。ところが、この国で、特殊作戦部隊の3名がトヨタのランドローバーに乗車中、橋から転落して死亡している。車にはモロッコの娼婦3人も同乗していた。これらの隊員たちが同国で何をしていたかは不明である。
だが、戦争でズタズタになっているこれらアフリカの国々で、海兵隊員200名が活動ということになると-----今のところ、それはない。

では、フィリピンはといえば、海兵隊の出番はやはりまだである。もっとも、ミンダナオ島のイスラム過激派との「低レベル紛争」において、わが国の特殊作戦部隊と無人機がフィリピン政府を手助けしてはいるけれども。

というわけで、正しい回答は-----驚きかもしれないが----- i) である。もしこれを選んだ方がいるなら「おめでとう」と言わせていただく。

AP通信は8月29日にこう伝えた。「軍の広報担当者が水曜に述べたところによると、米海兵隊員200名から成るチームが今週、グアテマラの西海岸でパトロールを開始した。中米地域の麻薬密売者の打倒を目指す前例のない作戦とのこと」。これは大きなニュースになってもおかしくない。介入としてはけっこうな規模である。200名の海兵隊員が派遣されたこの国は、1978年以来米軍の介入はなかった。

この介入がより大規模、広範なものに発展するとっかかりでなかったとしたら驚きだろう。米麻薬取締局が派遣した特殊作戦部隊仕様の活動員たちがホンジュラスで同様の任務にたずさわり、火器をぶっ放し、地元民を殺傷していること、CIAがメキシコで無人機も使用しつつ、あきらかに麻薬戦争に介入の度合いを深めていることなどを思い起こしてほしい。

それに、これには伝統がある。20世紀の前半、海兵隊を送り込むこと-----ニカラグア、ハイチ、ドミニカ等々に-----は、米国政府がその「裏庭」におのれの力を知らしめる手段だった。
ところが、このグアテマラ介入に関しては、少数のそっけない報道記事が出たばかり。マスコミで深刻に議論されることはなく、批判や論難の嵐が巻き起こるわけでもなく、民主、共和両党の政治集会でも取り上げられることがない。このような介入が賢明かどうかについて、なんら論じられないのである。たぶん、皆さんはそもそもこんな事態が起こっていること自体、ご存知なかったのではないか。

別の見方をしてみよう。同時多発テロが発生してから以降、ユーラシア大陸本土で2つの無残な戦争を戦ったほかに、米国は間断なく海軍や空軍、無人機などの兵力はもちろん、海兵隊や特殊作戦部隊などを派遣し続けている。このようなふるまいは今ではあまりに日常的なものとなっている結果、米国国内ではとりたてて議論するに値しないと見なされている。このようにふるまっている(もしくは、その能力を有する)のは世界で米国だけであるにもかかわらず。かかるふるまいは、要するに、ワシントンの「国家安全保障複合体」がメシの種としてやっていることなのだ。

今はまるで歴史の円環が閉じようとしているかのようだ。米国政府が何年も前に「麻薬戦争」と呼称した事態が実際のものとなっており、海兵隊がふたたびラテン・アメリカに投入されようとしているのだから。
今回の海兵隊投入が浮き彫りにするのは、米国政府が地球上のどこであれ問題が起こったときにとる最近の対応のパターンである。政府の「外交政策」とは、多くの場合、米軍を召集することなのだ。軍事力は、米国にとって、やむを得ずとる最後の手段ではなく、まっさきにとる選択肢になりつつある。


さて、戦争に関連する最近のニュースから作成した、このささやかなクイズを続けよう。2番目の質問です。

2011年の世界の兵器市場のうち、アメリカが占める割合は何パーセントだったでしょうか?

(皆さんご承知のように、「世界は価格交渉に熱心な商人たちでごったがえす兵器のバザー」。冷戦と超大国の兵器競争はずっと前に幕をとじたものの、今でも自国兵器の売り込みに積極的な国はあきらかに多数存在する。結果的に紛争が深刻化しようが平気の平左)


a) 37%(121億ドル)
小差で2番手となったのはロシア(107億ドル)。それから、フランス、中国、英国と続く。

b) 52.7%(213億ドル)
2番手はロシアで、19.3%(128億ドル)。それから、フランス、英国、中国、ドイツ、イタリア。

c) 68%(378億ドル)
2番手はイタリアで、9%(37億ドル)。それから、ロシアの8%(35億ドル)。

d) 78%(663億ドル)
2番手はロシアで、5.6%(48億ドル)。



むろん、当然のことながら、皆さん、まっさきに d) は除外したでしょう。無理もない。なんといっても、市場の80パーセント近くを占めるというのは、結局のところ、世界の兵器市場が実質的に独占状態にあるということを意味するのだから。
言うまでもないが、兵器大国アメリカは、米国防総省がその売り込みにおおいに手を貸しているわけで、どうあってもひどく突出した存在であることは避けられない。しかし、a) の37%という数字でも決して馬鹿にできるものではない(少なくとも1990年当時は。この年は冷戦の末期にあたり、ソビエトが依然強力なライバルだった)。b) の52.7%はどうか。アメリカの他のどの業界がこんな輝かしい数字を計上できるだろう。世界中で売られている兵器の半分以上を占めるなんて(そして、実際、この驚異的な数字は、売上げ不振だった2010年が記録したもので、当時は世界的な景気後退の影響がなお尾をひき、各国の軍事予算が締めつけられていた状況の下で達成されたのだ)。よろしい。それでは、c) の68%という途方もない数字は? アメリカの兵器メーカーにとっては、これはあり得ないほど燦然たる業績である。 2008年という、その他の点では市場がはっきり低迷していた年に達成されたのだから。

しかしながら、2011年の正しい答えはまことに信じがたいものだ。すなわち、昨年、アメリカは兵器の販売実績を3倍にして新記録を打ちたて、世界の兵器貿易の約78パーセントを掌中にした。この事実は8月終わり頃に報道されたが、グアテマラへの海兵隊200名の派遣と同様、紙面のトップを飾ることも、テレビのニュース報道で大きく取り上げられることも決してなかった。けれども、もし兵器が麻薬だとしたら(ある意味では、まさにそうだと言えるし、人間が本当にそれなしではいられなくなるというのはあり得ることだ)、アメリカはほぼ世界でたったひとりの売人ということになる。紙面のトップを飾ってもおかしくないニュースではなかろうか。


さて、では、本日のクイズの最後の質問に移ろう。

2001年後半から少なくとも2006年までの間に、アメリカが長距離偵察任務のために無人偵察機グローバル・ホークを飛ばしたのは、どの国の基地からだったでしょうか?


a) セイシェル島

b) エチオピア

c) 中東のある国(国名は未公表)

d) オーストラリア


インド洋に浮かぶセイシェル島にアメリカは無人機の基地を置いているが、それが初めて使用されたのは2009年になってからである。また、アメリカはエチオピアの民間空港を機能充実させて無人機の基地へと昇格させたが、こちらも活動開始は2011年になってから。

「国名は未公表だが中東のある国」というのはたぶんサウジアラビアを念頭に置いているのだろう。CIAの使用する無人機用と推測される滑走路が同国であらたに建設中だから。現時点ですでに稼働しているかもしれない。

この質問でもまた、正解は予想外のものだ。最近オーストラリアのメディアが報じたところによると、米国はグローバル・ホークの初期の隠密の任務の一環として、エジンバラのオーストラリア空軍基地から同機を飛びたたせた。これがあきらかになったのは「アデレードの航空史研究家の人々」のおかげである。機体が巨大な無人機グローバル・ホークは長時間飛行し続けることが可能だ。当時の飛行が何を偵察するためであったのかは未公表である。北朝鮮というのがひとつの可能性であるが。2006年以降もこの任務が継続しているかどうかもあきらかにされていない。

前の2つのエピソードと違って、この話はアメリカのメディアではまったく報じられなかった。もっとも、たとえ報じられたとしても、おそらくは完全に見過ごされたことだろう。とどのつまり、米国政界や報道関係者、識者らのうちの誰が不思議に思うだろう、最近おおいに取り沙汰されたアジア方面の「偵察飛行」のずっと前に、わが国が最初期の偵察任務として太平洋をおおう広大な空に無人機を回遊させていたとしても。

一体誰がちょっとでも不思議に思うだろう、2001年以降、アメリカが異国の土地に無人機拠点の巧緻をきわめたネットワークを創り上げたことを。また、世界中に推定1000から1200の軍事基地を設けたことを(その中には、アメリカの小さな町に匹敵するほどの規模のものもある。また、異国の地はもちろん、アメリカ国内にも相当数の基地がある)。

グアテマラへの海兵隊の派遣、兵器貿易のほぼ独占状態の話題と同様に、この種の話もアメリカ国内ではたいして重要なニュースとは考えられていない。これが、その規模と範囲において、歴史上、例がないことはあきらかであるが。
そして、わが米国民は奇妙ともなんとも思わないのである、自国領土以外に少なからぬ数の基地を所有しているのは世界でアメリカを除いてほかにないということを。
たしかに、ロシアは以前ソビエト連邦を構成していた共和国の中にいくつか基地を所有している。また、最近のニュースで話題になったとおり、シリアには古い海軍基地をひとつだけ設けている。フランスはアフリカの元フランス領の国にやはり多少の基地を置いている。英国もその帝国主義時代の遺産として少数の基地をかかえている。たとえば、インド洋上のディエゴガルシア島など(ただし、この基地は実質上アメリカの基地と化している)。また、中国は、列強にならって、ささやかな基地をいくつか海外に設けようとしているようだ。
しかし、自国領土外のこれらの基地をすべて足しあわせたところで、アメリカの基地帝国のそれの2パーセントにも達しないだろう。


戦争に投資

さて、2~3週間おきにわが国の軍事関連ニュース-----報道はされても国内では注意を払われないが-----から、こんな風にささやかなクイズを作成するのは容易なことだ。そして、それぞれのクイズは本質的に同一の絵を指し示すことになる。すなわち、米国政府の観点からすれば、世界はもっぱら兵器を供給し、兵力を派遣し、訓練をほどこし、作戦を練り、戦争を遂行するための舞台なのである。戦争こそ、わがアメリカがおのれの時間と精力、資源をそそぎ込む-----規模の点からいっても驚異的な-----対象なのだ。たとえ、この国の誰もがほとんど注意を払わないにせよ。

ある意味で、現時点では、戦争こそが米国のもっとも得意とすることかもしれない(米軍が事実上戦争に勝っていないという歴然たる点は今は不問に付す)。
なんといっても、その結果はどうであれ、めざましいことであるには違いない-----1ヶ月の薬物阻止活動のために200名の海兵隊員をグアテマラに送り込むことは。太平洋を監視巡回するためにオーストラリアにグローバル・ホークを隠密に配備することは。「夜にとどろきをあげるもの」のマーケットを独占することは。

こう考えることもできる。アメリカはこの地球上で唯一の存在である-----麻薬戦争、宗教戦争、政治紛争、その他ほとんどいかなる種類の衝突においても、恒常的に、世界的規模で軍事力を行使する力をそなえた、という意味だけでなく、積極的に軍事力を使用するという意味において。他の勢力がたとえ束になっても張りあうことはできない。また、アメリカは大規模な兵器システムの売り手として-----したがって、戦争の誘引者として-----他の追随をゆるさない。ある意味で、アメリカは世界的規模で戦争を推進する巨大マシーンなのだ。

言い換えれば、アメリカは戦争を独占していると形容できる状態に近づいている。過去にはたしかに戦士社会と呼ばれるものがあって、その構成員はなによりも戦いのために結束していた。アメリカがユニークなのは、それが戦士社会ではないことだ。まったく反対なのである。

政府はテロとの永遠の戦いのために結束しているかもしれない。特殊作戦部隊は120もの国々で活動しているかもしれない。わが国はペルシャ湾で兵力を増強し、アジアでは「偵察飛行」をおこなっているかもしれない。「戦士」的企業や武器を貸与する傭兵会社は、次第に民営化されつつある21世紀の米国式の戦争で利潤をあげるべく、わが国が関与する各地の戦場に殺到している。
ところが、アメリカ国民の方は、自分たちの名でおこなわれている戦争や介入、軍事作戦、その他さまざまな軍事活動のために動員されることはない。それらから切り離されている。その結果、グアテマラへの200名の海兵隊員派遣、世界の兵器市場の約78パーセントの占有、無人機のオーストラリアからの偵察飛行-----これらにアメリカ国民は誰も気づかない。誰も気にかけない。

戦争-----これこそ、アメリカがもっとも精力を傾注すること、かつ、もっとも関心を払わないことなのだ。これはぞっとする組み合わせである。


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[訳注と補足など]

全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。


■ 訳文の中ほどの「国家安全保障複合体」という訳語の原文は National Security Complex。
これはもちろん Military-industrial complex(軍産複合体) を基にした表現。
この表現については前のブログで補足説明しました。
念のため、再度引用します。

military-industrial complex(「軍産複合体」または「産軍複合体」が日本語の訳語としてほぼ定着しています)という言葉は、アイゼンハワー大統領が退任演説で用いたことから有名になりました。

ウィキペディアから引用すると、

軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-industrial complex)は、軍需産業を中心とした私企業と軍隊(及び国防総省の様な軍官僚)と政府が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を呼ぶ概念である。 この概念は特に米国に言及する際に用いられ、1961年1月、アイゼンハワー大統領が退任演説において、軍産複合体の存在を指摘し、それが国家・社会に過剰な影響力を行使する可能性、議会・政府の政治的・経済的・軍事的な決定に影響を与える可能性を告発したことにより、一般的に認識されるようになった。米国での軍産複合体は、軍需産業と軍(国防総省)と政府(議会、行政)が形成する政治的・経済的・軍事的な連合体である。
(以下略)

ということです。

この場合の complex の「複合体」という訳し方は日本語としてちょっとわかりにくい。「協同事業体」の方が分かりやすさとしてはまだましです。「ある目的(または事業、プロジェクトなど)のために提携、協同してことにあたる、ひとまとまりの企業や組織群」を意味すると考えていいでしょう。

military-industrial complexとは、要するに、軍という国の組織・省(役人)と軍需産業(民間企業)が結託・癒着してお互いに利益をむさぼる体制のことです。ふつうは、暗黙に、これに政治家(議員など)も要素としてふくみます。
日本語らしい言い回しとしては「政・官・財の癒着構造」に近いかと思います。
役人は天下りやリベートなど、政治家(議員)は選挙資金の提供、票の取りまとめ、企業側は発注、発注額の拡大、自分に有利な法律の制定などのメリットを享受します。

この有名な military-industrial complex という表現をもとにして、いろいろな言い回しが作られました。


今回の文章中の National Security Complex も、military-industrial complex を念頭に、National Security(国家安全保障)を建前として(狭い意味では対テロ対策を名目に)、軍事関連予算をぶんどり、ふところを潤そうとする官僚・政治家・民間企業が癒着・結託しての利益追求体制を意味します。


■同じく、中ほどの「皆さんご承知のように、『世界は価格交渉に熱心な商人たちでごったがえす兵器のバザー』」について。

ここの原文は as everyone knows, the world is an arms bazaar filled with haggling merchants 。

英語には the world is a stage(世界は舞台)という慣用的言いまわしがあります。シェークスピアの劇でもおなじみの表現です。

だから、as everyone knows, the world is(皆さんご承知のように、世界は~) まで読んだときに読者は当然その次に a stage(舞台)と来るものと予想します。それをスカして、an arms bazaar(兵器売買の市場(いちば)・バザー)としたところにこの文章の妙味・面白みがあります。

「世界は舞台」という文学的な表現と「世界は武器売買の市場」という残酷な現実との落差がキモです。


■ 最後から5段落目の原文中の things that go boom in the night は、ニューヨークのかつての人気ロックバンド、ブッシュテトラスの曲のタイトルであるらしい。
一応「夜にとどろきをあげるもの」としましたが、これが適切な訳かどうかはわかりません。
エンゲルハート氏の原文では、主に大砲をイメージしている兵器一般の比喩として使われていることはあきらかですが。