私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「墨水桜花」

2018-03-31 09:21:30 | 日記
 「三月尽」です。例年になく「春風暢和し、薫暖人をして惑わせしむ」の例え、早々と桜も満開の便りがテレビを賑やかしております。でも、ここ吉備津では「お花見に大勢の人が」と言う風景はありませんが、神社を借景にして、静かに桜自身が己の姿に満足そうに淡々濃々と咲き競うように辺りに彩りを添えております。

 この時期の「お花見」の会は、日本では何時頃からあったのだろうかと調べてみました、すると、『日本後紀』に、「嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催した]とあました。平安時代から始まっていたのです。そこで、此のお花見について少々書いてみたいと思いますのでお付き合いください。

 まずは、江戸時代(天保の頃)に出た寺門静軒の「江戸繁盛記」の中から拾い上げてみました。「相撲」「戯場」「吉原」等当時の繁昌した場所を絵ではなく文章で以って記しております。
 その中の一つが

          「墨水桜花<スミダガワノ サクラ>」

 です。隅田川の風景を

 “四時景を異にして、早晩観を改む。雨の淡粧、晴の濃抺、其奇、其妙、吾拙筆墨の得て状すべきに非ざるなり・・・曠踁都となりたる後。堤に築きて桜を植え・・・今の上野なり。花時の雑踏亦復タ江都の第一たり。数里の長堤桜花彌望し、淡々濃々・・・”
 と書いてその風に舞い散る花びらを
 “風伯の好事、富岳千片の雪を吹き落し来れるかごとし”
 と。

 余りその書きぶりが妙なので続きは明日に??????
 

間違えておりました・・・・

2018-03-30 08:48:59 | 日記
 昨日の『幸魂・奇魂<サキミタマ・クシミタマ>』と言う名前は間違っておりました。正確に言うと、海から光と共にやってきた神様はオホクニの
 “汝是誰耶<イマシハ ダレゾモ>”「なたのお名前は??」
 と言う問いに対して、その神が答えたのは、自分の名前ではありません。そこが間違っていたのです。答えたのは

       “吾是汝之幸魂奇魂也<ワレハ イマシノ サキミタマ クシミタマ ナリ>”

 と書いてあります。と言うことはその答えは、この神様の名前ではなく

「あなたの身を守って、幸多くあるようにするために、また、数々の奇跡が起って、あなたがこれからする総ての事が順調に進展する事がで来るようにするために、今、貴方の魂となるために此処にやってきたのです。」

と言われたのです。要するに、
 「今後、どのように国を治めたらいいかと言う事を助言をするために来たのではなく、あなた自身が考えて国政を行う時に、あなたの考えの中に入って、答えを導き出して上げます。」
 という大変ありがたい神様です。
「だから、私の名前なんかはありませんよ。名前なんてどうでもいいことなのですよ」
 と言われたのです。では、ここで一つ問題が起こってきます。魂となるためにやってきたのですから、其の形も何もありません。ある物と言ったら光と声だけです。さあ何でしょうかね??????? 

偉らそうな神様は・・・

2018-03-29 07:20:24 | 日記
 少名毘古那神が立ち去った後に、海の上を光と共にやってきた神様がいたのですが、古事記では。その神の名も何も書いてはありません。オホクニはそんな神を信頼してしまっております。現代風に考えると詐欺グループの一味ではないかと思われるのですがどうでしょうかね?????
 「大丈夫ですか????オホクニさん!!!」
 と、誰か声掛けしなくても???と言う思いになります。そんな思いを、例の宣長さんも思われたのでしょうが、御親切にその問題を解決されております。先生によりますと、その答えは、ちゃんと、「古事記」にはないのですが、日本書紀に出ていると説明がしてあります。

 “其ノ神ノ名を問ひたまう語、次に其答ヘの語など、決<キハメ>て有リしが脱(おち)たるものなり、其語ども無くては、事足はず、書紀ニ曰”

 と、説明を付けております。その書紀には

  「ウナハラヲ アヤシクヒカリテ ヨリクルモノ アリ・・・・・・コノトキ 大己貴ノ神 トイタマワク シカラバ ナンジ ダレゾモ。コタヘテイハク ワレハ 幸魂<サキミタマ>奇魂<クシミタマ> ナリ」

 とあります。

 これからもわかるように、オホクニはその神様の名は訪ねたのですが、「古事記」には、どうしてかは分からないのですが落ちてしまったのだと説明があります。

昨日のもやもや解消剤にと思い立ち・・・

2018-03-28 12:16:54 | 日記
 今日はすっかり夏日です。気象台の予報では、岡山地方は34℃まで、気温が上昇するとか???昨日の「どうでもいいような」、「人を小馬鹿にしたような」無駄な時間は何だったのかと朝からこの34と言う数字と共に憂鬱な気分になります。昨日の4,5時間は浮世の邪悪さとでもいいましょか、何か人の心の陋劣で姦侫な姿を見たように思えて、出来ることなら眼に映った昨日の映像を消し去り、そのふつふつと心に湧き揚がる鬱憤を払いのけるために、きょうは吉備津地方のサクラ観察へと洒落てみました。

 「いつみてもさくらはえもんじゃな、しぜんはうそをいわんからええんじゃがなー」

 と、やはり桜見物に来た人たちと声を掛け合いながら、写真に撮ってきましたので見てください。とっておきの吉備津の桜です。


        
 

国会喚問で一日が・・・・

2018-03-27 17:35:39 | 日記
 今日は、佐川氏の国会喚問のニュースで、一日中、テレビ鑑賞と決め込んで、余り熱心じゃあないのですが見て一日が終わってしまいました。結局、何も分からずで、初めから分かってはいたのですが、あっと驚くような事でも、もしかして起こるのではないかと、淡い思いを抱きながら見ておりました。この一日の放送で、問題の核心には触れないままに、何の収穫もない、ただ、面白くもない人の顔だけが印象に残った一日で、何となく物足らないような一日でした。結局、政治とはこんなものなのでしょうか???という失望感で一日の時間がすぎていまったのですが???何となく虚無感のある放送だったのではないでしょうか??皆さんはどうでしょうか、そな物を見るからだ、とお笑いますか???