仁徳天皇はその后「石之日売命」に隠れて、吉備の国に帰った黒日売に逢いたくて逢いたくて仕方がありません。何かいい知恵はないかと考えます。それが「欺大后」だったのです。
いくら考えに考えても、どのように「欺」けばいのか方法が見つかりません。「そうだ」とばかりに思い付いたのが、父「応神天皇」も行ったことがある、淡道島(あわじしま)へ行幸することです。父親も行ったことがある島ですから、それについては大后は何も文句を言うはずもありません。(古事記には「淡道島」、書紀には「淡路島」)
この淡路島に付いては、詳しくは古事記には記されてはいませんが、日本書紀には、相当詳しくこの島の良い所を書きならべております。
“高い峰々が連なり、その峰々から深い谷が続き、香りのよい草木も盛んに生え茂り、谷川の流れは心地よい響きを立てながらさらさらと流れ、鹿や鴨などの鳥も多くいて大変いい所だ”
と。
「父「応神」もこの大変素晴らしい島を視察がてらに行幸しています。だから、私も、今度、行幸したくなりました」。
と大后に告げます。それなら大后の反対する理由もありません。
「どうぞ気を付けられて行っていらっしゃい」となるのです。
これが天皇の「欺大后」なのです。何も知らない大后は、「まことに気の毒だ」と、お思いになられませんか。そんな夫婦として誠に不誠実な天皇であったことを、此の古事記は、天下に知らしめているのです。それも天皇の自慢話のようにです。現代なら、大問題として、マスメディアに取り上げられるととが確実ですね。
そこらへんで、今日も又
・欺大后(オオキザキヲアザムカシテ)天皇の
吉備への道は淡路より伸ぶ
誠に駄作です。お笑いください。
いくら考えに考えても、どのように「欺」けばいのか方法が見つかりません。「そうだ」とばかりに思い付いたのが、父「応神天皇」も行ったことがある、淡道島(あわじしま)へ行幸することです。父親も行ったことがある島ですから、それについては大后は何も文句を言うはずもありません。(古事記には「淡道島」、書紀には「淡路島」)
この淡路島に付いては、詳しくは古事記には記されてはいませんが、日本書紀には、相当詳しくこの島の良い所を書きならべております。
“高い峰々が連なり、その峰々から深い谷が続き、香りのよい草木も盛んに生え茂り、谷川の流れは心地よい響きを立てながらさらさらと流れ、鹿や鴨などの鳥も多くいて大変いい所だ”
と。
「父「応神」もこの大変素晴らしい島を視察がてらに行幸しています。だから、私も、今度、行幸したくなりました」。
と大后に告げます。それなら大后の反対する理由もありません。
「どうぞ気を付けられて行っていらっしゃい」となるのです。
これが天皇の「欺大后」なのです。何も知らない大后は、「まことに気の毒だ」と、お思いになられませんか。そんな夫婦として誠に不誠実な天皇であったことを、此の古事記は、天下に知らしめているのです。それも天皇の自慢話のようにです。現代なら、大問題として、マスメディアに取り上げられるととが確実ですね。
そこらへんで、今日も又
・欺大后(オオキザキヲアザムカシテ)天皇の
吉備への道は淡路より伸ぶ
誠に駄作です。お笑いください。