私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

万葉の仮字 (2)「サシスセソ」  (3)「タチツテト」

2021-02-24 12:28:43 | 日記
 ・「サ」-佐・沙・左        【濁音】ー邪・奢
 ・「シ」-斯・志・師・色・紫・之  【濁音】—士・自
 ・「ス」―須・洲・州・周      【濁音】ー受
 ・「セ」ー勢・世          【濁音】ー是 
 ・「ソ」-曾・蘇・宗        【濁音】-叙

 ・「タ」ー多・当・他        【濁音】—陀・太
 ・「チ」ー知・智          【濁音】ー遅・治・地
 ・「ツ}ー都            【濁音】―豆
 ・「テ」ー弖・帝          【濁音】ー伝・
 ・「ト}ー登・斗・刀・等・土    【濁音】ー杼・度・勝・騰

  新聞をポストまで取りに行くにもぼとりぼとりと数日前の力に比べて、以前ほどの気力も人の精気も消え失せてしまっているのが現状です。瞬時の人のもつ力が消え失せています。一日に一日と体の中かわ湧き出してくる力に衰えが意識的に感じられる。これが八五年生を生きた者の経験することのできる宝物でしょうか。考えてみると、地球が単に一回りしているだけの現象の中に突如として出現した人の体験することの意味です。それは普通なのでが、私の個人的には何も変わりはないが、何かの拍子私の中にある歯車に狂いが生まれ。それが人生の終焉につながるのでしょう。それがかた人の生でもるのです、これは欲張りかもしれないが、できることなら静かに何も感じなく安気にあの世とやらに旅立ちができたらという思いが大昔からのあの兼好などの聖人たちも考えた旅d地だったのでしょうだ地ではなかったかと思います。 
 まあ、後どのくらいの命がありか分らないが、「今日や明日とは思わざりしを」と今の状況を認めて生きるしか方法はないのでから

 ケセラセラセラ?????????????????????????!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 今朝は少々われながらに愚痴る

さて、古事記も終わりました・・・後何を???

2021-02-20 10:25:14 | 日記
  と思って・・・古事記伝をぺらぺらと何となしに捲っていました。すると、この古事記をまた別の角度から見る目のことの大切さにきずかされます。

 漢字が日
い本に入ってきて以来、多くの日本人の工夫により、この中国生れの漢字とは全く異質な文字である「漢語」を上手に日本語に適応させて、日本語としてどのように使えばよいかを色々と工夫して、日本語として上手に利用してきました。
 それを宣長は
        「雁字の事」
として1つにまとめて説明しております。。「ア」「イ」「ウ」・・・と順に・・それを書き写していきますのでよろしかったらお読みください。

 まず初めに今日は「ア」から

 ・「ア」ー阿
・「イ」ー伊
 ・「ウ」ー宇、汙
 ・「エ」ー延、愛
 ・「オ」ー淤 意、隠・・・・・穏」迦は国の名「隠伎<オキ>」のみ 

 ・「カ」ー加、迦,訶、甲、可、【濁音】-賀、何、我
 ・「キ』ー伎、紀、貴、幾、吉・・・・吉の字は吉備の国の名  【清濁通用】-岐、【濁音】-藝、疑、棄
 ・「ク」ー久、玖、【濁音】-具
 ・「ケ」ー気、〇、 【濁音】ー宣、下、牙
 ・「コ」ー許、古、故、胡、高、去  【濁音】—碁,其

 この中で,【其】を「ゴ」と読ましているのは、宣長によると、もともと「碁」または「基」を誤りて「其」と書いたのではと・・・・・

「古事記序」の最終

2021-02-19 11:07:50 | 日記
    ”并三巻謹以献上。臣安万侶、誠惶誠畏,頓首頓首
    和銅五年正月二十八非
    正五位上勲五等、太朝臣安萬侶謹上”

 この最後の部分だけは辞書も何いらず、私にも読めます

 「まあちょっと」と読み始めたのですが、読み始めてみると、私には到底越えられないぐらいの思わん障壁に取り囲まれて、悪戦苦闘した約一カ月でしたが、やってみればできる者ですね。それも宣長先生という強い味方があったものですからですが・・・
 長い間、付き合いいただきました方々に御礼申し上げます。

以上で古事記全般についての概論です・・・・

2021-02-18 10:03:50 | 日記
それを受けてあと各論について簡単に記述して「古事記序」としてまとめているのです。

 まず上巻では

 ”故天御神主神以下、日子波限建鵜葺草茅葺不合尊<ヒコナギサタケ ウガヤ フキアエズノミコト>以前為上巻”
 
までを。なおこの「不合尊」ですが本文には「命」と書かれているのですが、「序」では「尊」という字を当てていますがこれについても宣長らしい説明がありますのでごご参考にしてくださると・・・・

 〝神倭伊波毘古天皇以下品陀御世以前,為中巻。大雀皇帝以下、小治田大宮以前、下巻”でも、前の「尊」と同じように「ミコト」をそれぞれに「「天皇」「御世」「皇帝」「大宮」と照合を変えて記しています。

差別は既得権益への執着か・・・・・

2021-02-17 12:31:36 | 日記
  岡部は言います・
 「世の中の男性は、女性が厳しく実力をつけ、自分を超えて行くて成長することなど、望んでいない男性が多いのですね。」
 また更に
 「女性が人間として成長することを、男性にとってものよろこび、人間のせかいの豊かさだとは思えないのですね。」
 と。
 決して、消すことのできない日本の大方の男性の心の片隅にこびりついている伝統的と言ってもいいほどの思です。この思いをどのように消去していくかが問題です。でも、この考えは男性だけが持つ考えかと言うと、むしろ、女性の方が多いのではないかとも・・・「三従」などという遠い昔からのしがらみが依然として強く現代日本社会の女性を精神的に支配しているということもみられます。日本人全員で考えて行かなくてはならない問題なのですが、今は視点が男性に向かっています、岡部の言うように女性とともどもにと思いが深いのですが・・・

 今、世界に目を広げてみると男女平等主義が世界の趨勢になっています。が、依然として、日本ではこの旧態然とした社会制度が男社会中心となって渦巻いす。一挙にには取り除くことは難しいかもしれませんが、この期に男も女も、より新しい世界に胸を張って「平等の社会」日本と主張できる気にになってもらいたいと思います。