私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

トランプさんよ!!金蔵山古墳を一度見学したら?????

2017-01-31 14:23:08 | 日記

 昨日、現在発掘調査中の岡山市操山にある金蔵山古墳などを、高松公民館主催の「ふらっと探訪」で歩いてきました。この古墳は、県下で第4位の全長165mの大きさの前方後円墳です。
     「4世紀の後半に作られたのだ」
 と、講師奥田さんの名解説話しを聞きながら。雨後の山坂を登ったり下ったりしながら見学してまいりました。

 「これだけの規模を持つ古墳の築造のためには、当時から、相当、大量の鉄器がこの辺りでは使われていたのでしょうね」

 と、熱気の帯びた説明に参加者全員がうなずきながら聞き入っておりました。此処で使われた大量の鉄器の原料となる鉄は、当時、我が国ではまだ開発されてはおらず、総て朝鮮半島などから輸入されていたと言う話もありました。
 
 それに付いても思うのですが、今、世界中の話題の人「トランプ」の「アメリカへの難民移民は一切認めない」という言葉に世界中がてんてこ舞いをしておりますが、
                         
                       「そんなことはありませんよ」

 と教えてあげたいのです。
 それは、昨日、見学したこの4世紀末頃作られたこの金蔵山古墳の話です、解説者の奥田さんの話によりますと、この古墳は外国から来た移民の人達の力がなかったなら、決して、作る事が出来なかったし、その人達のおかげで、その後のこの地方(吉備の国です)の発展もあったのだそうです。その移民政策を吉備の国王が積極的に取り入れたために成し遂げることができたのです。岡山の3大河川の干潟の開発のために中国や朝鮮半島からの難民を受け入れることによって、今までになかった新しい文明が生まれ、それが元になって日本の一大勢力を保持することができたです。
 
 その証拠となるのが、この金蔵山古墳をはじめとする造山古墳・作山古墳等の4世紀の吉備の隆盛を誇る遺物なのです。移民が多たらこそできたのです。当時のこの地方を支配者の先進的な考えから生まれた文明の発展なのです。此の事を知り、トランプさんも、ご自分の国「合衆国」を、更に、NO1の確固たる地位を示すようにしていただきたいものです。


これでイザナギの穢れは全部・・・・・

2017-01-30 16:24:07 | 日記

 ようやくにして、決して越えることのできない黄泉比良坂を越して黄泉から帰ることが出来たイザナギが、その黄泉の国で身に付いた穢れを橘の小門で清め祓い落します。それをもう一度復習してみます。

 1)御杖、2)御帯、3)御裳、4)御衣、5)御褌、6)御冠、7)左右の手纏、8)ご自分の御体

 これだけ清めれば他に清める所なないのだと思われますが、まだ、このほかに残っている物があったのです。最後に清めた御身は中瀬の一番浅い所です。漸く自ら岡に上がろうと立ちあがります。それからイザナギは、やおら、顔にいっぱい付いている水滴を払い落とします。
 さて、皆さんが水泳をして水から上がったら一番い何をしますか???? イザナギも皆さんと全く同じような事をされたのです。???


イザナギはまず底に潜ります

2017-01-29 09:33:42 | 日記

 イザンギが中瀬に入って身の穢れを祓うために、先ず、底にある水で清めます。そして、次は

                       “於中滌時<ナカニソソギタマウトキ>”

 そして、更に、

                       “於水上滌時<ミズノヘニソソギタマウトキ>

 です。中瀬の「底」→「中」→「上」の三ヶ所で身に付いた穢れを清めます。なお、この時に生まれた神様は全部で「十一柱」も在り、ちゃんとその名前も付いているのですが、くどくどしいので、その神様の名前は省きます。興味あるお方は古事記を見てくださいね。


日本で最初に水泳をした人は??????

2017-01-28 10:18:35 | 日記

  イザナミハ続いて、その中瀬に入って頭を水の中に挿し入れて身に付いた穢れを祓い清めます。これが日本における水泳の始まりなのです。

 今でも新年の行事として、古来から吉備の国の武士の泳法として伝えられている「神伝流」を保持し伝承している人達によって行われている「初泳ぎ」の儀式が渋川海水浴場などで執り行われていると、新聞などで報道されておりますが、これ等の儀式の起源はこのイザナギの

                          “橘小門<タチバナノオドノ>阿波岐原”

で行った禊から始まったのです。だから、その名称も「イザナギ神の昔に行った水泳儀式を現代に伝えている会派」を「神伝流」と命名しているのです。

 さて、イザナギが立ち下りたのが、その流れは早くもなく遅くもない中瀬<ナカツセ>に頭を挿しこんだのです。

                          ”迦豆伎<カズキ”

 それでは「泳いだこと」にならないのではとお思いでしょうが、そうではないのです。さて、この「中瀬」の深さといますとその深さについて、いかほど在ったなどとは書かれてはいませんが、“小門”ですから、人の背よりは深いところだと私は考えております、まあ・・・常識的に云って4~5mはあったのではと????。そのような深さの“水底”に潜ってイザナギは身を清めます。どうしても潜水泳法を駆使しなくては水まで辿りつくことはできません。これが我が国の水泳の初めなのです。???

 こんな小理屈っぽい話も作りだせます。古事記って面白いよ。


橘小門で禊してできた神“瀬織津比咩<セオリツヒメ>

2017-01-26 12:08:46 | 日記

 イザナギがお祓いをした橘小門<タチバナノオドノ>は川の落ち口(川入)ですから、どうしても瀬になっているのです、その瀬も少し上流は”瀬速<セバヤシ>”となって急流であり、下流の方を見ると"瀬弱<セヨワシ>となって水の流れが緩かになっているので水がたゆとうて潔からぬように見えます。そこで、イザナギはその中間にある“中瀬<ナカツセ>に降りて

                                   “迦豆伎<カズキ>”

 ます。水の中に入るのです。これを宣長は「拝を<ヌカズク>と言うのと同じで、水に頭を衝入れることを云う」のだと説明があります。

 そこで、まず、黄泉の国に行った時に身にしみついた“汚垢<ケガレ>が変身して“二神<フタバシラ>”になるのです。なお、この時に出来た神の別名はあの

                                   ”瀬織津比咩<セオリツヒメ>”

です。