私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

希望への道

2016-05-31 12:13:31 | 日記

 もはや、この地上に於いて、二人して歩んでいく希望の道は何処を探しても見つけることはできません。海の上に描き出された落暉から伸びる一条の光の帯が、今の二人の歩み進むことの出来る唯一の道であるかのように、「おいでおいで」をするように、水平線の永遠の彼方から、阿比泥の浜辺まで延びて、二人への天からの贈り物でしょうか、希望の道を造り出してくれております。天からのその優しい誘惑の中に、二人は、引き入れられるように、堅く堅く手を取り合ったまま、ゆっくりと歩みを進め、その大きな影法師は光の帯の中に伸びていき、ついには、その中に静かに沈むように小さくなっていきました。まんまるだった夕日が二つに折り重なるような影を造りだします。そして、それも又半分になり、やがて、そのすべては西の空の彼方に消え入り、それと共に、今まで伸びていた一条の光の帯も、その中に描き出されていた二つの真っ黒い影法師も、かき消されるように見えなくなります。そして、再び、元の静かな水平線は西の海に一本の線になって、まだ、うす明りを残して左右に長く長く伸びております。その空へむかって一群の鳥の群れが流れるように飛び去って行きます。浜を洗う海の波がのんびりと、再び、行ったり来たりしております。

  古事記に歌う

 “共自死”

 は、このような風景をその背後に描き出しているのではないかと思います。何処で、どのように自ら死ならしめたのか詳しくは記されてはいませんが、私はそのような二人の最期を頭の中に描きながら、此のたった3字を想像してみました。ご批判をお願いします。


麦茶より「玉露」が夏でも最高ですよ

2016-05-30 21:27:54 | 日記

 私は「玉露」を飲んでいます。ぐっと冷えた麦茶も、日本の夏のおつな飲み物ですが、やっぱり私は少々お値段は高いのですが、何といっても、冷水で頂く玉露が、暑い夏を乗り切る最高のお茶だと思います。手間暇をかけないと、そんなにいいお茶は飲めませんよ。清水次郎長じゃありませんが、お茶は香りを楽しめばいいのではありません、やっぱり味が勝負ですからね。


“共自死”ではありません。神の世界への旅立です。それも夕日に乗って!!!!

2016-05-30 20:16:30 | 日記

 伊予の地で再会した後、同母の兄妹である木梨之軽御子と衣通姫の二人が、誰はばかりなく愛し合うことができる世界はこの世の中には、どこを探しても見つけることはもうできません。「鏡」や「真玉」の神の世界にしか住む場所は残されてはいなかったのです。そこで此の二人は“共自死”を選ぶのです。「死」と書かれていますが、二人は決して死を選んだのではないと思います、住む場所を、この地上ではなく、彼等の遠い祖先の聖地大空の彼方にある神の住むい世界に移すための手段であったに過ぎないと思われます。

 それが、“阿比泥<アヒネ>能波麻”(阿比泥の浜)を舞台にして展開されたのではないかと想像します。

 夏の初めです。空と海一面に広がる黄金のカーテンの中に、今にも、落ちかかろうとするまんまるい真っ赤な夕日から伸びた一条の光の帯が海面に照り映え、大きく長くを阿比泥の浜まで伸びております。その光の帯に向って、ゆっくりと二つの影法師が歩んで行きます。この世の中にあるすべての音が、風の音も波打つ音も、ましてやカモメの鳴き声など、何もかにもが一切に、突然に、この世の中から消え去ってしまいます。


ホトトギスの初音です

2016-05-29 15:38:25 | 日記

 軽御子と衣通姫のお話ですが、それも気になるのですが、今朝方、何時頃でしたでしょうか3時か4時か??「寝ぼけまなこ」じゃあない「寝ぼけ耳」にかすかに「テッペンカケタカ」という、この時期らしいホトトギスの初音を聞いたような気がしたのです。それが気になった、またまた、脱線します。

 「忍び音漏らす夏」そのものの到来です。その鳴き方もそうですが、寝ぼけ耳をそばだてるようにしては聞かなかったのですが、その鳴き音はほんおの2回ぐらい耳に届いたように気がしました。でも、後は「無しの飛礫」というより、私は、再び、眠りの世界へと再突入しました。目が覚めた時は吉備線の2番列車の汽笛が、ホトトギスの音色に変って甲高く耳に響いておりました。もし、今朝方、吉備の中山辺りから届いたホトトギスの鳴音らしきものが本物ならばですが、今年のほととぎすの初音は、例年より1週間ほど早いのではと。(昨年は6月6日だったと記憶しているのですが)????


再び“阿里登  伊波婆許曾爾”を、

2016-05-28 10:44:17 | 日記

 胸の中に、しかと抱きしめた吾が愛しのあなたが、今、ここにいる。何と幸せなことよ。貴方がいなかった昨日までは、あなたが何処にいようと、例え、追われるようにして離れてしまった故郷であっても、あなたが在る家にでも、すぐにでも飛んでいきたいものだと思っていたのですが、それが

         在りと 言はばこそに< 阿里登  伊波婆許曾爾>
     家にも行かめ 国をも偲はめ<伊幣爾母由加米  久爾袁母斯怒波米>

 これだけで、もう後は言葉にはなりません、再び しかとその胸を抱き寄せます。それ以上の言葉は、もう、そこには必要ありません。その心は甚く衣通姫に響き渡るように伝わってきます。
    
    「今は違います。貴方が、ここに、私の前にちゃんといるのです。もう、決して離れ離れになるようなことはしません。愛しの我が妻よ」

 と。

 それからの二人の運命は、古事記には、ただ

 “即共自死”

 と、たった4文字で書いているだけです。それだけでは、あまりにも、この結末は淋し過ぎます。私の、ありったけの言葉???で、その最後を描いてみたいと思います。どうなりますか???お叱りは覚悟の上です。