私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

仁徳天皇の黒日売を見送る歌

2015-06-30 14:23:29 | 日記
 仁徳天皇は、吉備に帰る黒日売を見送る為に、密かに宮殿の高台に登ります。そこで、黒日売愛しさの余り、天皇の口をついて歌が流れます。

 “游岐幣邇波<オキヘニハ>袁夫泥都羅羅玖<オブネツララク>久漏邪夜能<クロザキノ>摩佐豆古和藝毛<マサズコワギモ>玖邇幣玖陀良須<ムニヘクダラス>”

 と。
 
 このシーンは、普通なら、誰も見ていない仁徳一人のはずでした。ところが、これを、物が影からこっそりと見ていた人がいたのです。それも天皇のごく近くでです。天皇が歌った歌は、咄嗟に、口から出たもので、それほど大きな声である筈がありません。その声が聞けるほど天皇の間近にそっと隠れてその様子を伺っていた人がいたのです。その人は、この歌の中の“摩佐豆古和藝毛”という言葉に、頭の中が真っ白けになったのです。
 そうです。この人こそ大后こと「石之日売命」です。足母阿賀迦邇嫉妬<アシモアガガニネタマイキ>して、


 “大后聞是之御歌。大忿<オホキサキ コノミウタヲキカシテ、イタクイカリマシテ>となります。

 それほど大きく言ったのではなく、大后に聞こえる程度の声で口ずさむ天皇の御歌を大后は聞いたのす。何かそこには策略があったのではないでしょうか。
 此の歌も、事前に、天皇は大后が聞くであろうことを想定して作っていたのを、ごく自然のように聞かせたのではないでしょうか。どうすれば、大后の怒りが大爆発でなく、小爆発で終わらせる事が出来るかと。此の度、大后が、どのような処罰を黒日売に与えるか、死をも賜わるうのではないかと、予め、おおよそ見当をつけての事ではなかったかと思われます。そのため、その処罰が出来る限り小さいものにしようと、仁徳天皇お考えになったのではないでしょうか。

  そこから彼の戦略が始まったのです。

 

「久漏邪夜」の「夜」について

2015-06-29 09:37:20 | 日記
 黒日売は、大后の嫉妬の仕打ちを畏れて、生まれ故郷吉備に帰るべく、住之江の津から船出します。その様子を密かに宮殿の高殿から望瞻<ミサゲマシマス>されます。その時、仁徳天皇は、故郷に帰ってしまう黒日売に対して、ふと、「もうこれっきりか」と思う心が歌となって口を突いて出て来ます。
 ため息交じりの、あるか無いかのような、歌声です。その中にある
 
“久漏邪夜能”

 の「夜」に付いて、今日は、又又、脱線しますが、ちょっと触れておきたいと思います。
 
 宣長は「古事記伝」で、「夜」を「岐」の誤りだとして、これを<クロザキ>と読んで、「黒崎」であるとして、その場所も「備中ノ国小田ノ郡」にあるとしております。この「黒崎」を、宣長とは違って、私は一人、倉敷市立中庄小学校の付近にある「倉敷市中庄字黒崎」ではないかと思っております。
 (ここは江戸時代「帯江銅山」があった所です。当時の穴海の中にある最大の島(妹尾ー早島―帯江)の一角にあります。彼女の父親は、この辺りに本拠を置く穴海の支配者では無かったかと。)

 一方、僧契沖は、この「夜」という字を、宣長のように誤字だとはせず、そのまま「や」と読んで 、この「久漏邪夜」を<くろざや>、即ち、「黒鞘」だとしております。この説に対して宣長は、「黒い鞘に入った切れ味鋭い刃物のような」という意味だと、黒日売のイメージとあわないので「くろざき」でなくてはならないと強調しております。

 なお、更に、この「夜」を「祁」「気」の誤字だとして、<キ>と読んで<クロザケ>即ち「黒酒」と解釈する人もあるようです。是も意味からですと酒ではおかしいですよね。


 さて軍配はどれに上がりますかね。

 偉いお人は、こんな一字にも拘って、自分の説を主張するものなのでしょうかね。面白いとはお思いになられませんか。

 私は、宣長派はですが。あなたならどうされます???。
 
 
 なお、「仁徳天皇御陵が消えているよ」というご意見を頂きました。もう一度どうぞ。美しいですよね!!!!!

        

ちょっとばかりおかしな政治家どもですね

2015-06-28 10:38:17 | 日記
 昨日、嫉妬につての新聞コラムから「石之日売命の妬み」に付いて書いたのですが、余り見てもらえなかったようです。その轍を、今日も、又、踏みます。宜しかったら読んでください。

 さて、今朝も、又、朝日新聞の「鷲田清一」のコラムから書いてみます。

 「彼らは、此の文明世界に真の悲劇などありえないと信じているからこそ、悲劇をもてあそんでいるのである。オルデガ・ガセット」

 とありました。その中の説明に、次のような文がありました。昨今の安部総理始め、彼の関係する国会議員やそのブレーン達の言動を批判したのではないでしょうが、
 『「慢心」とは自分に満足して「自分以外の如何なる審判にも自分をゆだねない」こと。』
 と。

 このコラムの文章でなないのですが、近頃の安部さん始め自民党の議員諸君の頭はどうかしているのと違うでしょうか。今、自分たちがやろうとしていることが、国民の半数以上の人達から「悲劇、若しくは、悲劇の前兆」として認められているにも拘らず、決して、「悲劇、若しくは、悲劇の前兆」として受け止められないのです。???しかも、それを、百田さんのように、敢て、「もてあそんでいる」ようにも思われるのですが???

 なお、今、私が追い求めている黒日売の悲劇に付いても、安部さん同様に、石之日売命自身の悲劇だと勘違いしてそれを翫んでいるように、何か幼稚園でのお遊戯でもしているように、今の安部さんと同じように慢心していたからではないでしょうか。

 それにしても、ちょっとばかりおかしな政治屋どもですね。

 「ども」とはちょっと失礼かな???

 余り多くの人には見ていただけないとは思いましたが、閑に任せて新聞を読みながら、書かねば何か気が収まらないような気分になって愚論を呈しました。

嫉妬とは

2015-06-27 11:52:15 | 日記
 今朝の朝刊のコラムで(「折々のことば」(鷲田清一)より)
 “嫉妬を生むのは、自他のあいだの大きな不均衡ではなく、むしろ近似である”
 と、デイヴィッ・ヒュームの言葉を取り上げていました。更に、その説明で
 「環境が近い人、優劣や運不運など、その人との比較がいちいち気になって仕方ない人である。その意味で、嫉妬の相手は、実にもっとも気がかりな自分が映っている鏡なのである」
 と書かれておられます。

 「なるほどそう言うもんだな。うまいこと言っているなと」と、仁徳天皇の大后「石之日売命]の吉備の「黒日売」への嫉妬を思い浮かべながら、朝から深く感動して読ませていただきました。

 今日も又一息入れました。

袁夫泥都羅羅玖

2015-06-26 08:16:14 | 日記
 「袁夫泥都羅羅玖<オブネツララク>」

 天皇は黒日売の船出を宮殿の高台に登って、密かに見送ります。その時、咄嗟に口から出たのでしょう、兎に角、そんなの大声で歌ったのではないと思いますが、口吟みます。
 その歌を紹介します。

 “游岐幣邇波<オキヘニハ> 袁夫泥都羅羅玖<オブネツララク> 久漏邪夜能<クロザキノ>
摩佐豆古和芸毛<マサヅコワギモ> 玖邇幣玖陀良須<クニヘクダラス>”

 です。
 内容はそれほど込み入ったものではありません。摩佐豆古<マサヅコ>は「美児」であって、大変に美しい女性の事です。「ワギモ」は「私の愛しい人よ」ぐらいの意味です。なお、都羅羅玖は、<ツララク>で、本居宣長によると、「玖」は[かきくけ、と活用(はたら)かす辞なり]と説明しております。要するに、沖の方には、沢山の船(小さなん船だけとは限らない)がつらなって見える、という位の意味であるとしております。

 「久漏邪夜能」は、少々長くなりますので、又、明日にでも。

  

 なお、昨日の絵ですが、「何処から拾って来たのか」というお尋ねがありましたが、天保年間に出た葛飾北斎の「富嶽百景」初版本の絵です。大変な貴重本を私は持っております。それからご紹介しました。

  


 


 一番最後にある絵です。