私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「神祇」とは・・・・大宝令より

2019-09-30 05:51:49 | 日記
 「あなたの忌人<イワイビト>となって仕奉<ツカヘマツ>らむ」
 と、兄は弟に言いますが、この「忌人」とは一体どんな役目があったのでしょうか???
それを解くカギとして、あの「大宝令」をこそっと覗いてみました。そこには我が国の古代の政治制度が書かれております。退屈でしょうが良かったら見てください。めったにお目にかかれないのではと思いながら、又又、道草を・・・・・

 「大宝令」には、第一編「官位令」第2編「職員令」第3編「後宮職員令」・・・・・など三十の「令」が書かれております。その中の「職員令<シキインリョウ>」に、天皇が行うの政治、「御神事<ミカムワザ」で最も重きをなすものが

          “神祇<ジンギ>”

 です。その御神事を助ける役人が「神祇官」です。その長官が

           “伯<ハク>”

 と呼ばれ、「神祇の祭祈を掌る」と書かれてあります。では、この「神祇」について

「神祇は、天神を神と云い、地神を祇と云ふ。天神は風火水金土の五元の神、及び日の神、月の神、及び此の国土を経営したまうイザナギ・イザナミの二神、或はニニギノミコトなどで、地神は此の国にて誕生したオオヤマズミ・オホクニヌシ・サルダヒコなどを云う。」”

 とあり、その具体的な祭りとして

  ・祈年祭(豊年を祈る祭礼)
  ・鎮花祭(疫病を防ぐための祭礼)
  ・神衣祭<カムミツサイ>(伊勢神宮へ夏の神衣を織りて奉る祭礼)
  ・三枝祭<サイクササイ>)(ジンムの皇后イスケヨリヒメを祭る)
  ・
  ・
 
 など天地の諸神を祭る法制について書かれております。その沢山の宮中における祭礼を司る役所が「神祇官」で、一般の政務を司る太政大臣等のいる「太政官」より上位に置かれています。

 ジンムの時代(上古)には、この「令」はまだなかったのですが、その政治体制はを支える基本的な法制はあり、「神八井耳命」の「建沼河耳命」に「仕奉<ツカヘマツル」と云うのは、大宝令に書かれている「伯」の上にある天皇を補佐する平安の世の「関白」の役目を受け持つと云うことを意味しているのではと???????

“忌人”とは

2019-09-29 12:28:18 | 日記
 更に続けて、兄「神八井耳命」は弟「建沼河耳命」に、
 
      “為忌人而仕奉也<イハイビトトナリテ ツカヘマツラム>”

 と言います。この兄が弟に言った

           “忌人<イハイビト>”

 とは何でしょうか。「忌」を<イハイ>と読むなんて、どうしてもわかりません。そこでまた宣長先生です。彼曰く・・・
 「上古では<イハウ>と<イム>は同音で、<イハウ>は「斎」の字を使って<モノイミ>と読んでいた。それが後世になり「忌」が<イム>に、「斎」が<イハフ>に夫々に使われだした。だから、“忌人”は、上古の読み方で<イハイビト>と読むのがよろしい。」
 と。そして更に
 「諸々の凶悪事汚穢事などを忌避て、萬ツを慎むを云うなり、故に多く神に仕奉る事に言えり」
 と。しかし、今は、「イム」と「イハウ」は、夫々別な意味として分けて使われてるが、元々は同じ意味を表す言葉だったのです。

 兄は建沼河耳命に対して、

 “汝命為上。治天下。僕者扶汝命。為忌人而仕奉也”
 <ナガミコトカミトマシテ アメノシタソロシメセ。アレハアガミコトヲタスケテ
         イハイビトトナリテ ツカヘマツラム> 
  
「あなたが日本を治めなさい。私は貴方がなさる祭事のお手伝いをします。」
と、言ったのです。

“汝命為天、治天下”と神八井耳命が・・・・

2019-09-27 09:47:27 | 日記
 「自分は天下を治めるに適してはいない。」
 と兄は弟の武勇を讃えて言います。そして

     “汝命為天、治天下”
     <ナガミコト カミトマシテ アメノシタ シロシメセ>

 「お前が天皇となって、天下治めなさい。」
 と兄が弟に言います。この“汝命為天”について、宣長先生は説明しております。

 「上代には日嗣ノ御子は一柱と限ってはなく、兄弟の内で「武<タケキワザ>」武勇のすぐれていた皇子が天ノ下を治<シロ>しめていたのだ。」と

 それは先に見た「日本書紀」
  「お前は武勇に優れているから(“汝持挺神武”)天下を治めなさい。」
 に述べられています。これからも分かるように、後の世に言われる「皇太子」という身分は、その時にはなく、武勇の優れている兄弟の中から、年齢とは関係なく、相談の上で太子<ヒツギノミコ>を決めていたのです。

 なお、神武天皇は、日本書紀によると、第四子であるのも関わらず、十五歳の時に「太子」になられておられます。 

“宜”という字は????

2019-09-26 09:43:03 | 日記
 今日から「古事記」にと思い早速開きます。すると、
       “不宜為上”
 という文字が飛び込んできます。そう言えば、昨日までの「日本書紀」には
       “宜哉乎”
 <ウベナルカナ>「当然である」という意味です。が、ここでは“不宜”を、<ナルベカラズ>で、「よろしくない。適していない」という意味になります。どちらもその意味する所は同じですが、それぞれに使い方に相違が生じております。太安万侶と刑部親王の表現の工夫がこのような所にもはっきりと表れています。肯定的に使う場合と否定的に使う場合とに分けて、しかも、その意味する所は結局は同じですが、表現的にその違いを夫々に慮ってです。

        “不宜為上”
        <カミトナルベカラズ>

 「自分はあなたの兄だけれども、天皇として万人の上に立ってこの国を上手に統治することができない。<ベカラズ>、上に立つ者として適任ではない、決して、そんなことをしてはいけない。」
 というぐらじの解釈になります。それがたったの4文字「不宜為上」を使って的確に表現されております。

 このような書きぶりからしても、私はどちらかと云えば「古事記」の方が好きです。これも蛇足ですが?????????          

「皇太后」という

2019-09-25 09:17:35 | 日記
 手研耳命を神渟川命は兄から弓矢を“掣取<ヒキトリ>”て射殺します。それを見た兄「神八井耳命」は言います。

 「私はあなたの兄ですが、“懦弱<ツタナクヨワク>”弱々しく女々しい男です。だから“不能致果<ハタスコトヲ イタスコトアタワズ>”手研耳を射殺すことができなかった。しかし、あなたは力強く勇敢で、果敢に手研耳を射殺されましたね。

        “宜乎哉。汝之光臨天位”
     <ウベナルカナ イマシコソ タカミクライエ テリノゾムデ>

 もっともなことだが、あなたが、当然、天位<タカミクラ>について、
 “承皇祖之業<ムメミオヤノ ツイデヲ ウケタマヘ>”皇祖「アマテラス」のお考え通りにこの国をうけついでくださいよ。」

 と。
 その年の正月に天皇の位に付きます。その時、自分の母親

     “媛蹈鞴五十媛命<ヒメタタライスズヒメノミコト>”

 を「皇太后<オホイキサキ>」としたと記されております。
 
 つい先だって、先の皇后「美智子妃殿下」の呼び名が「皇太后」だと発表されましたが、この名の最初は日本史では神武天皇の后です。
 なお、古事記には、「皇太后」の字は見えません。日本書紀だけに記された名前です 念のために・・・・

 以上、「古事記」には書かれていない兄弟喧嘩の詳しい様を「日本書紀」から取り上げてみました。又、次からは「古事記」へ・・・・・