金沢
2009年01月27日 | 旅
木をみて歩くのを常にしています。
金沢で一番心に残った兼六園にある松ノ木です。
1945年6月(昭和20年)燃料のための松脂を摂取するための傷です。
あれから60年以上が過ぎて、傷は薄くなってきても消えないのだなあと
思いました。
歴史を思うと悲しいことが多いのですが、でもこの傷のまわりが
なんとなくハートに見えるというのは とても不思議な感じがします。
金沢の旅でよく思い出すのは、この松と室生犀星さんのことです。
金沢で一番心に残った兼六園にある松ノ木です。
1945年6月(昭和20年)燃料のための松脂を摂取するための傷です。
あれから60年以上が過ぎて、傷は薄くなってきても消えないのだなあと
思いました。
歴史を思うと悲しいことが多いのですが、でもこの傷のまわりが
なんとなくハートに見えるというのは とても不思議な感じがします。
金沢の旅でよく思い出すのは、この松と室生犀星さんのことです。
昭和20年というと,終戦前の最も過酷で熾烈な時期のことでしょうか。木までが痛々しく損なわれたのですね。記憶をけっして風化させてはならないと,木が体を張って伝えてくれているかのようですね。大きな傷跡を抱えながらも,今も元気に生きていてくれてるお写真の木にありがとう,とも思いました。
金沢は,数年前出張で一度訪れました。兼六園はとても立派なお庭でした。よいところですね,今度はゆっくり行きたいです。
そうそう,先日,近所の桜の木にさわってみました。とても寒い日でしたが,おっしゃるとおり,やはり冷えてはいませんでしたよ^^。
マダム(笑)それもいいですね~
shioさんのお好きなように呼んでくださいませ。にっこりお返事いたしますので。
金沢に出張で行かれたのですね。
兼六園は名園ですよね。
松の傷は初めて見ました。
その後松の木や根をどういう風にしていたかを知り驚きました。
松の木はきっとそんなことを知らせてくれたのだなあと感慨深く時々思いだします。
でも松の木は、今現在こんなに元気に生きているのですよね。強いんだなぁ、きっと。
桜のつぼみ、少しふっくらしてきましたよね。