私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

ついでに、これも知っておいて下さい。

2015-07-24 10:46:04 | 日記
 というのは、吉備の国の「児島」の誕生についてです。吉備の児島もやはりイザナギ・イザナミの二柱がお生みになられた島ですが、淡路島とは違うのです。そんなお話聞いたことありますか?????

 それについて、
 「そげえなこたあどうでもえんじゃ。はよう あの仁徳の”欺大后<オオキザキヲ アザムカシム>」にちィて けえたらどげんなんじゃろうかなあ」
 と、いうご批判があろうことは予測しているのですが、二,三回がもう一〇回以上も延び延びになっているのですから、そんなご批判は無視したように最後を書いておきます。

 沼矛<ムマホコ>から滴り落ちた塩によってできた淤能碁呂島ですが、此の島は相当大きかったと思われます。その中に八尋殿もあったのです。そこの柱を廻った後に出来たのが淡路島など「大八島国」でした。此の国が出来てから、イザナギ・イザナミ二柱は、最初、天之国から降り立った本の所に帰ります。そこが淤能碁呂島のどのあたりであったかは何も書いてはいませんが、兎に角「八尋殿」以外の場所に「然後<サテノチ>還坐<カエリマシ>」とあります。
 そこで生まれたのが吉備の児島、小豆島、大島等でした。ということは吉備の児島は、最初から日本の国として生まれたわけではなかったことになるのです。

 以上、長ったらしく知ったかぶりをして淡路島に付いて書いてきましたが、次からは、又、仁徳の「かかあ殿下」の風景を書いてまいりたいものだと思っています。