6月4日、鶴岡八幡宮は、全国各地の神社を束ねる宗教法人「神社本庁」からの離脱手続きについて、宗教法人法に基づく神奈川県の認証を受けたことを明らかにしました。今後は法人規則変更の登記手続きを進めるそうです。離脱する理由について、同八幡宮担当者は「手続き完了後に明らかにしたい」と述べています。
神社本庁人事不満説がありますが、そんなことで県は承認しないでしょう。八幡宮は、神社本庁の全国神社をまとめる考え方に反対したのではないでしょうか。八幡宮の歴史にかかわる重大は問題があったのではないでしょうか。
神道発展の歴史に取り組む宗教学者は、事実・真実を追求してほしいと思います。原始神道から歴史を追及してほしいと思います。日本という風土に住む人は、実は原始神道が心の奥底に生きていると思います。
その後の政治的権力者が、神道を改変し、政治に利用してきた歴史も克明にしてほしいと思います。
原始神道、皇室神道、武士神道などいろいろな流れがあると思います。神仏習合を目的とした神道改変は奈良時代に始まっています。
現代の日本の人々が、神道の歴史を理解していることは重要なことだと思います。
私は、神道を国家神道ととらえるより、日本の風土に生きて来た日本の人々の個人神道ととらえることが重要と思っています。
八百万(やおよろず)の神(精、精霊)と言い、神道は多神教だ、原始的で幼稚だとの見方は浅薄すぎます。キリスト教やイスラム教が、先進的との偏見に基づいていると思います。一神教は、神々の中から「人の神」(神、キリスト教の聖霊)が強調されていると見ると、神道の見方が大きく変わるでしょう。神道における「人の精、精霊」に関する研究は非常に重要と思います。ほかの万物に精、精霊を認めるのは鋭い考察と言えないでしょうか。一神教は視野が狭いとの見方ができると思います。
仏教は、万物に変化を認め、無常を認め、人の思考・執着をこえた広い世界を考察し、その中に人、その他の万物を位置付け、関係を考察しています。科学的ではない面が多いが、人の鋭い感性、その広がりを感じます。科学は昔の人の考察を説明すること役立っています。
昔の人の考察、信仰を迷信とし、その意味を理解できないでいることは、現代人の迷信の原因になります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます