天沼牟から海の塩が「許袁呂許袁呂<コオロコオロ>」と滴り落ちます。それが島となって淤能碁呂島が出来あがります。その島に、イザナギ・イザナミの二柱は天降坐<アマクダリ>まして「八尋殿」を造ります。この八尋殿で、まず、イザナギの神は、イザナミの神にお尋ねになります。ここから少々エッチのように聞こえるかもしれませんが、古事記に書いてある通りに書いてみます。
「汝の身はいかになっているのか」
「吾身は成り成りて、成り合わざる所が一ヶ所あります」
それに対してイザナギは次のように言います
「そうか。我身は成り成りて、一か所成り余れるところがある。この我が身の成り余るところを、汝の成り合わざる所に「刺塞<サシフタギ>」て国土<クニ>を生もうじゃないか。いかがなものであろうか」
伊邪那美命答曰
「然善<シカヨケレ>」
話し合いは付きます。
「成り合わざるところ」を「成り余れるところ」に「刺塞<サシフタギ>」なんて、よく考えて文章に仕上げたものだとここでも感心しきりです。少々エッチな描写で小中学生には聞かせられないのような話ですが、こんな描写が古事記には堂々と見られるのです。
「汝の身はいかになっているのか」
「吾身は成り成りて、成り合わざる所が一ヶ所あります」
それに対してイザナギは次のように言います
「そうか。我身は成り成りて、一か所成り余れるところがある。この我が身の成り余るところを、汝の成り合わざる所に「刺塞<サシフタギ>」て国土<クニ>を生もうじゃないか。いかがなものであろうか」
伊邪那美命答曰
「然善<シカヨケレ>」
話し合いは付きます。
「成り合わざるところ」を「成り余れるところ」に「刺塞<サシフタギ>」なんて、よく考えて文章に仕上げたものだとここでも感心しきりです。少々エッチな描写で小中学生には聞かせられないのような話ですが、こんな描写が古事記には堂々と見られるのです。