私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

志村けんの「私の勝手でしょ」と三月尽・・・・

2020-03-31 10:58:03 | 日記
 季節は「三月尽」です。昨日上げた和漢朗詠集のなかの「三月尽」に、白楽天の漢詩と紀貫之和歌が載ってあります。

         ・春を留むるに春住(とど)まらず 春帰て人寂寞たり
          風を厭ふひ風定まらず 風起(た)てば花蕭索(せうさく)たり      白

         ・またも来む ときぞと思へど 頼まれぬ
                     わが身にしあれば 惜しき春かな         貫之

 白楽天の歌の意味は

「春は留めようと思っても決して留めることはできなく、いんでいまうので花見の人出もなくなって実に寂しい。また、折角咲いた花も”風よ吹かないで”と願っても、無情にも、風が吹き来て瞬時に花を散らしてしまい辺りを寂しげな景色にしてしまう。」

 貫之のは
 「再び巡って来る春だとは思うのですが、それまでは頼みにならない病身の我が身であるので ひとしを惜しまれる今年の春ですよ・」

 この二首の歌を読んでみて、突然に、今年の今の日本の春を思わせられるように感じられるのですが、どうでしょうかね???というのは、白楽天の「春」と「風」はコロナを、貫之のは「志村けん」の心情を、あたかも読んだごとくに感じられるのですが・・・・・
 「コロナを如何に止めようと思っても止めることができず、コロナがよその国から帰ってきた人から広がり、花見の客は一人もおらず寂しい限りだ。そのコロナが蔓延して人の行き来が途絶えて日本中がもの寂しく落ち込んでいることよ。」
 「来年もまた春が来てお花見を楽しみたいのですが、今病身の我が身にしてみれば、来年なんて頼みにならず、考えられもせず、今年の花も過ぎゆき大変惜しまれるがそんな花も勝手でしょう。では、私も勝手にしょ・・・」

 そんな今年の私の三月尽です。

名残り雪・・

2020-03-30 10:18:08 | 日記
       「東京でも時ならぬ名残りの雪が・・・」
 今朝の新聞報道です。本来なら上野公園辺りを始め桜の名所はどこも人ひとの波で喧噪の風景が展開されているのではと思うのですが。テレビなどでは桜が雪のコートを着てふるえあがっている様子が放映されていました。普通なら

      “さくら散る 木の下風は 寒からで
                     空に知られぬ 雪ぞ降りける”    

 紀貫之の歌が飛び出すのですが、まさか、こんな所まではコロナの影響はないと思いますが異常な季節ですね。そこで駄洒落て一首を・・・

      ”さくら咲く 木の下風も 寒かろに 
                     空に知りたる 雪ぞ降りける”

 お粗末でした。

 なお、またもや自慢話を・・・・・私の持っている本を見てください。和漢朗詠集(天保14年の)です。この中に書かれている「さくら散る・・・」の貫之の歌です。

                   

名残り雪・・

2020-03-30 10:18:08 | 日記
       「東京でも時ならぬ名残りの雪が・・・」
 今朝の新聞報道です。本来なら上野公園辺りを始め桜の名所はどこも人ひとの波で喧噪の風景が展開されているのではと思うのですが。テレビなどでは桜が雪のコートを着てふるえあがっている様子が放映されていました。普通なら

      “さくら散る 木の下風は 寒からで
                     空に知られぬ 雪ぞ降りける”    

 紀貫之の歌が飛び出すのですが、まさか、こんな所まではコロナの影響はないと思いますが異常な季節ですね。そこで駄洒落て一首を・・・

      ”さくら咲く 木の下風も 寒かろに 
                     空も知りたる 雪ぞ降りける”

 お粗末でした。

栄西茶会がコロナ禍で・・・

2020-03-29 11:43:17 | 日記
 今日普通なら我が町吉備津の栄西誕生地で「吉備津栄西茶会」が行われるのですがコロナ禍のため中止となりました。そこで、細やかですが我が家で、私一人で開きました。尚、栄西の誕生日は4月10日ですが・・・・・。

   その風景をどうぞ・・・・・

        

船に乗り込んで来た大山守命は・・

2020-03-28 09:47:52 | 日記
 宇治山の上にいる者たちの様子を見て安心しきった兄王は宇治川の岸に止めてある舟に、兵士たちをそこにおいて一人でその船に乗り込んできます。そこには卑しい醜い恰好をした賤人が一人舟の楫の傍にいます。弟王は宇治山にいるものと思い、そのみすぼらし気な男を弟王と思わずにです。それを古事記には

              “望其厳餝之処。以為弟王坐其呉床”

 と書かれています。<カノ イカメシク カザレルトコロヲ ミヤリテ オトミコヲ ソノアグラニ イマスト オモホシテ>
 普通なら兄弟ですから弟の顔ぐらいはと思われるのですが、母親が違っていたので暮らす所も異なり、顔など今までに見たことがなかったのでしょうが、それが兄王の運命を決定することになるのです。これもなぜかわからないのですが、この戦には大雀命は参加してなかったのです。
 
 船に乗り込んできた兄王はこれが今亡き者にしようと思う弟王だと思わずに尋ねます。
 「私は、今から、この山にいると聞いた怒れる大猪を打ち取ろうと思うのだが、お前はどう思うか?」
 と。